あれは、俺がまだ小さかった頃の夏の出来事……。
 母さんに抱かれながら見守った父さんと弥彦さんの一本勝負を、今でも鮮明に覚えている。
 あの頃から思っていたんだ。
 俺は、父さんのようにこの瞳に映る人々を守りたいと―。

〜愛おしい人達を守るために〜

満月様


 明治28年―。
 あの一本勝負を見守った時から13年が経ち、俺は昔で言う元服の歳を迎えた。
 俺も一人前の歳になったんだ…。そう、今日は俺の誕生日。小さい頃から胸に秘めてきた事を、父さんと弥彦さんに伝えなければ……。
 家の道場で行われている稽古が一段落した蝉の鳴き声が響く暑い盛りの午後に、俺は父さんと弥彦さんに居間で逆刃刀に対する思いを伝えた。
「父さん、弥彦さん、俺、昔で言う元服の歳になったんだ……。俺は父さんのように、弥彦さんのように、この瞳に映る人々を守りたい……。弥彦さんの次に、逆刃刀を託してもらいたいんだ……」
 俺の話を、父さんは瞳を閉じ静かに聞いていた。
 先に口を開いたのは、弥彦さんだった。
「剣路、お前の気持ちはよく分かるよ……。だが、すぐに首を縦には振れない……。俺の息子の心弥も、お前と同じ思いを抱いているからな……」
 弥彦さんのその言葉に、俺は驚いた。幼馴染の心弥は、俺よりも年下で弟のような存在だ。
 その心弥が、俺と同じ思いを抱いているなんて思いもしなかった。
「でも、俺のこの気持ちはあの頃から変わらないよ」
 その言葉に、ようやく父さんが口を開いてくれた。
「剣路、お前の気持ちはよく分かった……。そこまで言うのならば、お前の決めた事に父さんはもう口出しはしない……。その代わりと言ったら何だが、道場で心弥と一本勝負をしないか?期限は、一週間後だ…。母さんには、父さんが審判をする事を伝える…。皆が見守る中で、一週間後に勝負をしてみないか?」
「もちろん、この勝負受けて立つよ」
 俺は、父さんの話に快諾した。一週間後に、一本勝負か……。
 空に星が瞬きつつも暑さが残る夜の庭で、俺は汗を流しながら自主稽古に励んでいた。
 この思いは、誰にも譲れないと思いながら……。


 それから一週間が過ぎ、今日は一本勝負の日…。審判は、父さんがする事になった。
「いい?剣心……。自分の息子だからって、甘く判定しないでよ?」
「ああ、分かっているさ」
 そんな父さんと母さんの会話を耳にしながら、俺は木刀を手に心弥と道場で向き合っていた。
「それでは、これから勝負を始める。勝負は一本勝負だ…。いいな?」
 父さんのその声に、俺達の間に緊張が走った。
「では……。始め!」
 父さんの声と合図をきっかけに、俺達の勝負が始まった。
 互いに木刀を交し合う。心弥、いい技を繰り出してくるな…。俺もうかうかしていられないぞ…。
 心弥の木刀を交わしながら、俺は一撃の機会をうかがった。
 よし、今だ!
 俺の木刀が心弥の脇腹に届く瞬間、心弥が上に飛んだ。続いて、飛天御剣流の龍槌閃のような構えに入る。
「おおおおお!」
 心弥の一撃が、俺の左肩に入った。俺の手から、木刀が滑り落ちる。
「……。勝負あり。勝者、明神心弥!」
「……。嘘、だろ……?」
 俺は、呆然と床に落ちた木刀を見つめていた―。


 夜、俺は縁側に座り庭の草木を眺めていた。
 昼間に心弥から負けてしまった事が頭から離れず、眠れずにいたのだ……。
「剣路、どうした……?」
 ふと後ろを振り向くと、父さんが穏やかな笑顔で立っていた。気が付かなかったな……。
 父さんは、「どっこいしょ」と言いながら俺の隣に座り一緒に草木を眺める。
 小さい頃から聞いてきたその優しい声に、目の前が涙で霞んでいった。
「父さん、俺、悔しかったんだ……。父さんの逆刃刀で、俺も瞳に映る人々を守りたかったよ……」
「剣路、お前の気持ちはよく分かるよ……。お前は父さんと考えがよく似ているし……。
大切な、父さんの息子だからな……」
 俺は、父さんに抱きついて小さかった頃のように声を上げて泣き崩れた。
「よしよし、泣くな泣くな……。お前、もう一人前になったんじゃなかったのか?」
 父さんは笑いながら、俺を抱き締め頭を撫でてくれた。
 気が付くと、障子からは朝日が差し込んでいた。
 あれから子供のように泣いてしまった俺は、泣き疲れたのかそのまま眠ってしまったようだ……。
 俺を挟んで、父さんと母さんがまだ静かな寝息を立てていた。
 昨夜に散々泣いたからか、心はすっきりと晴れ渡っていた。
「父さん、ありがとうな」
 俺はまだ眠っている父さんに笑みを向けると、顔を洗おうと井戸のある庭へと歩を進めた。
 井戸で顔を洗っていると……
「剣路、お早う。よく眠れたか?」
 目覚めた父さんが、庭に降りて微笑みかけてきた。
「ああ、よく眠れたよ。父さん、本当にありがとうな」
 俺は、心から父さんに感謝をした。
 そんな俺を、父さんは穏やかな笑顔で見つめる。
「父さん……、何でそんなに見つめるんだよ」
「ん?お前の事を可愛いと思っているだけだよ」
「おい……!気色悪い事を言うなよ!」
「はは……。元気が出たみたいだな」
「へっ?」
「お前は、そうやって元気でいるのが一番だよ」
 俺は、どうやら父さんにはめられたらしい。
 一生叶わないよな、父さんには……。
「そうだ剣路、心が落ち着いたら父さんと気晴らしに京都へ行かないか?」
「えっ?京都?」
 おかしいな……。
 京都といったら、父さんにとって苦い思い出の残る土地じゃないか……。
 何で、そんな所に出向くんだ……?
 俺は、そんな思いを抱かずにはいられなかった。


 ようやく暑さもなくなり季節が秋となった頃、父さんと俺は久しぶりに京都の地を踏んだ。母さんの親友でもある操さんと蒼紫さんが営む葵屋に数日泊まる事になった父さんと俺は、次の日とある場所へと向かっていた……。
「父さん、どこへ行くんだよ?」
「まあ、いいからいいから」
 俺の問い掛けに対し、父さんは笑顔で答える。
 父さんについて行く事暫く、俺は見覚えのある家の前に着いていた。
「御免」
 父さんの声に反応し家の中から出て来たのは、爽やかな笑顔をたたえた父さんと歳の変わらない男の人だった。
「青空殿、急に文を出してしまって済まなかったな」
「いいえ、他でもない緋村さんの頼みなら……。剣路君も、こんなに大きくなって」
 我に返った俺は、慌てて会釈をした。
 中に案内されると、沢山の刀が目に入った。
 それらに見入っていると……。
「青空殿、例の物は出来ているか?」
「ええ、出来ていますよ。お二人が来るまでに、完成させる事が出来ました」
 何の話をしているんだ……?
 俺がそんな事を思っていると、青空さんからある物を受け取った父さんが俺の方へ向き直った。
「剣路、遅くなってしまったが……。元服の祝いだ。受け取れ!」
「……!」
 父さんが持っていた物は、俺がずっと託してもらいたいと願っていた逆刃刀だった。
「久々に、青空殿に文を書いたんだよ。剣路の為に、新しい逆刃刀を作って欲しいと……。
生まれながらの悪筆故、苦労してしまったがな……」
 そう言いながら、父さんは苦笑していた。
「父さん、ありがとう……」
 俺は新しい逆刃刀を握ったまま、不覚にも泣いてしまった。
「どうした……?お前は最近泣いてばかりだな」
 父さんは、青空さんと共に優しい眼差しを向けてくれた。
 涙は、嬉しくても出るものなんだよ―。
 俺はそう言いたくなるのを何とか堪え、心の中にしまい込んだ……。


 父さんと俺が京都から帰って来た翌日、心弥が俺を訪ねて来た。
「剣路兄、ごめんな……。ずっと、託してもらいたいと願っていた逆刃刀を奪ってしまって……」
「俺は、もう大丈夫だよ。気にすんな……。俺も、父さんからとても大切な物を託してもらえたしな……」
 俺は心弥に父さんと京都へ行って来た事、父さんから逆刃刀を託してもらえた事を伝え、その刀を心弥に見せた。
 心弥は、まるで自分の事のように喜んでくれた。
「剣路兄……。俺達、お互い頑張ろうな」
「ああ、強くなろう……。俺達の瞳に映る、愛おしい人達を守るために……」
 俺達は、誓いの証としてそれぞれの逆刃刀を交え、青空の下で笑い合った。
 逆刃刀が太陽の光を反射し、俺達の心を現しているかのように眩しく光り輝いていた。