〜季節を重ねて〜

恋太郎様

『桜』

桜並木を二人で歩く。
愛しい人と二人で観る桜。
──なんて美しい……──-
彼の目に映る桜はキラキラと輝き、力強い命の伊吹を感じる。
──桜がこんなに美しいと感じたことがあっただろうか。──
柔らかい色で人の心を和ませる桜に暫し見とれる。
サクラ、サクラ。
「剣心?」
黙ったままじっと桜を見続ける夫に声をかける。
「……何でござる?」
いつもの笑顔で振り返る。
「どうしたの?」
「……いや……」
「剣心?」
「……桜、綺麗でござるな」
「うん、そうね」
「…………」
返事も返さずに黙り込む。
「剣心……」
「本当に綺麗だ……薫殿に似ている」
「??」
口元に笑みを浮かべたまま小さくつぶやく夫を不思議そうに見つめる。
──今まで観たのはどんな桜だっただろう?ただ咲いて儚く散っていく、只の花……こんなに綺麗だったなんて知らなかった……──
ふと、頭に過ぎる前妻の後ろ姿と儚い香り。
──ああ、彼女は白梅が好きだったな……──
梅の花が頭に浮かんだ瞬間、薫に声をかけてしまう。
「なぁ、薫殿……来年……」
言いかけて少し後悔した。前妻のことを思いだして、その面影を一緒に追って欲しいなどと。
しかし何故だか彼女の顔がよく思い出せない。
彼女はどんな表情をしていただろう。どんな風に俺を呼んでくれただろう。
想い出の中の彼の人は、記憶の彼方に消えかかっている。
彼女はどんな佇まいだったのか、今はもう……。
「剣心?」
「……あ……来年……梅の花を……」
「うん?」
「二人で……」
「うん。」
薫はただニッコリ笑って頷いてくれた。何一つ問うこともせず、ただ微笑んでくれた。
「でもね……」
「?? ……何でござる?」
「二人じゃないかも……」
「えっ?」
薫の口元がクスリと笑った。
「薫殿?」
「3人で……ね?」
そっと自分の腹に手を置き微笑む薫。
「!!」
「でもね? その前に二人で桜吹雪を見に来ましょうね? 二人で観るのは最後だから……」
「あ、ああ……」
薫のにこやかな笑顔にただ頷く。
「やられた……」
ポツリとつぶやく。
──薫には敵わない……何時も、何時もそうだった。俺を喜ばすのがとても上手くて……──
桜を見上げて微笑んだ。
日の光をいっぱいに浴びて煌めく桜。
サクラ、サクラ、見渡す限り。
彼の視界に映るのは、空一面にサクラの海。
ー桜が散る頃は綺麗な桜吹雪。雪のように舞い降りる桜を薫と観たい。きっと見事だろうー
剣心の手が薫に伸びて、その手をしっかりと握った。
「転んだら大変だから……」
剣心の顔がほんのり桜色に染まって見えるのは気のせいだろうか。
薫はただ微笑んで剣心の手を握り返す。
──来年は、3人で梅の花を観よう……彼女のように清楚な花を一緒に愛でよう……──
穏やかな顔で微笑む彼は薫の体を気遣いながら、彼女の中に芽生えた命の鼓動を感じ取り、少し照れくさそうに妻の顔を見つめた。
薫の愛に包まれて四季折々の花を共に愛でていける。
これから歩む永い時を薫と共に……。

『空』

何処までも続く青い空。
青く澄み切った汚れ無き空。
お前の瞳と同じ美しさ。
平穏な時代に産まれたお前達の未来を映す青い空。
「剣路……」
息子の体を空に掲げる。
彼の背には小さな羽が生えている……剣心の目には其れが微かに見えた。
──お前はこの空のように、澄んだ心のまま大きくなれ。俺のように成るな。真っ直ぐなその瞳を何時までも持ち続けて欲しい──
ようやく手に入れたささやかな幸せ。
薫がくれた小さな命。
守って、守って、この命続く限り愛していきたい。
俺はもう……この空のように澄んだ心を持っていないけれど、剣路のように笑えないけれど……其れでも、守って、慈しんでいきたい。
お前の行く道を示してあげられないけれど、どうか剣路……お前の行く末がこの空のように晴れ渡っていることを祈る。そうであって欲しいと思う。
お前がずっと幸せであることを……願って止まない。
お前が自分の羽根で飛び立てる日まで、俺はお前を守ろう。
どうかその美しい心のまま空高く舞い上がり、青い空にとけ込むように生きて欲しい。
悲しい空の色に染まってしまわないように見守り続けるよ。
お前の笑顔が曇らないように……。

『雪』

天から舞い降りる真っ白な雪。
無垢な少女のよう……。
……薫そのもの。
俺は薫に出逢うまで雪が嫌いだった。
あの日の出来事を鮮明に思い起こさせるから。
真っ赤に染まった雪と、奪われていく愛しい人の体温……その人の上に降り積もる雪は赤く、次第にその姿を覆い隠していった。
だから、雪は嫌い……。
愛しい人を俺から奪うから……。
愛しい人の声も温もりもその姿さえも消してしまう雪が嫌いだった。
独りになって何度も雪を観ていた……否、目に映していた。何も感じない。
寒さも悲しみも全て覆い隠す。
でも……今は。
愛しい薫が腕の中で安らかな寝息を立てている。
寒くて寒くて凍えそうだったはずなのに……今はとても暖かい。
薫の笑顔が、本当の雪の白さを俺に教えてくれた。
雪がこんなに美しく、愛すべきものだったなんて知らなかった。
寒い夜さえも寂しくない。
全てが雪に埋もれ、包み隠していく様さえ愛おしく感じる。
「剣心。観て……雪よ?」
昼間彼女は雪が降りしきる庭に出て、天から舞い降りる雪達を愛でていた。
まるで向かい入れるかのように両手を天にかざし、落ちてくる冷たいものを暖めるように。
彼女と一緒に感じた雪は冷たくなかった。
彼女と一緒に観た雪は美しかった。
雪は薫を隠さずに、その美しさを際だたせてくれた。
雪は薫を凍えさせずに、その暖かさを俺に与えてくれた。
雪の降る日が今は、とても愛おしい。
腕の中で眠り続ける薫の躯が俺の身も心も暖め続けて、柔らかい雪を美しいと感じさせてくれる。
明日……きっと一面は銀世界。薫と二人で汚れ無き世界を観よう。

『白梅』

薫と一緒になって初めて観る梅の花。
小さな声で囁く。
「綺麗でしょう? 清楚で可憐で……豪華さは無いけれど、優しい香りをくれる花よ」
──ああ、本当だ……こんな穏やかな気持ちでこの花を愛でる日が来るとは思わなかった──
梅の花が嫌いだった。
優しい香りを運んでくるこの花が嫌いだった。
彼女の面影を思い起こさせるから大嫌いだった。
──俺は今まで何を観てきたのだろうか。この花はこんなにも優しかったのに……──
隣に佇む薫はただ黙ったまま微笑んでいた。
剣心がこの花を愛して慈しんでくれるのをただじっと待っていた。
彼の手が遠慮がちに伸ばされて梅の花に触れる。
彼の唇が躊躇いがちにその花に触れる。
「……とても良い香りがする……」
夫の言葉にただ頷く。
「……とても、綺麗でござる……本当に……」
夫の瞳が潤んで口元が微笑む。
そっと近づき、梅の花に触れている夫の手を優しく包み込む。
「本当ね……とても綺麗ね。巴さんみたいに清楚で可憐で……」
剣心はただ小さく頷いた。
──ごめんね。巴……ずっと、ずっと……君のこと忘れないよ……ありがとう……薫の元に導いてくれて……──
彼の脳裏に彼女の笑顔が朧気に浮かんだ。其れは霞がかかっていて笑っていることだけが僅かに解る程度だったが、其れでも嬉しかった。
「薫殿……」
ゆっくりと振り返り薫の顔をじっと見つめた。
「ありがとう……」
剣心の目が穏やかに微笑む。
ーありがとう、薫。こんな俺を愛してくれて……こんな俺を待っていてくれてー
彼の口元が震えている。
彼の目が口の代わりに沢山の言葉を紡ぎ薫に伝えようとしいる。
穏やかに見つめ返す薫もただ黙って微笑んだ。

『雨』

降りしきる雨。
──ああ、流れているときに独りきりでこんな雨を何度観て、何度濡れていただろうか──
柱にもたれかかり庭先をじっと見つめて独り物思いに耽る。
冷たい雨。
何もかも洗い流してしまう雨。
心の中の悲しみや苦しみも一緒に流してくれたならどんなに楽だろう。そんなコトを幾度考えただろうか。
「剣心?」
不意に声をかけられた。
「どうしたの?」
「いや……」
「良く降るわねぇ……」
「ああ……」
「寒くない?」
「ああ……」
返事をした直後にクスリと笑った。
「剣心?」
「寒い……本当は寒い」
「え? いやねぇ。あなたったら我慢ばかりするんだから……何か羽織るもの持ってくる……」
立ち上がりかけた薫の腕を掴んで引き寄せた。
「要らない……薫が暖めて」
「え……?」
「ねぇ、薫……」
「……ぁ……」
剣心の唇が不意に近づき、優しく触れる。
「薫……ねぇ。俺を暖めて……」
ゆっくりとしなだれかかる夫の髪が甘えるように薫の首筋にまとわりつく。
「剣心……」
「寒いんだ……1人じゃないってこと確かめたい……」
「剣心……」
「ね。誰も見てないから……ね?」
力強く抱きしめる腕とは対照的に自分を見つめる剣心の瞳が不安そうに何かを訴えている。
「大丈夫……側に居るわ。ずっと、離れないから……」
二人の影が重なり、一つになる。
熱い吐息と衣擦れの音が静まり返った部屋に響いている。けれど、雨の音が二人の交わりを優しく覆い隠して、淫猥な音さえもかき消してくれた。

『稲妻』

青白い稲妻が次々と落ち、辺り一面を不気味なほど青く浮かび上がらせる。
激しい稲光と轟音に縮こまり、時折短い悲鳴を上げる薫。
「薫殿?」
布団を頭からすっぽりかぶり部屋の隅に蹲る人に声をかける。
余りの光景にクスクスと笑って布団を捲った。
「薫殿……そんなに恐がらずとも……落ちてくる分けなかろう?」
「だって! だって!」
「本当に恐がりでござる……」
「失礼ね! わたしだっ……」
突然目の前に閃光と轟音が。
薫の悲鳴が剣心の耳に響き渡る。
「おろ〜〜。す、凄い声でござる」
「いやああああ! いやああ、恐い、恐い〜〜!」
布団を被り逃れようとする薫を掴んで布団を剥ぎ取り、己の腕に抱き入れる。
「困った御仁でござる……」
「剣心! 剣心!」
「拙者が側にいるというのに、頼れるのは布団でござるか?」
「だって、だって! 恐い! 恐いの!」
潤んだ瞳が稲妻の閃光を受けて怪しく光る 。
一瞬にして剣心の心が鷲掴みにされ、ノドが小さく鳴った。
「……薫殿……そんなに恐い?」
「あ、当たり前でしょ!!!」
余りの恐怖に八つ当たりする。
「……そうか。そんなに恐いなら……忘れさせてあげるよ」
剣心の唇が言葉を発しようとする薫の柔らかい唇をそっと塞ぐ。
「……っ!!」
逃れようと腕の中で藻掻く薫を布団の上に押し倒しながら小さく笑う。
「恐いんだろ?俺が全部忘れさせてやるから……」
覆い被さる夫の後方で稲光が光り、夫の顔を妖しく照らし出す。
その瞳が青白く光り、この世のものとは思えない光を発している。
「……ぁ……剣、心?……」
「薫……逃がさない……」
剣心の瞳に魅せられて動くことを封じられ、近づいてくるその青く光る瞳を見続けた。
稲妻が鳴り響く中、薫の悲鳴に近い嬌声をかき消す轟音と、薫の美しい肢体を闇に浮かび上がらせる稲光がとても扇情的で剣心の心を掻き乱す。
ーこんなに美しいものがこの世に存在しているとは……ー
恐怖に震えていた無垢な少女が今、自分の下で淫らな表情を浮かべて男心を惑わせる。
いつ果てるとも解らない淫靡な時間……彼は其れを永遠に望む。