La Luna

by ななこ様

このお話はあくまでも個人の妄想によるものでありまして、このお話の中に出てくる各機関名や人物等は実際のものとは一切関係ございません。
また、フランソワーズ他の設定等も原作、アニメとは若干異なりますので、あらかじめご了承くださいませ!


登場人物

島村ジョー (009)
フランソワーズ・アルヌール (003)

イワン・ウィスキー (001)
ジェト・リンク (002)
アルベルト・ハインリヒ (004)
ジェロニモ・ジュニア (005)
帳々湖大人 (006)
グレート・ブリテン (007)
ピュンマ (008)

ギルモア博士

ジャン・アルヌール─ フランソワーズの兄。フランス空軍所属
アリスン・ボワレヌ─ ジャンの恋人かつ国防省の機密捜査員
モルガン長官─ ジャンのかつての上司。事件の真相を握っている
カルロス大佐─ ジャンの上官
Dr・フランツ─ アリスンの相談役。フランス国立病院に勤務
ロベール─ ジェンの部下
ジュリー─ CIA職員
サミー─ CIA職員
 
フランソワーズ父
フランソワーズ母
 
シュリ・ブライアン─ イコンの事件を追っている。ジョーのライバル?
サリー・ブライアン─ シュリの妹。NBGの陰謀に巻き込まれる
オーギュスト・ボワ─ 事件の真相を握っている
Dr・エドガー─ シュリの兄貴的存在。孤独を好むシュリにとって唯一本音を言える相手
 
キャサリン女王─ ジョーのことを思っている。フランソワーズに対して嫉妬。事件に発展?
ミレット婦人─ キャサリン女王の女官長
マーク殿下 (回想)─ キャサリン女王の叔父。NBGに利用されてしまう
大臣
議員数名
 
ラリー・マクレーン─ 今回の事件の首謀者。NBGの指揮官である
ラリー・マクレーン側近 
ニーダ─ キャサリンの女官としてスパイ行為をする。また、フランソワーズの幻想に度々現れる
NBG兵士数名
NBGサイボーグマン数名

No. 1 プロローグ

 パリ郊外国営病院。
 雲ひとつない、真青な空には小鳥たちが楽しそうに飛び交い、病院の敷地内にある、小さな池には、水面がキラキラ輝いている。
 彼女は水辺の小さな白いベンチに腰掛け深いため息をついた。
 白衣を身にまとい、長いブロンドの髪を一つにまとめ、大きなグレーの瞳が印象的な聡明そうな女性。年齢は三十歳前後というところか。
 彼女の仕事は、表向きでは心療内科医だが、広域警察や時にはフランス軍の表に出来ない事件がらみの科学的検証捜査にも携わっていた。
 メンソールのタバコを深く吸い込むと青空めがけて、ゆっくりと煙を吐き出した。
(なんてことかしら? 彼になんていったら……)
 その時、緊急用の携帯音が鳴る。
「はい、アリスン」
「あっドクター、1号室の患者さんが、また発作を……」
「Dr. フランツは?」
「それが見当たらなくって……」
「わかったわ、すぐに戻ります!」
 緊急を知らせるナースの連絡で現実に引き戻された彼女は、タバコを半分も吸わずに病棟に戻った。

* * * * *

 あの時、彼の妹の話を聞いた時、まさかこんなことになろうとは、思いもよらなかった。
 事情はあまり詳しく聞いていなかったが、三年前に行方不明になっていた彼の妹が、突然なんの前触れもなしに戻ってきた。しかも外見的には怪我一つなく……。彼女は何も語ろうとはしなかった。それどころかどこか心を閉ざしている。皆に心配を掛けまいと必死に明るく振舞っているが、それがかえって痛々しい。
 3年前のことは彼もあまり語りたがらなかったが、人に聞いた話によると、彼が国防相の機密任務についたころ、あの事件が起きたと言う。
 当時まだ十七歳だった彼の妹は、よりによって彼の目の前で何者かに拉致された。
 彼は、必死に後を追ったが結局助け出すことが出来なかった。軍や警察でも長期に渡り調査を続けて来たが、なんの手掛かりも掴めないでいた。
 アリスンが彼と出会ったのは二年前。今現在も紛争が続いているロシアとの国境沿いの小さな国へ医療ボランティアへ行ったとき、救援物資を空輸して来たのが彼だった。何時も穏やかで、どんな人達にもやさしく接っしている彼に好感を覚えていたアリスンだったが、時々、蒼く澄んだ瞳に翳りが刺すのを彼女は知っていた。
 そして、冬の寒さが和らぎ少しずつ春が見え隠れしはじめた頃、最初の衝撃的連絡が入った。
「ジャン! 落ち着いて話して頂戴! なにが何だか話がつかめないわっ! 妹さんがどうしたって?」
「ああすまない! とにかく、とにかく妹が帰ってきたんだ! 無事で……」
 その後は声が詰まって聞き取れない。
「君にもいろいろ心配かけたけど、なんて言っていいのか……」
「本当なの? とにかく詳しいことは後で仕事が終わったらすぐにでも連絡するわっ!」
「ああ、仕事の邪魔して悪かった。それじゃあまた後で」
 アリスンは電話の受話器をおいたまましばらく呆然とした。
"いつも冷静沈着な彼があんなに興奮して……。無理もないか……。行方不明の妹が無事だったんですもの。でも、本当に無事だったの? だって拉致されたって、今までどうしていたんだろう?"
 言いようのない不安がアリスンの頭の中で交差していた。


No. 2 イコンの秘密

 上空から広がる景色を眺めながら、次第にパリの街が近づいてくるのを、肌で感じていた。懐かしい空気、なぜだか子供の頃を思い出しながら、彼女は兄のことを思っていた。
 どのくらい会っていなかったのだろう。兄の目の前でBGに拉致されてから、すでに三年は経っている。妹思いの彼のことだから、きっと自分以上に心配し、苦しんでいるだろう……。
 ギルモア博士や他の仲間達とともにBGのアジトを脱出した後、何度も連絡しようと思えば出来たはずなのに、受話器をとっても最後の番号をプッシュする勇気がでなかった。
 他のメンバーには家族がいなかったので、あえて兄の話はしないようにしていたが、いつも心の中にひっかかるものがあって、それが彼女を苦しめていた。それでも、優しいギルモア博士や仲間達、そしてなんといっても最愛の人ジョーがいつも傍にいてくれたから、悲しく辛い戦いにも絶えることができた。だが……。

* * * * *

 ここ最近、フランスのルーブル美術館をはじめとする、世界各地の美術館にて異変がおきていた。
 それは、どれも素晴らしいそして高価な美術品が展示してあるにも拘らず、なぜかイコンのみが盗難にあっているというのだ。
 美術館に展示しているだけあって、ロシア皇帝由来の作品やどれも優れているものばかりだが、なぜイコンなのか? 作品を楽しむだけなのか? 金品に変えるにしてもどうもおかしな事件である。
 そんな中、口火をきったのが、ゼロゼロメンバーのなかでも芸術通でもあるハインリヒだった。
「どうも気にいらねえなあ……」
 怪訝そうな表情のハインリヒにジョーが問いただす。
「何か気になることでも?」
「ん……何でイコンなんだ?」
 そこへフランソワーズに抱かれてイワンがリビングに入って来るなり、なにかを予知するように語りだした。
「ハインリヒのカンガエテ、イルヨウニ、イコンヲ、テニイレヨウト、タクランデイルノハ、NBGダ!」
「何だって!!!」
 そこで皆がいっせいに反応した。
「そうなの、今ギルモア博士も驚いて、イコンに詳しい芸術大学の教授に連絡をとっているところよ!」
 ジェトがフランソワーズに向き直って、
「芸術大学って、だいたい何でNBGがイコンなんて関係あるんだ? 資金調達だったら、もっと高価なものだってあるじゃないか?」
「それはそうかもしれないけれど、昔からイコンには伝説や噂があるのよ……」
「噂ってどんな?」
 ピュンマが問い掛ける。
「例えば、ロシア皇帝が所有していたイコンの額縁の中には、革命以前に所有していた莫大な秘宝の在処をしるした暗号が彫られているとか……」
 すると、グレートがまってましたとばかりに、
「我輩だって知ってるぜ! ルーブル美術館のイコンには、金の延べ棒へ続く抜け道の地図が埋め込まれてるとか、もうヨーロッパじゃもっぱらの噂ってものよ……」
 そんな会話を黙って聞いていたハインリヒが、
「だが、まだ誰も真相を掴んだものはいねえ……」
 と呟く。
「NBGが狙っているということは、もっと何か重大が訳がありそうだな……もしかしたら……」
 と、ジョー。
「ふん! 何だよ!! 来るなら来いってんだよ! ここんとこおとなし過ぎて気持ち悪かったぜ!」
 そんなジェットの言葉とは裏腹に、一同は押し黙ったままギルモア博士の指示を待っていた。
 それからしばらくの時間が過ぎたころ、知り合いの大学教授に確認をとったギルモア博士が皆の前に現れる。
「それで、博士どうだったアルか?」
 帳々湖の問いに
「うーむ、それが盗まれたイコンには、一つだけ共通点があるんじゃが……」
「どんな共通点ですか?」
 ピュンマが空かさず問い返す。
「んー! 作者や内容は違うんだが、不思議なことに盗まれたイコンすべてに、形はどうあれドラゴンが描かれているそうじゃ」
「イコンにドラゴン?」
 フランソワーズが、怪訝そうな顔をする。
「NBGにとって、そのドラゴンのイコンにどんな価値があって、なにに利用しようとしているか? ってことだ」
 とのジョーの発言に皆が頷く。
「なにがなんだか知らねえけど、これからどうするよ! NBGの新アジトだって、まだ俺たちゃしらねえんだぜ! そのイコンとやらを取り替えすったて、あのとうりイワンが眠ってちゃあなあ……探りようがないだろ?」
「まったく! 我輩はうらやましいぜ。いっつも肝心な時に眠ってしまう001が……」
 と、グレートが予言をした後に夜の時間に入ってしまったイワンを見ながら呟くと
「やめてよ! イワンだって眠りたくて眠るんじゃないんだから。これがイワンのサイクルなのよ、頼れないならそれなりに対策を考えるしかないじゃない!」
「フランソワーズの言うとおりだよ。……ギルモア博士! 何か他に情報はないんですか?」
 とジョーの問いに
「教授の話によると、その手の研究に関して世界的に権威なのが、フランスのオーギュスト・ボワ博士だそうだ。彼ならあらゆるイコンの研究や鑑定を手がけているので、もっと何かつかめるのでは? と言うことだ」
「それで、そのオーギュスト・ボワ博士は今どこに?」
 とグレート。
「それが……どうも、モナミを王国の別荘に休暇で出かけているそうじゃ」
 それを聞いたフランソワーズがはっと顔をあげ、思わずジョーの顔を見たが、すぐに視線をそらした。
「モナミ王国っていやあ、確かジョーにお熱のお姫さんがいるとこじゃあねえか!」
 と大声で話すジェットに張々湖が、
「お姫さんじゃないアルよ! いまや女王様アルよ!」
「二人とも辞めないか!」
 割ってはいるハインリヒ。
「とにかく、そのオーギュスト博士ってのに会って詳しく話を聞く必要があるよな? ジョーよ!」
「ああ、そうだねっ! ギルモア博士、オーギュスト博士に連絡をとるのは可能ですか?」
「そのことは心配いらん。じゃが、彼は素人にはとても厳しくて、雑誌のインタビューが入っても、ろくに答えないらしく編集の記者もえらく、苦労しているそうじゃ……」
「…………」
「あーもうじれってー! イコンって絵だろ? だったら、フランソワーズとハインリヒがその何とかって博士の所に行けばいいじゃん! なんだかそんなような本とか、かりっこしてたろ?」
 一瞬、チラッとハインリヒを見やるジョー、そんなジェットの言葉を遮る様にしてジェロニモが突然
「俺、行く!」
 と言った途端に、皆の視線がジェロニモに集中する。
「俺、行く! ふるさとにドラゴンのイコンあった。見たことある」
 ジョーが驚いたように、
「アリゾナに?」
「ロシア系のフランス人旧KGBに追われ、酋長、かくまっていた、そのときに見せてもらった」
 ハインリヒが怪訝そうな顔で、
「旧KGBだって?」
「それで、その人は今どこに?」
 ジョーが再び問う。
「わからない」
 しばらく考えた後、ジョーは、ギルモア博士にむかって、
「ギルモア博士! とにかくモナミ王国に行ってきます。事は芸術品の盗難では済みそうにありません! フランソワーズ、ハインリヒ、ジェロニモ、急いで出発の用意を! 他の皆はまだ盗難にあっていないイコンの警備を……もしかしたら、また奴らが盗みにくるかも」
「よし! 腕が鳴るぜー! まだ盗難にあっていないイコンのリストは?」
「それなら教授が今調査中じゃ、わかり次第連絡が来ることになっておる」
「僕たちは直ぐにでも出発します! できればそのリスト、後から我々にも送っていただけますか?」
 とジョー。
「こっちのことはまかせろって!」
「そうアル! 我々を信頼するヨロシ」
「もちろん信頼しているさ、ただ、状況次第で作戦をたてなくては……」
「ジョーの言うとうりじゃ、今回の件はどう転んでもおかしくない」
 そんなやり取りを聞きながらフランソワーズの顔は冴えなかった。まさか、また、あの国へ行くことになるとは……。あそこまで行って、あの人に会わないわけがない。あの日の船上パーティーでの二人のシルエット……。ああ、なんて私は愚かなの? こんな時に、みんなは、真剣にNBGのことを考えているのに……。でも、どうしても考えずには居られなかった。キャサリンの存在を。


No. 3 ミッション

 フランス国防省司令室。
 落ち着いた皮の応接セットに飾り気のない本棚が無数並んでいて、殺風景な部屋の壁にはたった一つだけ少し古めの絵画が掛けられ、大き目のデスクに少し古めのデスクトップのパソコンが置かれている。
 肘掛がついた大き目のいすには、頭髪に白髪がうっすらと混ざっている、体格の良い男性が腰掛けている。この部屋の主である。彼は、手元にある資料を眺めながら、これから尋ねてくる人物について模索していた。
 コンコン! っと静かにドアをノックする音。
「どうぞ」
 警備兵と共に現れたのは、グレーのスーツを身にまとい、これといって特にアクセサリーも身につけていないが、美しく聡明そうな女性が立っていた。
「モルガン長官! アリスン・ボワレーヌです」
 彼はいすから立ち上がり、彼女を迎え入れた。
「待っていたよ! まあお掛けなさい」
 と椅子を勧めた。
「いやあ、突然呼び出して悪かったね、早速本題に入らせてもらうよ。君のことはいろいろ調べさせてもらった。そこで、君に内々にやってもらいたい仕事がある」
「やってもらいたいこと?」
「そう、やってもらいたい仕事だ! 君は今現在、国立病院の心療内科に勤務しているんだったね? そして、実は解明不能な事件の科学的捜査も担当している」
「はい、心療内科のほうは、教授が恩師ということもあり、人員が足りない時に応援しているだけです。それに捜査の仕事をしていることは身内にも言わない規則ですから……。周りは心療内科が本業だと思っています」
 しばらくの沈黙の後アリスンが、問う。
「あの、モルガン長官それは、いったいどんな仕事なのでしょう?」
「アリスン! これから話すことは、他言無用だ。いいね?」
 半ば不安な面持ちで、頷く。
「今、世界各地でイコンが盗難に会っているのは君も知ってるね?」
「ええ、それが?」
「ん……CIAがその捜査に乗り込んできた」
「アメリカのCIAが?」
「そこで、君には、CIAに入り込んでほしいんだ。ここに偽造パスポートと身分証明書、それに細菌、及びウィルス研究についての文献とオックスフォード大学のロバート教授の推薦状もある。まあ、90%以上疑われることはない!」
 モルガン長官の黒い瞳をじっと見つめながら、彼女はやっと言葉を考えながら、一言。
「モルガン長官! あなたは私にCIAにスパイに入れと?」
「もし、断りたいんならそれでもいい。今のうちだよ! それによって、まだこれから話さなければならないことがあるが、君に断られるとなると私の話はこれまでだ。誤解してほしくないんだが、こらは脅しじゃあない。国益、いや、世界の平和を左右するかもしれんのだ! それに今回君を指名したのは、君の知識と判断力、これまで手がけてきたファイルをみて、人選をした。私の目に狂いがなければ必ず成功する」
 しばらく考えたあと、アリスンは、
「長官! 明日まで時間をもらえませんか? あまりに突然で正直混乱してます。もちろんこの件は誰にも他言しません」
「ん……無理もなかろう。いい返事を期待しているよ。では、明日の10時にここで、話の続きはそのあとで……」
「ありがとうございます」
 深々と頭を下げるとアリスンは部屋を出て行った。

* * * * *

 ジャンに連絡しなければ……。ああ、でもこれは、彼にも言えないわ……。
 アリスンは、ジャンを巻き込まないよう、今回の話はしないと心に決めていた。
 その後、二人に会う約束をして、花屋に立ち寄り、通いなれた彼のアパートメントへ向かった。しかし、歩く道すがら、先程の殺風景な部屋での会話を忘れることが出来なかった。
 そんなところに、後ろから聞きなれた呼び声がした。
「アリスン!」
 振り返ると、そこには、満面の笑みのジャンが立っていた。少し驚いているアリスンにむかって、ジャンは、不思議そうに
「どうかした? そんな顔して……」
「あ、ジャン! いいえ、少しびっくりしただけよ。妹さんは?」
「ああ、部屋にいるよ! きみに会えるのを楽しみにしている。ほら、ワインを切らしてしまって」
 ジャンは片手に持っているワインを見せた。
「まあ、素敵! 私も楽しみにしていたのよ。それで、元気そうなの?」
「ああ、でもまだ詳しいことは聞いていないんで、何ともいえないんだけど、ゆっくりと、聞き出すつもりだ」
「そうねっ! 無事だったんですもの」
 そうこうしているうちに、彼のアパートメントについた。
 出迎えた彼の妹はとてもきれいな、ジャンと同じ蒼い瞳をしていた。まあ何て美しい、でもどこか儚げな娘なんだろう、と言うのがフランソワーズに対しての第一印象である。
「お待ちしてました! 兄からお話を聞いて早くお会いしたいと思っていたんです!」
「まあ、とてもうれしいわ! 私もあなたに会えてよかった」
 挨拶のキスをして、花束を差し出した。
「これ私に? とっても素敵!」
 うれしそうに、花の香りをかいでいる。
「さあ! 早くはいって、今日は久しぶりにお料理したから、お口に合うかどうか?」
「まあご馳走ね! もう今日はとってもハードだったから、おなか空いちゃって!」
 そんな二人の会話をうれしそうに見守りながら、ジャンはワインの栓をぬいた。

 彼のアパートメントを後にして、送ってくれたジャンに、いつになく熱いキスをした。
「どうかしたの?」
 不思議そうに見つめるジャンに向かって、
「いいえ! 今日は楽しかった。妹さんにあえて本当に良かったわ。仕事がハードだったから、とてもいい気晴らしにもなったし……。フランソワーズによろしくって伝えて」
「ああ、こちらこそ今日はありがとう」
 ともう一度キスをして、歩き出したが、
 振り返って「仕事も程ほどに!」と手を振っている彼に思わず微笑んだ。

 ふうっ! 自分の部屋に戻って、タバコに火をつけ、吐き出した煙を見ながら先程のモルガンの顔を思い浮かべる。
 国益? 世界の平和……。会話を思い出しながら、細菌とウィルスの文献って、イコンとどう関係があるの?
 考えあれば考える程、頭が混乱してくるようだ。
 そうこうしているうちに、ソファーに寝転びながら深い眠りに落ちていた。
 翌日、彼女の心は決まっていた。
 髪を結って、キリッとした、仕立ての良いスーツを身にまとい、出迎えの車に乗り込んだ。
 昨日訪れたはずの部屋の前に立ち、警備兵に導かれ再びモルガンの前に姿をあらわした。
「おはよう! マドモアゼル……その顔は決心してくれたのかな?」
「はい! 昨日のお話ですが、私でお役に立てるのなら引き受けさせていただきます」
「そうか、引き受けてくれるか!!」
 とニッヤッとわらいながら、彼女に向かって、右手を差し出した。


No. 4 Going To Monami

 その日、モナミ王国上空は豪雨に襲われていた。
 ドルフィン号を研究所に待機させたジョーたちは、民間の飛行機で向かっていたが、予想外の豪雨にモナミ王国上空を何度か旋回し、3回目のトライでやっと着陸に漕ぎ着けた。
 なかば沈痛な面持ちで、ジョー、フランソワーズ、ジェロニモ、ハインリヒが、着陸ロビーに現れる。特に会話もなく、手荷物を確認すると、最初にハインリヒが、話し出した。
「車を手配していたけど、この分じゃあ到着していないかもな」
「私、予約しているレンタカーとホテルに確認の電話を入れてくるから、みんな、ロビーのソファーで休んでて」
 フランソワーズが荷物を置いて、歩き出すとジェロニモもと彼女のあとを追った。
「俺、一緒に行く!」
 残された二人は、ごった返す人々を尻目にソファーに並んで腰掛けた。しばらくの沈黙の後、ハインリヒが、ジョーに問い掛ける。
「おまえ、どうするんだ?」
 何が? という顔をして、ジョーがハインリヒの方を向く。
「ここのクイーンと再会するのか?」
「…………」
「お前がはっきりさせないと両方共不幸になる」
「両方って?」
「言わなくてもわかってるんだろ? だいたい飛行機の中でお前らなにか会話したか?」
「…………」
「ここのクイーンだってそうさ! お前が甘いから付け上がっていろいろ言ってくるんだろ?」
 しばらく無言のままだったジョーが再びハインリヒに向き直る。
「誤解しないでほしいんだが、キャサリンとは本当に何でもないんだ。ただ、立場が立場だけに話せる人間が限られている、だから……」
「だから何なんだ? それよりもっと大切にしなきゃならないことがあるんじゃないのか?」
「………………」
「クイーンみたいに平気で泣き言を訴えることができるやつはいい。だが、フランソワーズは一度だって、そんなことを言ったことがあるか? 全部自分の中に留めているんじゃないのか?」
「…………」
「だいたいおかしいと思ったことはないのか? おまえ……。なんで一人だけ女なんだ? 家族は? 兄貴がいるってことだけで、両親はどうした?」
「両親?」
 両親? 家族? そう言えば以前家族のことを聞いたことがあったが、
「兄さんがひとりいるの!」
 とだけで、両親がいるのかいないのか、明快な答えは聞いたことがなかった。
「彼女以外はみんな天涯孤独って奴ばかりだ! それなのに……」
 そこに、先程の予約の確認をしてきた、フランソワーズとジェロニモが戻ってきた。暗黙の了解で二人の会話は終わった。
「お待たせ! やっぱりレンタカーの到着は遅れているそうよ。でもこっちに向かっているようであと30分ぐらいで到着するわ。ホテルのほうはいつでもいらしてくださいって!」
 彼女の傍らで時間を確認するジェロニモ。
「あっありがとう! 君も少し休んだら? そうだ何か飲み物でも……」
「飲み物なら俺が買ってくるぜ!」
 ハインリヒが立ち上がった。
 その後ホテルに到着した一行は、休む間もなく、ギルモア博士から聞いたオーギュスト・ボアの所在を確認した。  その後ギルモアに無事到着した報告と、オーギュスト・ボアとの約束の時間を聞き、空き時間を利用して国立図書館へ赴き、イコンについてわかる範囲の調査をした。そうこうしているうちに、約束の時間が近づいてきた為、再び車へ乗り込んだ。
 オーギュスト・ボワの別荘の前に到着した頃は、先程の豪雨が嘘のように止み、青空が見え隠れしていた。厳重な警備の門をくぐり、庭をしばらく行くと、こじんまりとした小さめの洋館が、目に入った。
 メイドらしき人物に、案内され、応接室に入った。
 そこには、大理石の床に、シンプルだが落ち着いた感じの木目調の家具が置かれていた。
 飲み物を運んできた女性が、
「間もなく旦那様がまいりますのでお掛けになってお待ちください。
 と椅子を勧めた。
「素敵!」
 とまわりを見回していたフランソワーズが、壁にかっかていた数枚の絵画を見つけるなり
「イコンだわ!」
 と一言いった。
 そんな彼女の一言に引き付けられるかのように、ジョーもイコンらしき絵画の前に立っていた。
「絵画のことは良くわからないけど、この吸い込まれるような感じはいったいなんなんだろう……」
「その絵を気に入ったのかい?」
 ジョーが振り向くとそこには、体格こそは大きくないが、白髪の長髪を後ろでまとめ、品の良さそうなとても柔らかな物腰の紳士が立っていた。オーギュスト本人である。
「あっ失礼しました! あまりに素晴らしかったので、見とれてしまいました」
 と無礼を詫び、一人ずつ自己紹介をした。気難しいと聞いていた彼らは、なかば緊張しながら質問を始めた。
 まず、自分たちがなぜドラゴンのイコンを調査しているかという説明した後、ドラゴンのイコンはなぜ描かれたか? そして、伝説や噂に纏わることなど、いくつか質問をした。
 オーギュストは彼らの真剣な熱意とまだ残っているイコンを守ってほしい気持ちもあってか、一つ一つの質問に丁寧にわかりやすく答えた。さらに、先程ジョーたちが、見とれていたイコンについて、話して聞かせてくれた。
「このイコンは革命以前、ロシア国教会の修道院の人々が、何人かで描いたものです。イコンとは、眺めていると世俗を忘れ、とても落ち着くことが出来る芸術よりもさらに神聖な神の恵みかもしれません。素直になりたいとき、心が病んでいるときなどは、イコンはとても素晴らしい癒しになりますよ」
 と語った。
 ジョーはなぜか自分の心の中をすべて見透かされているようで、この場を立ち去りたい気持ちに陥った。
 オーギュスト博士はさらにドラゴンのイコンについての伝説を聞かせてくれた。
「これは、一種の魔よけのようなもので……」
「魔よけ?」
 一同が反応した。
「そうです!災いをいかに避けるか昔の人が考えた智恵のようなものです。確かに病は気からではないですが、嫌なこと、困ったこと、この世界に生きているとさまざまな苦しみを経験するでしょう。それをドラゴンにさらって貰おうということで、描かれたいわゆるおまじないです。ですから、それのみが盗難にあうと言うことは、なんら悪い企みがあるのかもしれませんね」
 その話を聞いて皆一様に、考え深く押し黙ってしまった。
 そして、ギルモア博士から送ってもらった、まだ盗難にあっていないリストを手渡すと、
「ここに入っていないものも、いくつかありますね。といいながらおもむろにペンを取り出しそこに付け加えた」
 それをジョーに手渡すと
「フランスのルーブル美術館の地価倉庫に保管されているものは、限られたものしか、見ることはできません。私が明日までに紹介状を書いておきますので取りにこれますか? ただ紹介状があってもしばらく時間は必要だと思ってください」
「もちろんです! いろいろお手数をお掛けいたしまして、助かります」
「博士! 一つ無礼な質問をさせて下さい。答えたくなければ結構ですので。……以前旧ロシアのKGBに関わったことはありませんか?」
 ハインリヒのいきなりの質問にオーギュストは首を横に振り、微笑んだ。


No. 5 キャサリン

 ホテルに戻った一行を待っていたのは、キャサリン女王からの迎えの車だった。偶然ホテルでジョーたちを見かけた、女王付きの女官がキャサリンに報告をしたのだった。
「ディナーのご招待だって? どうするよ!」
 すかさず迎えの者が
「必ずお連れするようにとのご命令ですので、お受けしていただかないと……」
「ジョーだけじゃないのか? 俺たちが行ってもじゃまだろ?」
「いいえ! お連れ様もご一緒にと……」
 迎えの者の言うがままに、全員宮廷に招かれることになった。
 宮廷に到着し、まず最初に出迎えたのは、キャサリンの女官ミレット婦人だった。
「まあまあお待ちしておりました! こちらへどうぞ……」
 大広間へと案内された一向は、キャサリンが来るまでしばらく待たされた。
 フランソワーズは無言のまま大広間を見渡し、
「あっ!」
 とおもむろに豪華なつくりの壁に掲げられた一枚の絵画の前に進んだ。
「大変! ドラゴンのイコンだわ!」
「なにー!!」
 と皆驚いたように彼女の近くまで駆け寄る。
 ほら! と彼女の指差す先には、ドラゴンが小さく左下に描かれていた。
 ジョーが怪訝そうに
「さっき貰ったリストにはないな?」
 とつぶやく。
 そこにキャサリンが登場した。
「まあ! みなさまようこそ。お待ちしておりましたのよ!」
 振り返るジョーに駆け寄りいきなり手をとると、さあこちらへと隣接されているダイニングへ案内した。
 皆その後をついて行くが、フランソワーズはイコンの前から離れることが出来なかった。ハインリヒがそれに気づいて、彼女の肩をポンと叩くとそれに頷きながら皆の後に続いた。
 皆が自己紹介をすませ、席に着くと
「今日は突然ご招待してしまって、ごめんなさい。どうぞ楽しんでってくださいね」
 それぞれの思いが交差する中、食事会が始まった。
「そういえば、そちらのお嬢さんは、お会いしたことがあったかしら?」
 えっとおもむろに顔をあげ
「いいえ! 初めてお目にかかります」
「あなたも出版社のお仕事? それともレースクイーンとか?」
 驚いた顔をして、そうか彼女は私達の本業を知らないんだわ、と気付く。
「あの、出版の編集のアシスタントを……」
「まあ、そうだったの。なんでも偶然女官がお見かけしたものだから、もしかしたらプライベートのバカンスだと思ってしまって、ご招待したはいいけれどご迷惑だったらどうしようと思っていたのよ。でもジョーったら連絡くださればよかったのに……」
「今回は、取材を受けていて、まあ仕事で来ているし……」
 そんな会話を聞きながら、ハインリヒとジェロニモは、黙々と食事をしていた。
 その後、宮廷の広場にて、キャサリンの友人(といっても形式的な)たちが催している小さなダンスパーティに出席した。が、ジョー以外は一様に皆の踊りを眺めながら早くホテルに戻りたいと思っていた。
 そんな中、フランソワーズは会場を後にして、一転静かな庭にて夜風にあたっていた。
 ベンチに腰掛けながら、空を見上げる。先程の雨は嘘のように感じられるほど、星空がくっきり映し出され、そこには大きな月が煌々と輝いていた。
 まるで人形のようにその星空をぼんやりと眺めていると、ふいに聞こえてくる人の話し声に気づきそっと身を隠すのだった。
 枝の影から見えるのは、ジョーとキャサリンが、腕を組みながら歩いている。
「もう! 本当に水臭いんだから! もうこんなことしないで。ぜったいに連絡して。何だか冷たいわ、もっとあなたのこと知りたいのに」
「キャサリン、気を悪くしたならごめんよ。でも君は今や女王なんだ。わきまえないと。それに僕は別に」
 といい掛けた時、キャサリンがいきなり抱きついて、ジョーにキスをする。ジョーはそれを払いのけるわけにも行かずしばらくそれを受け入れた。
「それ以上先は言わないで。わかってるんだから……」
 突然泣き出してしまった彼女を、ジョーはやさしく抱き寄せた。
 ホテルに帰ると皆自分の部屋へと戻っていった。
 宮廷にあったイコンについては、明日オーギュストに確認することで意見は一致した。
 翌日、オーギュストのもとへ再び訪れたジョーは、ルーブルへの紹介状を受け取り、昨日宮廷で見たドラゴンのイコンの話をする。オーギュストは一瞬驚いた顔をすると、認識外だったということで、後で調べてギルモア博士あてに報告を入れることを約束した。
 再びホテルに戻って、今後の対策を検討した。
「宮廷のイコンも警備する必要があるんじゃないか?」
「実は、僕も今それを考えていたんだ」
 今日始めて言葉を発するフランソワーズが、 「それなら、みんなはここに残っていてよ! オーギュスト博士の話だとルーブルに入れるのはしばらく時間が掛かるってことだから、それまで私パリで待機するわ! お兄ちゃんにも会いたいし……」
 他の皆が驚いたように彼女の顔を見る。これまで兄に会いたいとか、自分の願望など口になどしたことがなかった彼女がなぜ? たまたま、ルーブルがフランスだったから? しかし、カトリーヌの事件の時でさえ兄のことは話さなかった彼女が。  ジョーは昨日のキャサリンとの一件を思い出しまさか? と思って彼女の顔を見つめていた。


No. 6 夢

 最終便のモナミ発、パリ行きの飛行機に搭乗するとすぐに、フランソワーズは深い眠りに落ちていた。
 ここ数日間の疲労と昨夜、垣間見てしまったジョーとキャサリンの衝撃的場面のせいで、一睡もすることができず心身ともに疲れ切っていた。翌朝、ジョー、ハインリヒ、ジェロニモと今後の対策を検討していた時、不意に口について出た言葉が、自分でも信じられなかった。その日のうちにキャンセルチケットを確保すると、逃げるようにしてモナミ王国を後にしていた。
 空港まで送ってくれたジョーとは、道中一言もこれといって、会話はなかった。こんなことは始めてだと余計に落ち込んでゆくフランソワーズにジョーは
「向こうに着いたら連絡して……。こっちが落ち着いたらすぐに向かうから」
 とじっと見つめる彼の瞳を直視することなどとても出来なかった。
"ああ、お願い! どうかそんな瞳で私をみつめないで!"
「ええ、そうするわ」
 と小さな声で答えると
「フランソワーズ、僕は……」
 何か言いかけながら彼女の肩を掴みかけようとしたその手をそっと払いのけ、一度も振り返ることなくエスカレーターにむかって歩き出した。
 パリへ向かう飛行機の中で、フランソワーズは、幼い頃の夢を見ていた。
「いいかい? フラン、士官学校を卒業したら必ず迎えに行くから、それまで院長先生とシスターの言うことをよく聞いて待っているんだよ!」
 幼いながらも状況を把握していた少女は、涙を必死に堪えながら頷いていた。
 フランスでも有数の名門校の寄宿舎の前で、そこの院長とシスターに向かって、ジャンは挨拶をした。
「どうぞ、妹のことをよろしくお願いします」
「フランソワーズのことは、ご両親にもよくよく頼まれていた。心配は要らんよ。しかし、ジャン、君には士官学校ではなくて、君のような優秀な成績を……。いや、やめておこう、もう決心したんじゃから……」
「…………」
 迎えの車に乗り込む兄を黙って見つめていた少女は、これまで我慢していた思いがあふれ出て、発車した車を必死に追いかけた。
「お兄ちゃん! お兄ちゃーん!! お願い! 行かないでー、行っちゃいやー!」
 悲痛な叫び声をあげながら、涙をぬぐうこともせずに叫んでいた。
「どうして行っちゃうの? 私も連れてって! 置いていかないでー」
 バックミラーからその光景を見た兄ジャンはたまらず、車の窓に乗り出した。
「毎日手紙を書くから! シスターのところに……」
 堪えきれなく口元をおさえ嗚咽してしまう。歳の離れた兄とは言っても、まだ18歳の青年には、とうてい耐えられる状況ではなかった。途中、転んでしまった少女は、
「どうして? どうしてみんないなくなってしまうの……。どうして? ねえ! お兄ちゃん、お兄ちゃん!」
 後から追いかけてきたシスターに抱きしめられながら、しばらくその涙は枯れなかった。
 はっ! と、目を覚ましたフランソワーズは、幼い頃の悲しい思いを再び蘇らせると、
"しばらく見なかったのに、きっと疲れているんだわ……"
 と思いながらも、愛しい兄のことを思っていた。
"……どうしているかしら? 皆にはあんなこと言ってしまったけれど、今更、どんな顔をして会えば良いのか? いいえ、会うことなんてできない。……でも、遠くから見られるのであれば……。兄に会いたい! でも、会うことなんて出来ない!"
 そんなことを思いながら外の景色を見つめていた。
 パリに到着した頃には、すでに午後10時を回っていた。
 小さめのホテルに宿泊を決め、荷物を部屋に置いた後、夜の街へと出かけていった。
 セーヌ川のほとりを一人あてもなく歩いていく。そこには幸せそうなカップルが何組もいる。いつだったかジョーと二人、ここを歩いたことがあったけ。などと考えながら思い出さないようにしていても、つい頭をよぎってしまう彼の顔を思い浮かべていた。
 そうこうしている内に、フランソワーズの足は、兄ジャンの住むアパートメントへと向かっていた。
 蔦の絡まっている年代物のその建物は、外見とは裏腹に高級な内装と設備が施されている。建物の斜向かいの路地に身を置き、しばらく兄の住む部屋を見つめていた。
 明かりの点っていないその部屋を見つめる。
"まだ帰っていないのかしら? お兄ちゃん……"
 しばらくそのままそこに立っていると、不意に後ろから人影がして、こちらへ向かって歩いてくる。
 フランソワーズは少し俯きながら、その人影が通り過ぎるのを待っていた。なぜか少し手前でその人影は立ち止まった。ゆっくり顔を上げてみる。温かく懐かしい顔が、彼女の蒼い瞳に映し出された。
 先に言葉を掛けたのは、ジャンのほうだった。
「……まさか……フランソワーズ?」
 信じられないと言ったように、首を横に振りながら
「……本当に?」
 と言って近づいてくる。
 フランソワーズは、そんな兄をじっと見つめながら搾り出すように
「お兄ちゃん……」
 と言い、どちらともなく抱き会った。
 兄は、妹の髪の感触や細い肩をまるで、本物かと確認するように優しく抱きしめる。妹は、優しい温もりを体いっぱいに感じていた。
「……ごめんなさい! おにいちゃん……私……」
「よかった! 本当に無事で、今まで、どんなに……」
 言葉に詰まり、よりいっそ強く抱きしめた。
 二人ともこれ以上はとても言葉にはできず、ただただ久しぶりの再開を神に感謝した。


No. 7 Serenade

 南仏、ニース・コート・ダジュール国際空港から車で二十分ほど行くと、海沿いに南欧風の建物が立ち並ぶ別荘地がある。そこの一角に、夏の休暇を楽しむ幸福そのものの家族がいた。
 亜麻色の長い髪を一つにまとめあげ、クリーム色のノースリーヴドレスを身にまとった、美しい蒼い瞳をした40歳半ばほどのマダムが、白いグランドピアノを奏でている。そしてこのかたわらで、ヴアイオリンを演奏しているのは彼女と同じ色の瞳をもつ青年だった。
 「ラフマニノフ」のヴォカリーズを、息の合ったアンサンブルが、さらに心地よい音色に変えていた。
 少女は、まるで歌詞のない子守唄ような心地良い調べを聞きながら、自分を膝に抱いている優しい大きな手のなかでうとうとと眠り始めていた。演奏が終了して、その子の母親らしきその女性と青年は顔を見合わせて微笑んだ。
「まったく! いつもこれなんだから……」
 そんな青年の言葉にその子を抱いていた男性が微笑みながら呟いた。
「まあいいじゃないか。昼間あんなにはしゃいでいたから、疲れたんだろう」
「ふうっ! 父さんはフランにはあまいんだよ……」
「ジャン、そういうあなただってけっこう甘やかしているんじゃない? 私が何にも知らないとでも思って?」
「かっ母さんまで……。まいったなあ」
 幸せそうな笑い声が響き渡ると
「……しいーっ! 起きてしまうわ!」
 といって、薄手の肌掛けをそっと掛けながら
「何か飲み物をいれてきましょうね」
 と言ってマダムがキッチンへ立ち去った。
 そこで父はおもむろに青年に語りかける。
「……だいぶ上達したなあ!」
「いえ、まだまだ父さんには負けますよ!」
「ジャン……お前も18歳か……。そろそろ将来のことも考えんとなあ……」
「父さん、いろいろ考えたんですけど、卒業したらアメリカのハーバードへ進学したいと思っています。そして、将来的には父さんと同じ外交官になるつもりです」
 うむっ! と頷く父
「そうかハーバードか、まあお前なら間違いないだろう、若いうちに外国を観るのもいいことだ! 応援するよ」
「ありがとうございます! 父さん」
 少し考え深げに間をおいた。
「なあジャン、実はお前に一つ頼みがある。これは母さんとも何度も何度も話し合った結果なんだが……」
 少し驚いたように顔を上げる青年に向かって、
「実は今度の赴任先である、中東の小国は長いこと内戦が続いているのは、お前も知っているだろ?」
 青年は、これから父が何を言わんとするのか察知したように黙って頷く。
「今回は、私一人で行こうと思ったんだが、母さんがどうしても付いていくと……」
「母さんが?」
「もちろん、お前たちのことは気がかりだが……」
 飲み物をもって母が戻ってきた。これまでの話を聞いていたかのように、
「ジャン、ごめんなさい。あなたたちを残していくのはとても心残りなのよ。でも私はこれまで、自分の愛情をすべてあなたたち二人に費やしてきたわ。そして、私は自分の育ててきたあなたたちを信頼しているの。きっと、きっと大丈夫。ちゃんと生きていってくれる、と。だからほんの半年、半年だけ待っていてほしいの。必ず戻ってくるから……」
「母さん……。いったい何があるんです? そんなに危険な任務なら断ればいい」
 今度は父が、
「断れるものなら私も断りたいんだが、今回の任務はこれからのフランスの将来を左右する大きな役割なんだ。母さんには残ってもらいたかったが、なにせ一度決めたら梃でもゆずらんから……。そこで、学院の院長には、お前は卒業まで、フランは私達が戻るまで寄宿舎で預かって貰うよう頼んでおいた。院長は私の大学時代からの親友だ。もし、我々が仮に戻ってこれなかったとしても」
「父さん!」
 話を遮るようにジャンが叫ぶと、父は首を横に振って話の続きを始めた。
「いいか、良く聞くんだ! お前の進路のこと、そして、その他の悩みは、彼に相談するんだ。当面の生活費や学費は何の心配もいらない。我々の財産や資産に関しては、ジャルジュ弁護士に一任している。両方共とても信頼の置ける人物だ!」
「父さん! そんな、そんなことを急に言われても……」
「お前は自慢の息子だ! 期待しているぞ! きっとちゃんとやっていけるさ。ただ、気がかりなのはこの子のことだ……」
 傍らに眠る少女の髪を撫でる。
「この子が美しい娘になって、一緒に教会のバージンロードを歩くのが、私の些細な夢だった。その役目をお前に譲らなければならないとしたら……。ジャン、お前にももちろん幸せになってもらわねば困るんだよ! この子がお前の重荷になってはいかん、しかし、この子のことを真の愛情でもって、託すことが出来る人物が現れるまでは、どうか心の支えになって守ってやってほしい。いいね!」
 そんな父の話を横で聞きながら嗚咽する母。
「ごめんなさい! でもわかってほしいの。母さんは父さんに出会った時、心に決めていたこと。それは、それはね、死ぬ時は一緒にって……。みんなのことを愛しているわ。でもあなたたちには、あなたたちの人生を生き抜いてほしい! もちろん、必ず帰ってくるから、私の勝手をゆるして……」
 青年は、深呼吸をした。
「父さん、母さん。フランソワーズのことは、心配要らないよ! 僕がついているから。それに、帰って来るんだから、二人とも。絶対に帰ってくるんだから、そんな顔しないでよ……」
 二人の手をとった。
 数日後、父と母は中東へと旅立っていった。  3ヶ月を過ぎようとしていた時、突然の訃報が青年の元に届いた。  現地の反政府テロ組織により、爆破テロが起こった。そこは、白人中心の大使館が並ぶ町並みで、フランス、アメリカ、カナダなど複数の国の民族が犠牲になった。フランス大使館も例外なく爆破され、ジャンとフランソワーズの両親の行方はいまだ不明である。
 その訃報を受けて、ハーバード大学への入学が決まっていたジャンであったが、国防省フランス軍士官学校への入学に急きょ変更した。学費等に困っていたわけではないが、今回の訃報に納得の行かない、不可解な部分を独自に解明しようと心に決めていたのである。
 成績優秀な彼を説得するものも多数いたが、彼の決心は誰にも変えることは出来なかった。
 あれからどのくらい経ったのだろう? とジャンはニースの別荘でのことを思い起こしていた。
"父さん! フランソワーズが、無事に帰ってきたんですよっ! 無事に……"
 久しぶりの再会の後、荷物がホテルにあるので今日はホテルで過ごすと言った妹をジャンは送った。これは夢なのか? 現実なのか? と考え、そして、彼女がいったいこれまで何をしていたのか、あの攫っていった組織は? なぜ今になって帰ってこれたのか? これまで連絡を出来なかったのは? 聞きたいことは山ほどあったが、正直驚きのあまり何も聞くことが出来なかった。いや聞くのが怖かった。
 思わず仕事の途中であるアリスンに電話をかけてしまった。誰かに聞いてほしかった。この喜びと衝撃と不安とすべてを……。
 あの日、交わした父との約束を思い出しながら、なかなか寝付くことができなかった。
 翌日、休暇をとったジャンは、フランソワーズを迎えにホテルまで車を走らせながら自分から言い出すまで、なるべく何も聞かないようにしようと決めていた。

 ホテルに戻ったフランソワーズは、ギルモア博士に、明日から兄のもとでしばらく待機すると告げ、連絡先やイコンの調査についての行動予定を報告した。
「久しぶりの兄の下での生活じゃから、皆が来るまでゆっくりしていなさい」
 博士の言葉に礼を言い、モナミ王国に滞在中の仲間達にはよろしく伝えてください、とあえて自分から連絡するのを拒んだ。
"いやだわ……私逃げている……。お兄ちゃんはなぜ何も聞かなかったのかしら? いいえ、あれが、精一杯の思いやりなのだとよくわかってる。でも、いっそのこと頬を殴られたほうがどんなに気が楽かしら?"  後ろめたい気持ちでいっぱいだった。

 翌日、兄の迎えでホテルを後にしたフランソワーズは、久しぶりに兄の住むアパートメントへ向かった。部屋に入るなり、
「うわっ、さっすがお兄ちゃん! 相変わらず几帳面ねー」
「当たり前だ。お前とは違うのさ!」
「えーっ、ひどーい! こう見えても私だって綺麗好きなのよ」
 二人とも少しふざけながら笑った。
「あっ、ねえこれ、写真の人誰? すごい綺麗な人」
 チェストの上に飾ってあった写真立てを手にとる。 「ねえ、もしかしてお兄ちゃんのお付き合いしている人?」
「え? あっ、ばっ、ばか! その人は……その何ていうか」
「あーやっぱりそうなんだ。赤くなってるー!」
 茶化すようなフランソワーズの頭をコツンと軽く叩く。 「生意気いってないで、そこのコーヒーカップを用意して!」
「うふふ。はあーい、わかりました」
 サイボーグメンバーの中には、兄ジャンより年上のものや同じくらいの歳のものいる中、あまり感情を表にしたことがなかったフランソワーズは、ジャンの前では無邪気になれる自分が嬉しかった。
「ねえ、私この人に会ってみたいなー。駄目? なんて名前なの? お兄ちゃん!」
 無邪気に笑っている妹を横目で見ながら、
「わかった! わかったから、まったく…………」
 と愛しさが増してゆくジャンだった。
"何があったかなんてもうどうでもいい、だがこれからは必ず守ってみせるから、もうどこへもやらないから……。お前が幸せになるよう見守るって、父さんと約束したんだ。"
 無邪気にはしゃいでいる妹をやさしく見つめていた。

 ルーブル美術館の前。
 黒髪に少しグレーがかった黒い瞳、スラット伸びた足には黒のパンツに、少しかかとのあるブーツを履き、上半身にはシンプルなグリーンのシャツを身にまとった、一見モデル風の20代前半と思われる青年が、片手に持った手帳を見ながら入り口を後にしていた。
「ふう! ここも無駄足ってことか?」
 こうなったら、とりあえず資料館にでも行くとするか! 彼は、そういいながらそこから一番近い国立資料館へと足を運んだ。
 そして、自分の探していた本を見つけて、手を伸ばそうとしたところ、一足早くその本に手を掛けた人物がいた。瞬間手が触れ合って、どちらともなく引っ込めてしまった。
「あのー、もしかして、この本を?」
「ええ……あっでもどうぞお先に、私他の探しますので……」
 と軽く微笑んでいる彼女の瞳を見た瞬間、かたまっている自分に気づき、すでに他の書物を探し始めている彼女の腕をとると
「あっ、待って! ……レディーファーストってことで!」
 とその本を手に渡していた。
「あっいいんですか? 少し時間かかりますけど……」
 と遠慮がちに語りかける彼女に向かって
「ああ、別にすごく観たい訳じゃないから……」
 と照れくさそうに言ったあとそそくさとその場を立去った。
 彼の名前は "シュリ・ブライアン"。自称アメリカ人ジャーナリスト。この後、この蒼い瞳の彼女と行動をともにすることになろうとは、この時はまだお互いに知る由もなかった。


No. 8 2フェイス

 モルガン長官に任務を承諾したアリスンは、その後、任務についての更に詳しい話を聞くことになった。
 まず、これまで盗難に合ったイコンについての盗難場所、イコンの種類、被害総額、さらに、盗難に合ったイコンの共通点、現状残っていると思われるイコンについて。そして一番の謎。……それは犯人の真の目的。
「でも、長官! これまでのお話を伺っただけでは、ただの美術品のコレクションが、度を越してしまったように思えるのですが、何もCIAに乗り込まなくても……」
「……まあ確かにこれだけでは、君の言うとおりただのマニアの犯行に思えるが、まずはこれを観てどう思うね?」
 鍵の掛かった机の引き出しから一冊のフィルを取り出した。それをアリスンに差し出すと、おもむらおに葉巻に火をつけた。
 アリスンはモルガンから受け取ったそのファイルに目を通していた。
「こっこれは、これをいったいどこで? ここに印してあることは真実なのですか?」
 ゆっくりと葉巻を口元から離すと、モルガンは、立ち上がって、窓辺にその視線を移した。
「……いいかい? アリスン先日もいったとおり、このことは世間に知れたら大騒動になる」
「…………」
「世界各地で不安からなる恐慌にもなりかねん!」
 そう言ってアリスンに向き直ると
「そのファイルを私に預けたのは、元ロシアKGBのメンバーで、組織の中ではナンバー3とまで言われた男だ。しかし、彼は国に忠誠を誓いつつも、この恐ろしい計画を知るにあたって仮にこの計画が成功してもいずれは、自らの国をも破滅に導きかねないと察知して、すべてを灰にしてしまった。が、彼は考えた。今すべてを灰にしたとしても、いずれまた誰かが、これを作り出すのは目に見えている。そこで、暗号としてこれらを分散させ、世界各地に隠した。その目印が、ドラゴン……」
「でも、わかりません! 何のために、すべてを灰にしていれば、今このような問題は……」
「それは解毒剤だ! 解毒剤さえ、完成していればたとえ悪用されたとしても生き残れるものもいる」
「それを完成させるには、この公式と暗号が必要だったのですね」
「そうだ。しかし彼はまあ当然だが、KGBの追っ手に阻まれていたから、なかなか解毒剤を依頼できる人物に会うことができなかった。これらの暗号と公式を目に付かないように、隠すしかなかった」
「でも政府は崩壊したのだからもう隠れる必要はなくなったのでは?」
「ふん……まあだから、このファイルがここにあるのだと思ってく。彼はまあ、現状身を隠している。なぜなら、それらを利用しようと企んでいるものは、旧ロシアだけではないってことだ」
「ということは、まさかアメリカが目をつけ始めたと?」
 首を何度か小さく縦に振る。
「CIA国家機密細菌センターのレベル5へ進入し、そこの地下金庫に盗難に合ったイコンが隠されていないか、そして現状研究されている細菌兵器について、調査をしてもらいたい」
 アリスンは黙ってモルガンの瞳を見つめると、
「長官は、そんな大役を私に出来るとお思いなのですか?」
「もちろん! 昨日も言ったはずだ。まあいろいろ、不安があるのは当然だが、出発まで1週間詰め込んでもらうものはみっちりある。そして、自己防衛のトレーニングを受けてもらわねば……。しばらくは、デートもできんぞっ! 彼氏には悪いが……ああセクハラのつもりはないがねっ!ハハハ」
 そんなモルガンの冗談とも言えない話を聞きながら、彼女の頭の中は、なかばパニックを起こしそうだった。
 翌日からアリスンは、これから自分が使う名前と経歴を叩き込んでいた。
「べス・シリンズ、アメリカ、オハイオ州出身、28歳、えーと出身大学は……」
 そんな中ふいに電話のコールが聞こえ、ピックと体を震わせると、もしやジャンではないかと思い受話器を取れないでいた。
「……どうしよう、ジャンに言わなければ、ああでもこのことは言えないし……」
 と、手を掛けたところコール音が止まって、「ふうっ!」と息を吐いた。
「そうだわ! ドクターにも挨拶ついでに、お願いしてこよう」
 と外出の支度を始めた。
 パリ国営病院につくと、顔見知りのナースたちに、囲まれ
「えー本当に? Dr.アリスンが、ボランティアにいちゃうなんてー! 寂しいですう……」
「まったく、よく言うわ! いつも小うるさいって言ってるくせに……」
「ひっどーい! 本当に寂しいんだから……。それで、いつまでなんですか?」
「そうね……まあ状況しだいなので、今は何とも言えないんだけれど」
 と答えながらも、 "本当に何ともいえないわ……"  と思っていた。
 恩師でもあり上司である、唯一機密の仕事に携わっていると知っている、アリスンのよき理解者Dr.フランツの部屋前に来ていた。コンコンとドアをノックすると少し皺枯れた声で、 「どうぞ」
 と返答があり、中へ入った。
「おー! アリスン出発はいつだったかね?」
「はい。来週の火曜に」
「そうか、火曜か……。それで、今度は何の事件かね?」
「それが、なんとも……」
「そうだった! 機密は言えんよな? ふむふむ……」
「申し訳ありません……」
「いいんじゃ! いいんじゃ! 気にせんで……。それで、ジャンには?」
「それが、まだ何も……。今日は、あのそのお願いもあって……」
「わかっとるよ! 話を合せておけばいいんじゃろ?」
「いつもすいません! ご迷惑をおかけして……」
「しかし、何だなあ、いつまで、黙っておる気じゃ? わたしは、早くお前さんたちの晴れ姿をみたいもんじゃがなあ? 彼の妹さんもえーっとなんていたかな?」
「フランソワーズです!」
「そうそう、そんな名前じゃった。……帰ってきたと言うし」
「そうですね。今回の仕事に目途がついたら、いろいろ考えたいと……」
「そうかそうか。待って居るよ、首を長ーくして!」
 そんな冗談を笑いながらもアリスンの心境は複雑極まりなかった。そして、礼を言ってから、病院を後にした。
 それから、出発までの間、アリスンはイコンについての一通りの知識とモルガンから見せてもらったファイルについての下調べCIAの内部構造、細菌の研究資料など一通り頭にいれ、そして、軍のトレーニングルームで、体力的訓練とプラスチック制の銃の使用方法などを、叩き込み準備を着々と進めていた。そして、出発の前日、ジャンに電話をいれた。
「ボンジュール!」
 電話口に最初に出たのはフランソワーズだった。
「この間はご馳走様。調子はどう?」
「ああ、アリスン! ありがとう。私もとっても楽しかったわ。またいらして……。待って、お兄ちゃんとかわります」
 フランソワーズから受話器を受け取ると
「アリスン? どうしたって言うんだ! 何度も連絡したのに……」
「ああ、ごめんなさい、ちょっと事情があって……。実は明日から海外へ行くことになったの……。仕事で。あ、でも短期間だから、すぐ戻ってこれるわ。そしたら、あなたに話さなければいけないことがあって……」
「それは今じゃ駄目なの? 海外っていったいどこ?」
「……それは、ごめんなさい。今は言えないでも、帰ったら話すわ」
「アリスン! いったいどういうことだ! 何があったんだ……。ねえ聞いてる?」
「お願い! 今は何も言えないの……。でも、でも、ごめんなさい!」
 と言って電話は切れた。
 兄のいつにない態度に、フランソワーズは動揺を隠せなかった。アリスンにいったい何が……。受話器の前で俯いている兄の後姿をじっと見つめて、何故だか胸騒ぎがしていたのであった。


No. 9 003始動

 フランソワーズを空港まで送って行ったジョーは、その帰り道、海の見渡せる丘の上に車を止め、少し強めの海風に、その身を預けていた。そして、先程の空港でのフランソワーズを思い浮かべ、いいようのない孤独感に苛まれていた。
 いつもの彼女なら、あんなことはけっしてしたりはしない。たぶん、いやきっと、昨夜のキャサリンとの一件を……。
 以前、モナミ王国の事件の時を思い出す。あの事件の後も研究所に帰ったフランソワーズはなにか、思いつめているようだった。
 確かに、フランソワーズには、まだ自分の思いを告げている訳ではなかったし、彼女の思いも感じてはいながら、なぜか自分自身、人を愛せるのか自信が持てないでいた。いや、人に愛されると言うことも、正直よくわからないのかもしれない……。幼い頃から人に愛されたことなどなかったから……。
 フランソワーズ、僕が君を傷つけたのなら、ごめんよ。キャサリンとは、ただの相談相手、彼女とはそれ以外なんでもないんだ!
 ああ、でも僕は、まだ君に何も打ち明けたわけではないのに……。いや、そうするのがとても怖いんだよ。可笑しいだろ? どんな戦いだって、怖いと思ったことはないのに……。いつも、近くに居てくれるのがあたりまえになって、君の気持ちを考えてあげることもできない、馬鹿な自分を今更こうして、後悔しているんだ……。今、僕はとっても不安なんだ。
 君がお兄さんの話をすることなんてあまりなかったよね。さっき、お兄さんに会いたいって君が言った時、正直びっくりしたよ。ごめん、本当は、ずっと会いたかったんだよね?
 僕は自分の話は随分聞いてもらったけど、君は自分の気持ちをずっとおさえてきたんだよね? でも、君がお兄さんの元へ帰ってしまったら、何だか僕はもう君が僕のところへ戻って来ないような不安に襲われている。
 ああ、フランソワーズ君と話がしたい。この手で思いっきり抱きしめたい。今までどうしてこの思いを話すことが出来なかったのだろう……。
 あの、パリのホテルで、君は一人で泣いていたよね。
 そう、カトリーヌと再開した後、あの時僕は君が愛しくて、思わず抱きしめてしまった。セーヌ川の橋の上で君を待っていたとき、あの時もとっても不安だった。君が僕の元に帰って来ないんじゃないかって……。
 お願い、僕の話を聞いて! 今度こそちゃんと、ちゃんと話すから……だから……。
 フランソワーズが、一人パリへと立った今、彼女へ何も言えなかった思いが、大きな孤独感として、ジョーの胸につのっていた。そんなジョーの頬をすべて知っているかのように、海風は、容赦なく吹き付けていた。
 翌日、ジョーとハインリヒ、ジェロニモは、オーギュスト・ボアの別荘へと向かっていた。宮廷のイコンをぜひ見てみたいとの要請があり、急遽、キャサリン女王の承諾を得てオーギュスト・ボアを迎えに行くことになったのだ。そして、ジェロニモをその宮廷のイコンの警備に置くためにシナリオを考えた。
 まず、キャサリンを始め宮廷の人々はジョーがF1レーサーで、取材の為に来ている、と言うことを信じ込んでいるため(事実、F1レーサーとしては有名だが本来の姿は知らない)、その警備をジェロニモに頼んでいることにした。そして、その雑誌の記者がハインリヒと言う風に話を作成し、オーギュスト・ボアにも、口裏を合せてもらうことにした。
 宮廷に到着するや否や、イコンのある部屋に通され、早速、オーギュスト・ボアによる鑑定が始まっていた。
 そこへ、ジョーが、来ていることを女官に報告を受けたキャサリン女王が、その日のスケジュールをすべてキャンセルをして、彼らのもとへ駆けつけた。
「まあ、うれしいわ!! またこうして訪ねてきてくれるなんて!」
 キャサリンのはしゃぎようは、誰の目から見ても明らかだった。
「ああ、キャサリン。突然のことなのにすぐに承諾してくれて、感謝するよ」
 と、ジョーの言葉に
「もちろんよ! あなたの願いなら、私どんなことでも協力するわ!」
 ジョーは少し困ったような表情を浮かべた。
「ありがとう。そうだ紹介するよ、こちらが電話でも話した、オーギュスト・ボア博士だ。博士は美術品や特に絵画が専門で、数多くの鑑定も手がけている世界でも有数の美術品の研究者なんだ」
 ジョーの紹介を受けて、それまでイコンに見入っていたオーギュストが、キャサリンの前に跪き、その右手に敬意の口付けをすると、
「お目にかかれて光栄です。女王陛下」
 きわめて洗礼された挨拶をした。その紳士的仕草に満足したように、
「こちらこそ、この宮殿に博士のお目にとまる作品があるということでとても興奮してますの。それで、博士のご覧になりたかった作品はどちらですの?」
 オーギュストは、何点か展示してある絵画もほめつつも、イコンの方へ歩み寄ると
「陛下、この宮廷には本当に素晴らしいものばかりを集められていて、本当に敬服しております。とくにこのイコンは、いままで私が見たどの作品より魅力を感じます。……これはいったいどうやって手に入れられたのですか? よろしければ、教えていただけませんか?」
 とのオーギュストの問いに
「ああ、それでしたら、私はほとんどここにあるコレクションのことは、知りませんのよ。ここにあるものは、すべて叔父上のマークが集めたもの。その叔父上も今となっては……」
 キャサリンの返答に、ジョーは思わず
「マーク殿下が!!」
 と言葉に出ていた。ハインリヒと顔を見合わせ、NBGの陰謀が揺るぎないものだと確信していた。
 以前、モナミ王国をNBGが狙って事件を起こした時、このマーク殿下が大きな役割をはたしていた。それをジョーたちの手でなんとか防ぐことに成功したのだ。洗脳をされていたマークはそのまま命を落としてしまった。今になってその名前を聞くことになろうとは、ジョーはじめハインリヒ、ジェロニモでさえも驚きを隠せなかった。
 ジョーは、キャサリンに対して、ジェロニモをイコンの警備としてつけることを説明した。
「まあ、この絵が盗難に会う可能性があったなんて……。ジョー! 私のためにジェロニモさんをご紹介してくださったのね。心強いわ本当に」
「いや、その、そういう訳じゃなくって……」
 ジョーの横で咳払いをするハインリヒが、苛立ちを隠せず続けてため息をついた。
 そして、一通り鑑定が終わって、皆が引き上げようとしたとき、キャサリンがすかさずジョーを引きとめた。ジョーを残してハインリヒら、他のものは先にオーギュスト・ボワの別荘へと向かった。
 二人きりになったところでジョーが切り出した。
「話ってなんだい?」
「……あの特にたいしたことじゃないんだけれど、あっそう言えば今日はあの人は?」
「あの人って?」
「あの、この間のきれいなお嬢さん……」
「ああ、彼女はもうここには居ないんだ」
「いないって?」
「彼女は、先にフランスへ立ったんだ。仕事が立て込んでいたからね……」
 それを聞いて、少しホットしたような表情を浮かべ
「そうなの。お忙しい方なのね……。でも良かった」
 思わず口に出してから、はっとして、ジョーの顔を見つめながら、
「私、あの人嫌いだわ……」
 少し小さめな声で言う彼女の予想だにしなかった言葉を聞いて、ジョーは少し驚いたように
「嫌いって? どうして? ……彼女はとってもいい人だよ! やさしくて、思いやりがあって一緒にいると僕までやさしくなれるって言うか、ホッとする。ちゃんと話をしたら、君だって好きになれるさ。きっと……」
 と一気に話したあと、妙に熱くなっている自分に内心驚いていた。
 そんなジョーをじっと見つめていたキャサリンの瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「そんな、なにもそんなに向きにならなくても……。私、私、貴方のことずっと……。貴方が誰を好きでも、愛していても構わない、でも、私絶対に貴方を……貴方を……」
 言葉に詰まっているキャサリンの肩に、やさしく手を置いてキャサリンを宥めた。
「君の気持ちはとてもうれしいが、僕は、君の思っているような人間ではないんだ! 君にはもっと、ふさわしい人がいる、だからそんな悲しそうな顔をしないで……」
 ジョーはこれからスケジュールが詰まっているからと丁重にあやまってその部屋をあとにした。
 宮殿を出たジョーは、何だかとても疲れていた。
"ハインリヒの言ったとおり僕はキャサリンも、そして大切なフランソワーズまで傷つけている。でも……"
 一足遅くオーギュスト・ボアの別荘に到着したジョーは、先程のイコンの鑑定の結果を聞くことになっていた。そして、もっとも予想だにしていなかったことは、この後のオーギュスト・ボアの見解だった。
「ふむ! ……これであなたたちがルーブルへ行く必要はなくなったと言うことです」
 と、突然の博士の言動に皆一斉に
「なに! いったいどういうことなんです?」
 と博士に視線が集中した。
「あの、宮廷にあったイコンは、まさにルーブルの地下倉庫にあるべきイコンです。どういう経緯で宮廷にあるのかはわかりませんが、何か不穏な動きがあることだけは間違いありません! また、あれは決して盗難にあってはいけない! 守らなければ……」
「博士、いったい何が……。何かご存知なのでは……」
 そんなジョーの問いに、首を横に振りながら
「いいえ、ただあのイコンは必ず狙われると言う予感がするだけです」
 ホテルに戻ったジョーたちは一室に集まっていた。
「とにかく、フランソワーズには悪いが戻ってきてもらうしかないだろう。パリにいても仕方ないんだし……」
 とハインリヒ。
「そうだね、せっかくお兄さんに再会できたって言うのに、辛いだろうな……。でも、またこの事件が終わったらゆっくり帰れるようにしてあげよう……」
 ジェロニモも頷きながら、
「ジョー! 早く連絡したほうが……。なぜか胸騒ぎする」
 ジェロニモは、イワンほどではないが、インディアンの直感のようなものが働く時があ。ジョーもその場で連絡をとることに決めた。
 各自、緊急用の小型通信機を持ち歩いている。脳波通信では、距離的に届かない場合が在るためだ。通信機に呼びかけてみた。だが何度かの呼びかけにフランソワーズが答えることはなかった。不安に駆られるジョーの顔色にハインリヒが気付いた。
「ジョー! 久しぶりに兄貴と再会してるんだ。ただ単に持ち歩いていないんじゃないか? 自宅に連絡してみては?」
「自宅? 本人が出ればいいけど」
「ハハハッッ! さては、兄貴が出たらどうしようなんて考えてるんじゃあないだろうな?」
 ハインリヒの突っ込みに少し慌てながらも、
「別に、そういうわけじゃ……。わかったよ! 自宅に掛けてみるよ」
 と言いながら手帳を取り出して自宅の電話番号を確認するが、やはり少し迷っていたジョーだった。ハインリヒとジェロニモの視線を感じる。
「……わかったよ! 今掛けるから! せっかちなんだから……」
 と言いながら、手帳の番号をプシュすると、驚いたことにワンコールもしないうちに受話器が取られた。
「フランソワーズか! いったい何なんだ! さっきの電話は!」
 と突然の男性の声がした。ジョーは「エッ?」と思いながら返答に戸惑っていると、すぐさま
「今、どこに居るんだ! 何でお前がアリスンを? いったい何があったんだ! 兄さんにわかるようにちゃんと説明しなさい!」
 明らかに動揺をしているであろう受話器の相手に、いったいどういうこと? フランソワーズがどこに? ジョーはしばらく受話器を持ったまま呆然としてしまった。


No. 10 出会い

 アリスンからの電話を切ったジャンは、フランソワーズに
「すぐ戻るから先に休んでなさい」
 と言って、アリスンの住むアパートメントへ向かった。だが結局ドア越しに
「戻ってくるまで、私を信じて。お願い待っていて……」
 としか答えない彼女になす術はなかった。
 そんな兄の様子を遠巻きに見つめていたフランソワーズだったが、これまで心配をかけた兄のために力になりたかったのと、なにか彼女に対して引っかかるものを感じたフランソワーズは居ても立っても居られなくなる。ジャンが自室に篭ったのを確認すると、そっと部屋を抜け出していた。
 フランソワーズが向かったのは、言うまでもなくアリスンのアパートメントだった。アリスンが眠っているのをドア越しに確認し、いともたやすく鍵を開け、部屋の中に入っていった。フランソワーズが、NBGとの戦い以外でいわゆる「あの力」を使用するのは始めてだった。
 そして、眠っているアリスンの前まで来ると
"アリスン、ごめんなさい! こんなことしたくないんだけどしばらく眠っていてほしいの"
 心の中で呟くと服の内側ポケットに隠し持っていたパラライザーを取り出し、アリスンに向かって発射した。
 彼女が眠っているベットの横の小さなテーブルに目をやる。そこには、パスポートと一枚の航空券が置かれていた。それを手にとってみると、アリスンのものではない、べス・シリンズ明記された偽装パスポートとワシントンDC行きの空港券であるとわかった。
"これは、偽造パスポート? ワシントンDCって……。まさか、これで行くつもりなの? いったい何のために?"
 胸の鼓動が次第に強くなっていくのが自分でも良くわかる。兄のもっとも信頼しているはずのこの人がいったい何のために……。
 後方にある机に目をやり、その上のPCをチェックしてみた。そこには、特に変わった情報はなかったものの、机の一番上の鍵のかかった引き出しを見つけ、そっと鍵をはずし、開けてみる。中には、茶色い袋に入った革張りの、少し年期の入った一冊のファイルが保管されていた。中身を確認し始めたが、ページをめくってその内容の先を進むにしたがって、手の震えが止まらなくなっていた。
"これは? この人はいったい何者? なぜこれを、なぜここに? イコンを狙ったのは……。ここにあることが本当なら。でもワシントンDCにいったい何が? まだ他になにかあるの? ああ、わからないわ! でも、とにかくこのファイルを皆にもみせなくては……。でも、アリスンがなぜワシントンDCへ行くのか、知る必要があるわ……。とにかく落ち着いて、落ち着くのよフランソワーズ!"
 と自分に言い聞かせるように、一つ深呼吸をした。
 その後、そのファイルを持ってアリスンに気づかれないよう自分が侵入した形跡をなくしてから、そっと部屋を後にした。
 外に出てみるとあたりは白み始め、間もなく夜明けを迎えようとしていた。
 兄のアパートに戻ってすぐに兄のPCで、アリスンと同じ飛行機の空港券を手配する。
"よかった! キャンセルがあって……"
 手早く身支度を整えた。
 そうこうしている内に、兄ジャンが起き出して来た。
「今日は、随分と早起きだな?」
 後ろから声を掛けられドッキとしながらも
「あっお兄ちゃん! おはよう……。なんだかアリスンのことが気になってよく眠れなかったの……」
 と慌てて返事をした。
「そうだ! コーヒーいれるわ! 飲むわよね?」
「ああ、ありがとう、頼むよ……」
 新聞に目を通しながらも、何だか落ち着かない様子の兄だったが、
「アリスンのことは何も心配しなくてもいいよ、彼女はとても聡明な人だ。きっと何か理由があるにちがいない……。信じて待っているよ」
 兄に対して後ろ向きで話を聞きながら、再び震える手を必死に隠した。
"お兄ちゃんに何て言おう……。これからワシントンDCへ行くなんてびっくりするわよね……"
 結局何も言えずに、ジャンを仕事に送り出したフランソワーズは、兄にはあとで電話を入れることにして空港へと向かった。
 空港へ到着して、搭乗手続きをすませた。フランソワーズは、まずアリスンの所在を確認すると、見つからないようにそっと影から見守った。
"よかった! 座席も少し離れているみたいだし……"
 そして、公衆電話から兄の職場へ連絡をした。アリスンのあとを追うことと、あのファイルの入った袋を訪ねてきた友人に手渡してほしいと言うこと、詳しくは追って連絡すると告げ、兄の返事を聞く間もなくあわただしく電話を切った。
 仲間達に連絡するべく小型通信機をバッグから出そうとして、
"いけない! 急いで支度をしたものだから置いてきてしまったわ!"
 そうこうしている内に搭乗時刻が過ぎようとしていたので、飛行機の中からモナミ王国の仲間達が宿泊しているホテルに連絡をすることにした。
 搭乗してすぐにアリスンの座席を確認してから自分の席を探し、やっとのことで座席に着こうとした。
「えーっと窓側の18列目っと、ここだわ……」
 フランソワーズの座席は一番窓側だったのですでに着席している人たちに声をかけながら、自分の指定席についた。隣の座席には、黒いサングラスを掛けた若い男性客で、やはり一人で搭乗しているようだった。
「すいません……」
 と言って彼の前を通過すると、
「あれっ!」
 その男性が、フランソワーズをサングラス越しに見つめ声を発した。
「えっ?」
「あっいや別に……」
"なんなのかしら?"
 と思いながらも軽く微笑むとその視線を窓の外に移して、離陸を待っていた。
"確か資料館であった娘だよなあ? そう言えば、イコンの資料を探していたようだがまさかねえ! 例の事件とは無関係だと思うが。それにしても、なんて……。俺なんか覚えちゃいないみたいだが……"
 飛行機が離陸して間もなく、フランソワーズは仲間に連絡を取ろうと立ち上がったその時、偶然にもアリスンがこちらに向かって歩いてくるのが目に入り、急いで座席に座り込み、さらに姿勢を低くする。
"まっまずいわ! こんなところで見つかっては説明のしようもない……"
 吐息を潜めながら彼女が通り過ぎるのを待っていた。
 そんな様子を横目で見ていたのか、いきなり隣の座席からクスクス笑う声が聞こえ振り向いてみると、端整な顔立ちでグレーの瞳が印象的な若い男性が、人懐っこそうに自分を見つめていた。少しムッとした様子でフランソワーズは
「何か?」
 と無愛想に答えた。
「クックックッ……。いや、べっ別に……」
 と言って、まだ笑い続けている。
「あの! 失礼じゃ、ありません?」
「すいません! そんなに怒らないで……。でも、そんなに背中をシートに擦り付けなくったて……。何をしたいんですか? そんな格好で……」
「えっ?」
 改めて自分の姿勢を見てみると、なるほど不自然である。が、口に出た言葉は何とも回答になってはいなかった。
「ほっといてください! ただ背中が痒いだけなんですから……」
 それを聞いてよけいに可笑しくなってしまったらしく、必死に笑いを堪えている。
「背中が痒いって、手でかけばいいじゃあないですか? それとも手が上がらないとか?」
「いいから! 私に構わないで!」
 大きな声を出してしまったところにアリスンが用事を済ませて戻ってきたため、今度は座席にあった雑誌を顔にくっつけ、そーっと瞳だけを覗かせた。すると
「あの……構いたくはないんだけど、もう少し落ち着いて貰えませんかねえ。こっちも気が散ってしまって……」
 先程の男性が、その雑誌越しに顔を近づけてきたので思わず "バシッ!" と手が出てしまった。
「おっと! いきなりビンタとは!」
 と言いながらもまた笑い出している。
"なんて、失礼な人! だって、あんなに顔を近づけるなんてジョーじゃなきゃ駄目なのに! そりゃあ、ぶっちゃったのは悪いと思うけど……"
 しかしひっぱたいてしまった手前
「あのーごめんなさい!」
 渋々謝った。
「別になんてことはないさ! 女性にぶたれるのは慣れてます。……それより俺はシュリ・ブライアン! 君は?」
「え? 私? ……私はフランソワーズ。フランソワーズ・アルヌール」
 と戸惑いつつもなぜか親しみを感じ答えてしまったフランソワーズだった。
「そう、フランソワーズ。ふーん……ひょっとしてフランス人?」
 とまじめそうに尋ねてくる彼に対して
"なんなの? この名前からして、パリから乗っていることからして、そんなこと聞かなくたって……"
 などと少々気分を害しながらも
「そっそうですけど……あなたは? えーっと」
「シュリ、シュリ・ブライアン! ちゃんと覚えてね! その質問の答は、アメリカ人一応ねっ……」
 と少しすましたような口調で答える彼を見て
"別に質問したくてしている訳じゃあないんですけど……"
 などと思いながらも、自然と次の質問をしていた。
「一応って?」
「父はロシア人で、母は日系2世で、アメリカ生まれって奴? だから、国籍はアメリカ……」
「そうなの……日系って日本の?」
「ああ、お袋の出身が日本の沖縄ってとこなんだ。それで、アメリカ兵のじいちゃんと日本人のばあちゃんの間に生まれたのが俺のお袋って訳……」
「そうなの? なんだか……」
 と言いかけて急に黙り込んでしまった。フランソワーズは何だか、ジョーのことを思い出していた。彼もまた、日本人の母と、アメリカ人の父との間に生まれたと聞いている。
 シュリの話を聞いているうちに何だか切ない思いが蘇っていた。
 そして、
"ジョー、連絡を取らずに来てしまったけど、今ごろどうしているかしら……。キャサリンとはまた会ったりしているのかしら?"
 などと、つい考えてしまう自分が何だか惨めだった。
「ねえ! どうかした?」
「あっ……いいえ、あの、沖縄って知ってるわ、一度だけ行ったことがあるの。確かあなたと名前が同じお城があったわ!」
「へーっ! 実は俺の名前はまさにそれから貰ったらしい!」
「そうなの……とっても素敵、名前が……」
 といって、彼に向き合うと、思わず二人とも吹き出してしまった。
「まいったなあ! ところで……ワシントンには観光か何か?」
「観光? まあ一応……」
「一応って、誰かと待ち合わせとか?」
「待ち合わせって言うか、まあいろいろ……そういうあなたは?」
「俺? 俺はあるものを探しに……」
「あるものって?」
「うーん……。あるはずのフランスになくって、もしかしたらあそこじゃないかな? なんて……。まあ一言で言ってしまえば、親父のたいせつな絵……なんだが」
「お父様の? 絵? ロシア人の?」
"絵って、まさかイコンじゃないわよね? でもロシア人って……。もともとイコンはロシア正教の修道院で描かれていたものだしひょっとして……"
「あそこって? 検討はついてるの?」
「まあね……。でもわからない、どうなるのか……。それより、ワシントンDCへはよく行くの?」
「いいえ、アメリカは何度も行っているけど、そういえばワシントンは初めてだわ」
「そうなんだ。だったらもし困ったことがあったら、これ俺の携帯の番号なんだけど遠慮なく連絡して……。もし差し支えなかったら君のも教えてほしいな……」
 携帯番号を書いたメモを一枚破るとフランソワーズに手渡した。
「ありがとう、でもごめんなさい! 私携帯って持ち歩いてないの……」
「へーえ! 今時携帯待ってないなんて、結構新鮮!」
「えっ?」
「いや、別に……。それじゃあ、気が向いたら電話して! ワシントンDCは俺の庭のようなものだから」
「ええ、ありがとう。でも気が向いたらねっ! フフ」
 フランソワーズは、ジョーとおそらく年の頃は変わらないであろうこの青年に、不思議と彼と重なるものを見ているような気がした。
 少しして、モナミ王国の仲間達が宿泊しているホテルに連絡を入れた。
「宮廷からお迎えがまいりまして、皆様ともにお出かけになりましたが……」
 応対に出たホテルマンの答に少し戸惑いながら、
「そうですか、それでは結構です。ありがとう」
 と言って電話を切った。
 座席に戻ったフランソワーズは、先程とは打って変わって少し思いつめたように窓の外を見つめていた。
 そうこうしている内に、飛行機はワシントンDCに近づいていた。
 同じ飛行機に搭乗していたアリスンもまた複雑な思いで外の景色を見つめていた。


No. 11 妹の秘密

 フランス軍基地内シミュレーショントレーニングルーム。その日、ジャンの所属する部隊の新型戦闘機のシュミレーショントレーニングが行われていた。
「ジャン、どうだね、今回の新兵器は……」
 データーの記録をチェックしていたジャンは、徐に顔をあげドアの方に立っている体格の良い人のよさそうな人物に向かって敬礼をした。
「カルロス大佐、そうですね、操縦自体は今までとそう代わりはないようです。しかし、敵のレーダーに掛からないこの装備ならば、米軍のステレス戦闘機以上ではないかと思っています……。ところで、国防省での会議はもう終わったのですか?」
「ん……終わったと言うよりは休憩みたいなもんだ! 続きは明日また行われる。私は今回の0-5011の導入はこれからの全世界の情勢を考えると、どうしても配備する必要があると何度も説明しているんだが……。今回のシュミレーションの結果を数字で表示するようにと指示がでている。あとで私の部屋へデータをまとめて持ってきてくれたまえ」
「承知しました」
「さて、遅い朝食でも取ることにしようか……」
 と後ろ向きに手を振りながらカルロス大佐は部屋を出て行った。
 そこへ、ジャンの部下の一人が、
「隊長! 妹さんから電話が入ってますが……」
「妹から? ……わかった。こちらへ回してくれ」
"いったいどうしたことか? フランソワーズが、こんなところまで電話してくるとは……"
 そして、転送された電話の受話器を取ると
「フランソワーズどうしたんだ? 何かあったのか?」
「あっお兄ちゃん! 今シャルル・ド・ゴール空港に居るんだけど、これからアリスンと同じ飛行機に乗るつもりなの!」
「シャルル・ド・ゴール空港って? いったいどういうことだ?」
「時間がないから、詳しいことは後で連絡するから心配しないで! それとベッドの下に茶色い封筒に入ったファイルがあるんだけど、"仲間"……じゃなくて、友達が取りに来たら渡してほしいの。誰が来るかは後でまた連絡するわ、とにかくアリスンのことは私に任せて! それじゃあ……」
「それじゃあって? フランソワーズ!」
 言うだけ言ってジャンの話す隙もなく電話は切れてしまった。
"いったい何を考えているんだ! まったく……。アリスンのことを任せろっていったい……"
 しばらく考え込んでから
「ロベール! すまないが、一つ頼まれてくれないか?」
「はい! なにか問題でも? ……」
「いや、本来は自分で調べるべきなんだが、これからカルロス大佐のところへ赴かなければならないので今日、今の時間以降にシャルル・ド・ゴール空港発のすべての飛行機の搭乗者名簿を手に入れてほしいんだ」
「なーんだそんなことですか! そんなこと朝飯前ですよ」
「そうか、頼もしいな、この埋め合わせはいつか必ずするから……」
「エーッ、本当ですか? あっあのーそれでしたら、そのめちゃかわいい! て噂の妹さんを紹介してくださいよー!」
 と言うロベールに対して少し困ったように
「それはどうかな? 妹に相談してから考えるよ!」
 と言ってウインクをした。
 数時間後、ジャンはカルロス大佐の部屋にいた。
「これなら、明日の会議で十分反対勢力にも説明がつく。あくまでも平和的に偵察できる戦闘機の必要性は、戦いを悪化させる以前にいろいろ対策が立てることができる」
 ジャンの作成した報告書を真剣な表情で、目を通しながらカルロス大佐は呟いた。
 そして、真剣な表情から普段のやわらかい表情に変わりジャン似向き直ると、
「さすがだな! 君は確か国防省のいわゆるエリート集団に居たと聞いているが?」
 と、少しふざけたような口調でたずねると。
「確かに国防省には所属してましたが、もう三年も前の話です」
「そうか……もう戻る気はないのかね?」
「今は、与えられた仕事を自分なりに精一杯こなすことが……。いえ、正直言ってこの三年間は何も考えていなかったのかもしれません。ご承知かとおもいますが、妹の拉致事件がこれまでの私の三年間のすべてでしたから……」
「そうか……しかし、妹さんが見つかったと聞いているが、君も、落ち着いたなら、考えてみないか? 私はいくらでも力になるつもりだよ」
 ジャンは、顔をあげてカルロスの顔を見ると
「ありがとうございます」
 とだけ答えた。
 そんなジャンを見ながら、うんうんと頷きながら、思い出したように
「そうそう! 先週だったか? 君のガールフレンドのドクターに、国防省であったよ……。モルガン長官の診察とか言ってたが、この歳になると病院にいくのも億劫で、今度私も頼みたいと伝えてくれたまえ……」
「アリスンが? 国防省に?」
"モルガン長官と言えばかつては自分の上司にあたる人物、アリスンも当然知っているが、そんなことは一言も言っていなかった。それに、診察って言っても彼女の専門は心療内科。以前は、国防省のアカデミーに参加していたこともあったが、しかし今になって、まさか……"
 先程のフランソワーズの電話とかさなって、言いようのない不安に駆られるのだった。
「どうかしたかね?」
 はっとして、
「いっいえ……。それでは、失礼いたします」
 と言って、カルロスの部屋を出て行った。
 ジャンは少し焦ったように、自分のデスクに戻るとロベールを呼び出した。
「隊長、シャルル・ドゴールからのリストはこちらで全部です。そういえばここの便に搭乗しているフランソワーズ・アルヌールって、隊長の?」
「そうようだ……。まったく心配ばかり掛ける妹でね。私も少々手を焼いている。君に手を煩わせてすまなかった」
 自分の動揺を彼に覚られないように、溢れる感情を抑えた。
 その日の仕事を片付けると、自分のアパートメントに戻ったジャンは、いてもたってもいられずフランソワーズが今朝までiたはずの部屋のベッドに腰をおろした。
"いったいどうしたんだ? アリスンと同じ飛行機に乗るって言っていたが、どうやって調べた? アリスンがフランスから出国していないのは、出入国管理局で確認を取っている。まさか機密の仕事を? それならモルガンのところに行ったのも説明はつく。おそらく偽名を使ってフランソワーズと同じ飛行機に乗ったのだろう。しかし何のために? 機密だとしたら、危険が伴っているに違いない。フランソワーズ……いったい……"
 考えながら、ジャンは頭を抱えていた。
 と、そんな時に電話のコール音がなり、ジャンはフランソワーズからの電話と思い込むとすぐさま受話器を取った。
「フランソワーズか? いったい何なんだ? さっきの電話は?」
「…………」
「いったい今どこにいるんだ? アリスンを何でお前が? 何があったんだ、兄さんにわかるようにちゃんと説明しなさい!」
 言葉を続けると、聞きなれない男性の声で
「あっあのー……」
 少し戸惑ったような返答に、人違いとわかってジャンは数回相手にわからないように深呼吸をすると
「いや、すまない……妹かと思ったもので、つい……。で、どちら様?」
 先程とは打って変わり落ち着いた声で答える。
「あの、僕は島村ジョーと言います。突然お電話をして申し訳ありません。実は妹さんに連絡がとりたくてお電話したのですが、どうやらお留守のようで? あの何かあったのですか?」
"だ、誰だこいつは? フランソワーズに連絡を取りたいだと? いったいどんな関係が? 拉致事件と関わりがあるんだ? いや、とにかく、知っていることは聞き出さねば……"
「妹はあいにく留守ですが、君は妹とどんな関係が? どんな用件で電話を?」
 問い詰めるジャンに対し、ジョーは事の次第がつかめずにいた。
"いったいどうしたというんだ? この人は明らかに何かに動揺している。何かあったのか? フランソワーズ……"
「あ、いえ、あのーどこに行かれたかご存知なのですか? 彼女から何かこれまでについて説明は? とにかく僕たちは至急連絡がとりたいのですが……」
"なんだと? これまでのことだと? こいつは、何か知っているのか? そういえば、フランソワーズの言っていた封筒を友達がとりにくるって? こいつのことか?"
「君は、何かあの三年まえの事件に関係しているのか? 何があったんだ? 知っているなら教えてくれ! フランソワーズが言っていた封筒っていったい? それを君に渡せと言うことか? 君はいったい……」
「封筒って? あのお兄さん! 今僕は、モナミ王国にいるんですが、すぐここを立ちますのでそちらに行って直接お会いできませんか? 電話では話せないことも……」
 ジョーの意外な返事に、戸惑いながら
「わかった! 会おう、幸い明日は休みを取っている。モナミ王国なら、これから最終便に間に合えば夜の十一時には、パリにつけるはずだ。話はそれからだ!」
 といって、会う約束をして電話を切ったジャンは深いため息をつきながら
"お兄さんだって? まったく、どいつもこいつもいったいどうなっているんだ!!"
 とクッションを床に向かって投げつけた。彼には珍しく自分の苛立ちをぶつけずにはいられなかったのだ。
 そして、電話を切ったジョーもまた言いようのない不安に駆られていた。そばで、やり取りを聞いていたハインリヒ、ジェロニモでさえフランソワーズに何かがあったのはわかっていた。
「ジョー! 今からパリに?」
「ああ、何だかよくはわからないが、お兄さんの元にはいないらしい……会ってもっと詳しく話を聞くそれに、何か預かっているみたいなことも……」
「預かっているもの? それは今回の事件に関係があるのか? …………それにいないって? どこへ?」
「わからない……でも、なぜかとっても不安なんだ。……ジェロニモは、とりあえず宮廷のイコンを守ってくれ! ハインリヒは僕と一緒にパリに……。おそらく、何か事件に掴んだのかもしれない、連絡が取れないってことは最悪の場合二人で行った方がいいだろう……」
「おれ! 一人で大丈夫、まかせろ……」
 とジェロニモが言うと
「何だかわかんねけど、とにかく、フランソワーズの兄貴の話を聞いてからじゃないと、ことがすすまないってことだな? しかし、呼び戻すつもりが、とんだことになっちまったな……」
「ジェロニモすまないがしばらくの間頼むよ、フランソワーズの所在が確認できしだい戻ってくるから……」
 そういいながら、ジョーとハインリヒは、その日のうちにパリへと向かった。
 一方、そんなジョーたちを待ちながら、ジャンはベッドの下にあるとフランソワーズの言っていた茶色い袋を取り出していた。しばらくそれを見つめた後、多少後ろめたさを感じながらその中身を開けてみると、そこには "親愛なるモルガン" と書かれた一冊の古いファイルが入っていた。そして、中を開き読み進んでいくうちに驚くべき内容が記されているのだった。
"こっこれを、いったいなぜ? フランソワーズが、なぜなんだ! モルガン宛……アリスン、君はこの事実を知って? しかしわからない……フランソワーズがいったいなぜこれを? 彼らを待つしかないのか? この三年フランソワーズがいったいなにを?"
 そして、ファイルの内容を読み進んでいくうちに、イコンにまつわる事件や妹の失踪など一度に押し寄せる疑念を感じ、ジャンは自分の思考能力がだんだん薄れてゆくのを感じているのだった。

* * * * *

 丁度その頃、ワシントンDCに到着したフランソワーズは、アリスンの後を尾行していた。
 そして、ワシントンから少し離れた郊外にアリスンが滞在すると見られるアパートメントの前まで来ると中の様子を伺った。そしてその日は外出しないことを確認すると、宿泊する場所を探し始めた。が、すでに、時間は午後11時をまわっていてワシントンの中心から少々離れている地区と言うこともあってか、宿泊するホテルなど到底見つからなかったのである。
"アリスンのことばかり気にしていたから、ホテルのことまで考えていなかったわ……どうしよう……"
 と途方にくれていたところ、数人の男たちが彼女に近づいてきた。そして、フランソワーズの細い手首を一人の男が掴んだかと思うと、直ぐ傍に泊めてある車に押し込めようとした。
「キャー!! はっ離してっ! いやー」
 と叫びながら、手首を掴んでいる男の股間を蹴飛ばして、その隙を見て逃げようとする。しかしフランソワーズの倍はあろうと思われる大男に行く手を阻まれると、フランソワーズは思わずバッグの中からスーパーガンを取り出そうとした。
"いけない! ここでこれを使う訳にはいかないわ! でも……"
 そして、もう一人の男にも肘鉄を食らわせ、押さえつけようとする大男の腕に噛み付き、更に回し蹴りを食らわし必死に抵抗したが、いくらサイボーグとはいえ自分より大きな体の男たちに数人で襲われると、到底かなう訳がない。たちまち車のボンネットに押さえつけられていた。
「この女、なかなかやってくれるじゃないか! 俺様をおこらせてただで済むなんて、大きな間違いだぜ!」
「いや! さわらないでっ! 離して……誰か誰か……ジョー!」
 するともう一人の男が、ロープを車から取り出して、いやらしい顔で近づいてきた。
「おい! 見ろよ、暗くってよーく見えなかったがすっげーナイスバディじゃん!」
「かわいいねー! きみ、僕たちといいことしようねー!」
 そして、ロープを彼女の体に巻きつけようとした。
「離して! いやー!」
「イヒヒ……へへへ、だから言ったろ? あーあ噛み付かれたところこんなになちゃってどうしてくれるの? これから、いっぱい楽しませてもらわなくちゃ!」
「汚い手で触らないで!」
 と言って唾を投げかける。すると
「このあま、ふざけやがって!」
 と言いながら乱暴に髪の毛を掴むと、その頬をなぐり、さらに後ろ手に両腕を締め上げようとした。とそのとき、一発の拳銃の音がしたと思うと、フランソワーズの腕を掴んでいた男の腕に命中した。そして、ロープを持っていた男の足すれすれに弾が飛んできて、気が付くとフランソワーズを襲おうとしていた数人の男たちは、散り散りに逃げ去っていた。
 フランソワーズは、何が何だかわからずに車の横に蹲るようにしゃがみこんでいた。すると、その震える腕をそっと抱えるようにして
「怪我はない?」
 と問う声がして思わず、先程の男たちのこともあってか、ピックッと体が反応してしまった。が、恐る恐る振り向いてみると、そこには、見覚えのある顔が心配そうに彼女を見つめていた。


No. 12 後悔

 何とか、モナミ王国発パリ行きの最終便に搭乗したジョーとハインリヒは、終始無言のまま座席に座っていた。
 そして、黙って窓の外を眺めていたハインリヒが
「まったく単独行動なんて危険すぎるぜ、フランソワーズらしくない!」
 とまるで独り言のように呟くと
「僕の責任だ! すべて僕の……僕がフランソワーズを傷つけてしまったから……。あの時、パリに一人で行くといったときもっとよく話し合うべきだったんだ」
 と俯くジョーに
「いやお前さん一人のせいじゃないさ、皆彼女に対して配慮が掛けていた……。あまり自分を責めるな……」
 そして、ハインリヒの方に向き直ると
「ハインリヒ……」
 と一言だけ言った。
「とにかく、兄貴に会ってよく事情を聞くことだ。それから今後の対策を立てよう。それより、もっと気になるのは彼女がこれまでをどこまで説明しているかということだ!」
「そうなんだ、さっきの電話の感じだと何も話していないようだった。だから、お兄さんも余計に心配しているようなんだ……」
 そしてまた沈黙が続き
「ともかく、まだ何も話していないってことは、彼女にも何らかの考えがあってのことだろう……。いやただ単に言えないだけかもしれないが……フウッ! どうしたもんか…………」
「ここまで来たら下手な誤魔化しは通用しないと思うんだ。とにかく、話せることだけはきちんと納得してもらうよう話をしようと思っている。が、あのことだけは……」
「そうだな、あのことだけは、彼女の意思抜きには……」
 とハインリヒが自ら納得させるように呟くと、ジョーは頷きながらこれから会うジャンに対しての対応を頭の中で整理していた。
 そうこうしている内に、飛行機はシャルル・ド・ゴール空港に到着した。
 ジョーはジャンから聞いた住所をハイヤーの運転手に手渡すとハインリヒと共に彼のアパートメントへ向かった。
 目的地に到着した二人はなかば緊張しながら、インターホンを押した。出迎えに出たジャンもまた少し緊張した面持ちで二人を部屋に招きいれた。
「こんな夜分にすいません! 始めまして僕は島村ジョーと言います」
「アルベルト・ハインリヒです」
 といって、ジャンと握手を交わした。
「フランソワーズの兄のジャンです。私のほうこそ先程はたいへん失礼いたしました」
 それは、フランソワーズと同じ蒼い瞳をした、彼女の数少ない話のイメージとおり、いかにも育ちの良い洗練された感じの三十歳少し前ぐらいの男性だった。
「どうぞ、掛けてください」
 と言っていすを勧めると少し待っててくださいと言ってキッチンの方へ向かって行った。
 ジョーは勧められたソファーに座って部屋の周りを見渡し、今朝までここに居たはずのフランソワーズのことを考えていた。そして、ピアノの上に飾ってある数個の写真盾に目をやり、その一つを手に取るとただ黙ってじっと見つめていた。それは、まだ幼いフランソワーズであろうと思われる少女と、青年だったジャンそして、やさしそうな紳士と、フランソワーズによく似たとても美しい婦人が、いかにも幸せそうに写っている写真だった。
 そこへ、ジャンがコーヒーを入れて運んでくるとジョーは慌てて、
「あっすいません、あのどうぞお構いなく……」
 そんなジョーに向かって少し緊張がやわらいだのか
「ああいいんですよ、それは、家族でニースの別荘へ夏のバカンスに行った時撮った写真ですよ、まだ、フランソワーズは幼くて……」
 と言って目を細めながら話すジャンを見て、ジョーもハインリヒもなんだかとても後ろめたい気分に陥った。
「ところで、早速本題に入らせてもらいますが、まずいくつか質問させてもらってもかまいませんか?」
「もちろんです。僕たちも答えられることは出来る限りお答えしようと決めてましたので……」
 とジョーの言葉に頷きながら
「それではまず、私の目の前で何者かに拉致されてから早三年近くの月日が立とうとしています。私はこれまで警察そして、現在所属している軍やあらゆる手立てを尽くして、妹の捜索を続けてきました。しかしながら何の手掛かりも掴めないまま三年という月日が立っていたのです。
 それが、つい先日突然私の目の前にあの子が無事で現れ正直とても驚きました。しかし、何とも情けないやらあの子には聞きたいことは山ほどあったはずなのに、いざ顔を見てしまうといいじゃないかあの子が何も話したくないならそれで、無事で帰ってきたそれで十分じゃないかって……。
 正直、怖い気持ちもありました。今までどこで何をしていたのか、連絡できない事情が何かあったのか? 連れ去った連中はどんな組織でなぜあの子が必要だったのか? など、とても本人には問いただせなかった。ただ黙って抱きしめるほかはなかったのです。ですから、貴方たちの口から知っている範囲で結構です教えていただけるとありがたいのです」
 と悲痛な面持ちで淡々と語るジャンを見ていたジョーは
「わかります。さぞご心配だったことか……」
 とやっとの思いで言葉を発した。
「……それじゃあ、彼女は貴方には何も?」
 とハインリヒが聞くとジャンは黙って頷いた。
 少し間を空けてジョーが語り始めた。
 彼ら全員、自分の意思に反して無理やり何らかの形である組織に利用されようとしていたこと。彼女を含めて九名と科学者一人がそこを脱出したこと。彼らがその組織に対抗しようとしたこれまでの経緯。その組織の行っている悪事。などなど、彼らがサイボーグであること以外はほとんど話して聞かせた。
「これまでフランソワーズがお兄さんに連絡できなかったのは、おそらくフランソワーズ以外のほとんどが、家族というものがなく、そういう話も特には出なかったので、われわれに対して気を使っていたのかもしれません。そして、連絡したところで後戻りは出来ないと考えていたのでしょう。……かえって心配掛けまいと、そうとは知らず、もっと配慮するべきでした……」
「……そうでしたか、するとおそらく今回も私に会うつもりはなかったのかも知れませんね。……あの日、あの子はそこの路地の隅から黙ってこの部屋の様子を伺っているようでした。たまたま帰宅が遅かった私と偶然出会ってしまい、とても驚いているようでした」
 そんなジャンの話を聞いてジョーは胸が締め付けられそうだった。
"フランソワーズ、僕はどうして何も気づいてやれなかったんだ。君はお兄さんに会いたいだなんて言っていたけれど一目見るだけで十分だったのか? いや、そんなはずはない、本当はずっとずっと帰りたかったんだよね? いったい今どこにいるんだ! この手に思いっきり……"
 そんなジョーに向かってジャンは質問を繰り返す。
「それで、あなたがたがモナミ王国にいたのは、何かその組織に纏わる事件でも?」
「ええ、既にニュースなどでご存知かと思いますが、今世界各地でイコンが盗難なあっています。我々はその組織が、今回の事件の首謀者と睨んでいます」
「何だって? 君の説明では確か、その組織は武器商人と言っていたが、まさか……あれを?」
「あれ? って、何かご存知なのですか? そう言えば何かフランソワーズから預かっている封筒があるとか言ってましたよね? それはいったい……」
「…………それは、」
 少々躊躇うように
「正直言って、フランソワーズがあなた達とそのような行動をしているとは思わずどうしても心配で、その中身を確認させて貰いました。そして、私の最も信頼する人物が関わっているということが明らかになりました。こうしてあなた方に会うまでは、いくら妹の頼みとはいえ渡してしまう訳にはいかないと思っていましたが……」
 と言って、ジャンはそのファイルをジョーに手渡した。
 そのファイルを目にしたジョーとハインリヒは、これまで謎だったイコンの盗難とNBGとの関わりがようやく結びつきさらに、その恐ろしい計画を知るや、何としても残りのイコンをNBGの手に渡す訳にはいかないと確信したのだった。
 そのファイルの内容とは、アメリカとロシアの冷戦時代に計画され、た世界大戦にもおよび兼ねないロシアの重要機密に関する内容だった。
 それは、細菌をある科学物質と融合させることによりかつての細菌兵器を優に上回る殺傷能力をもたせ、それをミサイルに搭載させて、相手国へばら撒く計画だった。ミサイル搭載が成功すればおそらく、一国いやもしかすると人類滅亡になりかねない恐ろしい兵器だ。
 しかし、その計画に携わっていたはずの旧KGBの幹部らしき人物が、その化学物質の公式の記録や実験データすべてにおいて処分し逃亡を図った。が、彼はもしやと言う時の為に解毒剤の処方を残すために、密かにその化学式と共にそれらの公式を一文字ずつあるものに隠した。それが、今回盗難に会っているドラゴンのイコンだった。
 方法としては数ミリのチップに隠したアルファベットの文字をイコンのドラゴンの後ろ側にうまく練りこませると言った具合に見た目ではほとんどわからないようになっていた。
 ファイルによるとそのチップの埋め込まれたイコンは全部で8枚あると記載されていた。その内の五枚は、すでにNBGの手に渡っていて、残りの三枚のうち、ニューヨークの美術館とロシアの美術館にそれぞれ一枚ずつ、そして最も重要とされている八番目のイコンは、ルーブルにあるはずだったが、なぜかモナミ王国の宮殿にそれぞれ保管されている。
 三人はしばらく黙ったままそれぞれ何かを模索しているようだった。
「フランソワーズはこのファイルをどこでどうやって手に入れたかご存知なのですか?」
 と、ジョーの問いに
「おそらく、彼女のもとから手に入れたのだと思います。方法はわかりませんが……」
「彼女?」
 ハインリヒが怪訝そうな顔でジャンの顔を見上げた。
「はい、アリスンという私の最も信頼の置ける人物です。パリ国際病院でドクターをしていますが……」
「ドクターがなぜこのファイルを?」
「そのファイルは、モルガンへあてたものですが、そこのモルガンと言う人物は何を隠そう私のかつてのボスで、国防省の機密組織担当の長官です。フランス国防省のトップに匹敵する権力者です。おそらくアリスンはその組織のメンバー……いや、長官直属の指令を受けていると思われます」
 ハインリヒが怪訝そうな顔をして
「思われるって? 予想ってことですか?」
 ジャンは頷き更に続けた。
「はい。実は、彼女とは個人的な付き合いもありました。妹とも、一度この部屋で会っています。でも、モルガン長官と接点があるなんて考えもしませんでした。先日、突然しばらく海外へ行くと言って、それきり連絡を断っていたのです。しかし彼女が国防省でそれもモルガン長官のもとで目撃されていた。その話を聞いたのは実は今日なのです。そして妹からの電話では、そのアリスンのあとを追って同じ飛行機に搭乗したところまでは突き止めたのですが、何が何だか私には見当もつかず、そんなところにあなたがたから電話が入ったものですから……。その電話を切った後です。妹のベッドの下からこのファイルを見つけ、だんだん事の次第がはっきりしてきました」
 ジャンの話を神妙な面持ちで聞いていたジョーは、
「それではフランソワーズは、そのアリスンと言う人を追っていったと言うことですか?」
「はい。これは本日の妹から連絡のあった後のシャルル・ド・ゴール空港発の乗客者名簿です。アリスンはおそらく偽名でしょう。妹の名前は、このワシントンDC行きの飛行機に搭乗しています」
「ワシントンDC? そこにいったい何が……」
「それは、わかりません。アリスンは何かの指名を受けて、ワシントンDCへ赴いていると思われます。可能性としては、スパイ活動に近いのでは……」
「ちょっと待て、スパイってまさかNBGの? 彼らはその存在を知っていると言うことか?」
 ハインリヒがジョーの方に向き直ると、空かさずジャンが
「いや、私はそうは思っていません。おそらく……」
「おそらく?」
「おそらく、USA政府またはCIA、軍のいずれかが絡んでいるのではと……。私の推測ですが……」
「アメリカが? まさかその細菌兵器を再生させようとしている?」
「おそらく……モルガン長官は、以前から合衆国に対してスパイ活動を行っていて、何か掴んだのかもしれません。アリスンを送り込んだのも、そのファイルの存在を公には出来ず単独に調査する他なかったのかも……」
「すると、それを知ったNBGがそれに便乗しようとしている可能性も考えられる……。危険だ! そんなところに、一人で乗り込もうなんて……」
"なぜだ! なぜ、そんなことになっているなら連絡をよこそうとしない? フランソワーズ、危険すぎる、急がなければ、しかしいったい彼女はワシントンDCのどこに? 何か手掛かりは……"
 そんな3人の思いが核心に迫ろうとしていたとき、突然電話のベルが鳴り響き、思わずそれぞれに顔を見合わせた。


No. 13 シュリ

 危機一髪のところをどこからかの拳銃の発砲に救われたフランソワーズは、車の横に蹲るようにしてしゃがみ込んでいた。そこへ、
「怪我はない?」
 とそっと肩を振れた人物がいた。
 恐る恐る振り返ってみるとそこには、見覚えのある人物が心配そうに彼女を見つめていた。思わず
「シュリ?」
 とその人物の名前を呼んでいた。
「君か、いったい、こんなところで何やってんだ?」
「……あの、ちょっと…………」
 と少しばつが悪そうに俯くと
「膝、血が出てるよ、ちょっと待って……」
 と言ってポケットからハンカチーフを取り出すと傷口にあてがった。
「立てる? 泊まっているところまで送って行くよ」
「ええ、何とか……あっでも大丈夫だから……」
「大丈夫って? 直ぐ手当てしないと、確か友達に会うとか言っていたけどそこに泊まっているの?」
 と聞かれ、首を横に振る。
「じゃあ、ホテル? でもこの辺にホテルなんて……」
「あの、本当に大丈夫だから、いろいろありがとう。後は自分で何とかするわ……」
「あのさ、俺のこと警戒しているのならしょうがないけど、悪いがさっきの奴らと一緒にされたくないね。それに、いくら治安のいい地域って言ってもここはアメリカだぜ! あんたみたいなのが、こんな大きなバッグもってうろうろしていたら、襲ってくれって言っているようなものだぜ! おまけに、今何時だと思っているんだ……」
 と言われ、少し寂しそうな顔で
「ごめんなさいそんなつもりじゃ……」
 と言いながら何とか立ち上がろうとすると、バランスを崩してしまい、再び倒れそうになる彼女のその華奢な体をシュリが支えた。
「おいおい、大丈夫か? とにかく、そこに俺の車があるから、そんなに心配するな。少しは信頼しろよ……」
 と言いながら、
「このバッグかかえてろ!」
 シュリは地面に落ちていたバッグを拾い手渡すとフランソワーズの体をいとも簡単に抱き上げ、彼女に有無を言わせる間もなく車に向かって歩き出した。
「あっあの……」
 びっくりしたフランソワーズは、今日出会ったばかりのこの青年に、戸惑いながらも特には警戒しない自分に気づき内心驚いているのだった。
 彼の車は紺色のボルボで、この年齢にしては少し地味な感じもするが、意外にも高級車を所有していると思いながら、何を話して良いか戸惑っていた。すると、
「そっと下ろすから肩につかまって!」
 と言い、彼女を車の横に立たせると素早く助手席のドアを開け彼女を中に座らせた。彼自身も運転席に座り込むと、
「それで、どこに泊まってるの?」
 といって、彼女の方を向いた。
「あっあのーそれが……何ていうか手違いで……実は決めてないの……」
 とようやく答えると、
「エッ? それ本当? ……クククククッハハハハハハ!!! なーんだ! そうだったのか……」
 そしてまだ笑っているシュリに向かって
「あっあの、あなたって、ひょっとして笑い上戸とか?」
 と言って少し膨れてみせた。
「別にそういう訳じゃないけど、お前ってさ、なんかおっかしいって言うか、笑わせてくれるね!」
「そっそんなー! そんなこと言われたこと今まで一度もないわ! 何て言うか、たまたまあなたの前だと変なところに出くわすって言うか……」
「まっいいか! それじゃあとりあえず俺んちに来いよ! 空いてる部屋ならいくらでもあるし……。ああ、安心しろ、俺は大人の女じゃないとその気にならないし……お前を襲うことは100%ないからさあ……」
 そう言われて思わずシュリの顔を見ると、少し緊張が和らいだように
「それって、私を女性としてみていないってこと?」
「そうだなー……女性って言うよりはお転婆なお嬢ちゃまって感じかな?」
「ひっどーい!」
 と言って、お互い顔を見合わせて笑い出した。
「さてと、それでは帰宅しますか……」
 と言って車を走らせた。
「あの、本当にいいのかしら? ご家族とかご迷惑なんじゃ……」
「心配しないで! 家族って言ったてかわいい彼女だけだし……」
 すると、少し驚いた表情で
「ダメダメダメ!! そんなの余計に迷惑だわ! 本当に何とかするからどこかで下ろして!!」
「だーいじょうぶだって! 俺の彼女はひろーい心の持ち主なんだから、それに、きっと気に入ると思うよ!」
「気に入るって? だって、私が逆の立場だったら絶対に落ち込んで立ち直れないわ……」
 と言って、これまでのジョーとキャサリンとのいきさつを思い出しながら俯いた。
「お前さー、別に何か関係がある訳でもないだろ? そんなんじゃあお前の彼氏も大変だね? いちいちそんなに焼餅やかれたらたまんねーよな! あっ、いればのはなしですが……」
「だって……男の人ってみんなそうなの? 何て言うか好きでもない女性にそんなにやさしくなれるものなの?」
「それって、俺のこと? それとも彼のこと? そうかわかった! 何だかんだいって俺に構ってもらいたいとか?」
 と少し冗談っぽく言ったつもりのシュリだったが、
「違うわ! やっぱり下ろして!」
 と言って彼の握っているハンドルを掴むと車を路肩によせようとした。
「うわっ! よせー危ないだろ?」
 車を路肩に止めフランソワーズの方を見やると、蒼い瞳に涙が溢れんばかりに
「本当にいろいろありがとう! ここで降りるわ!」
 と言って車を降りようとするフランソワーズのその腕を掴んだシュリ。
「わかったよ! わかったから、落ち着いて! 何か気に障ったのなら謝るよ! とにかく、その足の手当てだけでもしなきゃ、このままほっとくなんてできないよ!」
 フランソワーズはなぜかここ数日間のさまざまな思いが、交差してこれまで我慢していた心の糸がぷつんと切れたようにそして、疲労も重なっているせいか、涙がとめどなく溢れ出し、今日であったばかりのシュリの前で顔を両手で覆いながら、泣き出してしまった。
"嫌だわ、私どうかしてるわ! でもどうしよう……涙が止まらない! ジョーの傍ではい、いつも我慢してしまうのに、どうしてなの?"
 すると、困ったように一つため息をついた後に落ち着いた声で
「まいったなあ……とにかく、家に行くけどいいね?」
 といって、彼女の方を見る。が、ただ黙って溢れる涙を手の甲で拭いながら俯いているフランソワーズだった。
 しばらくして、車はある高級住宅街へのゲートへ差し掛かり、常駐の警備員にパスを見せなんなくその中へと入って、ほんの二分ほどで彼の住宅へ到着した。
 そこは、とても一人や二人で住むには大きいぐらいの贅沢な作りだった。
「さあ、着いたけど少しは落ち着いた?」
 と車を停めるとシュリは少しいたわるようにフランソワーズに話し掛けた。すると、落ち着きを取り戻したフランソワーズは頷きながら、
「ごめんなさい。私どうかしていたわ、あなたが助けてくれたのに……」
 すると少し微笑みながら
「いいさ、誰だってそんな時はあるさ、それにあんなことがあった後で少し疲れてるんじゃないのか?」
 との思いがけないやさしい言葉に、微笑を返すのが精一杯だった。
 家の中に案内されるとあまりの豪華さに驚くばかりだった。
 まず玄関ホールからリビングに掛けてすべて大理石で出来ていてその広い壁には、数枚の絵画が掛けられていた。奥には広めのキッチンとダイニングがあり、その奥にも数箇所に渡って部屋があるようだった。
 フランソワーズは中を見渡しながら
"不思議だわ、始めて来たはずなのに何だかとっても懐かしいと言うか、前にも来たような作りだわ……どこかに似ているのかしら?"
 と考えながらぼんやりしていると
「まあ、とにかくてきとうにどうぞ……今救急箱もってくるから!」
 といって、シュリは部屋を出て行った。  すると、ドアの隙間からグレーの縞模様の一匹の猫が入って来るなり、彼女の方へ歩いてくると彼女の横にちょこんと座って見せた。
「まあ! 何てかわいい猫ちゃんなの!」
 と言ってその毛並みの整った背を撫でてあげた。
 そこへシュリが救急箱を持って戻ってくると
「偉いぞ、早速お客様のお相手をしているな!」
 と言ってその横に座ると
「フフ、かわいいわねっ、この猫ちゃん名前は?」
「サリーって言うんだ、美人だろ? 俺の唯一の家族そして恋人さっ!」
 するとフランソワーズは、すぐさま顔を上げて
「恋人って? この子のこと?」
「正解! その通り!」
「いやだ! そうだったの……わたしてっきり、もう心配して損したわ!」
「おいおいそれは失礼だぞ! こいつは俺にとっては何よりかけがえのない存在なんだ! なんて言っても、俺を裏切らないし、傍に居てほしい時は居てくれる。まあ、俺の方が留守にすることが多いから人に預けっぱなしになってかわいそうなんだけど……」
「それは失礼いたしました!」
 と言って、二人とも声をあげて笑っていた。
「そうだ、傷を見せて! とりあえず応急処置をして、様子を見よう」
 と言って、彼女の前に座ると、膝の怪我を消毒して簡単な処置をした。
「思ったより傷は浅いしこの分だと縫わなくても大丈夫だと思うけどどうする? 明日病院へ行く?」
 すると、彼女は首を横に振り
「大丈夫! このくらい大したことはないわ! それよりあなたになんてお礼を言ってよいか……。明日はちゃんとホテルを探すわ!」
「ああそんなことはどうでもいいけど、良かったらあいている部屋も沢山あるし、しばらくここにいてもいいんだよ」
「いいえ、これ以上は迷惑掛けられないわ!」
「いいって、ホテル代取るなんて言わないし、この家の主の親父はしばらくバカンスで南仏方面にいるからさ! それに、俺もほとんど仕事でいないし、自由に使ってもらって大いに結構!」
 と言いながら、立ち上がると
「とりあえず、今日使う部屋整えてくるからしばらくここにいて、TVのリモコンと電話掛けるならそこの使ってかまわないよっ!」
 といって、彼はリビングから出て行った。
「あっあの……」
"何だか悪い人じゃないと思うけど彼のペースに飲み込まれているみたい……"
 そして、受話器の方を見やると
"そうだ! お兄ちゃんに電話しなくちゃ……。でもいったい今何時かしら? もう寝ちゃったかな? 怒ってるわ、きっと……でもこれ以上心配掛けられないし……ああジョーたちにも報告をしなくちゃ……"
 そして受話器を手に取るとパリの自宅の番号を押し始める。
"何だかドキドキするなー! 空港から電話した時も少し怒っていたし……"
 と思いながらコール音を聞く。"ツーツー" 出てほしくないような複雑な心境で、その音を数回聞くと
「はい、どちらさま?」
 と兄の声が聞こえて、
"あー起きていたんだわ、心配していたわよね……"
 と心の中で呟いた。
「あっお兄ちゃん、あのー」
「フランかっ? ……いったい今どこにいるんだ! どういうつもりだ!」
「あっ、これにはいろいろ訳があって、あのアリスンの居る場所は突き止めたわ! それで……」
「とにかくお前は今いる場所をむやみに動くな! ホテルなのか? ワシントンDCの? 悪いがあのファイルは読ませてもらったぞ! 危険すぎる絶対に一人で行動するな!」
 と、ジャンはフランソワーズの話す間もなく続ける。
「お兄ちゃん! あのファイルを見たの?」
「いいか! とにかくどこのホテルなんだ? お前の友達も心配してここに二人いるぞっ! これまでの事情はわかっているつもりだが……」
「え? 友達って? 事情って? まさか……」
 自分自身の顔が青ざめて行くのが良くわかった。
 そのやり取りをジャンの近くで聞いていたジョーとハインリヒは、いても立ってもいられない思いで彼を黙って見つめていたが、ジョーが我慢できなくなって
「もし良かったら、少し変わっていただけますか?」
 と言ってジャンのほうを見る。ジャンは、そんな彼の瞳を見つめながらジョーに受話器を渡した。そして、
「フランソワーズ?」
 思いがけない声の響きを聞いたとたんフランソワーズは全身の力が抜けていくように感じ、心臓が爆発しそうなくらいドキドキして、やっとのことで一言はなすのが精一杯だった。
「ジョー?」
 そしてジョーもまた久しぶりに聞くようなフランソワーズの声に少し安心したのか表情が一気に和らいでくる。
「フランソワーズ心配したよ!」
"心配? ジョーが私のことを?"
 ジョーの一言で蒼い瞳には、大粒の涙が堪えきれなくなって溢れんばかりになった。
「ジョー! どうしてそこに?」
 とやっとの思いで問い掛けると
「あのね、ルーブルにはイコンはないんだよ! だからフランスにいる必要がなくなったんだ。それを伝えようとしたのに全然連絡が取れなくって、それで今日お兄さんと会う約束をしたんだ。ハインリヒもここに居るよ」
「そうだったの……。でも、あのお兄ちゃんに何て?」
「そのことなら心配ない! とにかく今いる場所を教えて!」
 すると丁度その時、部屋を整えたシュリが、フランソワーズが電話をしているとは、知らずに戻って来ると
「準備OK! でも何だかお腹すかないか? 簡単に何か作るけど……」
 と話し掛ける。だが、フランソワーズが電話をしているのを見てると人差し指を口にあてがいそして、
「おっと! ごめんごめん……」
 と小声で言うとそそくさとキッチンへ歩いていった。
「誰かいるの? そこはいったいどこなの?」
"何? いっ今のは確かに男の声だ! でも確か追っていったのは女性のはず……ってことは? 誰なんだ!"
「あっあの、友達の家なの。……ワシントンDCから少し郊外で。私、アリスンって人を追ってきたんだけど、すぐ近くで……そのー」
「……そんなことはお兄さんに聞いてわかってるけど、友達って? 誰なの? 僕の知っている人? とにかく単独行動は危険だし、その……」
「あの、明日ホテルを探すわ! そしてまた連絡をするから心配しないで! えーっと、電話代友達に悪いから切るわね……あのジョー? 心配掛けてごめんなさい。それじゃあまた……」
 そう言うと電話は切れてしまった。
「もしもし? フランソワーズ! フランソワーズ!!!!!」
 するとハインリヒが
「おい! ジョーどうした?」
 と聞いているがジョーの頭の中は、先程の電話越しに聞こえた男性の声がこだましていた。


No. 14 単独行動

「おい! ジョーどうしたんだ!」
 とハインリヒの問いかけに対して受話器を置いたジョーは、振り返るとジャンに向かって
「あの、明日ホテルを探すそうです。そうしたら、ちゃんと連絡すると……今は友達のうちにいると言ってました」
 そこまで言うと、今度はジャンが怪訝そうな顔で、
「友達? ワシントンDCに?」
「あの、心当たりはありますか?」
 するとジャンは首を横に振って、
「いや、とくには……それなら、それならあなたたちの方があるのでは?」
 ジョーとハインリヒは、顔を見合わせながら、
「確かに我々の仲間がアメリカに待機してますがニューヨークですし、だとしたら必ず連絡はあるはずです……」
 とハインリヒの答えに
「まったく、こんなに皆さんに心配を掛けて……。あの子は小さい頃から自分を表に出さないことが多かったのに、それが余計に不憫で……それなのにいったいどうしたと言うのか? 先程のあなたたちのお話を伺って、大体は理解してはいるんですが、どうしても……申し訳ない、その話を受け入れるまでしばらくは時間が掛かりそうです」
 悲痛な面持ちで話をするジャンを見ていて、ジョーもハインリヒも、まだ一番肝心な話をしていないことに、気が付いていた。いや、余計に話をすることなど出来ないと、思っていた。
 そう、彼女はもう以前のかわいい妹ではないのだ。彼女の体は……もうもとには……。
「とにかく、明日の朝一番の飛行機でワシントンDCへ向かいます!」
 とジョーの言葉に
「私も、今抱えている仕事を片付けたら休暇をとるよ。そうして迷惑じゃなければ、君たちの手助けをしたいんだが……。なんと言っても妹とアリスンが関わっているとなるとじっとしている訳には……」
 と、言いかけたその時に再び電話のコール音がして、一瞬三人とも顔を見合わせた。ジャンは受話器をとった。
「はい、どちら様?」
 すると、いきなりロベールの興奮気味の声がした。
「隊長! 夜分に申し訳ございません。国防省で緊急事態が発生しているようで、空軍は直接関係はないと思いますが一応ご報告しておいた方が良いと思いまして……」
「国防省? いったい何が?」
「はい、モルガン長官が何者かに襲撃されたようです!」
 ジャンは一瞬にして青ざめ
「何だと? モルガン長官が?」
「はい! 何でも滞在していたホテルで何者かによって襲撃されそれでSP他数名の死傷者の出た模様です、関係者の話だと、当時ホテルの裏口に数人の怪しげな人物が目撃されたとの証言もあり、カルロス大佐も緊急で国防省に呼ばれて……」
「怪しげな人物っていったい……。それで、モルガン長官は?」
「わかりませんが、なんでもこれまでに例のない武器を使用しているようで、とりあえずパリ国立病院へ搬送されたようです。容態は何も発表されておりませんが、SPも3人やられているようですので予断はできないとのことで……」
 すると、しばらく呆然としていたジャンだったが、ロベールの "隊長!" と言う呼びかけにはっとして我に帰ると、
「いや! 関係がないものか! これはフランス国家、いやっ! ひょっとしたら全世界をまたに掛けた組織の仕業かもしれない!」
 驚いた様子のロベールが、
「全世界をまたに掛けた組織っていったい? 何か心当たりが?」
「わからん! これはあくまでの予想なんだが……ロベール! 例のシミュレーショントレーニングを受けたものに大至急連絡を入れて緊急待機するように伝えてくれ!」
「例のって? まさか? あれを使うおつもりなんですか?」
「いいか、これから私の言うことを良く聞いて行動してくれ!」
「隊長! いくらなんでもあれはまだ国防省の許可が……」
「ロベール! これは一刻を争う問題だ! モルガンを襲った連中は確実に暗殺が成功するまで襲撃をくわえるだろう。そうなると搬送された病院がターゲットになる。何の罪もない人たちまで巻き添えになりかねない。そうなる前に何らかの対策を立てなければ……。いや、絶対にそうさせてはならないのだ! それに彼らの用いている武器は我々には予想すら出来ん! 今の段階ではあれを装備させるしかないだろう……」
「いったいその組織とは何なんですか?」
「いや実は私にもよくはわからないんだ!」
「わからないって? いったい……」
「とにかくすべての責任は私が取る覚悟だ! 今から国防省へ赴き、カルロス大佐にあれの使用許可をもらう! 今は敵のレーダーにかかることなく彼らに近づく、そしてやられる前に攻撃を阻止するしか、モルガン長官と病院を守る手立てはない……」
「わかりました! シミュレーションを体験したものに連絡を入れてみます!」
「……さあこうしてはいられん! 私もそちらへ向かう! 直ぐに取り掛かってくれ!」
 と言って電話を切ると、直ぐ傍にいたジョーとハインリヒに向かってジャンは首を横に振ると
「……モルガン長官。彼なら、彼なら何かこれまでのいや、アリスンに出した極秘命令も聞き出すことが出来たはずなのに。ワシントンDCに彼女をやった理由を……いったいなぜ?」
 と言いながら例のファイルを手に取ると
「このファイルの持ち主で国防省の長官であるモルガンが何者かに襲撃されました。おそらくあなた方の言う、例の組織の仕業ではないかと思われますが……」
「なんてことだ! その人物ならこのファイルをどうやって手にしたかも承知しているはずなのになあ……」
 とハインリヒの言葉にジョーも黙って頷くと、ジャンが二人の瞳を交互に見つめながら
「これから私は国防省へ赴きます。休暇をとってワシントンDCへ行くつもりでしたが、事は複雑に絡み合っている……」
 ジョーはそんな複雑な心境のジャンを察して
「どちらにしろ、今回のイコンの事件とそのモルガン長官襲撃事件は繋がりがあるのは確実です。とにかく、フランソワーズとアリスンさんは僕らで必ず見つけ出しますので、もしモルガン長官が無事だったらファイルの件は聞き出していただきたい! そして、まずは、病院を守らなければ……」
 するとハインリヒが
「病院の警護は我々も協力した方が良さそうだ! なあジョー?」
 ジョーは頷くと
「ピュンマに連絡をして、ドルフィン号をパリに待機させよう!」
「しかし、ワシントンDCへは?」
「安心してください! 我々の仲間はアメリカにも二人ほどいますので連絡をして二人の捜索を……。と言っても明日になればフランソワーズは、連絡をよこすはずです。そうなればアリスンさんのことも何かわかるのでは?」
 ジャンは頷き
「あなた方に甘えることにしましょう! とりあえず私の緊急の連絡ツールです。何かあったらおたがいに連絡を取り合いましょう」
 思いもかけない事態にそれぞれ複雑な思いを胸に、今はモルガン長官を、そして病院を守ることに使命を痛感したジョーとハインリヒだった。
"フランソワーズ! 君に早く会いたいのに、会って伝えたいことがあるのに、なかなかそうはさせてもらえないようだよ。いったい今どこにいるの? 誰と? ……誰と居るのフランソワーズ?"

* * * * *

 一方、そんな事態になっているとは知らないアリスンは、着々と機密捜査の準備をはじめていた。
「いよいよ明日からだわ……本当にうまく成功することが出来るのかしら? いいえ、何としても探し出さなくては……。細菌センターにイコンなんて……。あるとすればここの倉庫? この部屋はいったいなにかしら?」
 と頭の中で考えながらCIAの管轄である細菌センターの内部レイアウトを確認しながら、侵入の経路を練っていた。
"私は研究要因で派遣された臨時の職員で、ここまでは侵入が出来るのよね……。その後は、侵入のパスワードを何とか盗み出してここに入室する。でも、たとえイコンを見つけたとしても既にチップがなくなっている可能性の方が。そうなると誰が何の目的でって、センターの中で研究が続けられているに決まってるじゃない!"
 ふうっ! っと一つ溜息を付くとTVのリモコンを手に取ってスイッチを入れた。すると、パリでのホテルの襲撃事件が取り上げられていて思わず食い入るように画面に釘ずけになった。モルガンのことは政府の方で報道規制がされていて容態に関してはあまり触れていなかった。が、勘の鋭いアリスンは何かいいようのない不安に襲われていた。
"いったいどういうこと? どこかの国の軍が関与している? でもまさかそんな大胆な行動には……。ジャン……"
 おそらく今回出動しているであろうジャンを思いつつ、さまざまな不安で頭がいっぱいになっていた。


No. 15 スパイ潜入

 ワシントンDC郊外の細菌センターにアリスンが潜入して既に一週間がすぎようとしていた。
 彼女が臨時の研究職員として配属されたのは、小動物にバイオテクノロジーを取り入れその影響を調査することが目的のチームで、彼女のほか二十代半ばのジュリーと言う金髪でショートカットのおしゃべりが大好きな女性と、三十代半ばくらいのサミーと呼ばれている長身で黒ぶち眼鏡をかけた神経質そうな男性のわずか三人で構成されていた。
 彼らのチームのボスは随時画像メールにて指示を出し、このチームの誰も直接本人に会ったことはなかった。
 このチームに配属されてからの一週間と言うもの、アリスンはジュリーにこの内部の構造と警備体制や防犯ビデオの在処などをそれとなく聞き出していた。その他にも他のチームのメンバーの噂話や性格ここ最近のエピソードなど、イコンに関係がないことでも積極的に耳を傾けた。
 ジュリーは、屈託のない明るい性格でアリスンのことをいつしか姉のように慕うようになっていたから、彼女自身の恋愛の悩みや将来の目標、そしてなぜこのセンターで研究員をしているのかなどなど、何の疑いもなくアリスンに話して聞かせた。アリスン自身もジュリーのことはまるで本当の妹のように思うところもあり、出来る限りの相談には応じるようにしていた。が、いかんせん自分の使命を念頭においてのことなので、一線を越えないように気をつけていた。
 そして内部構造がほぼ頭に入ってある程度の人の配置もわかって来ると次の行動。いよいよイコンの捜索に入ることにした。
 計画ではまず、すべての勤務が終了し皆が帰宅をするにあたって、資料の作成と偽って一人研究室に残る日を入念に選んだ。
 表向きの相棒であるジュリーは、毎週決まって金曜日には彼とデートの約束をしている。もう一人の同僚サミーは、同じく金曜の夜は彼のママの手料理を食べに家に帰るということがわかっていたので、金曜日に決行するとほぼ決定していた。
 次にイコンが隠されているであろう部屋の目星だが、これまでの調査でレベル3(危険度を示す)区域にある地下3階の部屋であるのは、ジュリーの噂話やそこに入室する人間などからはぼ間違いはなかった。赤外線の探知機やら警報装置の種類なども既に入念に調べ上げたので、そこに潜入することは問題はなかったが、果たして例のチップが残っているかは大きな疑問だった。おそらく既に抜かれていて、科学者たちが兵器の作成に取り掛かっている可能性も不定できなかった。  そして、潜入してから既に一週間もたつのに、いまだ彼女の、いや彼女たちの前に姿をあらわさないボスの存在である。モルガン長官の資料によると、名前はラリー・マクレーン。年齢は58歳とあるが、画像メールを見る限りではとてもそのような歳には見えなかった。どう見てもそれよりはかなり若く見える。
"とにかくどこでどう監視されているかわからないわ……油断は出来ない! それにラリー・マクレーンっていったい何者なの? どうして姿をあらわそうとしないのかしら? 長官に確認を取りたいところだけど、任務遂行中は決してフランス当局には連絡できないし、それに今回の任務は長官と私しか知らないはず……。それにしてもイコンにチップがもうないとしたら? でも、あのファイルの存在はCIAの彼らは知らないはず。おそらく逃亡していた旧KGBの男性がイコンを所有していたことがわかって。でもおかしいわ……だとしたらなぜ? なぜファイルの存在を知らない彼らがこの兵器のことを? 考えるのは辞めましょう。いまはただイコンをいえ、チップを探すことそれだけを考えましょう"
 アリスンは複雑な心境に陥りながらも次の金曜日にレベル3に潜入することに決めた。

* * * * *

 一方、アリスンを追ってワシントンDCに入ったフランソワーズだったが、ひょんなことから搭乗していた飛行機の中で知り合ったシュリと言う青年の家に滞在することになっていた。当初はホテルを探すはずだったのだが、彼の好意と共にシュリの家に初めて泊まった日の朝、彼は手紙を置いてその姿を消していた。
 その手紙を読んだフランソワーズはシュリに危機一髪のところを助けられ、おまけに途方にくれていたところを救ってもらった手前、そうせずにはいられなかった。

"グッドモーニング! お転婆なマドモアゼル殿!! 怪我の具合はどうですか?
 俺はこれから仕事の為しばらくここを留守にします。だから安心してここを好きなように使ってくれて構いません! 部屋のキーは、この手紙と一緒において置きます。スペアだから安心して出かけてください。
 ただ、一つだけお願いがあります。俺が帰ってくるまで、恋人サリーのことを頼みます。ご飯はテーブルの上にメニューリストを置いていきます。それを参考にしてください。お風呂とトイレは心配要りません。ちゃんと躾はできていますので……。
 それと一日おきにメイドさんが掃除に来てくれますので、家のメンテはほっといてくれて構いません。一週間程で帰ってこれると思いますのでそれまでお元気で……。
PS.サリーはお利巧なので2日ぐらいはお留守番できます。でもそのときはご飯Bを用意していってねっ!
シュリより"

 フランソワーズはその手紙を持ったまましばらく呆然としていた。
"み! みゃ!"
 とサリーの泣き声に我に帰ると、いったいどういうこと? サリーを頼むって?
"みぃみゃみゃ!!"
 と泣きながらフランソワーズの足元にじゃれ付いてきたサリーを抱き上げると
「いったいあなたのご主人様はどこへ行ったのかしら? あなたひょっとしてお腹すいたの?」
"みゃ!"
「ウフッ、わかったわ今用意するからまってて……」
 シュリのおいて行ったメニューをとりあげると、事細かにサリーのご飯についての注意事項が記されていて、見かけによらず意外な姿を見たようで思わず微笑みながら、彼に対しての親近感が知らず知らずのうちに沸いてくるのを肌で感じていた。そして完全にシュリのペースに飲み込まれている自分に気付き、今まで味わったことのない不思議な安堵感にも見舞われているのであった。
「ねえ、サリー? あなたのご主人様っていったい何者? いったい仕事って何をしているのかしら……。あなたのことを本当に愛しているのねえ……。フフッ……ねえこれ見て! サリーのご飯Aタイプ、超高級キャットフード、アンド猫ちゃん専用クッキー。サリーのご飯Bタイプ、乾燥ガリガリフード高級レストラン風味付け。サリーのご飯Cタイプ、ダイエット猫ちゃんディナー栄養万点。分量まで……。クスクスクス……。おっかしい、あんなつんとした顔してあなたにはまるで形無しね!」
 用意したご飯を食べているサリーを眺めながらそんな会話をしていたフランソワーズだったが、ふと目の前の時計を見るとすでに午前八時を回っていて自分の使命を思い出し現実へと引き戻されていった。
「いけない、こんなことしている場合じゃないわ……。サリー、ごめんなさい! しばらくお留守番お願いね……。今日はすぐに帰れると思うけど、いい子にしていてね!」
 ああでも困ったわ……。今日中に連絡先を決めておくはずだったのに。これ以上みんなに心配は掛けられないし。とにかくアリスンのところに行かなくてはいけないし。などと頭の中で考えながら手早く身支度を整えた。
 そして何気なくテレビのリモコンのスイッチを入れたところ昨日のパリ郊外のホテルでの事件がいっせいに報道されていて、思わず体全体が震えるのを覚えた。
 これって? いったい何が……。そうだわ、お兄ちゃんに連絡を入れてみよう。ジョーたちにも……。
 受話器を取り上げ兄のアパートメントに連絡をしてみた。が、留守番電話のアナウンスがむなしく留守を告げている。
"ジョー、ジョーは……。いけない小型通信機を置いてきてしまったんだわ……。そうだ! ジェットなら、アメリカにいるはずのジェットなら、彼らと連絡を取っているかもしれないわ"
 ジェットの宿泊しているホテルに連絡を入れた。


No. 16 ファイル

 イワンが目覚めと同時に重大な予言をしたことにより、ギルモア博士は各国へ散らばっていたサイボーグメンバー達に作戦を変更するように指示を出していた。
 まず、残されたドラゴンの絵が付いたイコンのなかでも、最も重要な要は、現在モナミ王国にある八番目のイコンであり、例えその他のイコンを手に入れたとしても、八番目のイコンの中に隠されているマイクロチップを手に入れなければ、実質的には何の役にも立たないということ。
 かつてNBGの手先となってキャサリン王女を落としいれようとしたマーク殿下が、自分の身を守るために極秘でルーブルのイコン(八番目のイコン)を莫大な富を積んで手に入れたということ。
 ここ数日の間にそれに気づいたNBGは、サイボーグメンバーたちの気をそらすために、モルガン長官を襲撃していたこと。
 もちろんあのファイルの存在を彼らは承知している。アリスンが侵入している研究所で、すでにNBGの手先が研究を開始している。モルガンのこともアリスンのことも既に彼らの知るところとなっている。
 今回のNBGの一番の権力者の名前がラリー・マクレーンといって、CIAの幹部としてそこに入り込んでいること。
 それらすべてがサイボーグメンバーたちにとっては不利なことばかりだった。連絡を受けたジョーは現在パリにおいて、モルガン長官とその周辺の警備をハインリヒとドルフィン号で駆けつけたピュンマと共に行動をしていたが、急遽モナミ王国へ戻らざるをえなかった。
 ジョーはフランソワーズの兄であるジャンにそのことを説明すると彼も快くそれを受け入れた。
「我々のことは気にせずにどうかあのファイルにもあったイコンを奴らに渡さないようあなた方の力で守ってください。幸いにもあの病院は襲撃を免れそうです。この国のことは我々の力で守ります。ただ……」
 ジョーはこの後ジャンがなにを言いたかったのかよくわかっていた。
「ありがとうございます。……あの、ご心配かとは思いますがフランソワーズとアリスンさんのことは僕らが必ず守ります。必ず……」
 するとジャンはジョーの手を取ると
「私は、本当は今にでもアメリカへ飛んで行きたい。だが、それが出来ないのがとても歯痒い気持ちです。こんなことを出会ったばかりのあなたに頼むのはたいへん恐縮ですが、どうか私の分まで二人のことをよろしくお願いします」
 決して多くは語らないがじっと見つめる蒼い瞳……それは、彼女と同じ深くそして力強かった。
 ジャンは父とニースで交わした約束を思い出していた。
"いつか、あの子のことを、真の愛情でもって託すことが出来る人物が現れるまでジャンお前があの子のことを守ってやってほしい……"
 と言った父。  ひょっとしたら、目の前のこの青年が最愛の妹を……。  そんな思いがジャンの心の奥底で感じ始めたのをジョーは知る由もなかった。
 父さん母さんどうか、フランソワーズのことを守ってやってください。もうこれ以上悲しい思いはさせないでください。本当に普通の幸せでいいのだから……。たった一人の最愛の妹……どうかあの子をお守りください。
 もちろん、これまで幾度となく自分を支えてくれたアリスンのことも気がかりでならなかった。
 私は、なんて無力なのだろう……大事な人を自分の力で救うことが出来ないなんて……。
 様々な思いが錯綜する中、時間だけが足早に過ぎて行ったのだった。

 モナミ王国国際空港のロビー。ジョー達がモナミ王国へ向かっている中、一足先にある人物がモナミ王国に到着していた。
 黒いサングラスを掛け、黒皮のジャケットとパンツを履き颯爽と空港ロビーを足早に歩く男性。
 彼は迷うことなく空港に隣接している駐車場へ直行すると、既に止めてあったと見られる大き目のバイクに跨ると、慣れた手順でエンジンを掛けそのバイクを走らせた。その彼が向かった先は、あのオーギュスト・ボワ博士の別荘だった。

* * * * *

 モナミ王国に程近い海底附近にドルフィン号が待機していた。そこには、ギルモア博士によって集結されたサイボーグメンバーたちが集まっていた。現在アメリカに滞在中のジェットとフランソワーズを除いて。
「皆も既に聞いていることと思うが、ドラゴンのイコンについて、いろいろと解明されたことがある。そこで、今回ここに集結したのは、もっとも危険なイコンとでも言おうか、奴らに渡すわけにはいかない八番目のイコンをいかにして守るか。そして、今回の事件を解決するためにはやはり、それらを狙っている奴らの指導者を何とかしなくてはならないんだが……」
「でもジョー、そのイコンの中にまだチップ残っているアルか?」
「実は僕も以前から気になっていたんだが、マーク殿下が関わっているとなるともうとっくに、抜かれているんじゃないか?」
 とピュンマ。
 すると、今度はグレートが
「そんなことは簡単だよ! 003にイコンを見てもらえば一発で判明するよ!」
 すると、ハインリヒと思わず目を合わせたジョーが少し困ったように
「それはそうなんだが……」
 すると今度は回りをきょろきょろしはじめた大人が
「そう言えば、002と003まだ姿見えないアルよ。何かあったアルか?」
 すると、ジョーは仕方なくこれまでの経緯を皆に説明をした。
「単独行動か……003らしくないな、危険すぎる……」
 とピュンマがひとり言のように呟く。
「002からは連絡ないアルか?」
「ああ、今のところ……実際僕たちもパリではなかなか連絡がつきにくいところにいたってこともあるが、でもジェットと一緒ならと思って……」
「拙者が考えるに、ジェットと二人きりにさせるとは、なんともあぶない……」
 するとそれを聞いたハインリヒが
「おいおいグレート! 冗談がきつすぎるぜっ!」
「それはそれは、失礼をば……」
「だとすれば、イワンだよな。でもいっぱい予知能力使いすぎてお疲れのようだし……」
 とピュンマが呟くと、ハインリヒが
「オーギュスト・ボワはどうだ? 俺が思うに何かを知っていそうな気がするんだが、その考古学やら絵画に詳しいとなると昔からよく絵画に隠されたダイヤとかいろいろ隠してある方法がわかるのかも知れないぜ!」
「さすが目の付け所が違うアルよ! ハインリヒ!」
 すると、少し考え込んでいたジョーも
「そうだな、今のところそれしかないかも……」
「じゃあ、早速連絡をとってオーギュスト・ボア博士の了解を取った方がいいな」
 とピュンマが言うと、
「わかった早速連絡を取ってみるよ!」
 と言ってジョーが立ち上がった。

* * * * *

 オーギュスト・ボアの別荘。今日は、別荘から見える海面が、やけにキラキラと眩しく反射をしてくる。
 ここの主であるオーギュスト・ボアは考え深げに、その景色を見ながら香り深い琥珀色をしたコーヒーをゆっくりと味わっていた。そこへ、一人のメイドがやってきて要件を告げる。
「旦那様、ご子息がご到着になられました」
「おお、そうか……」
 そこへ、先程モナミ国際空港へ到着したばかりのあの青年が軽快な足取りで彼の前に姿を表した。
「父さん! お久しぶりです」
 すると、最愛の息子を目の前にした彼は、その鋭い瞳を和らげると、そっとその肩をやさしくポンッと叩くと、椅子を促した。
「よく来てくれたね。急に呼び出してしまって、悪かったな……」
 彼は、これまでのイコンの事件に纏わる調査をもっとも信頼のおけるこの息子に、ジョー達が関わるずっと以前から依頼していたのだった。
 二人はしばらく、これまでのお互いの近況を報告し合うと、彼がこの青年を呼び出した理由について語ろうとした時一本の電話が鳴り響いていた。
 電話をしている父親の表情を横目で見ながら、何か事件に展開があったのだと、青年は直感で感じ取っていた。電話を切り、再び彼はその続きを話し始める。
「実は、これまでお前にいろいろ調べてもらった件なんだが、どうやら八番目のイコンはこの国にあるようだ」
 すると、少し驚いたように
「……なんですって? それじゃあ、ルーブルやワシントンDCの研究所にはやはり……」
 彼は、頷きながら続ける。
「もはや、灯台下暗しとはこのことだ。まさか、マーク殿下が極秘に入手していたなんて思いもよらなかったよ」
「それで、今の電話は?」
「ふむ、それが、私の知っている科学者でギルモア博士と言う人物がいるんだが、その人物の元に九名のサイボーグたちがいる」
「サイボーグだって?」
 驚いた表情の青年を見ると、彼は一冊のファイルを差し出した。
「サイボーグといっても、彼らは皆人間として生まれ、それぞれの理由から改造の手術を施されてしまった。自分の意思とは無関係にな」
「自分の意思とは無関係って?」
「うん、私も聞いた話なんだが、ある物は犯罪に手を染め、ある物は無実の罪で追われ、そして人生に失望してしまったもの、重傷を負ったために全身を武器にされたもの、そして何の罪もなく普通に生活をしていたのに無理やりにある組織に拉致されて改造させられた少女もいる」
「女性まで? サイボーグに? ……なんて、むごいことをするんだ!」
 と言いながら、彼の渡したファイルを捲ると、そのサイボーグ戦士たちの写真とプロフィールが事細かに記載されていた。そして、一枚二枚と捲って、三枚目のページを開いた時、青年は驚きのあまり、思わず声を発してしまった。
「これはっ! これはっ本当に……」
 といって、唇にその手を当てると、その瞳が怒りと悲しみでいっぱいになり、言葉にすらできずに、そのファイルをじっと見つめていた。
 そんな様子を見ていた彼は、青年に向かって
「いったいどうした。シュリ……。まさかその少女を知っているのか?」
 すると、頷きながら怒りに震えた声で
「ええっ! 知っていますよ! 知っていますとも……。何でなんだ! こんなひどいことを、どうして、彼女にメスなんて入れられるのか! 俺は許せん……」
「いったいどういうことだ? どこで知り合った?」
 すると、深く息を吸って気持ちを整えようとするが、どうしても怒りを抑えることが出来ずにいた青年は
「ワシントンDCで! でも、彼女がサイボーグだなんて信じられない! いったいどうしてこんな……」
 最愛の息子のあまりの動揺に彼自身も、このことを知ったときの衝動を話して聞かせた。
「これから、しばらくは彼らと協力をして、事件の解決に取り組むが、いいか、シュリ、決して彼らの前では彼らがサイボーグであることを考えてはいけない。彼らの誰一人として、それを望んだ訳ではないのだから……」
 すると、何度も頷きながら
「彼らは、父さんがこのことを知っていると?」
 その問いに首を横に振りながら
「いや、聞いたのは私がイコンをこの人たちに任せられるかどうか調査した結果だったから、彼らは私が何も知らないと思っているだろう」
 すると、少しほっとしたように
「わかりました! では、俺も何も聞いていないことにします」
 といって、二人は頷きお互いの意見が同じであることを確認した。
 その日の夜はシュリにとって、とても長く感じられた。
 初めてフランソワーズに会った資料館でのこと。ワシントンDCへ向かう飛行機での彼女。そして、自分の家へ向かいいれた時のことなど、あの彼女の澄んだ蒼い瞳がシュリの脳裏から離れなかったのだ。
"どうしてこんなに気になってしまうのか? 彼女がサイボーグと言うことがわたったからか? いや、そうじゃない! 俺は、俺は……"
 混乱する自分の気持ちをコントロール出来ずに、その夜はなおも長く続くのであった。


No. 17 002合流

 ジェットと合流したフランソワーズは、これまでのモナミ王国、パリそしてワシントンDCでの出来事を事細かに彼に説明し、アリスンにたいしての対処方法を考えていた。
「すると、そのアリスンって人が、イコンを追って細菌センターへ侵入したって訳だな?」
「そうなの、私も彼女に何とかコンタクトを取ろうといろいろ調べてみたんだけど彼女の周りには物凄い数の尾行やら、盗聴までされているから、簡単には近づけないの」
 と困った表情のフランソワーズを見ながら、
"ドキッ! もしかして俺って頼られてるのか? おいおいよせよ、無駄無駄! 変なことを考えるとアイツが加速装置ですっ飛んでくるって! なんちゃって!!"
「ジェット! ねえジェットてば聞いているの?」
「えっ? ああすまない……何だっけ?」
「もうっ! ここには私達しかいないのよっ! もっと真剣に考えてよっ」
 と頬を膨らませる。
"ひえ、二人っきりってか? 怒った顔も可愛いじゃん! いままでアイツに独り占めされてたなんて、この俺様ともあろうことが? ……おお、いけないけない、今はそれどころじゃなかったぜ! それより、どーもおかしな話じゃねーか?"
「その彼女、なんでそこまで監視されてるんだ? もしかして、スパイってのがばれてるとか?」
「ええ、そうなのよ。私もそれが気になって、でも一人で侵入するにしても簡単には入れないのよ。とにかく彼女が危険な状態にいることだけは確かだわ……」
「それなら、ジョー達に連絡を入れておいたほうがいいかもな……パリの事件も気になるところだし、何か進展があったかもしれない」
「そうねっ! 私もずっと気にはなっていたんだけど、小型通信機を置いてきてしまって、お兄ちゃんにも連絡がつかないし……」
「わかった! じゃあ早速掛けてみることにしよう!」
 そう言って、ジェットは仲間に連絡を取ることにした。

 一方、その他のメンバーが集結しているドルフィン号では、オーギュスト・ボワに会うべくジョーとハインリヒそしてグレートが向かう準備をしていた。大人とピュンマはジェロニモの応援の為、イコンが展示してある宮殿へ向かうことになっていた。
 そこへ、ジェットから連絡が入る。まず最初に、ハインリヒが通信機を取り上げた。
「002か! いったい今どこにいる!! ギルモア博士の緊急指示を聞かなかったのか?」
 そんな、ハインリヒの叫びに皆が一斉に彼に注目をした。
「ああ悪い悪い! でもそんなに怒るなよ! こっちは、ジョーに頼まれてフランソワーズを探していたんだから……」
「それはそうだが……で、彼女には連絡ついたのか?」
「連絡も何も、今ここに、目の前にいるよ……」
「なんだって? それなら何でもっと早く連絡をしないんだ! 皆どれだけ心配しているか……」
「落ち着いて聞けって! 彼女から連絡があったんだよっ! お前らに連絡のしようがないって言って……。それで急きょ俺もワシントンDCへ飛んだって訳よっ!」
「ワシントンDCだって? 今まで彼女はどうしていたのかちゃんと聞けたのか?」
「ハア? どうしていたかって? そんなのジョーやお前らの方が、わかっているんじゃないのか? ふーむ! そんな訳ないかっ! 俺に探させるぐらいだからな……」
 と言って、傍らにいるフランソワーズの方に目をやる。
「今ワシントンの何て所にいるんだ? ホテルなのか? ジョーの話だと、その、友達って言うか、この間の電話で何でも男性の声がしたとか言っていたが……」
 とそんなハインリヒの話を聞いて
「男? なんだそりゃ! ここは、彼女の友人の家って聞いたけれど、その友人はしばらく留守をしているらしいから、俺がここに着いたときは、彼女一人だったぜっ!」
 すると、さすがのハインリヒもほっとしたように
「彼女一人って、本当に? ならいいんだが……」
 と言いながらジョーの方を見やると、
「ジョー! ジェットからだが、今フランソワーズと一緒らしい、他には誰もいないみたいだが変わるか?」
「ああ…………」
"一人らしいって? でも、確かにあの時男性の声が……思い過ごしなのか? その友人っていったい誰なんだ! 僕の知らないフランソワーズが?"
「ジェット! 僕だよジョーだ。その、そっちの様子は?」
「おおジョーよ! やっと会えたぜっ、彼女によっ!」
「ああ、よかったよ、君がそばにいてくれたら僕も安心だ!」
「それはそうと、すまなかったな! 連絡が遅くなって……。緊急っていったい何があったんだ? 事件の展開が変わったのか?」
 そんなジェットの問いに、ジョーはイワンの予知した内容と今後の彼らの行動予定を告げると、今度はジェットのほうが、アリスンの現状を伝えていた。
 ジェットのやり取りを側でじっと聞いていたフランソワーズは、いつしか、ジョーのことを考えていた。
"ジョー! お兄ちゃんに会ったのね……。お兄ちゃんは彼のことをどう思ったかしら? 皆に心配をかけて、なんて言っていいのか……。それに……また、モナミ王国へ? あの人とまた会うの?"
 彼女の脳裏にはあの月夜の二人のシルエットが蘇る。するとどうしようもなく涙が溢れ出てきて、上を向いていなければ零れ落ちそうになりジェットに悟られないようそっと、後ろを向き瞼を抑える。
 私ったら、いったい何を望んでいるの? 自分の気持ちがわからなくなる……。今するべきことはいっぱいあるのに……それなのに、こんなことばかり、ジョーのことばかり考えている。会いたい今すぐに。あなたに会って、どうする訳でもないのに、その傍らにそっといられるだけで、それだけでいいのに……。
「おいっ! フランソワーズってば! どうしたっていうんだよ!」
 とそんなジェットの呼びかけにふと我に帰る。
「え? なに、ジェット……」
「なに? って、ジョーだけど、変わるか?」
 と言って、通信機を彼女に渡す。とそれを手に持ったまま、じっと見つめているフランソワーズ。
「なにやってんだよ! 繋がってるよ!」
「あっごめんなさい!」
 と言って、深く深呼吸をして、意を決したように話し始めた。が
「ごめんなさい……」
 と、突然謝るフランソワーズに対して、ジョーは返す言葉が見つからない。
「今、ジェットに大体のことは聞いたけれど……とにかく、アリスンを早くそこから連れ出して! 彼らは、もはや彼女の存在に気いている」
 実質的な話をはじめるジョー。本当は話したいことが沢山あるのに、君をこんなに追い詰めてしまった自分に腹を立てながらもなぜか気の利いたことの一つもいえない。もどかしい、苦しい胸のうちを回りに悟られないようにするので精一杯だった。
 そして彼女も切ない思いのみが、膨れ上がって気が狂いそうだった。そんな様子を興味深げに眺めていたジェットは
「いったいどうしたって言うんだ? ジョーと喧嘩でもしたのか?」
「えっ? 喧嘩?」
 喧嘩が出来たらどんなにいいかしら……。思いのすべてをぶつけることが出来たら、どんなに気持ちが楽になるのかしら? ジョーの心の中を覗くことが出来たら、そうしたら少しは楽になるの? そうしたら諦められるのかしら……。
「まったく本当にじれってーな!」
「ごめんなさい、私……」
「俺に謝られても仕方ないさっ! それよりずっと気になっていたんだがこの家の主っていったいどんな奴なんだ? ハインリヒがやたらと気にしていたが……」
 それを聞かれたフランソワーズは少々ばつが悪そうにうつむくと、これまでのシュリとのことを話して聞かせた。
「おいおい! フランソワーズらしくないな……すきだらけじゃねえか! 何で俺に最初に連絡をよこさなかったんだ?」
「……仕方がなかったのよ。夜も遅かったし、それに彼はとってもいい人よ! 少し変わっているけれど、信頼できると思うわ!」
 といつになく強気になる彼女に驚きながらも納得せざるをえなかった。

 その後、二人はジョーたちに連絡を取りながらアリスン救出へのシナリオを模索していた。
「しかし、こう尾行やら盗聴やら監視が厳しくては、呼び出すにも呼び出しようがないよな?」
 するとしばらく黙って考え込んでいたフランソワーズは何かひらめいたように話を始めた。
「ねえ! こういうのはどう? 私が、化粧品か何かの販売とかで、彼女に連絡を入れるの。それで、彼女にもわかるように暗号みたいな名前を使って何とか呼び出して、それでそのまま逃亡するの……」
「うーん! 何かなあ……その暗号やら彼女にわかるようにって、いったいどうやって? その前にセールスとかに思われて電話切られちゃうかもよ!」
 と再び考える二人だった。が、結局フランソワーズの案を改良して実行することに意見がまとまった。

 丁度そのころ、ジョーとハインリヒ、そしてグレートがオーギュスト・ボワの別荘に到着していた。
 何度か来たことのある彼の別荘。そして、いつも通されるリビング。だが、なぜだかジョーはそこに慣らされることはなかった。
 なぜなんだろう? ここに来ると落ち着かなくなる。静か過ぎるせい? それとも、何か不吉なことがおこる前ぶれなのか?
 用件が済んだら直ぐにでも立去りたい気分になっていた。そこへ、オーギュスト・ボアが現れた。
「ようこそ、おいで下さいました。今日は他の皆さんはどうされたのですか?」
「博士、本当に今回の件ではいろいろご迷惑をお掛けします。他のものはそれぞれイコンを警備していたりして、今回は僕たち三人がお話を伺いにやって来ました」
「いえ! そんなことはいいんですが、私のほうこそ皆さんにお話をしなければならないことがあるんです。今まで隠していた訳ではないのですが、事態がこう緊迫してくるとは、私としましても予想外だったので……」
 そこへドアをノックする音がして、一人の青年が入ってくる。彼は目配せをしてその青年をそばに呼び寄せ、更に話を続けた。
「ご紹介しましょう。私の息子、シュリと言います」
 スラリとした体型でいかにも現代人らしいその風貌は、傍らにいるオーギュスト・ボアにはあまり似てはいなかったが、切れ長の瞳から発せられる、その鋭い眼差しは彼によく似ていた。
 シュリは、ソファの前に立っていた三人に向かって軽く頭を下げると
「どうぞ、掛けてください」
 と言って、自分自身も近くの椅子に腰掛けた。
 この目の前にいる彼らが彼女の仲間だと言うのか? 聞けば他の仲間たちも皆男性らしいが、あの彼女がなぜ? ここにいる彼らと何の接点があるというのか……?
 そして、ソファに腰掛けている彼らを観察する。
 一番奥のおっさんは役者と書いてあったな。確かに三枚目が良く似合いそうなハゲだ。
 そして、真ん中の彼はドイツ人。うむ、一番落ち着いている感じだが……。
 リーダーは確かこの一番若い彼。F1レーサー島村ジョー。名前は知っている……。キャサリン女王がお熱らしいが、確かに女には甘そうなタイプだな。
 ワシントンの夜を思い出し、フランソワーズの言動が引っかかってきた。
 そういえば、彼女が "男の人って皆、好きでもない女性にやさしく出来るものなの?" と泣きながら訴えていたが、なるほどな……そうなのか? まあいいさ……あんたが、その気がないんなら俺は俺のやり方で彼女を……。
 そして、ジョーもまたシュリに対して、オーギュスト・ボアの息子である彼を100%受け入れてはいなかった。
 何なんだ、この殺気に満ちた眼差しは……。これは、僕の思い過ごしなのか? それとも、何かの直感なのか……。必ずしも我々に対して心を開いているとは思えない。
「シュリ! おいシュリ聞いているのか?」
 とオーギュストから名前を呼ばれはっと我に返る。
「何ですか?」
 とクールに返すと
「お前が、これまで調査してきた資料を持ってきてくれないか?」
「わかりました」
 と答えたその時、彼の携帯音がけたたましく鳴り響いた。片手を顔の位置まで上げ、すまないと一言いい、その電話をとると、なんとも偶然にも、フランソワーズからの電話だった。


No. 18 救出

 ワシントンDCに於いて、アリスン救出の機会を伺っていたジェットとフランソワーズは専用ジェットの配備を現在モナミ王国にいる仲間達に頼むことにした。そして、宮殿の警備を担当していたピュンマが応援に駆けつけてくれることになった。事前にジョーたちとも通信機上で打ち合わせをしていたため、日時さえ決まれば直ぐにでも決行できる状態だった。
 その日が近づいて来たある日のこと。
「それはそうと、俺たちがここを発つとして、その友達の猫はどうするよっ!」
「そうね……連れて行くわけに行かないし、一度連絡をしてみるわ」
 と、直ぐ近くにあった電話の受話器を手に取ると、シュリの携帯の番号をおした。彼が姿を消してから何度か掛けてはみたものの、いつも何かしらの理由で繋がることが出来なかった。
 お願い! 今日は出てもらわないと……。と半ば祈るような思いでむなしく鳴り響くコール音を聞いていたが、数回コールをして諦めかけたその時。
「誰?」
 と何時もより低めだが確かに彼の声が受話器から聞こえてきた。
「シュリ? 私よフランソワーズだけど……」
 と返すと
「ああ、君か。少し待って、今外に出るから」
 と言って、ジョーの方を振り返るとそのままその部屋を出て行った。
「あの、今大丈夫なの? もし迷惑なら……」
「いや、平気さ! 俺も君に連絡を入れようと思っていたところさ……」
「そうなの、よかった!」
「ああ、緊急の用事が入ってしまって、君があまりに良く眠っていたから起こせなくてつい手紙だけおいてったんだ! だから気にはなっていたんだが……」
「緊急って? 大変なことなの?」
「いや、その、一応俺って人気ジャーナリストだからなっ、これでもいろいろと忙しいんだ!」
「ふふ! それ本当なの? あなたの名前聞いたことないわっ!」
「おい! 信用してないな? お前……。ところで、俺の大事な子猫ちゃんは元気にしてる?」
「ええもちろん元気にしてますとも! 私がちゃんと誰かさんのレシピを忠実に守ってますから……」
「そう! それは君に大感謝だな! 何かお礼をしなくては」
「うふふ……それじゃ期待しちゃおうかな? と言いたい所なんだけど、ごめんなさい、私もそろそろ、ここを出なくちゃいけなくなって……」
「……そうか、いつまでも君に甘える訳にはいかないしな、うん! わかったよ、サリーのことはいつも来ているメイドに連絡しておくし、俺の友人に様子を見に行くよう頼んでおくから心配しないで! まあ、いつもそんな感じだったから大丈夫!」
「よかったわ! それと、あなたには何て言っていいか……あの時助けてくれたこと本当に感謝してるわ……」
「ねえ! たぶん、また近いうちに会えると思うけど、そうしたら、食事にでも行こうぜっ! もちろんサリーとは別メニュー!」
「え? 近いうちにって? うふふふっ! あなたっておもしろい人ね? そう言い切ってしまう所が……」
「お前さあ、また俺が冗談でも言ってると思ってるんだろ?」
「そうじゃないけど、断言するんだもの……」
「ふん! 見てろよ! じゃあ約束です、お嬢様? もしまた会えたら、絶対に一日でいいから俺と付き合うって?」
「シュリ? ふう! しょうがないわね! じゃあまた会えたらね……」
「じゃあ、その時を楽しみに! ……あのさっ、あんまり無茶すんなよ!」
「え? …………どういう意味?」
 と聞き返すつもりが、既に電話は切れていた。そんな電話のやり取りを傍で聞いていたジェットは、少し不機嫌な顔をしながら
「まるで、恋人と電話してるみたいだったな……」
「やだジェットたら、そんな訳がないじゃない!」
「別にいいけど、アイツが聞いたらいい気分がしないと思うぜ!」
 そういわれて、改めてジュエットの顔を見つめると
「あいつって? だれのこと?」
 ジェットが言いたいことはわかっていた。でも、ジョーはきっとなんとも思わないわ。ぜったいに……。 「決まってんだろーが! アイツだよ! ジョー以外に誰がいるんだよ?」
 すると、今度は首を横に振りながら
「それは、あなたの思い過ごしだわ……だってジョーは」
「なんだよっ! じれってーんだよ! お前らはまったく……」
 そんなジェットの苛立ちがフランソワーズにも移ってしまったように、
「だって、ジョーはキャサリンと……。私、見てしまったもの」
 その瞳から大粒の涙が零れると、いつもは絶対に口にはしないことを思わず言ってしまい、そんな自分がどうしようもなく惨めに思えてならなかった。
「なっなんだって? それは思い過ごしじゃないのか?」
「……ごめんなさい、私余計なことを言ってしまったわ、お願いこのことは誰にも言わないって約束して!」
「でも……それでいいのか?」
「わからない、でも、今はそのことは考えないようにしていたから、ジェット本当に約束して! じゃないと私……」
「わかったよ、俺が悪かった、俺が余計なことを言ったばっかりに、約束するよ」
 するとジェットは深呼吸をして気を取り直したように
「さてっと! 猫の心配がなくなた訳で、早速作戦決行といきますか?」
 するとフランソワーズも涙を拭うと
「ええ、そうねっ! 私達には時間がないんだわ……」
と言って、  アリスン救出に向けてのシナリオを見直すことにした。

 フランソワーズとの電話を切ったシュリは、そのまま自分の部屋にあった資料を手に取ると再び彼らのいるリビングへと戻っていた。すると、既に、オーギュスト・ボアとジョーたちが、宮廷にあるイコンのチップについて、話を始めていた。
「シュリ、今の電話は?」
「ご心配なく! 今回の事件とは無関係です。猫を預けていた彼女がワシントンを発つらしいのでそれで、挨拶を……」
 それを聞いたジョーは思わず
「ワシントンですって?」
 と反応してしまった。
「ええ、そうですが、何か?」
 そんな彼の様子をシュリは見のがす訳もなく、理由を薄々知っているにもかかわらず聞き返してみる。
「いえ、その、われわれの仲間が今ワシントンにいるものでつい……」
「あなた方は、今回のイコンについて調査をされているとか? ワシントンでいったい何が?」
 すると今度はハインリヒ
「ある、フランス人の女性がワシントンにあるCIAのセンターにスパイとして侵入したらしいとの情報を得て、大変危険であるので、その人を救出するために我々の仲間が向かった次第です」
「なるほど、と言うことは、私が今まで調査をしてきたことをそのフランス人女性も……」
 なんだって? そういうことだったのか……そうと知っていれば彼女に協力できたのに……。しかし、助け出すって言ったて、彼女一人で? 危険だ! 危険すぎるぜっ!
「あなたが今まで調査してきたこととはいったい……」
「それは、この資料の中に……それにしても救出っていったて、危険だ! 彼女一人では無理では?」
「えっ? 彼女一人って? どういうことですか?」
 しまった! 俺としたことがつい油断してしまった……。 「いやっ! その潜入したスパイのことです、一人でまして、女の身で、大した度胸だ!」
 辻褄があわねーよなまったく……。 「あの、そんなに危険なところなんですか?」
 とジョー。
「ああ、とにかく建物の図面ならここにあるから早くその仲間にこれを送ってやるといい……」
 と、資料の中から図面を取り出すと、ジョーに手渡す。
 それを受け取ったジョーは、何だか狐につままれた奇妙な感覚になっていた。彼は、もしかしたらフランソワーズのことを知って? いや、まさか、そんなはずは……と思いながらも、その予感が真実とは、しばらくの間知る術もなかった。
 宮廷のイコンについて、大体の情報をオーギュストから聞き出した彼らは、後日一緒に宮廷に赴きチップの有無について調査をすることにした。もちろんその際はオーギュストも同行することを了解していた。

* * * * *

 その日、アリスンはレベル3へ潜入することを決めていた。
 同僚であるジュリーとサミーには、さりげなく今夜の予定を聞いていた。二人とも残業なしで帰宅するつもりだ。
 昨夜、眠る前に潜入する箇所の図面を何度も確認したから頭には十分叩き込まれているはずだがいつになく緊張している。鏡に向かって、自分の顔と向き合ってみる。
 どうしたの? アリスン! これまでだって、もっと危険な任務をやってきたはずよ! 落ち着いて……。
 その時、電話のコールが鳴り響くと、どきりとしたが、深呼吸をして受話器を取り上げる。
「はい、べス……」
 ここでの名前を告げる。
「あの、私ドリームコスメのものですが……」
「ドリームコスメですって? 悪いけど」
 そこまで言った時
「切らないで! 朝早くからすみません。でもご注文いただいた、香水のジャンとフランソワーズがですね、どうしても入らなくって……」
「香水ですって? ジャンとって……あなたいったい誰?」
「あの、私の声をお忘れですか? 一度売り場でお会いしてるんですが、その緊急でぜひ、ご署名をいただかないととっても困るんです! どうかわかって! お忙しいとは思うんですけど、すぐにお会いして確認したいことが、あの香水について……」
 フランソワーズ? まさか……でもなんだって言うの? これは、罠なの? そう言えば最近尾行もされているようだし、まさか、モルガン長官の伝言でも? でも、彼女はいったい……。
「わかったわ、会いましょう! で、あなた今どこに?」
「ありがとうございます! そのこれから会社へ行くんですが、その前にぜひと思ってですね、今はあなたの家のすぐ前のヒーローバックスカフェに……」
「わかったわ! すぐに行くわ。……で、一度お会いしているのね?」
「ええ、そうです! でもあの、周りに気をつけて。交通激しいから……」
 遠まわしに尾行に気をつけるように促すと
「わかったわ」
 とアリスンは既に理解をしていた。
 遠くの座席についているジェットに脳波通信でOKの合図を送るとそのまま彼女の到着を待った。
 彼女の自宅についている盗聴器は、留守に潜入して別の部屋に付け替えていた。内容を聞いていたとすればもうすぐその異変にNGBも気づくはずである。時間がない。何としてでも、成功させなければ……。
 すると、アリスンが回りを気にしながらカフェに入ってくるとすぐさまフランソワーズを見つけ、少し驚いたように肩をすくめると、その前の椅子に座った。
「いったいどういうこと? どうしてここに?」
「脅かしてしまってごめんなさい! でも時間がないの……。あなたは既に敵に気づかれているわ!」
「なんですって? いったいあなたは……」
 するとフランソワーズは口元に手をやると
「声が大きいわ! とにかくここをすぐ出ないと……」
 と言うフランソワーズに向かって、
「出ないとって? 理由を説明して頂戴! 私はやらなければならないことが……」
 遠目で二人の様子を眺めていたジェットが急げ! と合図を送ってきた。 「とにかくお願い今はここにいては危険だわ! 私のことを信用してお願い!」
「わかったわ……」
 すぐさま席を立つと二人は店を出た。そのあとをジェットがついて行く。車が止めてある場所まで行くと、ジェットがすぐ乗り込んでエンジンを掛けた。二人が続いて乗り込もうとしたその時、言いようのない殺気に気づいたフランソワーズは
「危ない!」
 と言ってアリスンを庇い車の横に倒れこむ。数発の銃弾が彼らを襲ってきたのだ。
 ジェットが敏速な動きで彼らを反撃した後
「大丈夫か?」
「ええ! こっちは何でもないわ!」
 とフランソワーズ。
「こうなったら一気にいくぞ! 二人とも急いで中に!」
 フランソワーズに背を押されながら、車に乗り込むアリスンは先程の衝撃のためかしばらく頭を抱え込み蹲っていた。
 いったい何か? どうなっているの? この青年は? ああ、私はどうしたら……。しっかりしなければ。ここは、何とか乗り切って。
 錯綜しながら、その頭を擡げる。真紅の服を着た二人の姿がアリスンの瞳に写っていた。


No. 19 衝撃

 アリスンを車に乗せジェットとフランソワーズは、待機しているピュンマの元へと急いだ。
「003! 前方に敵の気配は?」
「今のところ大丈夫! あっでも、追っ手が来るわ! 車が1台、いえっ3台よっ! いずれも機関銃をもっているわっ!」
「くっそう! 機関銃かよっ! しかも3台で? 003応戦はできるか?」
「ええっ! 何とかやってみるわっ! でも早く逃げ切って!」
 といって、スーパーガンを構える。
「ああ! まかせとけって!!! これでもレーサーなんだぜっ! ジョーには負けるがな……」
「アリスン! 少しの間、頭を抱えて低姿勢を保って! もうすぐだから……」
"いったい何なの? この少女は本当にあのフランソワーズなの? それに、この追っ手は? いくら私がフランスのスパイと言うことがわかったとしても、これでは、戦争だわ! それに、この青年はいったい誰? フランソワーズと同じ服を着ている。これは、ユニフォームなの? 確かに防護機能が優れていそうだけれど……。彼女が銃を? 普通の少女なら、こんな時怯えきってしまうと言うのに、彼女は私よりずっと冷静でしかも慣れている? いったい彼女に何が? そう……003ですって? 確かにこの青年は彼女のことをそう呼んだわ! それに……どうして? 私には見えないことまで、彼女には見えている? どういうこと?"
フランソワーズの言うがままに、身を守るアリスンは、激しく揺れ動く車と同じように何も考えられなくなっていた。
「002! 次の大きな通りを左折して! その先に茂みがあるわっ! 彼らからの距離だと、何とかかわせるかも……」
「よしっ! わかった。008との距離は?」
 すると、しばらく前方を注意していたフランソワーズは
「あと少しよ! 十メートル先の茂みの中よっ! いまより深いわっ! がんばって……」
「二人ともよく掴まってろよっ!」
 と言いながら、スピードを上げるとすぐに、ピュンマが待機している専用ジェットが見えてきた。すると、後ろを気にしていたフランソワーズが敵の車を確認する。
「急いで! 追っ手が来るわ」
 追っての一台が放った機関銃の弾が彼女らの乗った車のタイヤを直撃すると大きな衝撃と共に急停止した。エンジンが爆発する前になんとか車から脱出した三人だったが、NBGの兵士たちがすぐ傍まで迫ってきていた。敵は容赦なく三人に攻撃を仕掛けてくる。
 ジェットとフランソワーズもそれに負けじと、スーパーガンで応戦しながらピュンマの待つ場所へと急ぐが、なかなか前へ進むことが出来ないでいた。
「大変! 敵の数がどんどん増えてくるわっ!」
「何だって? ……しょうがねえな、最後の手段と行きますか!」
 そう言うとジェットは、そのままアリスンとフランソワーズを両腕に抱きかかえ、ピュンマの待つ専用ジェット機まで一気に飛ぶことにした。
「きゃ! いったい何なの? あなた! 空を飛んでるの?」
 いきなりジェットに抱えられ空中に浮上したアリスンは、いつもの冷静さを失いつつあった。
「大丈夫よ! しっかり掴まって、あと少しなのよ!」
 と、そんなアリスンに言葉を掛けるフランソワーズ。
 そうこうしている内に既にエンジンを始動させているピュンマが、ジェット機の扉を開けて待機しているのが見えた。
 無事に中に入ることが出来た瞬間、ピュンマが離陸を始めた。

* * * * *

 オーギュスト・ボアの別荘から宿泊を予定しているホテルにチェック・インを済ませたジョーとハインリヒ、そしてグレートの三人はその一室に集まっていた。
「ジョー、お前はどう思う?」
 相変わらず怪訝そうな顔をしているハインリヒは、窓の外を眺めながらジョーに語りかけた。
「どうって?」
「あの博士だよっ! 信用できると思うか? なんだって、今までイコンの秘密を知っていて俺たちに黙っていた? 俺たちがこの事件をずっと追い続けていたことを知ってるのに……」
「それは……博士も言っていたように、僕たちのことを信用していいのか迷っていたって……。確かにこれだけの謎が秘められていたら、よっぽどの信用がない限り打ち明けることはないと思うけど……」
 すると、今度はグレートが
「役者の感からすると、あの人は相当な芸達者だな!」
「芸達者?」
「そう! 芸達者! つまり、演技してるってことよっ!」
「博士が? 何のために……」
 すると今度はハインリヒが、
「いや、俺が言いたいのは、何か、他にもっと重大なことを隠しているような気がするってことだ。あくまでも予感だが…………」
「確かに、なぜ博士がイコンについてあそこまで熱心に事件に関わろうとしているのか、引っかかるものはあるにはあるんだが。それにあのファイルの内容をほとんど熟知している。自分の息子まで使って解決しようとしている訳は?」
「確か、名前はいえないが、親友にこの事件の依頼をされたって言ってたな? KGBに追われていたって……。前にジェロニモが言ってた、アリゾナでKGBに追われていた男がドラゴンのイコンを見せてくれたって……」
「そうか! それが、博士の親友ってわけだ! ってことは、ジェロニモの言っていたこともまんざらでもなさそうだな……。でも子供時代の記憶ってどうなんだ?」
「いや! 馬鹿には出来ないぞ、姿かたちははっきり覚えていなくても、子供の記憶ってのは案外残っているもんだ」
「親友か……僕はちょっと違う考えなんだが、」
「ジョー、どういうことだ? 言ってみろよ……」
「オーギュスト自身がその……」
 っと言いかけた、その時だったジョーの通信機がけたたましく鳴り響いた。それは、ピュンマからの緊急通信っだった。
「こちら008! 008! 応答願います!」
「こちら009! 008急にどうかしたのか? 何か異変でも?」
「009! やっと繋がったよ! まったく何度も連絡を入れていたのに、緊急を要する場合だってあるんだ。いつでも通信できるようにしておいてくれなきゃ!」
「すまない! オーギュスト・ボア博士の所に行っていたんだ! あそこは電波が遮断してあるらしくって……。何か問題でも?」
「大有りさ! ジェットから急に作戦変更の連絡が来て、で、例の女性を救出したところだ!」
「なんだって? そんな急に作戦を変更するなんて、じゃあフランソワーズは、そのアリスンを救出できたのか?」
「ジョー! 大成功だよ! 予定より敵は多かったがね」
「そうか、よかった! 本当に……。で、みんなはどうしている?」
「それが! その、もうすぐドルフィン号に到着するから、その時にでもまた……」
「ピュンマ? 皆元気で?」
「それは、元気さ! でも……」
 でもっていったい……。そうこうしている内にその通信の電波が切れてしまい、ピュンマの曖昧な返答が気になってしまうジョーだった。

* * * * *

 モナミ王国に程近い海底に停泊してあったドルフィン号に到着したジェットたちは、重々しい雰囲気の中それぞれ沈黙して船内の作戦ルームの椅子に腰掛けていた。
「さっき、ジョーには作戦の成功は報告したんだが、ここに着いたことを連絡してくるよ」
「おい、ピュンマ。戻ってくる時になんか飲み物を……」
「あっそれなら私が……」
 と立ち上がったフランソワーズにジェットが 「ダメだよっ! フランソワーズはここに居なくちゃ!」
 と言いながら首をアリスンの方へ向ける。
「あっあの……ネエさんよ! その、怪我とか大丈夫か? 少し休んだ方がよくないか? すっげー疲れた顔してるぜっ!」
「ありがとう。でも、私は大丈夫よ……」
 と、溜息交じりで答えるアリスン。
「アリスン? 何か私に聞きたいことがあるんじゃないの?」
「ええ、それは沢山あるけど……でも、あなたちゃんと答えてくるの?」
「それは……ごめんなさい! 答えられることとそうでないことと……」
 すると相互の顔を何度も繰り返し見ていたジェットが
「とにかくさあ、まず、今回のイコンの事件について話したらどうかな? なんなら俺が……」
「今回のイコンの事件ですって? ぜひ聞かせて頂戴! いったい何なの? なぜ私のしていることが筒抜けだったの? それに、あなたたちはいったいどこの組織に属しているの?」
「どこの組織って、困った質問だな……。まあ手っ取り早く行ってしまえば平和を守る有志の集まりってところかな?」
 すると、ジェットのほうを向き。
「有志ですって? これが有志の集まりなの? この船は? あなたたちが使用している武器はいったい……」
 するといたたまれなくなったフランソワーズが
「アリスン、びっくりしたのは良くわかるけれど私達にもいろいろと事情があるの。それは、一言では言い尽くせないの。でも、ここまで来たらあなたには聞いてもらうしかないわね……」
「おいっ! 聞いてもらうっていったいどこまで?」
 するとフランソワーズは、そんなジェットの瞳をじっと見つめると、ゆっくりと頷き無言でその心内を伝えると
「まあ、いいか。ここは君に任せるよ……」
「ありがとう……」
 と言って、アリスンの方に向き直る。
「まず、今回の事件についてなんだけど、あなたに極秘の任務を命じたモルガン長官は、ある組織に襲撃されて、今はフランス国防相の人達が見守る中、国立病院で治療中よ。その……意識はまだ」
 すると、瞳を大きく見開いたアリスンは、首を横に振りながら
「まさか、そんな……信じられないわ…………」
「それと、あなたが探しているイコンのチップはすでに彼らによって研究に回されている、でも一番肝心な解毒剤の解明と最終的な情報が入ったイコンはワシントンにはないわ……」
 黙ったままフランソワーズの話に耳を傾けるアリスンを見つめながらさらに続ける。そして、事件のあらましの展開と兄の現状をほぼ伝えたあと、
「そして、ここからはどうか驚かないで聞いてほしいの……」
「驚かないでって、まだ、いえっ、もっと驚くことがあると言うの?」
「あなたはもう薄々感づいているはずよ。私たちが普通でないことを……」
「普通でないって?」
「さっき彼は私達を抱えて空を飛んだわ。普通の人間では考えられないことよ」
 話をそこまで聞いたアリスンは次第に自分の心臓が高鳴っていくのを覚えていた。 "いったい、これから何を話そうと言うの? 確かに彼らは……"
「私たちは、私たちの仲間は九名で成り立っている。そしてその九名それぞれが、何らかの形でサイボーグの改造手術を受けているわ……」
"サイボーグって? ああこの子はいったい何を言おうとしているの?"
「サイボーグ」
「そう、サイボーグよ……もちろんこの私も……」
 すると、アリスンはその瞳を潤ませながら、フランソワーズの両腕を掴みながら、
「うそよ! そんなこと、どう見てもあなたは普通の女性だわ……」
「アリスン、本当よ。この瞳とこの耳は普通の人の何倍いえ、何十倍もの力を持っているわ。お兄ちゃんの空軍のレーダーよりも遥かに、性能が高いのよ……」
「うそっ! どうして! どうしてそんなことが信じられるの?」
「私はあの日、お兄ちゃんを迎えに行くはずだった。それなのに、あいつらに無理やり拉致されて、サイボーグにされてしまったの。気が付いて自分の姿に驚いて、私を元に戻してって! お兄ちゃんのところに返してって! 何度も頼んだわ。……でも」
 そこまで言うと言葉に詰まってしまい、しばらく沈黙が続いた。
「その後、仲間と共にその組織を脱出して、でももうお兄ちゃんのところへは、帰れないと思ったわ」
「どうして? ジャンはずっとあなたのことを探して、探して、国防省の誘いを蹴ってまで、あなたのことを……」
「私は、もうお兄ちゃんの妹なんかじゃないのよっ! 私は、もうあの時のフランソワーズじゃないのよ……。もう、バレエも踊れないし、それに……」
 すると、アリスンはそんなフランソワーズをいとおしむように、そっと抱きしめると、
「もういいわっ! もういいから、私と一緒にパリへ帰りましょ! ジャンのところへ……」
"アリスン、ああどう言えば……ごめんなさい私は"
「いいえ、帰れないのよ。……私は帰れないわ……」
 と言いながら一筋涙が頬を伝い流れていく。
 すると、アリスンは彼女を抱きしめたまま続ける。
「あなたは、ジャンの妹なのよ、今でもちゃんと妹だわ……あなたがサイボーグだろうと関係ない! 私が力になるから、心配しないで……」
 すると、黙って悲痛な面持ちで二人の会話を聞いていたジェットに向かってアリスンが問い掛ける。
「ねえ、彼女を私達に返して頂戴! お願いよ……」
 そう、問い掛けられ、はっとするジェット。
「それは……それは、俺には答えようがないぜっ」
「アリスン……」
 首を横に振るフランソワーズ。 「どうして? どうしてなの? どうして……」
 号泣するアリスンをやさしく抱き起こすと
「ごめんなさい。……でも、私にはやらなければいけない使命があるの。それに大切な仲間を置いては行けないわ。お願い、わかってほしいの。そしてどうか、どうかお兄ちゃんのことを、お兄ちゃんをよろしくお願いします。私の分まで……」
 ピュンマの連絡を受けたジョーは、モナミ王国附近の海底に停泊しているドルフィン号に駆けつけていた。どうしても、早くフランソワーズに会いたかったから。……ただそれだけの理由で……。しかし、ドアの外でアリスンとのやり取りを聞いてしまったジョーは、しばらくそこに佇んである思いに耽っていた。
"やはり、彼女は僕たちと一緒に居るべきではないんだ……彼女は"
 そう思いながら、ジャンの部屋の飾ってあった一枚の写真を思い出していた。幸福な家族の写真を……。


No. 20 すれ違う心

 ドルフィン号を出たフランソワーズは、仲間が用意してくれたホテルにアリスンを送ったあと、自分のために用意されていた部屋には行かず、一人夜の海辺をどこへ行くあてもなくたださ迷っていた。
 ホテルから少し離れたウッドデッキまでたどり着くと、木製の手すりにもたれ掛かかりじっと、水面に浮ぶ月の明かりを見つめる。
"お兄ちゃん……心配しているだろうな?  とうとうアリスンに真実を打ち明けてしまったけれど、これで本当に良かったの? 彼女を巻き込んでしまったのでは? お兄ちゃんには自分で話すって言ってしまったけれど、それまでの間、彼女は苦しんでしまうんじゃない?
 でも、話さなければ、あの事態の説明が付かなかったし……。それに、あのままアリスンをあそこへ置いておくことなんて出来なかった……。
 ジョー……。同じホテルに宿泊してるはずなのに、どうして会えないんだろう? ピュンマがドルフィン号に到着したこと報告しているのに、宿泊するホテルを案内してくれただけなんて。
 確かに夜も遅いし、アリスンをこれ以上疲れさせないため? それとも私に会いたくないの? ここには、彼女がいるしひょっとしたら私が邪魔なの?
 私……最近どうかしているわ、自分のことばっかり考えてる? ジョーがそうしたいのなら、幸せになってくれるのならそれでもいいのに……"
 そして、海面に浮ぶつきの形を見つめながら
"満月まで、後どのくらいなのかしら? この形だと1週間ぐらい?
 なんてきれい……青く透き通るようだわ。不思議ね……欠けているのに形によって美しさが違うんだわ……"
 すると、おだやかな風に乗って心地よい音色が彼女の耳に届く。
"これは、フルート? いえ、ちょっと違うわ。……でも不思議な音色。とっても心地いい。このままここで眠ってしまいそう……"
 彼女はしばらくそのまま、瞳をとじて、その音色に酔ってみることにした。
"この曲、ラフマニノフの "ヴォカリーズ" ……お兄ちゃんが良くヴェイオリンで聞かせてくれたわ……。そう言えば、小さいころニースでママのピアノとアンサンブルしてくれて、あの時私寝ちゃって、後で怒られたっけ……。いったい誰が? そんなに遠くは無いはずだけど……"
 聞こえてくる方向へ目を凝らしてみると、少し先の大きめな岩陰に人影が写っているのがわかった。フランソワーズはその人影に向かって無意識のうちに歩き出していた。
 そして、近くまできたそのときに、その人物の顔を垣間見て、驚きのあまり、思わず声を上げししまう。
「シュリ?」
 すると、その人物は持っていた、楽器を口から放すと、フランソワーズの方を向き少し驚いたように、
「……脅かすなよ! 誰かと思ったぜ!」
「……ごめんなさい、でも、でもどうしてここに? 緊急の仕事って? ここでなの?」
「……まあな、でもあんたに関係ないだろ?」
「そうね……ごめんなさい、余計なことを聞いてしまって……。それに何だか邪魔しちゃったみたい」
「いや、別に、そんなに謝るなよ! 今日はやけにおとなしいじゃん……」
「えっ? そうかしら……。あの、あまりに素敵な音色だったから、それを追いかけたの。そしたらあなたが……」
「ああこれ? 気に入ってくれた?」
「それ、何ていうの? フルートとは違うのね」
 すると彼は、自分の手元をしばらく見つめてから、
「そんな所に突っ立てないでここ座ったら?」
 フランソワーズは、頷きながらその横に腰掛けた。彼は、着の身着のままホテルを飛び出してきた彼女の服装を見て、自分の上着をさりげなく彼女の肩にかけてやる。と、驚いた顔のフランソワーズに向かって、
「まったくそんな格好で、いくら夏でも夜は冷えるんだぜっ! それに、いっつも思うんだけど無防備過ぎるんだよ……」
「私……」
 とまで言ってから、シュリのさりげないやさしさに、胸が熱くなってしまうとそれ以上言葉が見つからないでいた。
「……これはねえ、フルートの一種なんだけど、パンフルートって言うんだ。不思議な音色だろ?」
 その手に持っていたその木製の楽器を彼女に持たせる。
 それを興味深げに触ってみながら
「パンフルート。これが……。聞いたことはあったけど、本物は初めて見るわ、なんだかかわいい……」
「これは良く母が吹いていたんだ。俺、音色が大好きで、子守唄代わりに良くせがんで聞かせてもらったな……」
「……そう、お母さんが、じゃあお母さんに教えてもらったの?」
「いいや……母は俺が七歳の時に、病気で遠くへ行ってしまったからな。……独学さ」
「…………」
 フランソワーズは何も語らないまま、黙ってシュリの瞳を見つめる。
「何かリクエストは? マドモアゼルに再会した記念に特別演奏会いたしますよ……」
 するとしばらく考えてから
「それじゃあ、さっきの曲、ラフマニノフの」
「了解いたしました! マドモアゼル……」
 パンフルートを手に取ると、シュリは再び演奏を始めた。
 やわらかく切ない音色。兄が奏でていたヴァイオリンのヴォカリーズとは、また違った雰囲気を醸し出していた。
 しばらくその演奏に浸っていると、これまでの苦しかったこと、兄のこと、アリスンのこと、イコンに纏わる事件、自分がサイボーグにされた衝撃、かつて夢であったバレリーナへの思い、そして、"ジョー" のこと、すべてが走馬灯のようにフランソワーズの頭を駆け巡る。その蒼い瞳には、いつしか月に照らされた美しい星の雫のような涙が零れ落ちていた。彼女はそれを拭おうともせず星空を見上げていた。
 数曲演奏を続けた後、シュリは彼女の様子に気づき
「どうした? 何かあったのか?」
「…………」
 何もいわず、彼女は首を横に振ると、シュリはそっと自分のハンカチを取り出し彼女に渡した。
「忙しい奴だな? まったく、おこったり、泣いたり、笑ったと思えば、落ち込んで、そうかと思えば暴れてたりさ……」
 すると、涙をぬぐいながら
「暴れてるって?」
「ワシントンで会った時、大男数人と暴れてたろ? なんかスッゲーかっこ良かったけど、自分の彼女にはしたくねーっ! って思ったね……」
「あれは、暴れてたんじゃなくって、襲われてたんでしょ! 意味が全然違うわ!」
 と、少しすねたような口調で言葉を返す。
「でもさーまるで、ジェッキー・チェンみたいだったな」
「もう、失礼ね! かよわき乙女に向かって!」
「お前さ俺の顔見るたび、失礼ねー! って言うけど、何か他に無いの? かっこいいとか素敵とかファンなんですとかさ……」
 すると、ようやく少し笑顔を取り戻すと、ふざけるように右手を上げて
「ハイッ! 質問です。そのファンっていったいどういう意味なんでしょう? フフフッッ……」
「馬鹿にしてるな? こんなにいい男にファンの百人ぐらいいるに決まってんだろーが……」
 お互い顔を見合わせながら、吹き出していた。
「やっと、笑ったな……」
「えっ?」
「俺さ、泣かれるの慣れてるんだけど、苦手なのよ……」
 と言って、また笑う。
「よかった。……今日は何だか機嫌が悪そうだったわ。……演奏の邪魔したせいかなってちょっと気になちゃったの」
「いやあ、いつもあんなもんさ……」
「そうなの?」
「ああ、……・そうだ! 約束! 思い出したぞ」
「約束って?」
「言ったろ? また再会したら、サリーのご飯とは別メニューで俺と付き合うって……」
「やだ! 本当に再会しちゃったのね……」
「やだって、それはないよ! 約束は約束、ちゃんと守らなきゃ! ねっ!」
「そうなんだけど……」
 と少し困ったように呟くと
「お前の都合のいい時連絡してくれればいいからさ……約束は約束!」
「わたったわ……じゃあ、都合のいい時があったらねっ!」
「何だか、あてになりそうにないけど、気長に待ってるよ……」
 そんな会話をしているうちに、時刻は既に深夜の一時をとうに過ぎようとしていた。シュリはさりげなく時計を確認すると、
「おい! もうこんな時間だぜっ! 俺は構わないが、そろそろ帰った方がいいんじゃないか?」
 すると少し俯きながら、
「…………そうね」
「どうした? 送っていくけど、ホテルは入れるのかなあ?」
「ええ、大丈夫だと思うわ……」
「いつかもこんなことがあったな……お前本当に大丈夫なのか? 俺でよかったら、何て言うか、力になるけど……」
「……ありがとう、あなたには迷惑かけてばかりね……私、」
 そう言いながらシュリの顔を見上げると、思わず目と目が合ってしまう。
"まいったな、そんな瞳で見るなよ。一体なんだっていつもそんなに辛そうなんだ? 何がお前をそんなに苦しめる? サイボーグだから? それとも……"
「……あの、私やっぱり、帰らなきゃ……」
 といって、立ち上がろうとするフランソワーズのその細い腕を掴むと、シュリはその体を自分の方へ引き寄せ、抱きしめた。もう、自分の感情を隠すことなど出来なくなっていた。
「シュリ!」
 フランソワーズだがその力に思わず身を任せていた。
「俺じゃ駄目なのか? 俺じゃ力になれない?」
「……シュリ……そんなことない、そんなことないけど……私は……」
 そこまで言いかけたその時、彼はそっと彼女にくちづけをすると、そのあとの言葉をさえぎった。

* * * * *

 フランソワーズには会うことなくドルフィン号から戻ったジョーは、先程のアリスンとのやり取りを思い出していた。今日は会わないつもりだったが、アリスンに思わぬ告白をしてしまったフランソワーズのことが気がかりで、眠ることが出来ずにいたのだ。そして、どうしても彼女に会って、その切ない気持ちを癒すことが出来ればと、思い切って彼女の部屋のドアをノックしてみた。
 が、フランソワーズからの応答はなく、部屋の内線を掛けて見たが、そちらも応答がなかった。
 心配になったジョーはもう一度彼女の部屋をノックしてみたがやはり部屋にはいないようだった。
 そこへ、ホテル内のバーで一人で酒を飲んでいたハインリヒが戻ってくるなりそんなジョーの姿を目にすると、
「ジョー、こんな時間に彼女に用事か?」
 すると、少し気まずそうに彼の顔を見ると
「ハインリヒ……それが、部屋にはどうもいないようなんだ!」
「何だって? 今何時だと思ってるんだ! 案外眠ってるんじゃないのか?」
「いや、内線も掛けてみたんだが応答がないんだ。眠っていたとしても、彼女なら気づくはずだよ……」
「まったくどうかしてるぞ! ジョーお前なぜドルフィン号まで行って、彼女と会わなかった?」
「……そっそれは……」
「まあ、彼女だってガキじゃないんだ、どっかそのへんを散歩でもしてるんだろう、しかし、こんな時間だ! 手分けをして探すことにしよう!」
「すまない、ハインリヒ……」
 二人で外を探すことにした。
"フランソワーズ、君はやはり、アリスンに告白したことを後悔しているの? それとも、僕が君を苦しめている? いったい僕はどうしたら……"
 そう考えながらジョーは海岸の方へ向かって行った。
 夜の海は思ったよりも肌寒く、街頭が少ないこの海辺では月の明りが、唯一の灯だった。
 こんな寂しい海辺にフランソワーズは一人でいるのだろうか? と思いながら少し先のウッドデッキまで歩いてくると、不意に風に乗って雲が流れてくると、唯一の灯りであった月の姿を覆ってゆく。
 ジョーはウッドデッキを離れてその先の岩場のほうへ歩いて行くことにした。すると先程雲で覆われた月が、その美しい姿を再び現し始めた。その月を見上げながら視線を岩場のほうへ移してゆくとそこに、二つの人影がくっきりと浮かび上がる。こんな時間に恋人同士か? と思った瞬間
「まっまさか……フランソワーズ?」
 ジョーのその瞳にくっきりと映し出された恋人同士のような二人。それは、まさしくフランソワーズとシュリの姿であった。


No. 21 陰謀

 モナミ王国の近海に地図にも載らないような小さな島がポツンと海に浮んでいる。一件、島には何の建物も人や動物の気配さえもなく誰も気にも留めないような小さな島……。そんな島の地下の施設の一室にて、二人の男が黙ったまま殺風景なテーブルを挟んで向き合っていた。
 そして、その内の一人がようやく重い口を開き始めた。
「馬鹿な……八番目のイコンの中にあれがないとは、一体どういうことだ?」
「申し訳ございません!  発見した時にはすでに……」
「奴らか? フランスのあの目障りなモルガンに気をそらせていたと言うのに、いったいなぜ?」
「しかし常に宮殿のイコンには奴らの一人が警備をしていて、ひょっとしたらその時に」
 すると、幹部らしきその人物は、冷ややかな瞳をその男にぶつけながら、
「君はどこに目をつけている? あれを警備していると言うことは、奴らはまだ気付いていないということだよ……」
「確かに、そう言われてみますと……」
 男は煙草に火をつけながら語気を荒げると
「君は、それで私の側近が勤まると思っているのか? 君の変わりはいくらでも居るのだよ! もっと危機感をもて!!」
「はっ! 申し訳ございません!」
「聞けば、あのフランス女も取り逃がしたとか? せっかく良い人質が向こうからやって来たというのに……」
「そのことなんですが、どこでどういう繋がりがあったのか、奴らがあの女を連れ出したようで……」
「ふむっ……おそらく、モルガンが絡んでいたのだろう。あの女を送り込んだのも奴だ……」
「では、そ奴にとどめを! 病院をいくら警戒しようと我々には無駄、まずはフランスを……」
 深く煙草を吸い込みながら、天井に向かって一気に吐き出すと、
「いや、モルガンなど相手にするほどの者でもない。やつのもとにある情報はもう何の効力もない! それより8番目のチップを……どんなことをしてでもあの裏切り者サイボーグたちより先に入手することが先決だ……」
「はっ! 仰せのとおりに……」
「まずはマーク殿下がいつどのようにしてあのルーブルのイコンを手に入れたか、そしてマーク殿下がその秘密をいったいどこから手に入れたか。入手した後にチップを取り除いてどこかに隠しているはず。頭の悪い貴族が自分の身を守るために、ない脳味噌を使ったのだろう。始末する前に気づかなかった当時の幹部たちにも困ったものだ……いや、彼は確かあの009にやられた。どちらにしても、あの時の失態を取り返さねば! 宮殿へ送り込んでいる我々の駒は?」
「はい、今のところ五名ほど。情報は随時入っていますが、今のところ有力なものは……」
「ふん! あの頭の悪い女王陛下は009がお気に入りとか、いくらでも利用出来るのでは?」
「さすがマクレーン閣下! こうなったら何か罠でもしかけましょうか?」
「八番目のイコンの在処を、あの頭の悪い女王陛下が知っている可能性もある。もしそうなら009に感づかれる前に何としてでも吐かせるように仕向けるのだよ……」
 長身で柔らかそうな金髪の髪。一見、温和そうに見えるマクレーンと呼ばれているこの男。このプロジェクトのすべての権力を握っている人物。だが、彼の本名は誰も知ることはなかった。彼は、ここ数年あのファイルに残されたドラゴンのイコンの秘密に注目をし、そして完成させることに全力を尽くしていた。
 あらゆる手を使い、あのワシントンの研究所にCIA幹部として君臨していたのも彼だった。つまり、ラリー・マクレーン本人に成りすましていたのである。  そして、この島の地下にはNBGが開発しようと躍起になっている恐ろしい新兵器の実験が続けられていたのだった。

* * * * *

 シュリ・ブライアン……オーギュスト・ボワの息子。だが、謎は深まるばかりだった。なぜ、父親と違う名前を? それに博士はフランス国籍と聞いていたが、シュリ・ブラウンはアメリカ国籍。いったいこの不具合は? 都会的な風貌と少し冷めたようなクールな瞳、まるでこちらの心中を全て見通しているような態度。
 ジョーにとっては今まであまり接したことのないタイプだった。これほどまでに気になる男が今までいただろうか……。
 なぜフランソワーズと……。いったいどこで? 彼女があんなにも気を許している。まるで恋人のように、体を寄せ合って……。
 ジョーはショックを隠しきれずに居た。フランソワーズがよりによって、あのシュリと……。
 あの後、彼らに気づかれぬよう、そっと物陰に隠れて様子を伺っていた。いや、体が金縛りにあったように動けなかったと言ったほうが良いのか……。
 口づけをかわした後、シュリはフランソワーズをホテルまで送って行った。そして彼女は一人、ホテルの中へと入っていった。
 ジョーはしばらくの間、動揺を隠せずに居た。
"僕は一体今まで何をしていたんだろう?  フランソワーズがあんなに楽しそうに笑っていた。暗闇と言えども、その様子を知るには月明かりだけで十分過ぎた。  彼女の笑顔を見るのは久しぶりだった。それは離れ離れになっていたからか? あの時、彼女がフランスに向かう前、空港のロビーで僕の手を振り解いてそのまま行ってしまったフランソワーズ……。君はあの時何を思っていたの?
 あの時もっと自分に素直になっていれば……。  今回だってそうだ。アリスンに衝撃的告白をした君の、君の気持ちを思うと居ても立っても居られなかったのに、僕は会うことさえ出来ずに……。  君がどこで彼とであったかはわからない。でも、少なくとも彼は僕よりずっと正直な人間かもしれない……。僕は彼が羨ましいとさえ思っている。
 でも、このまま君を諦められるのか? 君にとって幸せとは……。僕の前でも君はあんな笑顔を見せてくれるの?"
 そして、フランソワーズのことを語るジャンのことを思い出し、必ず守って見せると約束をした自分に、本当にそれが出来るのか自信がなくなっていた。今なすべきことは何なのか、フランソワーズをジャンの元へ返すことなのか? それとも……。そんなことを考えながら、ほとんど眠らずに朝を迎えていたのだった。

 翌朝、ジョーはアリスンに挨拶を兼ねて、フランスの現状とジャンに頼まれた伝言を伝えるために彼女の部屋を訪れた。そして、あらましの説明が終わった後、昨夜から寝ずに考えていたことを彼女に伝えることにしたのだった。
「実は、あなたに折り入ってお願いがあります」
「私にお願いって、それはどんな?」
「……フランソワーズのことです」
「フランソワーズのことって?」
「彼女は、本当は僕たちといるべきではないとずっと思っていました。彼女には戦いは似合わない」
「それはそうだけど……一体何がいいたいの?」
「あなたが、パリへ帰るときに彼女を一緒に連れてっていただけないでしょうか?」
 すると、アリスンはそんなジョーの顔をじっと見つめると、
「私は、昨日あの子に衝撃的な告白をされました。正直言ってまだ混乱しています。でも、あの子が普通の人間だろうとそうでなかろうと、ジャンの妹であることにはなんら支障はないと考えます。私も、早くあの子をジャンの元へ返してあげたいそう思っています。でも……」
「でも?」
「でも、あの子の気持ちはどうなんでしょう? あの子がどうしたいのか……ジャンの元へ今戻ることが本当に幸せだとあなたは、思いますか?」
「少なくとも命を危険にさらすこともないし、悲惨な場面を見ないで済むと思いますが……」
 アリスンは、部屋の窓を少しだけ開けて、軽く深呼吸をすると
「私は昨日あの子に一緒にパリへ帰るように説得しました。でも、あの子の心は既に決まっていましたよ! 一人の女性として私はとても悩みましたが、私はあの子の気持ちを大切にしたい。信念を信じてあげたいと思いました。あなたは、あの子の気持ちをちゃんと受け止めようとしていますか?」
「フランソワーズの気持ち?」
「そうです! 彼女はジャンの妹であると同時に、あなたたちの仲間なのでしょう? 私にはわからないけれど、これまでいろいろな思いを抱えてここまで来たのでしょう? 昨日のあの告白はどんなに辛いことだったでしょう。私も、一晩眠れずにいろいろ考えた結果です。フランソワーズの意思を大切にしようと……」
「……アリスンさん」
「パリでは、いろいろとジャンや私の上司であるモルガンが大変お世話になったとか、本当に感謝しています。フランソワーズが残りたい訳……もう一つは、きっと……」
「えっ?」
 すると、アリスンはうっすらと笑みを浮かべて
「……何でもないわっ! とにかく、本人の意思をきちんと確認してっ! それで、彼女がパリへ帰りたいのなら私は喜んでつれて帰ります。だって、私はそうしたいのだから……」
 アリスンの言葉の一つ一つがジョーの心に深く染み込んでくるようだった。フランソワーズの気持ち? 僕は今まで何を……。  昨夜のシュリとの一件を思い出す。本当に彼女が望んでいること、それはいったいなんなのか?  しばらく黙ったまま考え込んでいたジョーは、もう一度アリスンの顔をまっすぐに見つめると
「……あなたの気持ちはよくわかりました。でも、僕も一晩寝ずに考えたことなのです。彼女には幸せな普通の生活を送ってほしい。僕はそう思っています。彼女はきっと仲間のことを考えるでしょう。そう言う人だから……。でも、今回の事件がいい機会なのかもしれない。お兄さんの元に戻る為の……」
 アリスンは、そんなジョーのことを、頷きながらやさしくみつめていた。
「そうか……でもね今、彼女に必要なことは、同じ苦しみをもった、あなたの、いえ、あなたたち仲間の支えなのよ! しっかり支えてあげてね……」
 すると、ジョーは少しだけ微笑み返して頷くと、その部屋を出て行った。

* * * * *

 ホテルの一室に、宮殿を警備中の006、007以外の面々が久しぶりに集まっていた。
「しっかし、今回はまいったぜっ! 二人を抱えたままお迎えのジェットに無事にたどり着くまでは、気が気じゃなかったぜ!」
 ジェットが自慢げに話をする。
「NBGの姿が見えたときには、僕も間に合わないんじゃないかと、ヒヤリとしたよ……」
 とピュンマが続く。
「皆には心配をかけてしまって、本当にごめんなさい……」
 とフランソワーズ。
「いいんじゃないの? フランソワーズがアリスンを尾行していなかったら、彼女今頃大変なことになっていたと思うぜ!」
 そんなジェットの言葉にピュンマも同調したように
「そうだよ、それにいろいろな事情があった訳だし、皆わかっているよ!」
 そんな彼らの暖かい言葉に微笑むと、これまで黙っていたハインリヒが口を開いた。
「それで、ジョーにはもう会ったのか?」
 昨夜、ハインリヒはジョーとともに、帰らぬフランソワーズのことを探していたのだった。彼女をホテルまで送ってきたのがシュリだと言うことも偶然に目撃していたのだった。そんなことはフランソワーズ自身も、そしてジョー以外誰も知らないでいた。
「……それがまだなの……」
 と、少し俯き加減で答えた。
「あいつも、つめてーよな! 何考えてるんだ?」
「ジョーにはジョーの考えがあるんだろう。そう責めるなよ」
「そんなこと言ってもな、ハインリヒ、あいつ王女に言い寄られていい気になってるんじゃないか?」
「よせって言ってるんだよッ!」
「二人ともやめて! 昨日、モナミに到着したのはとても遅かったし、アリスンも疲れていたし、だから……」
「……だから? 確かに遅かったよな?」
"えっ?"
 ハインリヒの意味深な言葉が気になるものの、話題がイコンのことになると、
「そういや、八番目のイコンがここにあったなんてなあ……」
「以前に見たことあったよね? フランソワーズ、マイクロチップは気が付かなかった?」
 さりげないピュンマの一言に、いままでアリスンのことに気を取られていて、疑問すら感じていなかったことが急に気になりだした。
「……確かに一度宮廷に招かれた時にイコンを見たことは見たけれど、それらしいものはなかったわ! その時はまさか、あれが八番めのイコンだなんて、気に止めていなかったけれど……」
「……003それは、本当なのか?」
 とハインリヒが怪訝そうな顔で尋ねると
「ええ、間違いないわ! だって、あの時あの絵画があんまりにも美しいので引き込まれるように見たもの……」
「おいおいおい……いったいどうなってるんだ? あのイコンにないとすると、いったいどこへ?」
「ジョーを呼んでこよう、とにかく、今のままで良いわけがない!」
 部屋を出て行ったピュンマ、そしてハインリヒ、ジェロニモ、ジェット、それぞれに、これから起こるであろう展開を予想すらできずに、ただただ苛立ちがつのるばかりだった。


No. 22 闇

 オーギュスト・ボアの別荘にて、オーギュスト本人と、その息子であるシュリが書斎にて資料の整理をしている。
 と、オーギュストが突然シュリに対して意外な質問をぶつけてきた。
「……あの子に会ったのか?」
 すると、一瞬手を止めたが何事もなかったように作業を続け、ぶっきらぼうに答える。
「ええ……」
「そうか……お前、まさか本気であの子のことを?」
「…………」
「今度、彼らと宮殿へ出向くことになる。そうなると、当然彼女も同行することになるだろう。もちろんお前も……。彼女はまだ知らんのだろう? その、お前の仕事を……」
「そうですね……」
「まあ、うるさいことは言うつもりはないが……」
 しばらく沈黙が続く……。
「……父さん、一つ聞いてもいいですか?」
「何だ改まって」
「……父さんはなぜ母さんを……母さんを一緒に連れ出したのですか?」
「……そのことか」
「母さんの体は、それに耐えられないと考えなかったんですか?」
「お前は、私のことを恨んでいるのか? だとしても、致し方ないが……」
「…………」
「今は何を言っても言い訳にしかならない。お前が信じようとそうでなかろうと……。あの時、私は母さんとまだ小さかったお前とサリーにアメリカ国籍を取ることにした。そうしておけば、例えKGBの追っ手が来ようと、私とは無関係で何とか生活が出来るだろうと考えていた」
「…………」
「だが、母さんはどんなに危険が伴っても、最後まで私と一緒にいると聞かなかったのだよ……。何日も説得を続けたが結局、私達は一緒に行動を共にすることになった。しかし逃亡先のアリゾナの気候は彼女には合わなかった。私はどんなに悔やんだことか……。それでその後、お前たちには同じように私のことで巻き込む訳にいかないと思い、サリーとお前の二人を一番信頼のおける彼に頼んだのだ」
「……母さんが……」
「まさか彼まで奴ら、いや、あの組織にやられてしまうとは……なんと無念な。サリーにも可愛そうなことをしてしまった」
 そこまで言うといつも、冷静沈着なオーギュストも瞳にうっすらと光るものを浮かべ。天井を仰いでそれが零れ落ちないように堪えていた。
「俺は、父さんのことを恨んだことなんて一度もないですよ。それに母さんが選んだんだとしたら、それはそれで幸せだったんですよ。ただ……」
「だた?」
「ただ、サリーのことだけは、奴らを許す訳には行かない! 俺はイコンのこともあのチップのことも、新兵器のことだって、本当はどうでもいい! たまたま敵が奴らだったから、ここまで調査に協力をしてきた。ただただあの男を捜すためにね……」
「……シュリお前は」
「彼女にフランソワーズに初めて会った時、なんだかとても懐かしかった。サリーとは全然違うタイプなのに……。だから最初は妹のような、なんだかほっとけない女の子ぐらいにしか思っていなかった。でも……彼女には彼女の立場があり、俺にはやらなきゃならないことがある」
「…………」
「もし父さんが心配するように、今後、彼女に会うことがあったとしたら、いや会うんでしょうね、きっと……その前にきちんと話をするつもりです。それにワシントンで会ったのもこの事件にお互い関わっているのも偶然ですしね」
「……そうか。……ただ私が心配なのは、お前がサリーとあの子を重ねているのではないかということだ」
「それはないですよ……」
 と答え、少しだけ口元を緩める。
「お前はサリーの敵を打つことで、今一番大切な時を投げ出すつもりなのか?」
「……それは彼らだって一緒でしょう。サイボーグに改造されたと言うだけで、なぜ戦わなければいけない?」
「それが使命だと彼らは思っている」
「使命って? いったい……サリーをあんな目に会わせたのも、彼女をサイボーグにしたのも、奴らなんでしょう? あなたはいったいどこまで真実を知っているのですか? その組織はいったい何をたくらんでいる?」
「……お前が言いたいことはそれだけか? 私は本当は、お前には手を引いてもらいたいと思っているのだよ」
「……父さん!」
「もうこれ以上愛するものを巻き込みたくはないのだ。……わかってくれ」
「…………」
「いいな……」
「でも父さん、あのチップを破壊しなければ父さんだって……」
「……シュリ、奴の居所を掴んだらワシントンに戻りなさい。ここからは普通の人間では太刀打ちが出来んのだよ!」
「俺は、自分のこの手でサリーの、サリーの無念を……」
「ワシントンへ帰るんだ!」
 そんなオーギュストの言葉に対して手に持っていた資料を投げ出すと、声を荒げる。
「あなたには、わからないんだ! 俺の目の前でだぞっ! たった一人の妹をこの手で助けることも出来なかったんだ! あんたに何がわかる!」
「シュリ! お前にいったい何が出来ると言うのだ! いい加減にサリーのことは、諦めるのだ!」
「あんた……あんたそれでも、親かよ! 自分の娘がかわいくないのかよっ! だいたい何だってイコンになんて隠したんだ! すべて燃やしてしまえば、今頃は……今頃はあいつだって……」
 シュリはそう叫んだ後、オーギュストの顔を振り向きもせずに部屋を飛び出した。
「……シュリ……」
 シュリの出て行ったドアをしばらく見つめた後、オーギュストは力なく椅子に腰掛けるのだった。

* * * * * * *

 思いもかけない緊急事態に、ピュンマに呼ばれたジョーは、皆の居る部屋にやってきた。すると、そんなジョーに向かって、いきなりジェットが噛み付く。
「よう! 何だ、冷めてーじゃねえか!」
 ジョーは、思わずジェットから目をそらすと、
「……宮殿のイコンにマイクロチップがなかったって? 本当なの?」
 フランソワーズに久しぶりに再会した最初の言葉がそれだった。フランソワーズはジョーのそんな態度に戸惑いながらも、これは事件なのよ、と自分に言い聞かせる。
「……ええ、間違いないと思うわ! でも、あの時はあの絵が八番目のイコンだとは思わなかったから……」
「するともう一度確かめる必要がいずれにしてもあるってことだな」
 ジェロニモと警備を交代しホテルに戻っていたグレートがそんな会話を聞いて思い出したように
「だとするとあの博士と息子もいっしょに連れて行くんだろ? この前の話だと彼らも見たがってようだし……」
 ハインリヒとジョーは一瞬目を合わせると、ジェットがいきなり、
「博士って、あの絵の博士? 息子がいたのか?」
 と、フランソワーズも
「……まあ、オーギュスト・ボワ博士に息子さんが?」
「知らなかったの?」
「知らなかったのか?」
 ジョーとハインリヒ同時に答える。
「えっ?」
 怪訝そうな顔をするフランソワーズ。
「なんだなんだ? 二人とも? なんか変だぜっ!! その息子がどうかしたってのかよっ?」
 とジェット。するとグレートが突然
「なかなかセクシーな色男だったぜっ! 我輩には負けるがな!! そうだっ! なんなら、その息子とやらに変身して進ぜよう」
 傍にいた、ハインリヒがあわてて、そんなグレートのその首を掴むと、
「ばっばか! やめろ!!」
 と言いながらグレートの全身を羽交い絞めにした。
「……うっ、くっ苦しい!! ハッハインリヒ!! 我輩に何か恨みでもあるのか?」
「そうよっ! いきなりひどいわ! 離してあげて!!」
「ハインリヒ、どうかしたんですか?」
 と冷静なピュンマ。
「うるせえ! グレート、いいか、余計なことをしたら、また羽交い絞めにするからな!」
「おいおい! 何だってんだよ……」
 とジェット。羽交い絞めから開放されたグレートは
「ふう、ハインリヒ何だよ! 変身して、まずいことでも?」
「ふん! そうじゃねけど、今はそれどころじゃねえってことだ! なあジョー!!」
 と、突然振られたジョーは、一瞬びくっとしながら
「え? ああそうだね……」
 と力なく答えると、
「なん何だよ! ジョー、さっきからなんだか疲れてるみたいじゃねえか?」
 そんなジェットの言葉に、フランソワーズは、改めてジョーの顔を見る。
"本当だわ……なんだかとっても疲れている。でも無理もないわ。ここの所ずっと気が休まることがないし、私ったら自分のことばかりでジョーの立場をちゃんと理解しようとしていないわ……。確かにあれはショックだったけれど、今は緊急事態なのよ、あのことばかりに気をとられてなんかいられない。しっかりしなければ。いつまでもめそめそなんてしていられないわ! 私、皆に甘えすぎている……"
 そして、意を決したように小さく深呼吸をすると、
「とにかく、もう一度あのイコンを確認することができるかしら?」
 すると一斉にフランソワーズに注目が集まると、
「……おいっ! いいのかよっ!! あそこに行くってことはだな……」
「ジェット!」
 と言いながら小さく首を横に振る素振りを見せる。ワシントンで交わしたジェトとの会話を思い出し、自分本位にしか考えようとしていない自分自身がとても恥ずかしくなった。
「フランソワーズの言うとおり、とにかくもう一度行けるようにした方がいいんじゃないか? だって警備係の006と007、005、そして僕しか入廷の許可書がないからなあ……。ジョーどうする?」
 とピュンマの問いかけに対ししばらく考え込んでいたジョーは
「ハインリヒ……悪いんだが、宮廷に許可申請をしてもらえるか? 僕はちょっと用事が……」
「わかったけど、何なんだ? その用事って……。今はとにかくイコンのことだけを考えなくては、なあフランソワーズ!!」
「え? ええ、そうね……」
"そう言えば、さっきから気になるんだけど、ハインリヒの意味ありげな……"
「……フランソワーズちょっといい?」
 不意にジョーに声をかけられると、驚いたような顔をして、彼の方を振り向く。
「いいけど、どうかしたの?」
「いや、ちょっと、アリスンさんと話をしたんだけど、君にも、その、聞いて欲しいことがあるから……」
 そんなジョーの言葉に、思わずジェットとハインリヒがめくばせをする。
「ああ、それなら俺たち丁度朝飯の時間だから、なあハインリヒ! グレート……」
「そうだな! そう言えばまだ食べていなかった。いくらなんでも、こうハードだとなんか食べないとなあ」
「我輩もゆっくりとロイヤルミルクティーを飲み干してみたい♪」
「と言う訳だ! ジョー悪いが先に行かせてもらうから……」
 すると、皆それぞれに、ジェットの言葉につられるようにその部屋から出て行ってしまった。二人っきりになった部屋でしばらくの間沈黙が続く。
"なんでかしら……こんなに気まずいのは。ずっと会いたかったはずの彼が今目の前にいるのに……"
 そしてジョーも先ほどのアリスンとの会話について、どうやって切り出していいのか迷っていた。そうこうしているうちに、どちらとも無くほぼ同時に
「あの……」
「実は……」
 一瞬、お互いにびっくりしたように見つめあう。
「君からどうぞ……」
「……あっあの、ジョー何か大事な話なんでしょ? 先に言って……」
「少し長くなるけど……」
 すると少し伏目がちになって
「それじゃあその前に私貴方に謝らなくちゃ……」
 その言葉を聞いて、胸の鼓動が激しくなるのが自分でもよくわかる。
"僕は、何を考えている? 昨日のことを? まさか……彼女に気づかれていないはず。何を動揺しているんだ?"
「謝るって、いったい何を?」
 恐る恐るたずねる。
「私、今回皆に迷惑をかけてしまって……。本当にごめんなさい」
「…………」
「何を言っても言い訳にしかならない、だから、でも、どうしても、貴方と皆に謝らなくちゃってずっと思っていたの」
「フランソワーズ……君は、君があんな単独行動をとるなんて、危険なのはわかっているはずなのに……」
「ごめんなさい、でもアリスンをあのまま行かせるわけには……」
「今回の単独行動のおかげで、皆がどれだけ振り回されているのか、それにフランスに居る君のお兄さんだって、凄く心配をして、君はそんなお兄さんの気持ちを考えたことがあるのか?」
「ジョー…………」
 いつになく厳しい口調のジョーに、フランソワーズは戸惑いを隠せない。
「お兄ちゃんのことは、後でちゃんと説明するつもりよ。だから今後は今回のようなことがないように、もっとしっかりと自分の役割を果たすわ」
「…………」
 そしてまた続く沈黙。
"ジョーお願い何か言って! 私にどうしろと? 苦しくってここから逃げ出したい……"
「フランソワーズ、実は君には、アリスンさんとフランスへ帰ってもらおうと思っている!」
"えっ? フランスへ帰るって? どういうこと?"
 予想すらしていなかった彼の意見に言葉がでない。
「君は、僕たちといつまでも一緒にいては駄目だ! パリでお兄さんやアリスンさんと暮らす方が……」
 そんなジョーの顔をじっと見つめながら、その蒼い大きな瞳からは、一粒、また一粒と大きな涙が零れ落ちる。そして首を横に振りながら、
「そんなこといわないで! 私、もっとちゃんとするから……私はあなた達の仲間なのよ!」
「いいかい! 君は戦いや惨い世界に居るよりは、お兄さんの所に居る方がずっといいんだ。それに……」
「……それに?」
「君がいないほうが、足手まといにならなくて都合がいい。……ずっとそう思っていたんだ……」
「……それ……本気で? …………本気で言ってるの?」
 黙って頷くジョー。
 両手で口元を抑え、込み上げてくる嗚咽に耐えようとする。
「違うわ! 違う……あなたは、私をお兄ちゃんの元に返すためにそんなことを……私にはわかる……」
「フランソワーズ! 頼む、僕の言うことを聞いて……」
「嫌よ……私は、私はあなたの……」
「君は、ここにいたい理由が……何かあるの?」
 ジョーが何を言わんとするのか理解できずに、その顔を仰ぐ。
「僕は、君にはここにいてほしくないんだ! それは、それは……」
 シュリの傍にいてほしくはない! そんな思いがジョーの心のどこかにあったが、とても口になど出せずにいた。その時、フランソワーズが思いも掛けないことを呟いた。
「……キャ……サ……リン?」
「……えっ?」
「やっぱり……そうなの? ……うっっ!!」
 そこまでやっとの思いで声に出したフランソワーズはジョーに背を向け部屋を飛び出して行ってしまった。
 肩を震わせ、泣いているフランソワーズを本当は強く抱きしめてやりたいと思いながらも、彼女がフランス行きを決心させるために必死に耐えているジョーもまた、痛々しいほどであった。


No. 23 孤独

 王位継承の戴冠式から早1年が過ぎようとしていた。モナミ王国では、キャサリン女王王位継承1周年に向けての記念式典の準備が整いつつあった。
 だが、ここ数年これといった収入源がわずかな観光収入のみといった小さな国のため、財政危機は深刻の極みである。
 女王に即位したとは言え、実質的な政治は内閣閣僚で行われていた。キャサリンの実質的な役割とは、国民の精神的な支えである公務だ。主に、施設の慰問やら式典の参加などが、日常の生活の基盤であった。
 だがここ数ヶ月、女王の浪費が目立つようになり、側近の者たちは手を焼く様になっていた。それに加えて、あるパブロイド誌の一面を賑せたために、さらに国民の感情をも逆撫でさせた。
「陛下! 少しはご自分のお立場をわきまえていただかないと……」
 側近がパブロイド紙の一面を大きなテーブルに広げてみせる。
「無礼よ! 大体なんで私がこのようなハリウッドの芸能人などと噂にならなくてはいけないの?」
「しかし、このお写真は明らかに陛下では?」
「それは……ただ単に挨拶代わりに…………」
「いくら挨拶と言えども、お二人きりになられるのはどうかと……。もう少し状況を考えていただかないと……」
「状況って? 大臣たちがしっかりと政治をしないから、矛先が私に向けられられるのです」
「それなら陛下、先月の請求書! あれは一体なんですか? あのように手軽に宝石を購入されては予算が足りません!」
「もういいわっ! 聞き飽きたわ。わかりました! なんにも購入しなきゃ宜しいのでしょ? そのかわり公務もまっぴら! あんな退屈で窮屈なのはもういやっ!」
「陛下! 陛下のお気持ちは痛いほどわかっております。本当ならいろいろとご興味をお持ちになりたいお年頃……。しかしこの国の王のお子様にお生まれになられた以上、国民の心の支えになって頂かなくては……。このままではクーデターが起こりかねないかと……」
「クーデターですって? 一体何が不満なの? 私が何をしたって言うの?」
「とにかく記念式典では女王らしく振舞って、国民を励まして頂かなくては……。まだまだ王室支持者は大半なのですから」
「私が国民の機嫌を取るの? 私は、普通の人間に生まれたかったわ……普通の人間に!」
「陛下……きっと、少しお疲れなのです。この戴冠式が終わったらご公務の方も少し減らしましょう」
 コンコンッ! とノックの音がすると、女官がその大きな扉を開け部屋の中に入ってきた。
「陛下! 例のF1レーサーのジョー・島村さまのチームの方が面会をお申し出になられておりますが、いかがいたしましょう?」
「まあ! ジョーのチームの方が?」
 すると、先ほどの側近の男性が
「陛下……外国の方とご面会する場合は事前に広報を通していただかないと……規則ですので」
「でも、彼は大切なお友達なの。お友達と会うにもいちいち許可を?」
 しばらく考えていた側近の者は困った顔をして
「わかりました。でも、これだけはお約束をしてください! 決して宮廷を出られることのないよう……。この外にはパパラッチが何人も潜んでます。用心をしなければ、友人の方にもご迷惑が……」
 そんな側近の言葉に思わず、ニコッと微笑んで、
「ありがとう! 約束するわ……」
 と答えた。
 しばらくして、女官に案内されてハインリヒがやってくると、
「まあ! あなたは確かドイツの方でしたよね?」
 すると、頭を下げて挨拶をする 「陛下! 再びお目にかかれて光栄です」
 と紳士的な身のこなしでその右手の甲に敬意のキスをする。
「ええ、いいのです。丁度退屈していましたので。今日は私に何かご用でも?」
「はい。実は折り入って陛下にお願いが……」
「お願いって? それは私に出来ることですの?」
「もちろんです。実は宮廷のあの例のイコンに関してなんですが……」
「イコン……ああ、各国で盗難が続いているって言う? でも、あれはジョーのご紹介で何人かの専門の方が警備をされているはず。まだ何か?」
「はい。実は、以前こちらのイコンを拝見に上がった時、美術品の研究をしている博士を同行させたかと思いますが、まだまだイコンに関しては調査する必要があると申しまして、つきましては宮廷に自由に出入りできる許可書を数名分欲しいのですが、なかなか事務局では申請が通りづらく、陛下のご推薦がいただければと、まことに恐縮ながらお願いに参った次第です」
「まあ、そのようなことでしたら、なんなりと……。でも、以前から思っていたのですが、何故ジョーを含めてF1チームの方までもそのイコンを? 何か訳があるのですか?」
「そうですね、確かに不思議に思われるかもしれない。……実は我々は、レース以外の仕事がありまして、どちらかと言うとそちらの方がメインになってしまってます」
「レース以外の仕事?」
「ええ、まあ、世界をまたにかけた事件を各国のメディアに提供したり、または解決に協力したり、いわゆる何でも屋? のようなジョーナリストのような……本当にいろいろです」
 すると、少し驚いたような顔をすると 「……それじゃあジョーも? そのような仕事を? ……そう言われてみれば、あの時去年の船上パーティーでは新聞記者として来ているって……」
「そうなんです」
 すると急に顔を曇らせると、言い難そうに、
「……あの、あの人、あの女の方は? その、お仲間なのですか?」
「え? ああ、彼女は、そうです。我々の仲間です」
「そうなの」
 と、力なく答える。
「陛下? 何かまずいことでも?」
 すると、はっと顔をあげて
「いいえ! べつに……わかりました! 大至急推薦状を書きましょう!」
「ありがとうございます」
「ところで、ジョーはお元気? この間は忙しいからって急に出国されてしまって……」
「元気ですよ。今我々とイコンの事件の調査をしています」
「我々と、って? じゃあ、もしかして、この国に戻っていらっしゃるの?」
「……えっ? ええまあ居ますけど……」
「まあ! なんてことでしょう! だったらなぜお寄りになって下さらないの?」
「いやっ、ちょっと今手の離せないことがあって……。その内に陛下にご挨拶にまいると思いますよ」
「…………」
「陛下?」
「えっ? ああ、ごめんなさい! ハインリヒ……あの、ジョーにぜひお顔を見せてって伝えてくださいね」
「はい、もちろん伝えます」
 キャサリン女王の推薦状のおかげで、なんとか全員の出入り許可書を手に入れたハインリヒは、皆の宿泊するホテルに帰って行った。
 しかし、キャサリンのジョーへの思いは以前にも増しており、ジョーがモナミに滞在しているにもかかわらず、宮廷に出向かないことや、フランソワーズとの関係が気になって仕方がなく、それが、彼女の浪費に拍車をかける結果になってしまっていたのであった。しかも、そんな彼女のことを、既に潜入をしていたNBGのスパイが、事細かにラリー・マクレーン他NBGの幹部らに報告されていたのであった。
 そんな折、彼女をこれまで長年に渡って世話をしてきた女官長が娘の出産の為、長期休暇を取ることになり、新しい後任が彼女の世話を担当することになった。まさにその女官こそNBGの手先そのものであった。

* * * * *

 ホテルに戻ったハインリヒは、そのままジョーの部屋に向かった。
 コンコンっとドアのノックする音に思わず胸が高鳴る。そして、そっとそのドアを開けると、ハインリヒがその前に立っていた。 「……ハインリヒ」
「許可書! 全員分取って来たぞっ!」
「ああ、ありがとう……」
「陛下はお前に会いたかったようだな……」
 と少し嫌味っぽく言う。
「…………」
「ジョー、お前、はっきりさせた方がいいんじゃないか?」
「ハインリヒ……僕は、僕はフランソワーズに、ひどいことを言ってしまったよ……」
「ひどいことって?」
「足手まといだからフランスへ帰れって……」
 するとハインリヒは、
「……中に入っていいか?」
 黙って頷くジョー。すると、部屋の奥へ入っていくとしばらく考えた後、ジョーに尋ねる。
「ジョーお前なんでそんなことを? 本当にそう思っている訳でもないだろう?」
「…………」
「お前ひょっとして、あいつと離したかったんじゃないか?」
「えっ? …………あいつって?」
「お前が彼女の幸せを思っていってるのは良くわかる……だが、今更……」
「……ハインリヒ、君もひょっとして……」
「ああ、あの夜あいつのバイクから、降りるフランソワーズの姿を偶然見かけたよ。……どこでどう繋がっているかはわからんが、もしかしたら偶然なのかもしれないし、以前から知り合いなのかもしれない。だが、フランソワーズは奴がオーギュスト・ボワの息子だと知らなかったようだし……」
「……その辺はとても気になることは確かだが……でも僕は以前からフランソワーズには普通の生活に戻って欲しいと……」
「……彼女は何て?」
「泣いて、飛び出して行ってしまった」
「……おまえ、フゥ……」
 と一つ溜息をしてジョーのことを見やると、その寂しそうな瞳がいっそう哀れに思えてならなかった。
「僕は、そう言われてみると確かに、彼のことが気になっていたのかもしれない。……傍に居て欲しくないと……」
「そのことを彼女には? ……言う訳ないか。おまえには言えんだろうよ。まったく……」
「……でも、彼女のお兄さんと約束をしたんだ。必ず彼女を守るって……。だから、危険なことはさせる訳にはいかない」
「彼女はどう思ってるんだ? 帰りたいと思ってるのか? 俺はそこが一番大切だと思うがな。……まあ奴のことは置いといて……」
「……アリスンさんにも同じことを言われたよ……」
「そうか……」
「せっかく許可書取って来てくれたのに、彼女が見れないということは……」
「いや、いずれにせよ、あの博士はもう一度見たいって、それに、あいつもな……。ところで、ジョー俺はあいつのことを調査するがいいな?」
「調査って? ハインリヒいったい……」
「前にも言ったが、俺は疑い深い性格なんだ。やつのことを信用できん! これから一緒に行動するってことは、こっちの作戦が丸見えになるって訳だ。もし、あいつがNBGのスパイだとしたら?」
「シュリ・ブラウンが? まさか……」
「一番引っかかるのは、あの博士だがな……彼らのことを丸腰で受け入れられねえってことだ!!」
「…………」
「いいなっ! その結果、本当に信頼できれば其れに越したことはねえ!」
「……わかったよ……」
 黙って頷くと、ハインリヒは部屋を出て行こうとした。が、振り返り、
「フランソワーズのことはアリスンさんに任せてみたらどうだ? 女性だし、とても聡明だ。力になってくれると思うがな……」
 ジョーも頷きながら、同じことを思っていた。

* * * * *

 翌朝、アリスンと共にフランスへ戻ることを決意したフランソワーズは、前夜それを皆に報告していた。
 動揺を隠せないジェットはジョーに食って掛かる場面もあったが、ジョーのことを今一番理解をしているハインリヒが何とかその場を収めた。
 そして、フランソワーズ自身もジョーに言われた訳ではなく自分自身で考えた結果だと、主張することによって仲間の理解を得たのであった。
 出発の朝を向かえ見送りに出た仲間たちは、やさしくそんな彼女を労っていた。
「空港まで送っていかなくていいのかよ! ジョー」
「大丈夫よっ! アリスンが一緒ですもの。それに皆はこれから宮殿へいくのでしょ?」
「えっ? まっまあそうだけどよ……。何だかあっけないじゃねえか……」
「ジェット! おまえ昨日からしゃべりすぎだ! フランソワーズ、兄貴によろしくな……」
「ありがとう、ハインリヒ……」
「その……信じていれば何事もきっとうまくいきます。って、俺何言ってんだ……」
「ピュンマも……ジェロニモと大人にはよろしく伝えてね……」
「そんなことなら我輩に言って頂戴! 君に変身して、やさしくキッスなんてしながら……」
「グレートそれだけは……」
 と言って、首を横に振る。すると、それまで緊張していた雰囲気が一気に笑い声に変わる。そして、ジョーが一言苦しい胸のうちを抑えて声を掛ける。
「元気で……お兄さんによろしく……」
 そして、アリスンの方を向くと、
「アリスン、どうか彼女をよろしくお願いします」
「よろしくだなんて……。彼女に助けられたのは私のほうよ! ねっ! フランソワーズ……」
 と言って微笑む。
「なんか姉妹みたいだぜっ!」
「フフッだって、そのうちそうなるかもしれないし……」
 といって、アリスンの方を見やるフランソワーズ。
「そうなの? なんだよっ! 結構俺好みだったんだけどな気の強そうなところとか……」
 とジェットの発言に対して、
「誰が気が強そうですって?」
 と皆が揃って笑う。そんな和やかな雰囲気でそれぞれに内に秘めた思いを表に出すことなく、フランソワーズを見送っていた。
 モナミ国際空港へ向かう車内の中でアリスンはもう一度、フランソワーズの気持ちを確かめていた。
「本当にこれでいいの?」
「……ええ、心配を掛けてごめんなさい」
「私は、いいのよ。……だた、まだジャンには連絡を取っていないの……だから、まだ引き返すことだって出来るのよ! あなたが本当にしたいようにすればいいわ……」
「アリスン、ありがとう。……でも、私がここに居てはみなの足手まといになってしまうわ、だから……」
「フランソワーズ、彼が本気でそんなことを言ったとは思っていないわよね? 私だってあなたを連れて帰りたい。でも、後悔はさせたくないの……」
 すると、アリスンの瞳をじっと見つめながら
「後悔なんてしないわ、大丈夫だから……」
「そう、それならいいわ……。ジャンもきっと喜ぶわ。怒られるのは心配要らないわよっ! 私も共に怒られるんでしょうから……」
 そういって、微笑むアリスンがとても凛としていて心強かった。
 モナミ国際空港へ到着し、搭乗手続きを済ませて搭乗ロビーへと向かうエスカレーターを登り始めたそのとき、フランソワーズは言いようのない殺気を感じ、逆側の下りエスカレーターへと目をやる。下りエスカレーターを降りる一人の男性。なぜか、その男性を無意識に透視した。と、
"あっあれは……サイボーグだわっ! いけないっ! 誰か!"
 周りを見渡す。そして咄嗟にアリスンの腕を掴むと
「アリスン、ごめんなさい!! 私、やっぱり行けないっ! やっぱり後悔したくないわ! お兄ちゃんのことをどうかどうかお願いしますっ!」
 と言って、登りエスカレーターを駆け下りて行く。
「あっ! ちょっと待って! いったい……」
 驚いたアリスンは訳がわからず、とりあえずエスカレーターを登りつめると、
"いったいどうなってるの? ここに来て気が変わった? まさか……"
 と半ば呆然と立ち尽くすのであった。


No. 24 交差

 アリスンと共にフランスに帰国することを決心したフランソワーズは、パリ行きの飛行機に搭乗するため、モナミ国際空港の搭乗ロビーへ向かっていた。だがその途中、NBGらしき不審な人物を目撃してしまう。同行しているアリスンに心配をかけまいと、咄嗟に "気が変わった" と告げ、その人物の後を追いかけることにした。
 空港の入り口附近にあるターミナルの先の駐車場まで追いかけ、その人物が出迎えらしき車に乗り込もうとしたその時、彼女は何者かに腕を掴まれ他の車の陰に引っ張り込まれた。
「だっ誰?」
 すると、その人物は、彼女の口元を抑えると、小声で話し掛ける。
「黙って!」
 と言って、その人差し指を自分の口元に当てていた。
 フランソワーズはその人物の顔を見ると、少し安心したようにホッと胸をなでおろした。
「……シュリ? ここでいったい……」  先程の人物が乗った車は発車しようとしている。 「……おまえ、あの車に乗った人物を追いかけてるのか?」
「え? ええ……」
 シュリは彼女の手を引いて、直ぐ近くの自分のバイクが止めてある場所まで来ると、素早くそれに跨た。
「早く乗れ!」
「でっでも……」
「馬鹿! 奴ら行っちまうぜ! 早く!!」
"うんっ!"と頷いてシュリのバイクの後部に乗り込んだ。とたんにシュリは、その車を見失わないように急発進した。追い風が、彼女の髪をかき乱すように、その顔に纏わりつく。それを払い除けながら、大きめな声で話し掛けた。
「……シュリ……あなたもあの人達を?」
「…………」
「どうしてあそこに?」
「…………」
「もうっ! 何も答えてくれないのね……」
「うるせえよ! 少し黙ってろ……」
"……うるせえって、……なにもそんないいかたしなくたって"
「おい! どうでもいいが、しっかりつかまってろよっ!」
「……子ども扱いしないでよ!」
「まったくああ言えば、こう言う……」
「あっ! 前を良く見て。道が分かれてるわ。彼ら、どっちに行くのかしら……」
「あのぐらいのカーブで見失うかよっ!」
「まさか……まさか宮殿に?」
「宮殿だと?」
 すると二手に分かれていた道の右側を前進して行く。
「そうよ! こっちを選んだってことは、きっと宮殿に……」
「……くそっ! 何考えてやがる……」
 案の定、彼らの乗った車は宮殿専用の駐車場へと向かっていた。 「……やっぱり、宮殿に……。いったいなぜ?」
「内部にお知り合いか? ふっ……そんなこったろうと思ったぜ……」
 少し手前でバイクを止めて、監視の目を盗んで地下駐車場へと侵入することにした。
「おまえ、ここで待ってるか? 俺は、あいつらが内部の人間と繋がっているか確認してくるが……」
「私も行くわ……でも、」
「でも、何だ?」
「ううん……何でもないわ……」
"どうして、シュリが彼らを追っているのか? 聞きたいけど、今は彼らのことが先決……。この駐車場は思ったより警備が手薄だわ。これなら警備室の前を通過しないでも、裏手の通路を通れば中に入れる。でもシュリに何て言おう。こうなったら私が先導するしかないわね……"
 シュリの手を掴むと、"こっちよ!" と言わんばかりに彼女が先導する。
"なっなんだよ! これじゃ、俺の立場がねえだろうが……"  と、そんな彼女より先に進もうとする。 "もうっ! 本当意地っ張りなんだから……"  と、また彼女が先に進もうとしたその時、エレベーターを待っていた、先程の人物の話し声が聞こえてきた。二人とも咄嗟に立ち止まって様子を眺める。
「……で、どうだ? 例のものは…………」
「はっ! 申し訳ございません、今だ行方知れずでございます!」
「……随分はっきりと言うな…………」
「そっそれは……なんとも…………」
「我々がここに秘密部屋を作っていることは、誰も知らんのだろうな?」
「それはもう……」
「まあいい……じっくり、料理してくれよう……あの邪魔ものども!」
 そんな時にシュリのバイクのキーが冷たい地下のアスファルトの上に落ち、甲高い響きを上げる。
「だっ誰だ?」
 数人のNBGの隊員が姿を現すと、音に向かって突進してくる。
「ちっ! しまった!! 逃げろ!!」
 そのキーを拾い上げ、フランソワーズの手を取ると二人揃って走り出した。
「何者? まさか、あの裏切り者サイボーグ?」
「彼らはまだ我々のことを掴んではいないはず……」
「じゃあ一体何者なのだ! ……捕まえろ! 捕まえて始末するのだ!!」
 数人に追われながらも何とか地下を脱出した二人だったが、外に出た途端、数台の車が迫ってくる。
「くっそう……今度は車かよ……」
「……シュリ! こっちよ……こっちの細い通路なら車は入れないわ……」
「よしっ!」
 ジャケットの内側から拳銃を取り出すと、車のタイヤに向けて発砲する。見事タイヤに命中すると、彼らも武器を持ち出してきた。
「やばいぞっ! 俺から離れるな!!」
「シュリ! 右側の壁に沿って回っていけば、バイクのところにたどり着くわ!」
「オーケー! 全速力で行こう!!」
 しばらく走り続けるとなんとかバイクが駐車してある所までたどり着く。バイクに猛スピードで乗り込んだ。
「いいか! しっかりつかまってろよ……」
「わかってる! 敵が来るわ!! 急いで……」
 フランソワーズは無意識のうちにスーパーガンを取り出すと、片手でシュリに掴まりながら、追っ手を威嚇した。
 だが、川の流れる橋の手前まで着たその時、NBGの放ったレーザーがシュリのバイクのタイヤを直撃すると、バイクは転倒し二人揃って投げ出されてしまった。腕に怪我を負いながらもシュリは道路に倒れこんだフランソワーズを抱きかかえ、すぐ傍を流れる川へと飛び込んだ。

* * * * *

「大丈夫! 致命傷となる傷は負っていない……軽い脳震盪を起こしているだけだ。そのうち目覚めるだろうよ……」
「悪かったなエドガー……お前も忙しいって言うのに……」
「いいや、たいしたことはないさ。数少ない友人の頼みとあってはな……」
「ありがとう。随分と立派になったもんだな。あの頃は俺も良く苛められたが……」
「おいおい人聞きの悪いことを言うな! 俺にとっては、お前とサリーはかわいい弟と妹のようだったんだ!」
「……弟か……」
「……サリーのことは聞いたよ。かわいそうなことをした。……だが、お前のせいじゃない。あんまり思い詰めるなよ」
「ふっ……思い詰めてなんかないさ……」
「そうか……だったらいいが…………ところで、この少女は? 見たところ、お前の今までの女とは180度違うようだが。こんなに美しい子、どこで見つけた?」
「そんなんじゃないよ……」
「そんなんじゃないって……じゃあまだ手も付けてないとか?」
「……馬鹿……そんなんじゃないって!」
「ふん……これは事件だ! お前ひょっとして本気になった?」
「おい! いいかげんにしろよ……先生!」
 彼は、シュリには珍しく心を許せる友人の一人だった。そんな他愛もない会話をしていると、その医者らしき人物を呼び出す携帯音が鳴り響いた。
「おっと! 急患だ……悪いが俺は仕事に戻るが、何か具合が悪くなるようだったらまた、呼んでくれ!」
「ああ! そうするよ……本当にありがとう!」
 彼は、シュリの肩をポンッ! と叩いて部屋を出て行った。
 それからしばらくの時間が過ぎ、表はすっかりと日が暮れていた。
「うんっ! お兄ちゃん……行か……な……いで……行かな……おに……いちゃ……」
 魘されながら、またあの夢を見た。息が詰まるほど苦しい。一体どうしたって言うの? 体が金縛りにあったように動かない。そしてまた、あの幻想……。 「ジョー……」
 ああ、このまま空気のように消えてしまいたい……。頬を伝う涙が、首筋を伝ってゆく。それを拭う気力もない。……私は眠っているのだろうか? それとも……。
 そこに優しく涙を拭う温かい指先を感じる。誰? お兄ちゃん? それともジョー? まだ自分の置かれている状況を飲み込めていない。
 まだ覚めきっていない空ろな瞳を少しずつ開けてみる。だが、ぼやけていて焦点があっていないようだ。
「気が付いたか?」
 声を掛けられ、だんだんと目の前が明るくなって来た視界の先には……。
「……シュリ?」
 起き上がろうとする。
「おっと! まだ無理しない方がいい……」
 シュリがフランソワーズの肩を抑える。
「ここは?」
 周りを見渡す。
「覚えてないのか?」
「……私、どうしてここに? ……どうしてここに居るの?」
 自分の着ているシャツに気づくと、思わず顔がこわばる。
"これは、私の着ていたブラウスじゃないわ……まさか…………"
「おいおい変な誤解はやめてくれよな。さっき川に飛び込んで、おまえの着てたものはびしょ濡れだったから、とりあえず、だ……俺のシャツをだな……」
"と、とりあえずって……誰が着せ替えたって言うの?"
「そんな変な顔すんなよ……何も見てないって。って言ったら嘘になるか。……まったく……本当に手の掛かる奴だな……空港から、奴を追って宮殿までいったろ?」
「……宮殿? 空港。ハッ! いけない! 皆に連絡しなくては……」
「皆って彼らのこと?」
 フランソワーズは、驚いた顔をしてシュリの方を見上げる。
「……彼等って? どうして……あなたは……いったい……」
「とにかく、これを飲んで少し落ち着いた方がいい。奴らのことなら心配はない。今すぐに何かしでかすって訳じゃないらしい」
 コーヒーの入ったカップを手渡す。
「……シュリ、あなたは私の……」
 彼はフランソワーズの休んでいるベッドに腰掛けると
「……偶然なんだ。おまえが信じようとそうでなかろうと、それは勝手だがな……」
「偶然って?」
「俺は、おやじと共にずっとイコンを追っていた。お前たちが今回の事件に気付くずっと前からね……」
「イコンを? シュリも……お父様って? 一体どういうこと」
「ワシントンへ向かう機内ではじめた会った時は、まさかおまえもイコンを追っていたとは思ってもいなかったよ……」
「…………」
「俺のおやじは、お前も知ってると思うが、今は博士と呼ばれている。が、昔はある組織に追われ、俺たち家族もバラバラになった。生き残ったのはあの人と俺と……」
"私が知っているって? ……そうだわ……グレートたちの言っていた、博士の息子って……まさか
「私が知ってるって……博士? …………まさか、まさかあのオーギュスト博士が……」
 黙って頷くシュリは少し寂しげな視線でフランソワーズを見つめる。
「お前、兄貴がいるのか?」
「……ええ、でもどうして?」
「さっき、ずっと魘されながら、お兄ちゃんって……」
 口元を少し引きつらせながら、あの夢を思い出す。
「そう……きっと、またあの夢を見ていたから……」
「あの夢って?」
 首を横の振りながら
「まだ小さい時の……ごめんなさい……」
 と言って俯く。
「いいよ……無理に話さなくっても……」
「……あなたはいつから私のことを? いったいどこまで……」
「……ワシントンからここに来て、親父に今後協力するメンバーと言うことで、リストを見せられた」
「……リスト」
「ああ、名前のリスト。何でも、俺たちの極秘に調査してきたことも提供しあうってことだから信用できるかどうかって、あの人なりに悩んだらしいから……」
「あの人って? お父様のこと?」
「…………」
「それじゃあ、ここは、オーギュスト博士の別荘なの?」
「いいや違うよ……ここは、俺専用のコンドミニアム……今はね……」
「今はって?」
「妹がいた時は、よく夏休みを利用して遊びに来ていた……」
 すると、少し意外そうな顔をして、
「妹? シュリって妹さんがいたの?」
「……ああいたよ」
 少し寂しそうに窓の外に視線を移す。と言うよりそれ以上は聞いてくれるなと言わんばかりに、フランソワーズから視線をそらした。それを察したように
「ごめんなさい……何だか……」
 と言って黙り込むフランソワーズに
「なんだよっ! そう言えばさ、さっきなんで空港にいたんだ? 奴等のことを追って?」
「……あなたには何だかいつも変なときにあってしまうわ……」
「変な時? ……それって俺のせいか?」
「ううん……違うわ! 誰のせいでもないの……」
「何かまた、悩みごと?」
「私……フランスへ戻る所だったの……」
「フランスに? なんで……」
「私、みんなの足手まといなんですって……。単独行動で凄い迷惑もかけてしまったし、だからフランスへ帰れって……」
「…………」
「私ね、本当はわかってるの。彼は、皆は私のことを思ってくれてるって……。でも、私一人幸せになんてなれないわ。それに今更お兄ちゃんに……」
「お兄ちゃん……かっ」
「この前、パリで再会したときも、本当は会うつもりなんてなかった! ただ、そっと元気な姿が見れればって……」
「…………」
「でも足手まといなのよね……本当に。でも今更パリに帰ったって、お兄ちゃんに何て言っていいか……」
「帰れよ……兄貴の所……心配するほどのことじゃない! 妹がそんなんじゃ心配だろ?」
「シュリ……」
「誰が言ったかしらねえけど、俺も同じこと言うな……お前のことを大事に思ってるんだよ……」
「でもね……そうもいかなくなったみたい……」
「そうもいかなくなったって?」
「ええ、事件が物凄い勢いで動いている気がするの、あの男の人サイボーグだったわ……。皆に知らせて対策をとらないと……」
「……サイボーグか……やっぱりな」
「シュリ、まさか最初から知っていたの?」
「ああ、何となくな……。奴は本当はあんなに若くない……。いや本来の人物はもういないのと同じだな……。体だけ、体と名声だけ利用したかったんだ! ちくしょう!! もっと早く、気づいていれば、いったいいつから狙われていたんだ?」
「狙われていたって? ねえ、狙われているって誰が、何か他に知ってることが? お願い私にも教えて……」
 すると、フランソワーズの方に向き直ると先ほどのやさしい眼差しとは打って変わって、驚くほどの鋭い眼差しで彼女のことを見つめる。
"どうしたって言うの? いつものやさしいシュリとは違うわ。睨まれているような気になるほど、憎しみでいっぱい。……何だか怖いくらい。シュリ一体何があなたにあるの?"
「おまえ……何でなんだ? 何でそんなにまでして、ここに残ろうとする? おまえが戦わなくっったって……」
「シュリ……私、やっぱり彼らとは、仲間とは、離れることなんて出来ない……お兄ちゃんのことは、もうあの時から私は妹ではないのよ……」
「……そうじゃないだろ?」
「そうじゃないって? ……あなたにはわからないわ。私は、昔のお兄ちゃんと暮らしていた時の私とは……」
 と言って、思わず、一筋涙が落ちる。
 シュリの右手が、フランソワーズの頬を撫でその涙を拭う。フランソワーズは思わず全身に緊張が走ったが、彼の悲しげな眼差しを見た瞬間、その瞳を逸らすことが出来ずにいた。
 右手を頬から首筋に移動させたと思うと、彼はその華奢な体を抱きしめた。柔らかな亜麻色の髪の感触をその指で確かめる。彼女の甘い香りを感じながらその腕の力を徐々に強めていった。
 フランソワーズは動揺を隠せず思わずその体を払い除けようとする。が、力がでない。
「……シュ……リ……やめ……て……苦しい……わ……」
「フランソワーズ! ごめん……しばらく、このままで……」
「シュリ……泣いてるの?」
「あたたかいよ、人の温もりがする……おまえ、何にも変わってなんかいないよ……」
"……まさか……まさか知ってるの? どうして?"
 なぜだか、シュリの悲しい思いが、理由はわからずとも伝わってくるような気がした。
"どうしよう……いったいどうしたの? なにがそんなにあなたを苦しめているの? ……ああでも、このままでは。……ジョーどうしたらいい?"
 そして、彼は抱きしめていた手を緩めたかと思うと、その体をそのままベッドに寝かせると、その薄紅色の唇にそっとキスをする。そっと、そしてだんだんと激しくなってゆく彼の息遣い……。
「いや……やめて! ……シュリ……いったいどうしたの?」
「……」
 そんな声を無視するように、シャツのボタンに手を掛けると、一つまた一つと外して行く。だんだんと覗く美しい白い肌……。だが、フランソワーズは、彼のその手を止めようと必死に抵抗をする。
 しかし、そんな抵抗はまるで無意味と言わんばかりに、その細い腕を掴まれなすがままにされていた。
「お願い! やめ……て……」
 華奢な肩が露になると、今度は首筋そして白い胸元へとその唇を移動させていく。成すがままにされている自分の無力が悲しくて、これまで必死に耐えていたその瞳からは、涙が溢れ出していた。
「いやっ! ……ジョー……た……すけ……て……」
 思わず出てしまったその一言。
「…………!!」
 シュリの体が一瞬ピクリッとしたかと思うと、突然動きを止めて、フランソワーズの顔を見つめる。その瞳の涙をそっと指で拭い取り、彼女に覆い被さっていた自分の体を離す。
「ごめん……どうかしていた。本当にごめん……」
 自分の頭を抱え込むようにして立ち上がると、そっと彼女に毛布をかけて無言のまま部屋を出て行ってしまった。
 フランソワーズはシュリそんな後姿が何ともいえず悲しく思えてならなく、ジョーへの思いの狭間で息が出来ぬほど胸が締め付けられていた。
 パタンとドアの閉まる音がしたと同時に、フランソワーズは一人嗚咽を堪えることが出来ずに、自分の体を抱きしめるようにして、ただただ泣いていた。

* * * * *

 フランソワーズを見送ったジョーたちは、宮殿から戴冠式の準備のため、彼らが予定をしていたイコンの鑑定の日程を変更して欲しいとの連絡を受けた。だがそれとは別に、キャサリン女王から直々にジョーに対してのみ、宮殿へ赴くようにとの要請があり、ジョーは迎えの車に乗り込んだ。だが、その直後だった。  ホテルのフロントにフランソワーズと共に空港へと向かったはずのアリスンから、緊迫した電話が入ったのは。
 電話の応対をしたハインリヒは、厳しい顔をしながら皆を部屋に集めた。
「なんだよっ! 一体どうしたって言うんだよ、アリスンは…………」
「……フランソワーズが気が変わったと言って引き返したらしい……」
「それはおかしいな……そんなに簡単に気が変わるほどの決心じゃなさそうだったけど……」
 と首を捻るピュンマ。
「それでアリスンは? 不味いんじゃないか? フランス国防省が出迎えに来るって言ってたけど……」
「ふむ、彼女は偽造パスポートで出国してるからな。今回は国防省の手回しがないと入国が厳しいらしい……」
「ああ、だからフランソワーズのことは我々に任せて、アリスンには予定の飛行機に乗ってもらうことにした。彼女、とっても心配していたが……」
「それにしても、彼女おかしいぜっ! 最近……」
 とジェット……。
"まあ理由はわかるような気もするが……"
「まさか……なにか、何か事件にかかわることでも掴んだとか?」
 とのピュンマの言葉に一同緊張が走る。
「それはありえるな……」
 とハインリヒ。
「俺、彼女のことを探してくる!」
 とジェット。
「おい待てよ! ひょっとしたら、ここに戻ってくる可能性もある訳だし……」
「とにかく、まだどうこう騒ぐ段階じゃない! もう少し様子を見ることにしよう……」
 ハインリヒの言葉に一応落ち着くことになった。

* * * * *

 一方、宮殿へ呼び出されたジョーは、そんなことになっているとは知らずにキャサリンの元へと向かっていた。
 到着するや否や、女官の案内で女王のプライベートな部屋に通される。
「本来は女王陛下のプライベートルームへは部外者の方はご案内しないのですが、あんまりにも陛下が御可愛そうで……」
「……かわいそうって?」
「はい、側近の方がとても真面目で何をなさるにも形式を重んじられるので陛下も息が詰まると……。どうかそんな陛下を慰めてやってくださいまし……」
「…………」
"前の女官はどうしたんだろう? 確かに彼女の言っていることはわかるが、女官がこんなに簡単に部外者を中に入れるのはどうしたものか。それにこの人は何だか思いのほか良く喋る。本当に女王のことを思っているのか? 何だか信用が出来ないな……"
「では、只今、陛下をお呼びして参ります」
 その女官はキャサリンを呼びに部屋を出て行った。
 宮殿には何度か足を運んだことはあるが、この部屋に通されたのは初めてのことだった。プライベートルームということもあってか、今まで通されたリヴィングとはまた違って広すぎずこじんまりとした部屋だが、置いてあるソファーや家具、飾り物などはどれも超一流品で、ジョーは何だか落ち着くことが出来ずにいた。
 ここにも王室の贅沢な暮らしぶりが伺えるほどであった。
 しばらくして、廊下を軽快な足取りで歩く音がしたかと思うと、キャサリンが頬を染めながらその部屋に入ってきた。
「ジョー! お久しぶりです」
 いきなり握手の手を差し出すと、
「お元気そうで何よりです」
 と、少しよそよそしく挨拶をしながら差し出された手を取って握手をした。キャサリンはにっこりと笑みを浮かべて
「どうぞ、お掛けになって……」
 と、ジョーに座るように言葉をかける。
「ありがとう……」
「ごめんなさいね……突然呼び出してしまって……」
「いいえ……あの、何か僕に用事でも?」
 少し寂しそうにジョーのことを見つめると、女官に向かって二人きりにするよう目で合図をする。それを受けて女官が退室すると
「……私、とっても寂しくてよ。……あなたは、ひどいわ……」
「キャサリン……ひどいって言われても、前にも言ったと思うけど、僕は……」
 そんなジョーの言葉を遮るように
「私は女王としてではなく、一人の人間としてあなたに会いたかったの、それがいけないこと?」
「…………」
「ねえ、ジョーは恋人が既にいらっしゃるの?」
「恋人って……恋人って呼べるかどうかはわからないけど……ずっと心に思っている人はいるよ」
"……心に思っている? ああどうしようこんなに心臓が高鳴って……こんなに切ない思いは初めてだわ……でも"
「それは、それはあの人のこと?」
 ジョーは、キャサリンに気づかれないよう一つ小さく溜息をつくと
「キャサリン、僕は他人に自分の気持ちを言うつもりはないんだ。君には悪いけど答えるつもりはないよ」
 キャサリンは今までにない、ジョーの少し冷めたい態度に自分の感情をぶつけると
「今日のあなたは何だか意地悪だわ! 何もそんなにはっきりと……」
「キャサリン、君は美しく誇り高きこの国の女王なんだよ! 僕なんかに構っていては駄目だ! 君には君にふさわしい立派な人がきっと現れる。僕は君がこの国の立派な女王になって、苦しんでいる人や悲しんでいる人の支えになってあげて欲しいと思っている。君には出来るはずだよ!」
「ジョー、あの人のせいなのね。……ひどいわ……私は、私の気持ちなんて丸でわかっていないわ!」
「キャサリン……」
「私は、普通の人間になりたい! 冗談じゃないわ……私だって好きな人と一緒にいたいのに……うっ……」
 と言って泣き出してしまった。
「ごめん……少し言い過ぎたかもしれない。君にならわかって貰えると思っていたんだ。僕は君が決して嫌いじゃないんだよ。でも君は、僕なんかよりずっと普通の人間なんだ……ずっとね……」
 と少し寂しげに答えると
「私のほうが、普通って? 一体どういう意味?」
 涙でいっぱいの瞳でジョーのことを見つめる。
「……いやっ! たいした意味はないいんだ……ごめん……。でも、君の気持ちはとても嬉しく思うけど、今の僕では駄目なんだ……」
 ソファーから立ち上がり窓辺の方へ歩いていくと、キャサリンはそれを追うようにして、ジョーの背中に抱きついた。
「お願い! 今日はここで一緒に過ごしてくださらない?」
「キャサリン! 何を言ってるの? そんなことできる訳……」
「大丈夫……さっきの女官がうまく手配をしてくれるはずだわ。今日はここには誰も入ることは出来ないの」
「駄目だよ……そんなことは出来ない!!」
「そんなことを言わないで! 今日だけでいいから……私、一人の女性として思い出が欲しいの……」
「……キャサリン……」
「ねっ? いいでしょ?」
「僕は今とても大事な仕事がある。今仲間達は必死に命がけで取組んでいるんだ! どうかわかって欲しい」
「私だって協力をしたつもりよ! ハインリヒに聞いていないのかしら?」
「それは……君にはとても感謝しているけど……」
「だったらお願い! ここで、ご一緒にお食事をして、そして……」
 困ったジョーは、真剣に訴えるキャサリンの気持ちも痛いほどわかっていたため、返す言葉が見つからないでいた。
「……わかったよ……でも、食事まで! それ以上は……」
「ありがとう! ジョーうれしいわ……」
 無邪気に抱きつくキャサリンに困りながらも要望を受け入れていた。
 夕日も沈みかけて、他愛もない会話を楽しみつつ、ゆっくりと時間が過ぎていった。二人きりのその部屋に食事が運び込まれ、キャサリンにとってはこの上ない時を過ごすことが出来た。
 食事が終わったころ、ジョーが時を見計らって
「キャサリン、今日はとても楽しかったよ! ありがとう。でも、そろそろ仲間のところに戻らなくては……」
 立ち上がったその時、キャサリンはジョーのその胸に顔を埋めるように抱きついてきた。
「もう行ってしまうの? 私は変になりそうよ。もう少し、もう少しだけこうしていて……」
 ジョーは躊躇するように、その背中をそっと触れると、
「もっと強く! もっと強く抱きしめて!! ジョー!!」
「キャサリン……」
 その時一瞬だが、ジョーの脳波回路にフランソワーズの悲しげな悲鳴が聞こえた。
"いや! ……ジョー……た……すけ……て……"
 びくっとその脳波回路に反応すると、すぐさま通信を返す。
"フランソワーズ? どうしたの? アリスンとフランスへ帰ったんじゃないの?"
 しかしそれきり彼女の返信はなかった。動揺を隠せないジョーは何度か通信を繰り返す。
"フランソワーズ!! 一体今どこに? 助けてって……何があったの? 答えるんだ!!"
「ジョー!! ジョー? 一体どうしたの? 上の空で……」
 キャサリンの声にはっと我に帰る。
「キャサリン、すまないが、急用を思い出した。これで失礼するよ……」
 彼女の体を離すとそのままドアの方へ歩いていく。
「ジョー待って! 行かないでって言ったのに……」
 ジョーの後姿を悲しげに見つめるキャサリンの怒りの矛先は、その後フランソワーズに向けられて行くのであった。

* * * * *

 宮殿を出たジョーは、加速装置を使って空港まで急いだ。だが、フランソワーズの痕跡は見当たらない。
 仕方なく脳波回路でハインリヒに事情を説明すると、アリスンを残して空港を後にしたフランソワーズの話をこの時始めて知ることになる。
「助けてって……本当にそんなことを?」
「間違いない! でも何だか……」
「やっぱりNBGがからんでるって?」
「えっ? 確かにその線も考えられるが……とにかくもう一度辺りを探してみるよ……」
「わかった! 俺たちもこれから探しに行くとするよ……」
 ジョーはもう一度フランソワーズの脳波回路に話し掛けてみる。
 頼む! 回路を開けていて……。
"フランソワーズ聞こえるかい? 僕だよ! ジョーだ! お願いだ答えてくれ!!"
 空回りするようなジョーの脳波回路。だが、フランソワーズからの連絡は絶ったままだった。


No. 25 ジェラシー

 つい先程まで彼女が眠っていたベッドはきちんと整えられており、彼女に着せていた彼のシャツはベッドの上に綺麗にたたんで置かれていた。その隣にある小さなテーブルにメモが残されており、彼はそのメモを右手に取ると、まるで脱力したように体をベッドに投げ出した。

"シュリへ  さっきは、ごめんなさい。貴方には何時も助けられてきたのに、私は貴方に何もしてあげることが出来ない。
 よく考えてみれば、私は今まで、いろんな人に甘え過ぎていたのかもしれない。
 もっと強くなりたい……いいえ、ならなければと思っています。
 とにかく、この事件が解決するまで仲間のところへ帰ります。だから心配しないで……。
 今まで本当にありがとう! 貴方は、無茶をしそうで何だか心配です。どうかいつも元気で明るいシュリでいてください。
 また会う時が来たら、笑っていられますように……。 フランソワーズより"

"ふっ……笑ってかっ……。あいつ、あの汚れた自分の服を着ていったのか? サリーの服を着て貰うつもりだったのに……。まったくなにやってんだ! 馬鹿だよなあ俺! 本当大馬鹿だぜっ!! まさか、奴の名前を呼ぶとはな……。まいったよ、まったく………

「おにいちゃん!! ゴホッ!! たっすけ……て……」
 燃え上がる建物の中から叫び声がする。周りには、消防車、救急車そして、野次馬が群がり、辺りは騒然としていた。
 建物の中に入ろうとする彼を、数人の警官たちが止めようとしている。
「馬鹿やろー!! 離せ妹が中に!! 離してくれ!!」
 やっとのこと警官たちを払い除け、建物の中に入り込んだときには一面火の海と化していた。それでも火の粉を潜り抜けて妹の姿を必死に探し、ようやく床に伏せ折れ込んでいるサリーを見つけた。
 が、彼女の姿を見つけたとき、彼はその目の前の光景を疑った。何と彼女は、煙に巻かれて倒れこんでいただけではなく、数発の銃弾をその体に受けていた。かすかな鼓動があるのが不思議なくらいだった。
"誰が? いったいなぜこんな……?"
 火の勢いが激しくなるのを受けて、シュリはサリーを抱いて何とか外に出ることが出来た。が……。
「サリー!! しっかりしろ! もう大丈夫だから、しっかりするんだ!!」
 すると、僅かにその瞼を開くと、蚊の泣くような小さな声で
「ユー……リ、おに・い……ちゃ……ん……気を……」
「なんだ! だれに、一体誰がお前をこんな目に?」
「……気を……つけて……」
「なに? 何を気をつけるって言うんだ!」
「……お…………じ……さま……は、ちが……う……」
「サリー、あまりじゃべらなくてもいいから……直ぐに病院へ!!」
「……おじ……さまは……にせ……も……の……」
"なんなんだ? なにがいいたい、偽者って一体?"
「サリー、おい!! 目を閉じるな!! 頼む、助かってくれ!!」
「……お……かあ……さま……が…………きこ……え……る……う……た……」
「なに言ってる! 俺を、俺のことを見ろ! わかるか?」
「ユーリ……ポーレ……シュカ……ポーレを……きこ……えるよ……」
"ユーリってお前おぼえてるのか? まだ小さかったのに……"
「サーシャ! どうして? 覚えていたの? あの日のことを……」
「……わた……し……のなま……え……ほんとうの……」
「そうだ! サーシャ!! そうだよ……喋ると出血がひどくなる、頼むから、生きて! おいっ!!」
「……ユーリ……おにい……ちゃん……ありが……とう…………」
「サーシャ!! ……いつか一緒に、母さんの……どうした? 目を開けろー!」
 だがサリーは、そんな兄の叫び声に答えることなく、その瞳を再び開けることはなかった。
「……おい! なんだよっ!! どうしたんだ、目を開けろ!! ! サーシャ!!」
 彼のその悲痛な叫び声は、まわりの人々の耳にも響き渡っていた。
 目覚めた時、全身がびしょ濡れになるくらい汗をかいていた。先程の事故での怪我から、少し熱を出していたせいだった。悪夢に魘され目覚めたシュリは、何度も見ているこの夢を決して脳裏から消し去ることが出来ずにいた。
 NBGによって引き離された兄弟が、ここにもまた存在していたのだった。

* * * * *

 モナミ王国外れにある、海岸沿いの誰も寄り付かない岩場の影にドルフィン号はその姿を隠していた。
 すっかりと日が落ち、月明かりに照らされたキラキラ光る海面をドルフィン号にもたれ掛かりながら腰をおろしてぼんやりしているフランソワーズのその姿は、細く儚げで今にも消え去ってしまいそうだった。
 フランソワーズの悲痛な脳波回路をキャッチしたジョーは、すぐさま彼女を探し出すべく、モナミ王国の端から端までさ迷った。行き着いた先は、彼らのドリフィン号が停泊しているこの岩場だった。
 薄暗い洞窟と化した岩場にドルフィン号にもたれ掛かる人影を発見すると、そっと近づいていく。すると、そこには今にも消えてしまいそうなフランソワーズの姿がジョーの瞳に映っていた。
"フランソワーズ? 一体どうしたって言うんだ?"
 触れてしまえば壊れてしまいそうで、ジョーは声を掛けることさえも躊躇って、ただただその姿を影から見守っていたのだった。
 が、気温もかなり低くなり、このままでは埒があかないと思ったジョーは、ようやく声を掛けることにした。
「フランソワーズ!」
 そっと声を掛けると、少し間を開けてその声の方向に振り向くフランソワーズ。
 ジョーの姿を確認すると、少し驚いたように
「ジョー?」
 その声を合図にフランソワーズに向かって歩き出すジョー。
「……フランソワーズ、一体どうしたって言うの? ずっと心配していたんだよ…………」
 ドルフィン号を後ろ手に触れながらゆっくりと立ち上がるフランソワーズ。そしてジョーが段々と近づいてくると、なぜだか先程のシュリとのことが蘇る。そして咄嗟に胸元のブラウスを掴むと後退りをした。ジョーはそんな彼女の行為を不信に思いながら、自分の手を差し伸べると
「どうしたの? なぜ逃げるの?」
 すると彼女は首を横に振りながら
「いや……こないで! …………お願い今は……一人にして!」
 彼女のその言葉にジョーはためらいつつも、
「フランソワーズ一体何があったんだ? 君は……」
 さらに近づき彼女のその姿を見たとき、驚きを隠せないでいた。身に付けているブラウスは泥にまみれていて、ベージュ色のデニムパンツは所々擦り切れていた。よくよく見ると、フランソワーズの腕には、かすり傷が何箇所か確認できた。
「怪我をしているの? 一体なにが?」
「……大丈夫! 大したことはないわ……」
 と聞き取れないような声。
 ジョーは、いても立っても居られなくなり、嫌がる彼女の腕を無理やりに掴むと自分の方に引き寄せた。
「どうしたの? 一体何があったの?」
 震える体を思わず抱きしめる。
"こんなに震えて、一体どうしたって言うの? 何故何も答えない?"
「……ジョー、本当に……だい……じょうぶ……」
 やっとの思いで言葉を返すが……。
「…………君が "たすけて" って回路で言うからずっと心配して。でも、よかった……無事で!」
 その腕の力を強める。
"脳波回路で? 私が? …………それじゃあ、あの時?"
 彼女は、深呼吸をして心を落ち着けようと必死になりながら
「ジョー、ごめんなさい。とにかく貴方に説明しなければならないことがあるの。でも、着替えたいわ。このままじゃ……」
「あっ……そうだね、とにかく、ドルフィン号の中に……」
 と言って彼女の肩を促しながら二人はドルフィン号の中に入っていった。
 ドルフィン号の中に備え付けられているシャワールームで体の汚れを落とし、予備に置いてあった服に着替えると、ジョーの待っている作戦ルームへ向かった。
"……なんて説明したらいいの? シュリのことは、信じてくれる? どうしよう……でも、NBGのことを何とかしなくては……。ジョー…………やっぱり離れたくない、これからだって……"  考えるだけで切なく感情が込み上げてくるのを必死で抑えながら何度も何度も深呼吸を繰り返し、決心したようにジョーの居る部屋のそのドアの前に立っていた。
 フランソワーズの気配に気づきすぐさま声を掛けるジョー。
「……フランソワーズ?」
 やっとの思いで中に入ってくるフランソワーズ。
「待たせてしまって、ごめんなさい……」
「いいんだ……さあっここに座って!」
 そう言って自分の目の前の椅子に座らせる。
「ジョー私、また単独行動をしてしまったわ……呆れてるでしょ?」
 すると、少し困ったような笑みを浮かべる。
「私、あの時は本当に、フランスへ帰ろうと思ったのよ。でもアリスンと搭乗ロビーへ向かう途中ある人物とすれ違ったの。直感ではないけれど、咄嗟に透視をしたら、その人物はサイボーグだったわ。それで、アリスンには悪いけど彼を追いかけることにしたの」
「たぶんそんなことだろうと思っていたよ。でも、フランソワーズ、どうして僕でも皆にでも連絡を入れなかったの? アリスンから連絡を受けた彼らはとても心配していたよ……」
"……彼らって? ……ああ、私は何を望んでいるの? ジョーだってこうして心配をして、探してくれていたのに……" 「……そう、そうよね……ごめんなさい。でも彼には迎えの車が用意されていたの……だから、とにかく見失わないように追いかけるのが必死で……それで……」
「わかったよ……それで追いかけて?」
「彼らは宮殿へ入っていたわ……」
「何だって? 宮殿へ?」
「ええ、それできっと内部に内通者が居るに違いないと思って中に侵入したんだけれど、途中で見つかってしまって逆に追われてしまったの。それで……その途中に、あの……」
「その途中に? ……どうしたんだい?」
「あの……一緒に逃げていた人が居たんだけど、その人のバイクの後ろに乗せてもらったの。でもNBGにタイヤを撃たれてしまって橋の手前で転倒して、それから記憶がなかったの。……どうやら、その人が咄嗟に私を抱えて川に逃げ込んだらしいのだけど……」
 そこまでフランソワーズの話を黙って聞いていたジョーは、咄嗟にシュリの姿を思い浮かべた。
"まさか……いや、多分あいつと一緒だった? あの時もバイクを引いていたし……でも、だとしたらなぜ、脳波回路でたすけを? ……まさか……"
 ジョーはフランソワーズに気づかれないように、拳を強く握り締め、自分の感情を必死に抑えようとしていた。
「……それで、その怪我を? ……でも、その一緒に行動していた人物は一体誰なの? 今まで一緒じゃなかったの?」
 えっ? と思わず顔をあげるフランソワーズのその表情は明らかに困惑していた。
"……どうしよう……何て言ったらいいかしら……"
「……君はその人物もNBGを追っているの、不審に思わなかったの?」
"……いけない、彼女を責める気なんてないのに、これじゃあ尋問だ! しかし……もし、あいつが、あいつだとしたら僕は……"
「……あの、それは、凄く偶然で、私も驚いているのだけれど、これは本当に偶然なの。私たちお互いに何も知らなくって……彼は、シュリ・ブライアンと言って、あのオーギュスト・ボワ博士の息子さんだったの……」
"……やはりそうだったのか……いったい二人はどうやって? …………お願いだから、それ以上のことは……。いつからあいつが僕たちの……君の心の中に僕は居るの? 君はもしや……" 「……フランソワーズ、君は偶然って言うけど、彼らのことは僕もハインリヒだって信用はまだしていないんだ……。彼らの身元調査を今ハインリヒがやってくれている所だよ。なのに行動を共にするなんて、少し軽率すぎやしないか? それにいったいどこでどうやって知り合ったって言うの?」
 フランソワーズは驚いたように、その瞳を潤ませて、
「……身元調査って? だって、オーギュスト博士はいままでだって、私達に協力して来てくれたじゃない! シュリだってそんなに悪い人じゃないわ! いままで何度も助けてくれたわっ! ……そうよ……何度も、何度も……いつだってやさしかったわ! 一見、ツッパテいて口も悪いけど、信頼しているわ……それなのに……」
 そこまで一気に喋った後、ふっと我にかえるとジョーの顔がとても険しく見え、彼女は自分の言動を少し後悔した。
「…………何度も? って、どういうことなの? 僕にはさっぱりわからないよ今の君が……」
「ジョー……私、別に……彼に会ったのは本当に偶然よ! 最初は、ワシントン行きの飛行機の中で、隣り合わせだった。次に会ったのは、ワシントンで不良に絡まれていたところを助けてもらったの……」
"……ワシントンだって? じゃあ、あの時、聞こえた電話越しの声は、あいつだというのか? いったい……"  そして、ジョーは自分の声が少なからず震えているのを悟られないように質問を続けた。
「……それじゃあ、もしかしたらワシントンで滞在していた友人の家って、まさか彼じゃないよね?」
 フランソワーズはそんなジョーの心情を感じてしまう。
「……嘘を言っても仕方がないから……そうよ、彼の家に泊まらせて貰ったの。でも……」
「泊まらせて貰ったって? ……そんな見も知らずの人に? ……その時は知らなかったんだろ? 博士の息子だって……。どうしてそんなことを。ジェットだってアメリカに……いたのに……」
「ジョー!! 違うの、どうしてもあの時は……」
「じゃあ!! 今日はどうなんだ? 気を失って、その後どこでどうしていたの? 君が、空港に居たのは朝だよ! NBGを追って宮殿に向かったとしても……君が脳波回路で助けを呼んだのは日が暮れた頃だった。何のために……まさか、あいつ……」
 フランソワーズは必死で首を横に振りながら 「……違うの!! 違うのよっ。……お願い……信じて……私、私が……シュリは、何にも……」
 そこまで言いかけたとき、ジョーは突然立ち上がると
「……ごめん、フランソワーズ! 僕は、それ以上聞く心の準備がまだ出来ていないようだよ。……それよりも宮殿の……」
 一旦深呼吸をして
「…………ちょっと、頭を冷やしてくるから」
「…………ジョー……」
 どうしても動揺を隠せないジョーは、これ以上彼女と一緒に居ると、今以上に彼女を傷つけてしまうと思い、一旦部屋を出ることにした。自分の不甲斐なさに、彼女よりも自分のことが嫌でたまらなかったのだ。
 一方、ジョーにうまく説明できずに誤解を受けてしまったのではないかと不安に駆られていたフランソワーズは、その場に呆然と立ち尽くしていた。そして、その頬には、涙が知らず知らずのうちに伝ってゆく。
"……何だかとっても疲れたわ……今日はもう何も考えられない。明日……そう、明日ゆっくり考えましょう"
 だが、ここ数日の心の疲労に、これまで封印されていた辛い思いが重なって彼女の精神は限界に近づいていることを彼女自身気づくことはなかった。


No. 26 ジゼル

「フランソワーズ、何を見ているの?」
「おにいちゃん! これっ……ママのお部屋にあったの……」
「……ああ、バレエの写真集だね!」
「うん! ねえ見て!! これっ……」
「なんだ……フランソワーズはこの衣装が気に入ったのか?」
「そうよ! 私ねえ、この人みたいになるの……」
 そう言って微笑む小さな女の子は、蒼く澄んだ瞳をキラキラ輝かせていた。
「ハハハッ! フランソワーズはバレリーナになりたいの?」
「だって……おにいちゃんみたいにヴァイオリンうまくないし……それに私このドレス好き!」
「このドレスって? ああ……ジゼルの衣装だね……」
「ジゼル?」
「そう……バレエはね、いろんな物語があってそれによって衣装が違うんだよ。……ほらっ、これはくるみ割り人形で、こっちは白鳥の湖」
「へえ! おにいちゃん何でも知ってるのね?」
「いやあ……ここに書いてあるんだよ! お前にはまだ読めないかもしれないけど、物語りもちゃんとね!」
「ふうーん! ねえ、じゃああこのジゼルのお話を読んで!」
「いいよ……」
 と、返事をした兄だったが、まだ小さい少女に聞かせるには、あまりに悲しい物語だった。
「……フランソワーズ、これはねえ、もう少し大きくなってから読んであげるから、今日は別のお話にしよう……」
「いやっ! 私これが聞きたいわっ」
 でも……。
「……隊長! アルヌール隊長!」
 はっと我に帰ったジャンは、自分のことを呼ぶロベールの方を向くと
「……ああロベール、すまない。何か?」
「どこかお加減が?」
「いいや、大丈夫だ。少しぼんやりしてしまった」
「あの、国防相からお電話が……」
「ああそうか……繋いでくれ」
 繋がれた電話の受話器を手に取ると、その向こうから聞こえてくる懐かしい声に思わず心が高鳴る。
「……アリスン?」
「……ジャン、いろいろ心配を掛けてしまって……。今、国防相に居るの。さっき到着したところよ!」
 ジャンは、アリスンに対して聞きたいことが山ほどあったが、今はもうそんなことはどうでも良くなっていた。ただただ、彼女と妹の無事が確認されれば、それ以上何も要らないと思ったからだ。
 二人の無事は数日前にハインリヒから連絡があったので、いずれ帰国するだろうと予想はしていたのだった。
「ジャン? 私、あなたに……」
「アリスン……体は大丈夫?」
「大丈夫よ……ただ……」
「僕のことは気にしなくてもいいから、まだ疲れているだろ? 、とにかくゆっくり休んだらまた連絡をして……」
「ジャン……優しいのね? ありがとう、そうするわ。……でも、あなたは……どうしていた?」
「……ふっ……どうもこうも、私のまわりの女性は、どうしてみんなこう逞しいのかって、ずっと考えていたよ!」
「本当ね……今度会ったら怒られるの覚悟しておくわ…………」
「……本当に……」
「……それじゃあ、また連絡をするわ。……あの、その時に貴方に話さなければならないことが……」
「……それは、妹のことだね?」
「ジャン……どんなことがあっても、あの子のことは何があっても受け入れてあげて欲しいの……その」
「アリスン、もちろんだよ!」
「あっ! 彼女のお友達って素敵な人が大勢居て、皆に見守られている感じだったわ。だから、その辺は心配いらないと思うわ……」
「……そう、友達か……」
 そんな会話を交わしながら、ジョーからは友達と言うよりは仲間と聞いていたジャンは、アリスンが自分に対してとても気を使っているように思えて、心の中で苦笑していた。そんな簡単な会話を交わした後、電話を切った。 "……やはり、フランソワーズは帰ってはこなかった…………たぶんそうなると……予測はついた……。もう、帰ってはこないのか? フランソワーズ!!"
「ウィリたちは、みんな恋人に会えなかったから妖精になってしまったの?」
「……そう、だからジゼルも恋人に会えなかったから妖精にならなければいけない」
 物語を少しばかり変えて妹に話して聞かせた手前、少々後ろめたさを感じながらも、兄はどうしてもあの切ない物語を幼い妹に話すことが出来なかった。
「……それじゃあ、私もジゼルと同じね?」
「えっ? どういうこと?」
「わたしねえ……恋人要らないもん!」
「フランソワーズ……どうしていらないの?」
「だってお兄ちゃんがいるから。わたしね、お兄ちゃんのお嫁さんになるから、だから恋人は要らないの」
「……ハハハハハハハハ、そんなこと絶対にないよ!」
「どうして?」
「君はぜったいに素敵なマドモアゼルになるから、世の男性がほっとかないよっ!」
「でも、私ジゼルになるわ!」
「……フランソワーズ、ジゼルはね……」
"ジゼルは、恋人に裏切られて死んでしまうんだよ。……あまりのショックに耐えられなくって発狂して……そして、妖精になるんだ。……そんなことは、ぜったいに、お兄ちゃんがさせないから……絶対に…………"
 ジャンは、幼い頃のフランソワーズを思い出していた。いつも兄ジャンの傍に寄り添っていた少しおませな女の子……。
 だが、今となっては、彼女の意思を変えることなど彼には出来なかった。
 モルガン長官の容態も落ち着き、フランスに危害を加えようとしていたNBGは、すでにそのフランスから撤退していた。そしてアリスンが帰ってきた今となっては、黙って見守るほかはなかったのである。いや、連れ戻す術など考えもつかなかった。
"フランソワーズ……君が、寄宿学校からパリのバレエ学校へ転校したいと行った時、正直言って、また兄弟揃って暮らせると楽しみにしていたのに……ほんの僅かなひと時が、今は夢のようだね。君は本当にウイリになってしまうの? それとも、素敵な恋人にもう巡りあえた?"
 そんなことを考えながら、手元にある書類にペンを進めていく。退隊願だ。ジャンは真実を探し出そうとしていた。もっと何か深い真実があるような気がして……。  思えば、両親の事件を解明したく、その謎を握っているとみられた軍に入隊するために士官学校へ進学した。だが、彼の前に立ちはだかった壁は厚く、さらに妹までが何らかの事件に巻き込まれている。
 彼女に課せられた運命……。彼はまだ知らない……。辛く痛ましい真実、そう彼女がサイボーグだということを……。

 程なくかつての恩師の下、ドクターの仕事に復帰をしたアリスンは一人、病院の中庭でその心を痛めていた。事件後、いまだにモルガン長官との面会は許可が下りず、国防省の報告書へは "作戦失敗" としか書きようがなかった。アリスンが知りえた情報はあまりにも信憑性がなく、下手に報告をすれば "彼ら" を巻き込んでしまうから……。
 ジャンに電話を掛けた後、結局そのまま会えずに数日が過ぎようとしていた。彼に会いたい。……でも、会って話さなければならい事実。いや、話してはいけない事実……。
"彼に何て言ったらいいのかしら? ……何てこと! こんな不条理な……。あの子はそれでも自分の運命を必死に受け止めようとしている。普通の少女なら発狂してしまうほどの衝撃が自分の身に起こっているというのに……。あの子のあの華奢な体のどこにあの強さがあるというの? なぜ、戻ろうと思えば戻れるのに、なぜそこに居ようとするの? ……いや……もう戻ることは不可能だとあきらめている……。彼は、あのことを知ってしまったらどうなってしまうの? 受け止めることが出来る? でも、私は……私はこの胸の中にこの事実をしまっておけのかしら……"
 アリスンは白衣のポケットからメンソールの煙草を取り出した。火を付けて深く吸い込むと、ゆっくりとその煙を青空に向かって吐き出した。

* * * * *

 フランソワーズが戻った翌朝、ドルフィン号の作戦ルームには久しぶりに皆が集まっていた。しかし、お互いの心がすれ違ったままのジョーとフランソワーズはどこかぎこちない雰囲気だった。
「なんだよ、ジョー、いきなり集まってくれだなんて……」
 とジェット。 「……ああ、朝早くからすまないが……実はフランソワーズが昨日NBGの不信な動きを追っている……」
「そうだよなあ! びっくりしたぜっ! ジョーから、ドルフィン号にいるって聞いた時は……」
「……そうなの、NBGを尾行していたら、逆に追いかけられちゃって……心配掛けてごめんなさい!」
「それはいいが、怪我は大丈夫なのか? あんまり無理はしなさんな」
「ありがとうハインリヒ……でも、大丈夫よ!!」
「……ところで、NBGを尾行したって、ひょっとしたらアジトとか?」
「そうなの。でも彼らはモナミ宮殿の中へ入って行ったわ。おそらく中に内通者がいるはずだわ!」
「やはり……予想はしていたけど、で、やつらはイコンの中に八番目のチップはないことを知っているのか?」
 とピュンマ。
「そこまでは、わからないわ。……ただ……あの宮殿の中に何か秘密があるような気がして……」
「ジョー! お前、昨日女王さんとデートしたんだろ? なんかさあ……こう、知ってんじゃないの? 女王!」
 すると、そんなジェットの言葉を聞いたハインリヒは、何か合図を送るかのようにジェットの足を蹴る。
「何するんだよ! ハインリヒ……」
「馬鹿! お前余計なことを言うな……」
 と小声で訴える。そんな彼らを知ってか知らずか、ジョーも少しムッとした表情で
「……なんなんだよ、そんなこと知ってる訳……あっ!」
"そう言えば、あの女官……疑おうと思えば十分怪しい……でも……"
「何だ? やっぱり何かあったのか?」
「いやっ! 何かあったという訳ではないんだが、女官が前の人と変わっていて……」
 ハインリヒが怪訝な顔をして
「それは十分ありえるな。ひょっとしてNBGは女王が何か知っていると思っているのかも……。だとしたら危険だな」
「危険って?」
 とピュンマ。 「今後、イコンが盗難に会う可能性はなくなった! しかし、やつらの真の目的はあのチップ……。女王が何らかの情報を知っているとしたら、NBGが狙うのは……」
 そんなハインリヒの話に全員顔を見合わせる。  フランソワーズの方をチラッと垣間見てからジョーのほうに向き直り
「……ジョー、こうなったらお前さんが女王に探りを入れるほかは……」
「ちょっと待てよ! 探りを入れるって? どうやって? これ以上あの女王さんに……その、かき回されるのはさあ、何て言うか……」
 そんなジェットに反応するように、フランソワーズが意を決したように話しはじめた。
「私も、ハインリヒの言う方法が一番早いような気がする。とにかく、今は方法はどうあれ、どちらが早くチップを手に入れるかが問題よ!」
"……皆が私のことを気にしている。私がこうでも言わなければ、本当にあのチップはNBGの手に渡ってしまうわ! 自分の感情なんて入れている訳にはいかない、今はこう言うしか……。世界が大変なことになってしまう前に……"
 そんな彼女の言葉に驚きを隠せない彼らだったが、結局キャサリンから情報をえるにはその方法が一番良いと言うことで意見がまとまった。
「ところで、ハインリヒ! 例の調査はどうなった?」
 そんなジェットの言葉にハインリヒがぎこちなく答えようとすると
「……例の調査ってまさか?」
 とジョー。 「ああ、ジョーすまないがお前に話す前に実はとっくに調査を進めていたんだ! 奴の……」
 そんなハインリヒの言葉にフランソワーズは思わずびくっと体を振るわせた。
"……調査って? まさか昨日言っていたシュリのことかしら……"
「調査をすすめていたって? このあいだはそんなこと」
「……俺の単独行動さ! フランソワーズと同罪だな!」
 そう言って、ニヤッと笑う。
「まあいいじゃないの! それで、どうだったんだ?」
とジェット 「ちょっと待てよ……単独行動がいいだなんて、僕たちは命がけでNBGと戦っているんだ! そのセリフは心外だな!」
「ピュンマの言うとうりだよ……ハインリヒがそんな……」
「じゃあ聞くが、ジョー、お前は確かにリーダーだ! だが、奴等のことをまったく疑いもせずに受け入れようって方が危険なんじゃないか? いくらギルモア博士の紹介と言っても……甘過ぎるぜ!」
「何だって? 君は……」
「おいおいちょっと待てよ! どっちの意見もわかるが、この議論は後回しにしようぜ! 今はそんなことをしている暇はない! あいつらが信用できればOKだし、出来なければ対策を練る必要があるだろ?」
 そんな、ジェットの言葉に一瞬黙り込んでしまったジョーだったが
「わかったよ! 聞こう……君の調査結果を……」
 そう言って、ハインリヒの瞳をじっと見つめる。
「……ふん……じゃあ、結論から言うと…………」
 そんな、ハインリヒ言葉に何故だか、心臓の鼓動が高鳴るフランソワーズ。ジョーも複雑な思いで耳を傾けていた。
「結論から言うと……とりあえず、信用していい! だが……とりあえず、だ!」
「なんなんだよ、とりあえずって!」
 とジェット。
「……ああ、それなんだがな……博士もあの息子も偽名だ!」
「偽名って? どういうこと?」
 ジョーが思わず聞き返す。 「博士もフランス人じゃあない!」
「……なんだって? じゃあいったい……」
 と驚いた様子のピュンマ。 「……博士の国籍はロシアで、そして奴の息子のシュリ・ブライアンは一応アメリカ国籍だ」
「アメリカ国籍はわかっていかけどなぜなんだ? なぜ父親と違う国籍で?」
「博士は、元KGBの幹部で何らかの情報をもって亡命した……」
「そして、亡命先のアリゾナで夫人を亡くしている……」
「……亡命先?」
「ああ、追っ手はしつこく彼らを追い詰めていた。考えた挙句、息子と娘を養子に出したようだ」
「……養子に……」
「そう。子供二人はアメリカ国籍を習得している。おそらく、追っ手の目をくらませるためにね」
「……娘さんは? シュリの妹は今どうして?」
 そんなフランソワーズの問いに、ハインリヒは幾分言いにくそうに答える。
「その娘も三年前に殺されている……」
「……ころさ……れた? …………どうしてな……の……」
"…………なんなの? いったい、ハインリヒは何を言っているの? シュリが……ああ……"
「彼女の名前は "サリー・ブライアン" といって、当時まだ15歳だったそうだ。火事の連絡を受けたシュリ・ブライアンは、妹を助けるために警官の止めるのを振り切って、燃え上がる家の中へ飛び込んだそうだ。だがようやく助け出したその彼女は、煙を吸っただけではなく数発の銃弾を受けていて、とても助かる状況ではなかったそうだ。警察の調べでは、恐らく機関銃だろうと……」
「……それで犯人は? やはり、NBGなのか?」
「……おそらくな……」
「フランソワーズ! 大丈夫か?」
 ピュンマの呼びかけに、呆然として今にも倒れてしまいそうなフランソワーズをジョーもハインリヒも気にかける。 「……ええ……私は、だい……じょうぶよ……」
 聞き取れないくらい小さな声で答える。
「……ねえ、ハインリヒ……彼女の名前、今なんて?」
「サリー・ブライアン」
「サリーだって? なんか聞いたことがあるぜ。……なんだったけな」
 ジェットがまるでひとり言のように呟く。するとフランソワーズも 「……サリーって? シュリの妹の…………」
 と言った後に、その頬には一つまた一つと涙が零れ落ちていた。彼女は両手で顔を覆うと、まわりに居る仲間達の存在を忘れてしまったかようにその場で号泣してしまったのである。
 そんなフランソワーズを多少複雑な心情を交えながらも気づかうジョーは、彼女の傍に駆け寄ってその悲しげな肩をそっと抱きしめていた。そして、ハインリヒに向かって
「そこまで聞けば十分だよ……ハインリヒ……後は。……とにかく今は彼らを信じることにしよう」
 そんなジョーの言葉に皆黙って頷いた。
「そうだな……まあ、いろいろとあるんだが……奴の本名はユーリ・ロマノフスキー。妹の本名はサーシャ・ロマノフスキーってことだ!」
「……ロシア人なのか……。それじゃあ、ずっと、追われて追われ続けて……」
 そんな言葉がジョーの口から零れると、ハインリヒも、溜息をつきながら頷いた。


No. 27 隙間

 ドルフィン号が停泊しているすぐ傍の海が一望できる場所……。そんな静かな場所にジョーとフランソワーズが寄り添うように座っていた。  空の青と海の藍が交差している不思議な景色が太陽の光を浴びキラキラと輝いている。
 そんな景色を眺めながら二人は特に交わす言葉もなく海面からやってくるそよ風にその身を任せていた。
"……シュリ……あなたのあの悲しそうな表情は、いつも何かと戦っているような張り詰めた空気は……。それは悲しい思い出のせいだったの? でも、あなたは私にはいつもやさしく明るくて弱虫の私を助けてくれた。……なのに、私はそんな貴方に答えることが出来ない……"
"フランソワーズ、君は今何を考えているの? 彼のこと? そんな悲しげな顔をして……"
 ジョーは思わず彼女の名前を口ずさんでいた。
「フランソワーズ……」
 そんなジョーの呼びかけに不意に顔を上げ振り向く彼女。
「……えっ?」
「……いや……その、君の気持ちは良くわかるよ。僕だって、あんなことを聞いたら……」
「……ジョー……私ね、本当にシュリにはたくさん力になってもらったのよ。彼はいつも強くって優しかったわ……。でも、あんな悲しいことがあったなんて一言も言わずに……いつも。……ううっ! ひどすぎる!! 何の罪のない妹まで……。彼、ネコを飼っていたの……サリーっていう名前だった……」
 ジョーは何て言葉をかけて良いのか戸惑っていた。彼女は明らかにシュリのことで悲しんでいる。彼女のジョーに対する思いは以前から感じてはいたものの、傍にいることが当たり前になって、お互いにその心の内を伝えることなどなかった。それどころか、キャサリンのことで彼女を傷つけていたのはジョーにも良くわかっていたのである。そんな彼女の心の隙間にシュリが入り込んできたのも致し方ないのかもしれない。しかも、シュリは彼女のことを恐らく、いや、きっと……。
 急に黙り込んでしまったジョーを気にしてフランソワーズが声を掛ける。
「……ジョーごめんなさい。……私、本当に勝手な行動ばかりして……でも……」
「……今僕たちがしなければならないことは、サリー・ブライアンやその他大勢の人たちの無念を晴らすこと、そしてこれ以上NBGの好きにはさせてはならないってことだ!」
 そんなジョーの言葉に、しっかりと頷くと
「……ジョー、私はNBGを許すことなんてできないわっ! 私は、私だって……・」
 そこまで言うと思わず言葉が詰まってしまう。そんな彼女の細い肩をそっと抱き寄せると
「……君にはこれからも辛い思いをさせてしまうかもしれない。……でも、NBGを倒すまでは僕は009で居なければいけないんだ! 君は本当はお兄さんの元で幸せに暮らすことが出来るのに……結局辛い選択をすることになって……」
「……ジョーあなたが009なら私は003なのよ! 私たちは自分のためにも戦うしか……それしかないんだわ……。でなかれば悪夢が消え去ることはない。……そんな気がして……」
「……フランソワーズ、君が彼のことを……その、もし…………」
 すると、彼女は首を横に振りながら
「……ジョー、違うのよ……違うの、駄目なの……私、結局彼を傷つけて……」
 そう言って、ジョーの顔を見上げると
「……私」
 と、そこまで言い掛けた時
「おい! ジョーいるか?」
 とピュンマの呼ぶ声がすると、二人とも顔を見合わせて少しだけ微笑む。
「あなたのことを探しているわ……戻りましょう」
「……ああ、そうだね」
 立ち上がったフランソワーズの後姿を見つめながら
"……何だか無理をしているように思えて……本当にこれが正しかったのだろうか? 僕には君が壊れてしまいそうで、何だか怖いんだ。お願いだから僕の前から消えてしまわないで、お願いだから!"

* * * * *

 ホテルに戻った一行は、オーギュスト・ボワからの伝言を受け取っていた。
「……なんだってんだ? 博士は……」
「……シュリ・ブライアンがNBGのアジトを突き止めたそうだ! 詳しい話をしたいので博士の別荘に来て欲しいと……」
「なんだって? 本当なのか? 俺たちが幾ら探してもなかなか突き止めることが出来なかったんだぞ!!」
「……とにかく行ってみないと……。それに何かを持ち出したらしい。その分析をギルモア博士に依頼したいと言っている」
 という訳で宮殿の警備にあたっているグレート・大人・ピュンマ以外のメンバーは、オーギュスト・ボアの別荘に集合することになった。
 博士を待つこと数分が経過すると、オーギュスト・ボアが一人の男性と共に部屋の中に入ってきた。
「皆さん、突然の呼びかけに集まって頂いて本当に申し訳ないです」
「……いいえ、あの、そちらの方は?」
「紹介しましょう! 彼はエドガーと言って、モナミ大学王立病院のドクターをしています。大学ではおもにウィルスや細菌の研究をしている大変優秀なドクターです」
「ちょっと待てくれよ……なんで、ドクターが? 我々の行動はあまりいろんな人間に知られたくはない……」
 ハインリヒが怪訝そうな表情で訴える。
「……、あなたの仰ることはよくよくわかっているつもりです。だが今回は彼にも色々協力をしてもらいました。彼は、皆さんが心配するようなことは何にもない! もっとも私の信頼できる人物です」
 そんな、オーギュストの話に一同顔を見合わせる。
「……それにしても肝心の息子さんは? NBGのアジトを発見したご本人にぜひ会ってみたかったな!」
 ジェットが少し皮肉っぽく言うと、オーギュスト・ボアとエドガーは顔を見合わせた。
「……それが、まったく彼にも困ったもので……脱出する際に少し怪我をしまして……危険が伴っていることは勝手にしないように言ってはいるのですが……」
 すると、今まで黙って聞いていたフランソワーズが
「……あの…………怪我ってどんな?」
 と、心配そうに尋ねると、
「……君はあの時の? そうだ! 間違いない。もう大丈夫なの?」
 彼女の顔を見るなりエドガーが尋ねた。
「えっ?」
「ああ……そうだよねっ! 君は意識がなかったから…………あの時、あいつが無理やり頼むから、診察したんだよ。でも脳震盪を起こしているだけだから大丈夫だろうって、気が付いたら病院に検査に来るように伝えたんだが……」
「どういうことだ? このドクター知り合いなのか? 意識がないって?」
 とジェットがびっくりしたように尋ねる。するとジョーがフォローするように
「ジェット! それは後でまた……。それで、その……彼は今どうして?」
 すると突然、扉が開き、右腕を包帯で吊るし、所々怪我をしているシュリが足を引きずりながら部屋に入ってくる。
「お前! まだ無理だ……いいから、寝てろ!」
 とエドガーの言葉に
「……いや……大丈夫、こんなことは慣れてるから……」
「……シュリ……」
 と、思わず彼の名前を呼ぶフランソワーズに
「よお! 元気か? ……まったく、俺としたことが……このザマさ……ハハッ、ツゥ」
「とにかく座れ! まったくおまえの命の保障は俺にはできんね!」
 と言いながらエドガーがシュリを手助けして椅子に座らせた。
「……悪かったな!」
「……ふう……叔父さん?」
「まったく……エドガーすまんね……皆さんお騒がせしてしまって……本題に入らせてもらいます」
「……まず、シュリがNBGのアジトに侵入することに成功したことは、先にご報告をした通りなんだが……」
「……待ってくれよ! そのアジトってどうやって見つけたんだ?」
 とジェットがシュリに向かって呟くと
「そうそう、まだ息子を紹介していない方もいらっしゃったようだ。失礼しました!」
 オーギュストはジェットとジェロニモ……そしてフランソワーズを紹介しようとしたその時
「……ああ君はもうシュリとは知り合いだったね?」
「…………ええ、」
 頷く彼女に対して、ジェットが何とも不思議そうな顔で二人の顔を交互に見る。ハインリヒがジェットに対して
「……おいジェット!」
 と嗜める。
 そんな中、シュリとフランソワーズは一瞬目が合うが、お互いに気まずい感じでさり気なくその目を反らしていた。ジョーはそんな二人の雰囲気が気になりながらも事件の真相を追う。
「……そのジェットの質問に戻ってしまうけど…………」
「ああ……衛星だよ! 某国の軍事衛星……友人が提供してくれた。まあ、詳しいことはあんまり言えないけどね……」
 ジョーの質問に答えるシュリ。 「……なるほどね! 確かに衛星を使えば探し出すのは意外に簡単か……」
 と、ハインリヒが言うと
「ところで、持ち出した物っていったい?」
「ああ……つまり、君たちも追っていたあの数枚のイコンの研究経過てことかな? つまり、既に盗難に合っていたイコンの中のチップの中身をやつらはアメリカの某センターから既に持ち出していた。……エドガー頼むよ……」
 エドガーが頷き話を始める。
「私は彼に預かった幾つかのカプセルを簡単な成分分析にかけ、何の成分なのか確かめることにしました。ウィルスなのか、それとも細菌、または、有毒分質なのか…………」
「…………」
「……で、何とも予想すら付かなかった結果に驚きました! 私は、今までこんな怪奇な物を見たのは初めてで、どうにも判断が……」
「……どういうことです?」
「……ああ、つまりそのこれは、いや! これらは、この星の物ではない……つまり地球上の物ではないのです……」
『なんだって?』  と一同一斉に声を上げた。
「……地球上の物じゃないって? そんな……」
「……確かに信じられないことなんです。そこで、これはもうギルモア博士にお力をお借りするしか」
 何とも突拍子もない答えに、皆それぞれに唖然になりながらも、
「……NBGはいったい……そのことを知っての開発なのか? それとも……旧某大国がそれを、数十年も前から 研究していたとは……とても信じられない…………」
 ジョーの言葉にオーギュストが答える。
「いや……確かに私も研究がそこまでとは。ただの細菌かと思っていたので、正直言ってエドガーの言葉を疑いました。しかし地球外といっても例えば宇宙人とNBGが接触したとか、そのようなことではないと思うのです。この、地球にはまだまだたくさんの解明されていない謎が……」
「……じゃあ……あの八番目のイコンは?」
 とのハインリヒの言葉に
「あれは、金儲けのために、作戦を成功させるために最も必要なものだろう……」
 と答えるシュリ……それに対してジョーがすべてわかったように頷いた。
「……そのウィルスか細菌に対抗する唯一のワクチン! ってことか?」
「やつらは病を蔓延させてワクチンを高く売ろうって魂胆か。特許を取って勝手にワクチンを作らせないように、架空の薬品会社を作り……まるで、どっかの……」
 とハインリヒがはき捨てるように呟く。
「……とにかくギルモア博士にその物の解明をしてもらうように伝えてみます。でも……博士の専門ではないからどうかとも思うのですが……」
 と答えるジョー。
「こうしちゃあいられねえな。……そのウィルスもさることながら例のチップの在り処も急がないと……」
 ジョーとハインリヒ……そして、ジェロニモ、ジェットまでも無言で頷く。
「オーギュスト博士! 僕たちはこれからすぐにギルモア博士に連絡を入れてみますが、そのチップの在り処を急いで探さなければ……」
「……わかりました。とにかく、我々に出来ることは何でも言って頂ければ協力します。とにかく早くあのチップを手に入れてNBGの陰謀を阻止をしなければ」
 そんなオーギュストの話をジョーは頷きながらも、傍らに座っている傷を負ったシュリのことが気になっていた。

* * * * *

 皆が部屋を出て行った後、フランソワーズはシュリの怪我が気になって彼のいる部屋に一人残っていた。
「……どうした? 行かなくていいのか?」
「…………シュリ、怪我の具合は?」
「大丈夫! 優秀な主治医も待機してるしな……」
 と言って微笑むシュリ。
「……私ね……」
「ああっ! 怒ってる? いいぞ、一発ぶん殴って……」
「もうっ! 本当よ……あれは酷いわ、あなたのこと信じているのに……」
 すると真面目な顔になって
「……どうかしていたんだ……本当にごめんな……もう絶対にあんなことはしないから、絶対に…………」
「シュリ……わかったわ! 今回は許すわ……そのかわり一つ約束をして欲しいの…………」
 すると、顔をあげて彼女の顔をみつめると
「いいよ……で、何だ?」
「……もう、やめて欲しいの……あんな危険なこと! 一人でNBGに乗り込むなんて無茶だわ……」
「……フランソワーズ……それは、できないな……」
「シュリ……どうして? どうしてそんなに自分を傷つけるの? もっと大切にして欲しいの、あなた自身を!」
「……おまえこそ早く帰れよ! 兄貴の所へ……」
「私は……」
「そうだ! こうしよう……その約束は無理だけど……しょうがないから、次までに考えておいて、お詫びの罰を!」
「シュリ……本当に、あなたが私のお兄ちゃんだったら、心配でたまらないわ!」
「その言葉! そっくりそのままお返しします。おまえみたいな妹がいたら、鳥かごに入れて虫が付かないようにして隔離しないと、心臓が幾らあっても足らないな……」
「……失礼ね! 自分が一番危ないくせに……」
「ハハハ……確かにな! でも子供には興味がないはずなのにさ! おまえ……もうちょっと彼氏と仲良くしとかないと、成長しないよ、ここが……」
 と言ってフランソワーズの胸元を指差すとパシッ!と平手打ちされる。
「もうっ! いい加減にしてよ……もう絶対に許しません! 勝手にして……」
 立ち去ろうとする彼女の腕を取ると
「嘘嘘……ごめんごめん……怒るなよ!」
「……とにかく早く怪我を治して、でも……元気になってもおとなしくしていて頂戴!」
 すると、怪我をしていない左手で敬礼をする。
「じゃあ……皆が待ってるから……行くわね!」
「ああ……ありがとう!」
 お互いに微笑みあった。
 途中、フランソワーズの姿が見えないのに気付いたジョーは、先程の部屋に戻ろうとしていた。が、薄く開いたドアからシュリとフランソワーズの会話が聞こえてきて、中に入るのを躊躇してしまった。
 収まることのない胸の高鳴りに、ジョーは部屋に入ることなくその場を立去った。
「おい! ジョー、フランソワーズは?」
 とジェットの問いに
「……さあ」
 と無表情で答えると、足早にその場を立去った。
「なん何だよ! 全く可愛げのない奴だぜ……」
「よせよ……ジェット!」
「だってさ、あの態度むかつかないか?」
「まったくまるで判ってないんだな……」
「あらっ! まだこんな所にいたの?」
 後ろからフランソワーズに声を掛けられ、ジェットとハインリヒが振り向くと
「……おお! そっちこそ……そうそう! ジョーの奴どうかしたのか?」
「どうかって?」
「……すっごい機嫌悪そうに歩いていったけど……」
"えっ?"
「……そうなの?」
「いいから早く行こう……これからが正念場なんだ! ぐずぐずしていられないよ……」
 そんなハインリヒの言葉に二人とも促されるように先を急いだ。

* * * * *

 モナミ王国宮殿。キャサリン女王が、その煌びやかな広い部屋を右に左に行ったり来たりしている。そこへ、例の女官がお茶のセットを持って現れる。
「……何なのよ、ひどすぎるわ……私の気持ちなんて誰にも判らないのよ!!」
「陛下、お茶でもお召し上がりになって少し心を落ち着けたほうが……」
「ねえ! 私とあの娘のどっちが魅力的?」
「あの娘とは? どなたのことですか?」
「ああ、そうだったわね! 貴方はまだ会ったことがなかったかしら?」
「陛下! もっとご自分に自信をお持ちになってくださいませ。陛下はいつも、優雅でお美しくって世界中のどのような女性より魅力的でございますよ!」
「だったら! ……だったらなぜジョーは私を受け入れてはくださらないの?」
「それは、陛下とはご身分もお育ちになった環境もあまりにも違いますもの。……どうでしょう? 正式なお相手と言うのは難しいと思いますが、陛下がもしお望みならば……愛人にでも」
「なんですって? そんな……不謹慎な……そんなこと大臣が認めるはずが……」
「陛下? 陛下はこの国の女王なのです! もっとご自分の思いを通されても……。それに、愛人と言うのは、内密にですわ……ホホホッ」
「内密って? そんな……そんなことができるの?」
「ええ、出来ますとも。なんなら陛下がお目障りなその娘を、その彼と陛下の目の前から消すことも!」
 流石のキャサリンも驚いた顔を女官に向ける。
「……それは一体どういうこと?」
「私にお任せ頂けるようでしたらその娘をこの世から……」
 すると、キャサリンは両手を口元に当てて
「……そんな……いくらなんでもそんな恐ろしいこと……」
「陛下? もしものお話ですわ! でも相手に情けは無用です。本当に彼を欲しいのなら……」
 そんな話を平然とする女官に一種の恐怖感を覚えながらも、ジョーに対する一途な思いがキャサリンの心を動揺させているのであった。


No. 28 罠

「フランソワーズは?」
 集合時間になっても、部屋に来ていないフランソワーズを気にして、ハインリヒが尋ねる。
「彼女ならさっき戻ってきた時に、宮殿から迎えがきていて……」
「なに! どういうことだ? グレート!!」
「もうっ! ジェット、何だよそんなに慌ててさ……」
「だってさ……一人でか? ジョーはここに居るし、おかしいじゃないか!」
「いやいや、お迎えの話だと、戴冠式が終わった後の、記念舞踏会に着ていくドレスを一緒に選んで欲しいって、女王が言ってるってことで、フランソワーズも少し考えていたけど判りましたって……。そんなにおかしいかな、おかしいか…………」
 だんだん声のトーンが低くなっていくグレートに対して、ハインリヒが
「グレート、それはどのくらい前だ?」
「いや我輩が丁度も戻った頃だから……一時間か、もうちょっと前か……」
「ジョー!」
"おかしい……キャサリンがフランソワーズを? ありえない……"
 ジョーは以前キャサリンがフランソワーズについて話していたのを思い出していた。
"私……あの人嫌い……"
 彼女に手渡していた予備の小型通信機を鳴らしてみるが応答はない。さらに脳波回路も同じく応答がなかった。
「ハインリヒ! これは何かの罠かもしれない! 僕は取り合えず宮殿に極秘で潜入することにする。後のことは頼むよ!!」
 と、言うなり部屋を飛び出してしまったジョーの後を、グレートが追う。
「おっおい! 我輩も行くからにして……何だか、その……責任が」
「君に責任なんかないさ。……ただ、これは……考えすぎだといいんだが…………」
 残されたメンバーたちは、そんなジョーの行動に苦笑しながらも、フランソワーズのことが気になっていた。
「……とにかく、我々も直ぐにでも行動できるように、ドルフィン号に待機だ!」
 とハインリヒ。
「シュリ・ブライアンに聞いた、アジトの位置確認もしておく必要があるしな……」
「……アジトか! いよいよだな……」
「ジェロニモ……宮殿の警備をするふりをして、ジョー達をフォローしてくれっ!」
「ん!」
「今、大人が宮殿にいるから……そっちは、まかせる! 我々はアジトの確認だ! ピュンマ! 位置確認後、アジト潜入にかかる時間の計算と、敵の警報対策をこの資料をもとに作ってくれ! 俺とジェットは、どっちにも動けるように整備と作戦の見直しだ!」
"ジョーよ! 頼むぜ!! ! フランソワーズを!!"

* * * * *

「ねえ! やっぱりやめましょうよ……こんな恐ろしいこと……何だか私怖いわ……」
 女官はキャサリンの手をそっと握り締め、不敵な笑みを浮かべる。
「陛下! 陛下は何もご心配なさることはないのですよ! 陛下は、彼女がこのカップに口を付けるよう、し向けるだけ。後の始末は、陛下のいらっしゃらない場所で、私どもがいたしますもの。陛下は何も見なかったし、知らなかったと」
「……でも、もしジョーがこのことを知ったら、私ますます嫌われてしまう……」
「そんなことはありませんよ! あの娘がいなくなれば、彼もきっと陛下の方を向いてくださいます。このことは、絶対に他言無用ですよ! もちろん! 大臣たちにも……いいですね!!」
「…………」
 扉をノックする音が聞こえ、案内係がフランソワーズが到着したことを伝える。女官がキャサリンの返事も聞かずに部屋に通すように答えると、案内係に従えたフランソワーズが入って来た。女官は、その目でキャサリンに合図を送る。
「……まあ! よくいらしてくださいましたわ! ありがとう……」
「いえ……あの、本当に私のような者が、陛下のドレスを選ぶなんて何だか自信がないのですが……」
「ああ……そんなことはないのよ。……つまり、その……あなたなら、良くご存知ではないかと……」
「えっ? なにを……です?」
 少し頬を火照らせながら
「ジョーの好みのドレスを貴方なら選んで頂けるのではないかと……」
「…………」
 そんなキャサリンの顔を見ながら、キャサリンのジョーに対する思いをひしひしと感じフランソワーズは彼女のことを羨ましいとさえ思っていた。
"……この人は、何て正直な。自分の思いを何の躊躇いもなく表に出せるなんて、私にはとてもできない……" 「あの……彼の好みって?」
「私ね……ジョーのことをずっと、日本でお会いした日から好感を持っていましたのよ。でもジョーは私のことを避けているような気さえするのです。でも、どうしても諦めることなんて出来ないのです。だから少しでも彼の好みの女性になりたいって……」
「あの、陛下……私には、彼の考えていることや……その、好みって言われましても、正直よく判らないのです」
「だって! だってあなたは、ずっと彼と居るのでしょ?」
「……それは、仕事上一緒なだけで……」
「本当に? 本当にそれだけの関係なの?」
「…………」
 黙って頷くフランソワーズ。
「……わかりました……でも、じゃあ、貴方のセンスでドレス選びを手伝っていただける?」
「……それでも良いのでしたら…………」
「よかったわ! それでも断られたら、私どうしようかと……」
 部屋の隅に用意されているシングルハンガーに掛けられた数十枚のドレスをフランソワーズに見せながら
「これ……全部用意させた物なの……この中から私に一番似合うものを選んで欲しいの……」
 見せられたドレスの眩さに驚きながらも、自分なりに誠意をもって手伝いをしようと思っていたフランソワーズは
「……素晴らしい物ばかりで……どれも、陛下にお似合いになりますもの、どうしましょう……」
「ジョーなら、どれを選んでくださるかしらね?」
 少し困った顔をしながら……
「……わかりました。私にわかる範囲で、多分……シンプルですが、とても素材が上質で、このチュ-ル・レースが陛下の品格をより引き立てるような気がします」
 と、微笑みながら答えると、薄いブルーの色で背中が少しだけ開いている品の良いドレスを手にとって見せる。
「そう、少し地味な感じだけど、確かに素敵なレース使いね。これ、試着してみようかしら……」
 すると、ドレスを注文された店のスタッフが試着の手伝いを始める。
 その間、鏡の前でキャサリンを待っていたフランソワーズは、その鏡に映った女官と目が合う。気分が悪くなりそうな彼女の視線……。目をそらした後、ふと考え込んでいると、着替えが済んだキャサリンが再び登場した。
 フランソワーズが選んだドレスを身に纏ったキャサリンはキラキラ輝いて見えて、恋をしている女性の香りがしてる。そんなキャサリンに思わず酔ってしまいそうになる。
"……なんて美しいのかしら……。ジョーが彼女のことをほっとけなくなるのも無理はないわね。それに彼のことをこんなに愛していて、だからこんなに輝いているの? ……それに引き換え私はいったい……"
 そんなことを考えながら、少し悲しい気持ちになるのを表に出さないように必死に抑えつつ
「……とってもよくお似合いですわ! 本当にお美しい……そうだわ! ヘアスタイルをアップしてみたらもっと、イメージがおわかりになるのでは?」
「ありがとう! 本当ね……あなたの言うとうりだわ! シンプルだけど、とても素敵!! 髪上げるの手伝ってくださる?」
「ええ、」
 と言って微笑むと、ドレッサーにあったブラシとヘアピンを手にとって、キャサリンの後ろ手に回る。
「……失礼します」
 声を掛け、キャサリンの髪を束ね止めようとしたその時、フランソワーズは、キャサリンの首の付け根の骨の近くに異物があるのを発見した。注意深く彼女の力を使ってその部分を透視をしてみると、その異物が小さな金属片のような物で、小さな文字が刻まれているのが見て取れた。もちろん普通の人間が見ても、傷一つとして判らない。それはフランソワーズだから、003だから、見えたのである。
"まさか……そんな!! そんな……いけない、女官に悟られないようにしなければ……。でも、じゃあキャサリンは何も知らずに? ……どうしてそんな……ひどいわ……ひどい! 人の体をなんだと思っているの?"
 キャサリンのうなじあたりに埋め込まれている小さな金属片……。それこそが、これまでサイボーグメンバーが、そしてシュリをはじめNBGまでも、必死で探していた、あの八番目のチップだったのである。
 あまりのショックに、思わず手に持ったブラシを落としてしまう。
「どうかして? 何だか顔色が真っ青よ?」
「……ああ……申し訳ございません! 少し目眩が……」
 そう言いながらブラシを拾おうとしたフランソワーズに例の女官が近づいてくると
「本当に顔色が悪いですよ! 少しこちらでお休みになっては……。今ハーブティーをご用意いたします。少しは落ち着かれるかと……」
 そう言いながら彼女の体を支えると近くの椅子に座らせる。女官はキャサリンの方を向き、一つ頷きながら部屋を出て行った。
"……あの女官、絶対にNBGのスパイだわっ! でも……まだ、キャサリンの体のことには気づいてはいない。もし気づいたとしたら大変なことに! 早く皆に知らせなければ……"
「……フランソワーズさん! 大丈夫?」
「陛下! ……あの、とても言いにくいのですが、あの女官の方は、前から?」
「いいえ! ミレット婦人がお休みの間だけ彼女代わりに……」
 フランソワーズは服のポケットから自分の通信機を取り出し、そっとキャサリンに手渡す。
「これは絶対に彼女に見つからないように……。このボタンの一番を押すとジョーと直通で話すことが出来ます。陛下の身にもし危険が及びそうな時は、これでジョーに連絡を!」
「……どういうことですの?」
「お願いです! 私の言うことを信じて!! あの女官には気をつけて、決して油断はしてはいけません!」
"……仕方がないわ! 私には脳波回路があるし……とりあえず、女官が戻ってくる前に、彼女にもある程度理解をして貰わなければ……"
「……フランソワーズさん? 本当にこれで、ジョーと話を?」
 頷きながら女官がまだやってこないことを確認する、そして彼女の腕を掴むと
「陛下! どうか、私の話を信じてください。あの女官は陛下の命を狙う可能性があります。怪しまれないようにジョーに連絡を……。ここは、私が何とか巧く繕いますから……」
「……フランソワーズさん! 私、あなたに……」
「来るわっ!」
 口元に人差し指を当てるとキャサリンの顔を見て頷く。
 女官がハーブ・ティーを手に持ち部屋に戻ってきた。
「お加減はいかがです?」
「ありがとう。でも、もう大丈夫ですから」
「よかったわ。ねえ、陛下!」
「えっ……ええ」
"……どうしよう……彼女は本気で、フランソワーズさんを? でも、今言ってしまえば、今度は私が狙われるかも? どうしたらいいの……"
 キャサリンは自分がまいた種とは言え、泣きそうな気持ちでいっぱいだった。
「……どうぞ」
 差し出されたカップを見つめながら、フランソワーズは薄々感づいていた。"危険" が迫っていることに。
"これは……睡眠薬ね。それも、とても強力な……。そうだわ、飲む前に脳波回路でここを連絡しておけば……"
『……だれか、聴こえる?』
 そんな彼女の回路を、既に潜入していたジョーがキャッチする。
『フランソワーズ! 良かった! 無事だったんだね?』
『ジョー? どうしてここに? ああでも、今大変なことに……。八番目のチップが見つかったの!』
『何だって? いったいどこに?』
『二階にある衣裳部屋の隣の応接室なの。……これから睡眠薬を飲まされそうだから……その前に……うっ!』
『フランソワーズ! どうした? フランソワーズ!!』
 なかなかカップに手をつけようとしないフランソワーズに業を煮やした女官は、手に持っていた薬を含ませたハンカチーフで彼女の口と鼻を押さえつける。強力なその薬は、たちまちフランソワーズの意識を遠くしていったのである。
 椅子から崩れ落ちて行くフランソワーズを呆然と見つめているキャサリンは、両手を顔に当てて、今にも泣き出してしまいそうだった。
「陛下! 何もご心配なく。お部屋でお休みください!」
 キャサリンをその場から追い出すと、女官はNBGの兵士にフランソワーズの体を地下の部屋に運ぶように命じた。
"二階の衣裳部屋か……フランソワーズ、今行く! 今行くから待っていて……"
 ジョーは心の中でそう呟きながら加速装置を使い、たった今まで彼女等がいた、その部屋にたどり着いた。しかしフランソワーズはおろか、その部屋には誰一人としていなかったのである。
"くそっ! ……一体……どこへ?"
 そんな時、小型通信機が鳴り響く。
"誰だ? まさか……フランソワーズか?"  そう思いながら、手にとった通信機から聞こえてきたのはキャサリンの声だった。
「……本当にジョーなの?」
「キャサリン! どうして君が? フランソワーズはいったいどこに?」
「……ジョー、私どうしたらいいのかわからないの。誰を信じていいのか……」
「落ち着いて! 答えるんだ……この通信機はどこで?」
「……フランソワーズさんが……これでジョーに助けをって……。私、どうしよう……早く助けてあげて!」
「君はどこにいるの? フランソワーズと一緒じゃないのか?」
 いったい何があったんだ? キャサリンにも危険が迫っているということか? だから、フランソワーズは彼女に小型通信機を?
『グレート! グレート聴こえるか?』
『我輩を呼んだのは、おおジョーか?』
『ふざけている場合じゃないんだ! これからすぐにキャサリンの身柄を確保してドルフィン号へ! 他の仲間に伝えて彼女の保護を! 君はキャサリンに変装して宮殿に残ってくれ!!』
『おいっ! ジョー,フランソワーズは、見つけたのか?』
『いやっ! 誰かに連れ去られたようだ……僕はこのまま探すから……頼んだよ!』
『了解!』

* * * * *

「閣下! 003の身柄を確保いたしました!!」
 そう言いながら、地下にあるNBGの秘密部屋に女官の姿をしたNBGの女スパイが入ってくる。目の前にした003の姿に、マクレーンは思いも掛けないその容貌に一瞬息を呑んだ。
「……よくやったな、ニーダ。他の幹部よりよっぽどマシな仕事をしているな!」
 と言って、ニヤッ! と笑みを浮かべると
「閣下……後は、八番目のチップの在り処を……」
「期待しているぞ! あの女王が何かしらの手掛かりを握っているに違いない」
「はい! 003は始末してしまいましょうか? それとも……」
「……ふっ……こんな良い人質は居まい! このまま生かして、そうだな……009をどん底に陥れるには、少し可愛がってあげようか?」
「それはお好きなように……。キャサリン女王も念願がかなって私の言いなりに……。どうでしょう、その無残な姿を映像に収めて、やつらに送ってやると言うのは……」
「お前は相当の悪だな! 本当に女なのか? ……もし望むのであれば最強のサイボーグに改造してやるが……」
「ありがとうございます。でも、私はこのままで良いのです。望むものなど生まれた時からないのですから」
「変わった奴だ! まあ、そこがかわいいのだがな。お前の言うとおり、奴らにプレゼントでもすることにしよう……無残な映像を」
「……それでは、女王が気になりますので、私はこれで戻ります」
 ニーダはその部屋を後にした。
 マクレーンは、床に投げ出されたフランソワーズをソファーに寝かせるように命じると、もう一人の兵士に
「……ビデオの用意を……。用意が出来たら、そうだなお前、この娘を好きにして良いぞ! ただし殺すなよ、撮影が終わったら私がたっぷりと楽しませてもらうのでなあ。……フフフ……」
 と高笑いをすると、フランソワーズの頬にその手を触れ、
「今のうちに良く眠っておくのだな、美しい戦士よ……」
 と呟いた。

「フランソワーズ! いったいどこに連れて行かれたんだ!!」
 心の中で彼女の名前を何度も叫びながらジョーは広い宮殿の中の部屋を一つ一つ探して回る。
"くっそー!! ここも駄目か!!"
 落ち着け! 落ち着いて考えるんだ。NBGが密かに宮殿内に部屋を設けるとしたら……。 "地下か?"
 ジョーは加速装置を使って地下通路へ急いた。

"うっ! …………ここは?"  朦朧とする意識の中、うっすらと光が見えてくる。自分を取り囲む数人の影。NBGに誘拐され、無理やりに改造された悪夢を思い出す。
「……お目覚めの気分はいかがかな?」
「……誰? ここはいったい……」
「私の名前は、マクレーン。ここの責任者だ! 003」
 段々と意識がはっきりとして、目の前に居る人物の顔がはっきりと見えてくる。
"……この人! 前に会ったことが? ……思い出すのよ……そうっ! そうだわっ! 空港ですれ違ったサイボーグ? でも……どういうことなの? この人……普通の人間なの? あのサイボーグと同じ顔をしてるのに……" 「まだ、よく状況を飲み込めていないようだね!! 美しいサイボーグ!!」
 そう言いながらフランソワーズの顎を上に向かせると、不敵な笑みを浮かべる。その瞬間、全身に鳥肌が立つ。
「さわらないでっ!」
 その手を払い除ける。
「威勢の良いお嬢さんだ。まあそう言っていられるのも今のうちだがね。……用意はいいか?」
 近くに居る部下に合図を送ると、ビデオカメラを持った兵士と、体格の良いその中では一番若い兵士が近づいてくる。
"なっなんなの? ……一体何をするつもりなの?"
 表情を強張らせながらソファーから立ち上がろうとするが、先程の強い薬のせいで思うように体が動かない。
「無理だよ。君はもう逃げられない。でも、命を奪おうとは思っていないから安心したまえ」
 マクレーンは、笑いながら兵士に合図をする。
"やれっ!"
 一人の兵士が後ろから彼女の腕を掴みかける。が、その手を振り解き
「いやっ! 離して!! ……あなたたち、一体…………」
「君の仲間達にプレゼントを贈るのだよ、君の協力が必要なんだ!!」
「……プレゼント?」
「……フフフそう! プレゼント!! ! 君の美しい体が私の部下と一緒にこのビデオに収まった映像を君の仲間に、009に見てもらおうと思って。協力してくれるだろ?」
 その言葉を聞き、全身が緊張する。首を横に振りながら
「いやっ! ……そんなこと……」
 身を捩りながら抵抗する。しかし、命令された兵士がそんな彼女の足首を引っ張り、ソファから引き摺り下ろすと、両手を掴みフランソワーズの上に圧し掛かる。
「いやっ、やめて!! 誰か、誰か助けて……」
「叫べ!! もっともっと叫んでビデオを見ている仲間を楽しませるのだ!! ハッハハ」
 何とか抵抗しようとするが、思うように体が動かない、そうこうしている内に着ていた服は無残にも引きちぎられそのブラウスの下からは白い肌が露になる。
「美しい……本当は私が可愛がりたいところだが、ビデオに写るのは遠慮しておくよ。そうそう、後でゆっくりとかわいがってあげよう。今は見物させてもらうことにするよ。もっと叫んでいいのだよ。そうすれば奴はもっと苦しむ。……フフフ……ハハハ。さあ! どんどんやってしまえ!」
"……こんな……こんなことは、絶対にい……や……いやっ!"  若い兵士は彼女の足を開かせると、片方の手をスカートの中に滑り込ませていく。
「やめて……お願いだから……いやーああああああ!!」
『フランソワーズ!! ! 答えて!! どこにいるの?』
 ジョーの脳波回路をキャッチしたフランソワーズだが、錯乱状態で、居場所を伝えることが出来ない。
『ジョー!! 早く、早く来て……』
『フランソワーズ? 今どこに?』
『……いやっ! いやーあああジョー!!』
"なんなんだ? 一体何が?"
 フランソワーズが危険な状況に居ることを察知したジョーは、地下の部屋を猛スピードで探索していく。そして、唯一つ鍵の掛かった部屋を発見する。 "ここか?"
『フランソワーズ! 今、今行くから……がんばって!』
 そう言いながら、扉に何度も体当たりをする。ようやく扉が開いて見ると、数人のNBGの兵士がジョーに向かって数発の銃を発射する。
「ジョー!!」
 加速装置で何とか交わすジョー。
 自分の置かれた状況に絶望感さえ感じていたフランソワーズだったが、ジョーが突入したことで再び抵抗を試みる。薬の力が弱まり足が動かせるようになったフランソワーズは、今ある力のすべてを足に集中すると、自分の上に圧し掛かっている男の股間を思いっきり蹴飛ばした。一瞬ひるんだ男が思わず彼女の体から離れると、その隙を見てジョーの近くへ逃れようとするフランソワーズ。
「フランソワーズ! だっ大丈夫?」
 一方、彼女の姿を見たジョーはそのあまりの姿に一瞬驚愕するが、その脳裏には "怒り" が沸々とわいてくる。
「ジョー! 後ろに気をつけて!!」
 そんな姿になりながらも、ジョーをサポートするフランソワーズだったが、マクレーンの存在を忘れていたせいか、一瞬の隙に羽交い絞めにされてしまう。
「飛んで火にいる夏の虫……とは、日本のことわざだったかな? この娘の命が大切なら銃を下ろすことだ、009!!」
「なん……フランソワーズ!」
『ジョー銃を置いては駄目! 回りは敵だらけだわ。私は、私のことは……それより、キャサリンを……』
 脳波回路で、気丈にもそう呟いた彼女だったが、ジョーは、首を横に振りながら銃を下ろす。
「ジョー! 銃を置いては……どうして?」
「009! お前のこれまでの活躍は誉めてやろう。たいしたものだ。だが、私の計画を邪魔することは絶対にさせんよ。残念だがここで仲良く始末してやろう……」
 兵士たちに新型のレザーガンでジョーを撃つように命じる。
「やめて! ジョー加速装置で逃げて!!」
「うるさいお嬢さんだ!! まとめて送ってやろう。もっとかわいがってやりたかったが、君は私の命を狙う危険があるのでな……」
 ジョーの方へ突き飛ばすと、兵士たちは一斉にレーザーを発射した。
 ラリー・マクレーンは、高笑いをしながら部屋を出て行く。
「遺体はこのままにしておけ! やつらの仲間を誘き寄せるのだ。そのまま一気に爆破させればよい。思ったよりあっけなかったな、009よ」
 ジョーの息が止まっていることを確認すると兵士たちもそろって、部屋を出て行った。
 一瞬の出来事にも拘らず、ジョーはフランソワーズを自分の体の下に庇っていた。レーザーガンは防護服を有に通過して、ジョーの体に命中していた。
"……うっ…………ジョー?"
 ジョーの体の下敷きになっていたためにレーザーガンの直撃には合わなかったものの、更なるダメージを加えられたフランソワーズは、自分を庇って倒れているジョーに気が付くと呻くように彼の名前を呼んでみる。
「……ジョー? ……ジョー? ……ジョー、答えて!! 答えてよ!!」
 涙が頬を伝わって行く。
「……うそ……!! ジョー!! ジョー!! お願い答えて! ジョー!! いやーあああ」
 自分を庇って本当にあのジョーが? とても信じられなくて何度も彼の名前を呼んでみる。だが、返事ははかった。
ジョーの腕の中に抱かれたまま、フランソワーズはジョーの顔に頬擦りをするとそっと口づけを交わし、そのまま自分の瞳も閉じた。
"……もう、もういいわ……このまま一緒に……。やっと、二人きりになれたのね。……あなたの腕の中に居る。……これでやっと夢がかなったの。……ずっと一緒に居られる……ずっと……"
 暗闇は深く、さらに深くまるで二人の恋人を包み込むように呑み込んで行く。


No. 29 幻想

「……どうだ? ……フランソワーズは……」
 作戦ルームに戻ってきたピュンマにジェットが訪ねる。
「……いや。……どうしてなんだろう? ……彼女には、レーザーガンはあたっていないのに」
 ジョーとフランソワーズを救出に向かったハインリヒとジェットは、NBGの地下の部屋で抱き合いながら倒れている二人を発見し、あまりに衝撃的光景に一瞬その目を疑った。
「……ジョー! …………うっ!! ……なん……なんだ? 一体何が?」
 フランソワーズを庇って彼女を抱いたまま蹲るジョーの背中には、レーザーによって焼け爛れた防護服がこびりつき、その下のジョーの体は言うまでもなく無残な姿になっていて、さすがのジェットとハインリヒも目を覆いたく成る程だった。
「一機じゃないな! 恐らく敵は数十人。いくらジョーが最強のサイボーグだって、こんな至近距離で、しかも彼女を庇っていたら」
「……とにかく、早く手当てを!」
 そう言って、ジョーの体を起こそうとするジェット。 「……っつ……ジョー? 大丈夫か? ……ジョー!! 何とか言えよ!!」
 そしてジェットに続き
「ジョー! おいっ! ジョー……まさか? そ……ん……な………ジョー!!」
 思わず叫ぶハインリヒ。ジェットと顔を見合わせる。  フランソワーズと引き離そうと、二人はジョーの体を起こそうとするが、ジョーの体は彼女から離れようとはしなかった。ようやく引き離すことができ彼女の体を抱き起こそうとした時、フランソワーズのその痛ましい姿にもまた驚愕してしまった。着ていたブラウスのボタンは引きちぎられ下着までも破れかかっている。白く透き通るような体には無数の傷が生々しく残っていて、意識のないその顔からはあきらかに涙の跡が残っていた。
「……くっ……あいつら!! 一体彼女に何をしようと? ……許せん!! 絶対に許せん」
 いつも冷静沈着なハインリヒが思わず口にした。ジェットは怒りのあまり、近くの壁を何度も何度も蹴飛ばす。ハインリヒは自分の着ていた防護服を脱ぐと彼女の体に掛けてやる。
「……ジェット!! フランソワーズはまだ息がある!! 急いで、ギルモア博士をドルフィン号に呼び寄せるんだ!」
「……ジョーは?」
 とジェットの問いにハインリヒは再びジョーに目をやると
「ジェロニモは無事にキャサリン女王を連れ出せたかな?」
「ああ……たぶん、大人もいっしょだし……」
"ジョーのからだをこの状態のまま運び出すにはジェロニモしか……。ギルモア博士はジョーを助けることが出来るのか?" 「ジェット! ……エドガーとか言ったな? あの医者は……。彼の所にフランソワーズを連れて行ってくれないか!」
「どういうことだ? 何だって部外者に!!」
「……とりあえず彼にフランソワーズの手当てをしてもらう!」
「何だって?」
「ジョーだってまだ望みを捨てる訳にいかないんだ! ギルモア博士に二人いっぺんに手当てすることは不可能だ!」
 ハインリヒの真剣な表情をしばらく見つめていたジェットは
「わかった! お前の言うとおりのするよ。オーギュスト・ボアの別荘に居ると言っていたな? で、ジョーはどうする? お前一人では……」
「ジェロニモに応援を!」
 ジェットは頷く。フランソワーズの体をそっと抱き上げると、急ぎエドガーのもとへ飛んでいったのである。
"……フランソワーズ! ……何てことだ! こんなことが……"
 ハインリヒは思わずヒルダとの悲しい過去が蘇り、傍らに横たわるジョーの体に触れると
"ジョー! フランソワーズを置いていくなよ? ……お前が消えてしまったら彼女はいったい……"

* * * * *

 オーギュスト・ボア別荘。
 ドンドン!! ドンドンドン!!
「おいっ! 誰か!! !! ! 起きてくれっ!!」
"誰だ? こんな夜中に……"
 深夜になっても寝付けないでいたシュリは、怪我をしたその足を引きずりながら、階段を下りていく。
「おい!! 緊急なんだっ!! 起きろってば……」
「誰?」
「俺はジェット! ドクターエドガーに見てもらいたい人が……」
"なんだ? ……ジェット?"
「……ここは、病院じゃないぜ!」
 扉をひらくと、フランソワーズを抱きかかえたジェットが悲痛な面持ちで立っていた。
"……なん……だ……"
 その姿に驚きを隠せないシュリ。
「フランソワーズ!」
「……助けてくれっ! まだ、ジョーが……ギルモア博士は、ジョーで手一杯なんだ! エドガーを!!」
「とにかく中に入って!」
 シュリは、別荘の空いているベッドルームにジェットを案内すると、急いでエドガーを呼びに行こうとする。その時、ベットに彼女を寝かそうとしたジェットの腕から、するするっとハインリヒが掛けてやった防護服がズレ落ちる。すると、なんとも信じがたいフランソワーズの姿が目に止まる。
「いっ……一体何があったんだ! この姿は? ……おいっ!! 何とか答えろよ!!」
「……俺たちが行った時には……ジョーの奴も……ジョー……が……」
 階下の騒々しさに目を覚ました、オーギュストとエドガーが、姿を現す。
「こっこれは? ……とにかく、医療器具を用意する」
 フランソワーズの状態をある程度確認したエドガーが部屋を飛び出す。
「おいっ! ……ジョーがどうしたって? ……フランソワーズは誰にこんな目に? …………」
「……罠だったんだ! キャサリンに呼び出されて……あいつら最初からフランソワーズを!!」
「…………」
「ジョーはフランソワーズを抱きしめたまま倒れていて、すべての攻撃を自分の背で受け彼女を守ったんだ!!」
「……ギルモア博士は?」
 オーギュストが始めて言葉を発する。
「今、仲間が迎えに……ただ…………ジョーは、既に息が……・」
 シュリとオーギュストは互いに視線を交わし、この信じがたい状況を呑み込めずにいた。
「……くっそー!! 許せん!! 絶対に……」
 立ち上がったシュリに
「シュリ!! ! その怪我では何も出来んぞ……本当に奴らを倒すつもりなら、もっと頭を使え!!」
 オーギュストがシュリの腕を掴みながら呟く。シュリは力いっぱいに握りこぶしを作り、怒りで一杯になった感情を必死で押さえ込もうとした。
 診察を終えたエドガーが、ジェットたちの待っているリヴィングに姿を現す。 「エドガー!」
「……うむっ! 大丈夫!! 命に別状はないし、攻撃の直撃はまったくないようだ……それに……恐らく、危ない所を彼が救ったんだろう……」
 エドガーがそこまで言うと、その深い意味合いをそれぞれ理解をし、ある意味安堵した。
「……だが……目が覚めたときのフランソワーズのココロが一番心配なんだ!!」
「ココロ? ……確かにな……」
 とシュリ。 「……俺! ……俺……ジョーの様子を見て来る! あとでまた来ます。どうか彼女のことを頼みます」
 いつも突っ張っていたジェットが始めて彼らを信頼している態度を見せていた。

* * * * *

 ハインリヒとジェットに救出されたフランソワーズは、三日間全く目を覚ますことがなかった。
 そしてジョーはと言えば、あの後ギルモア博士によって、十五時間にも及ぶ手術を受け、人工臓器をすべて取替え、人工皮膚を移植し、その後も小さな手術を繰り返していた。
 さすがのギルモア博士も度重なるジョーの手術に疲れ切っていた。

「博士! ……ジョーはどうなんです?」
「体は、すべて新しいパーツに取り替えた。だが呼吸をしていなかった時間が長いので、脳がどこまで耐えているかが問題じゃ!! 通常の人間じゃったら恐らく……。あとは、本人の生命力を信じるしか……」
 そんな中、ようやく夜の時間から目を覚ましたイワンが、けたたましい泣き声と共に、彼らの元に戻ってきた。
「ギャ!! ! ギャ!! オギャ!!」
「……おう……よしよし……イワンや……皆ずっとお前さんが起きるのを待っておったんじゃよ!!」
「ワカッテル! ……デモ博士……コンカイハ、ボクニモ自信ガナイヨ……」
「イワンや! のう……そんなことを言わんで、頼むからジョーを助けてやってくれ……」
「そうだよ、自信がないなんてお前には似合わん……」
 とハインリヒ。
「デキルダケノコトハ、スルツモリダヨ。デモ、一度魂ガ抜ケテシマッタ体ヲ戻スノハ歴史ヲ変エテシマウ可能性ダッテアルンダヨ。ソレニ、肝心ノフランソワーズガ……アノママデハ…………」
 そんなイワンの言葉に皆先の見えない不安の襲われていた。
 エドガーに応急処置を受けたフランソワーズは、その後ギルモア博士の検査を受けるために、ドルフィン号に戻ってきていた。だが相変わらず意識が戻らない彼女に、入れ替わり立ち代り仲間達が付き添っていた。
 そんな中、シュリもいつしか付き添いに加わるようになっていた。

* * * * *

「お兄ちゃん! ……待って……待って! 行かないで!! ! お兄ちゃん!」
 幼いフランソワーズは懸命に兄ジャンの後を追う。しかし、追いかけても追いかけても兄のもとに辿り着けず、呼びかける声もだんだん涙声に変わる。
「私も一緒に連れて行って! ……どうして? どうして? みんな行っちゃうの……お兄ちゃん!! ううっ……」
「…………」
 彼女の呼びかけに振り向くことなく前に進もうとする兄。そんな兄をさらに追いかけるフランソワーズ。
「お兄ちゃん……ハアハア……待って! ……一人にしないで……」
 突然立ち止まった兄が振り向いた。いつの間にか兄ジャンはジョーの姿に変わっていた。
「ジョー? ……ジョーなの? ……ジョーなのね!!」
「………………」
 無言で彼女を見つめるジョー
「……よかった!! 無事だったのね! ……よかった……」
 大人の姿になったフランソワーズはそう言いながらジョーに近づこうとするが、先程の兄と同じく、近づこうと思えば思うほど遠く離れていく。
「ジョー? ……待って! ジョー……どこへ行くの? ……どうして、何も答えてはくれないの? ……うっっ! ジョー?」
 フランソワーズの叫び声は何時しか嗚咽に変わっていた。そこへ女官がニーダが現れる。
「あなたは? どうしてここに?」
「私は、あなたの味方よ! あの男はあなたを裏切ったじゃない!! 私が、苦しめてあげる!!」
「何? 何を言ってるの? 彼は私を裏切ってなんていない。彼は優しいだけ! そう、優しいだけだわ!」
「フフフ……。あなたは彼に裏切られて、気が狂って私達の仲間になったのよ!! 忘れたの?」
「あなたが、何を言っているのかわからないわ。あなたは一体誰?」
「……私はミルタ。……忘れたの? 私はミルタ。そして、あなたはジゼル……」
「ジゼル? ……でも……でもそれは……」
 まるで彼女の魔法に掛けられたようにその場に立ちすくむフランソワーズ。あたりには横風が吹き抜け、なぜだかそれが絵のように視界いっぱいに広がった。
「フフフ……見ていなさい!! 今、あの男を湖の奥深くに沈めて、あなたの目の前から消してあげるわ!!」
 遥か前方を歩いているジョーに向かって魔法をかける。苦しみだしたジョーはその場に蹲る。驚いたフランソワーズはニーダに駆け寄る。
「やめて! お願いだから彼を苦しめるのは止めて!」
「フフフフフフ……。もっと苦しめ! もっと!!」
 駆け寄ってきたフランソワーズを突き飛ばし、ジョーの元へ歩いて行く。起き上がったフランソワーズは彼女の腕を掴むと
「ジョーが苦しんでいるわ! ……お願い、彼を助けて!」
「……だめよ! だってこれが私の仕事ですもの」
「お願い! ……私、彼を助けてくれたら何だってするわっ! だから……お願い……」
 するとニーダはフランソワーズの顔をまじまじと見つめると
「……何だってする? ……なにそれ?」
と冷たく言い放つ
「……彼を……愛してるの……だから、彼を助けられるのなら」
「愛? ……馬鹿馬鹿しい! 鳥肌が立つわ。……フッ、そうね。……じゃあ……私の欲しい物をくれたら、助けてあげるわ!」
「……あなたの欲しい物?」
「そう……私の欲しい物」
「……ジョーを助けてくれるのなら……」
 ニーダを見つめるその蒼く悲しげな瞳からは涙が溢れ出ていた。
「本当に? ……フフフ……」
「……だから……お願い……ジョーを」

* * * * *

「……ジョ……ううっ……」
 聞き取れないようなうわ言を繰り返しているフランソワーズ。
「どうした? 苦しいのか? フランソワーズ!」
 ピュンマが問いただすが、意識があるわけではない。
「……うわ言の繰り返しだ! しかもまったく声になっていないんだ……」
 寂しげにをそう呟いたピュンマに、様子を見に来たハインリヒとシュリが無言で頷いた。
「……俺、付き添い変わるよ……君も少し休んだ方が…………」
 シュリにそう言われたピュンマがハインリヒの方を見やると
「ピュンマ……そうして貰え! ……これから何があるのか見当も付かんが、ジョーのこともある訳だし、今のうちに体力をつけておく必要がある」
 ハインリヒはシュリの肩を叩く。
「頼むな! 何かあったら、ギルモア博士を……」
「……ああ、……それで……あいつは? ジョーはどうなんだ?」
 首を横に振るハインリヒだが、
「俺は、ジョーが仲間を置いて……いや、彼女を置いていく訳がないと信じてる! ジョーが……簡単に」
 言葉をつまらせた。 「……そうだな! 早く元どおりなって貰わないと、こっちも動けなくて困るぜ!」
 そんな会話を交わしながらお互いに頷きあい、ハインリヒとピュンマは部屋を出て行った。
 彼らが部屋を出て行った後、シュリはベッドに横たわる彼女の顔を見つめながら、妹のことを思い出していた。
「ねえ! お兄ちゃん……もし、もしの話なんだけど……」
 音楽雑誌に目を通しながら、妹の話をなんとなく聞き流す。
「……なんだ?」
「もう! ……そんなにつっけんどに言われるとちょっとね……」
  そう言われて、雑誌をずらし妹の顔を見る。
"……サリー……そう言えば気が付かなかったけど、最近少し大人っぽくなったような?"
「何? そんなにジロジロ見て……」
「何って、お前が最初に何か言いかけたんだろ? 回りくどくしないでさっさと用件を言え」
「……だから……もうっ! いいぃ!」
 そう言うと、マグカップをキッチンに持って行こうとする。
「おい! 俺はまだ飲みかけだぞっ!」
「……あとは、自分で勝手に入れれば!」
 少し拗ねたように背を向ける。
 あの時はまだ気づかなかった、自分の知らない妹の姿を……。  事件の後、サリーの大好きなチューリップの花束を手にいっぱい抱えて、教会にやって来た少年……。その表情は失意に満ちていた。そう、妹は "恋" をしていたのである。
"お前はあの時、何を言おうとしていたんだ? あの少年のことを……"
「うっ……ハァハァ……ジョー……」
 聞き取れないぐらいの彼女のうわごと。でも、何を言おうとしているのかシュリにはわかりすぎるくらいにわかっていた。
「苦しいのか? ……」
 額のタオルを取り替える。
"……あなたの欲しいもの? ……ジョーを……助けてくれるのなら"
 夢と現実との混在する中、彼女の瞼はゆっくりと開いていく。が、開けられたその瞳は、前方の一点を見つめているだけであった。
「……フランソワーズ? ……俺が……わかるか?」
 そんなシュリの呼びかけに、彼女の反応はなかった。
「フランソワーズ? 聴こえているのか?」
「…………」
"……私、生きているの? ……ジョーは? ……ジョーと一緒じゃないの? ……ジョーをジョーを返して! 返してよ……ウウッ……どうして私一人が……一人にしないで!!"
 フランソワーズの一点を見つめていたその瞳からは、大粒の涙が零れ落ちていた。
"フランソワーズ? …………聴こえているのか?"
 彼女の様子をしばらく見守っていたシュリだったが、何を語りかけても反応を示さない彼女に、だんだん不安にかられていく。
「……ギルモア博士は?」
 突然作戦ルームに現れたシュリは、誰にともなく呟いた。
「どうかしたか? ……博士は今休んでもらっているが…………」
 そんなハインリヒの問いかけに
「……そうか……彼女、意識が戻ったんだが、いや……あれじゃあ戻ったとは……」
 力なく呟くシュリに対して、勢い良く立ち上がったジェットが
「何だって? 意識が戻ったって。……彼女は?」
「……あれじゃあって、どういう意味だ?」
 ハインリヒの落ち着いた声が響く。
「……何度問い掛けても、一箇所を見つめたきりで、聞こえているんだかいないんだか……」
「一体どういうことなんだ?」
「……聞き取れなくぐらいのうわごとを繰り返しやっと目を開けたと思ったら、その状態で……だが、涙を流していた」
 皆、顔を見合わせながらも、言葉が見つからず無言のまましばらく沈黙の時間が過ぎて行く。
「……ギルモア博士を呼んでこよう…………」
 そう呟きながら、ハインリヒが立ち上がる。

* * * * *

 フランソワーズの診察を終えたギルモア博士がみなの前に現れる。
「博士! どうなんです?」
「……いや、時間がたてばよくなるじゃろう。今は、まだ疲労が取れていない上にジョーのことを気にして……」
「…………」
「ただ……気になることが……」
「気になること?」
 シュリが聞き返す。
「……わしの呼びかけはわかるようじゃが……言葉を話すことが出来ないんじゃよ」
「話すことが出来ないって! そんな……」
「……いわゆる、失語症。精神的苦痛が、重なるとまれに言葉をなくしてしまう病気で、一種の心の病と言われているが……。おそらくこれまで溜まっていた心労に今回のことが重なったのじゃろう……」
「そんな……どうしてそんなことに……くっそう!」
 ジェットが近くの椅子を蹴飛ばす。
「シュリ……君が声を掛けた時は、まだ夢と現実の間をさ迷っていたんじゃ。だから今なら反応はあるじゃろう。じゃが話をすることが出来ない分、君自身も辛い思いをすることになるぞ」
「そうだな……俺たちはとり合えず脳波通信で会話はできる。……が、君は……」
 とハインリヒ。
「博士! ……俺は、大丈夫ですよ! それより早く彼女を元どおりに……いや、元どおりになるように彼を……」
「そうだよっ! 博士……ジョーの奴が生き返れば、フランソワーズだって……」
「……わしはこれでも出来るだけの手は尽くしたんじゃよ! あとはイワンの力と、本人の気力しだいだ」
「…………」
「俺、様子を見てくるよ!」
 ジェットが部屋を出て行く、続いて行こうとする皆に
「おいおい……そんなたくさんで行ったら、まだ回復しとらんのじゃから……」
 ギルモア博士が呆れたように呟くと
「しばらくそっとしておいた方が、彼女のためなのか……」
 とハインリヒ。
「たいへんだ! フランソワーズがいないぞ!!」
 いきなりジェットが飛び込んできた。
「いないって? そんな馬鹿な!」
 シュリが部屋を飛び出す。続いてハインリヒもフランソワーズの部屋に向かう。
 が、途中のメディカルルームのドアが少し開いているのを発見し、中の様子を伺うと、ジョーが入れられている集中カプセルの横に手を付きながら黙ってジョーを見つめるフランソワーズの姿が目に映る。
"……フランソワーズ……そんなにジョーのことを? ……なんて、痛々しい。もしジョーがこのまま戻らなかったら君も、一緒に行ってしまうのか?"
 フランソワーズの華奢な体は、ずっと見つめているとそのまま消えてしまいそうだ。声を掛けるのさえ躊躇ってしまったハインリヒは、そっとそのドアを閉めたのであった。


No. 30 真実

 スイス銀行地下金庫室。スチールナ覆われた冷たい壁にもたれ掛かり、すべての力がまるで抜け切ってしまったかのように天井を仰いで座り込んでいるジャンの傍には、モルガンから渡された同銀行の貸し金庫室のキーと、幾年もの間その冷たい金庫の中で人目を憚るようひっそりと保管されていた一冊の調査修了書と未解決事件簿(極秘)の報告書が無造作に投げ出されていた。

 その2日前、パリ国際病院特別室にて。コンコンッ! ドアをノックする音が病室に鳴り響く。
「どうぞ…………」
 ベッドに腰掛けながら新聞を読んでいたモルガンは、眼がねの縁を上に上げながら、事務的に答えた。
 護衛に従うようにジャンが姿を見せる。新聞を膝の上に置いたモルガンは首を擡げジャンの方を見やった。
「……ジャンかっ! 久しぶりだな…………」
 久しぶりに見る元部下のジャンに対して、柔らかな視線を投げかける。
「お加減はいかがですか?」
「ご覧の通りだよ! ……頭はすっかり元気なのだが……」
 笑顔で答えるモルガンだったが、その顔は以前に比べると少しやつれているように見えた。
「お元気そうで安心しました! もっと早くに伺うつもりだったのですが、面会の許可がなかなか貰えなくて」
「いいのだよ! そんなことは気にせんで。それより掛けなさい!」
 立っていたジャンに椅子を勧める。
「聞いたよ。辞表を提出したそうじゃないか?」
 残念そうに呟くモルガンに対して、ジャンは唇を一文字に噤むとモルガンの瞳をじっと見つめながら、黙って頷いた。
「……惜しいことを……もし君が望むのなら、外務省でも法務省でもいくらでも推薦状を書く用意があるが?」
「モルガン長官、今日は無礼を承知であなたにお聞きしたいことが……」
「…………」
 黙ってジャンを見つめるその穏やかな瞳には、彼が何を云わんとしているのか判りすぎるくらいにわかっていた。
「……これまでいろいろと目を掛けていただいたことは、とても感謝してます。でも、どうしても、どうしても、納得がいかないことが多々あるのです!」
「……それは、君のご両親のことかね?」
「それも一つです!」
「……それも一つとは? 他に何か?」
「妹の失踪と今回の一連の事件のことです」
 訴えるようなジャンの表情にもはや誤魔化しは効かないことを、モルガンは既に悟っていた。
「ふむっ! 穏やかじゃないね」
「……私は、当初両親の事件について、自分なりにいろいろと調査をしてみました。だが、ここぞと言う時にいつも大きな壁にぶつかる。何か自分ではわからない大きな力がそれを邪魔させるのです」
「…………」
「……でも、ある時から妹と二人、平穏に暮らせるのであればこのままでもいいのではないかと半ば諦めに近い気持ちと、あの事件について正直開放されたいと心の奥底では思っていたのかもしれません!」
「……ジャン、ご両親のことは私もとても残念に思っているよ」
 父と友人関係にあったモルガンはジャンが国防省に入所した折から色々と目を掛けていた。そのために、ジャンがどんな思いでいたかと言うことも手に取るように判っていたのである。
「でも、そんな時です!! 妹が、自分の目の前で……」
「…………」
「あとはもう、あなたのご存知の通りです!! 追いかけて追いかけて、でも救ってあげることが出来ず……。その後だって、どんな思いで探し続けたことか!! 一体何者なんだ!! なぜ私の妹を? 何のために? ひょっとしたら自分が国防省に居るがために? 頭の中は色々な憶測が飛び交い毎日が混乱でした。そして私にできる、ありとあらゆる手を使って探し続け、回りからは変人扱いされることも……。でもどうしても両親の時と同じく、ある所まで行くと大きな力で阻止される!!」
「……君が服務規程ぎりぎりのことを行なっていることぐらい、私が知らないとでも思っているのか? ジャン一つ君に助言するとすれば、すべてを知ることが良いとは限らない。世の中には知らない方が幸せなことだってたくさんありうるということだよ!」
 溜息交じりで答えるモルガンに対して、苛立ちを隠せないように
「……やはり……あなたが裏で?」
 ジャンはその蒼い瞳でモルガンの顔を逸らすことなく睨んだ。
「……妹さんのことは、私も胸が痛い……やりきれない思いだよ。だが、だからと言って、君に真実を打ち明ける時ではなかったのだよ」
「何かご存知なのですね? 教えて下さい!! 一体何があるのですか? 妹のことと両親のことはどこかで繋がっているのですか? 長官!! 答えてください!!」
 声を荒げるジャン。すると表に立っていた護衛が中に入ってくる。
「何でもないよ! 心配はいらん」
 再び外に出るように合図する。
「ジャン、もしこれから真実を知ったとしたら、私は君のことが心配でたまらんのだよ!」
「何があっても、大丈夫です! 私はそうでないと前には進めない!!」
 困ったような顔をしたモルガンは、半ば諦めたように
「……わかった……では、まず今回の事件の始まりから話すこととしよう」
「イコンの?」
 頷くモルガン。
「君の父上と、私、現在CIAの幹部をしているラリー・マクレーン、そして当時はアメリカ人を装っていた旧KGB幹部アレクセイ・ロマノフスキーの四人は、米国の某大学の研究員として二年間を共に過ごした」
「旧KGBの幹部が米国で?」
「……そう! 彼の場合は半分は国への報告、つまりスパイ行為も同時に行なっていた訳だ! そうとは知らない我々は、みな良い仲間だと思っていた。いや、現に良い仲間だった」
「……すると、例のファイルはそのアレクセイという人物が?」
 モルガンは頷きながら
「その通りだよ。彼はKGBの幹部とはいえ、あの兵器を使用することは自国の首をも閉めてしまうと悟っていた。だが当時のあの大国では、国家の決定に意見をすると言うなど犯罪行為だったのだよ」
「……それで、あなたにあのファイルを?」
「……彼の亡命を助けたのは、私とそしてもう一人、ラリー・マクレーンだった。私とマクレーンはドラゴンのイコンの秘密を誰にも、もちろん自分たちの国にも秘密で、ファイルは私がしかるべき処分を委任され、お互いの心の中に封印することにした」
「……それが何故今になって?」
「……アレクセイには、当時、妻とユーリと言う息子とサーシャという娘がいたのだ。だが、元々体力がなかった彼の妻は亡命先で倒れそのまま……。彼は子供たちだけでも、まともな生活をさせたかったのだろう……。アメリカ国籍をとって教育を受けさせようと考えていた。その手助けを買って出たのがマクレーンだった」
「……CIAの幹部がKGB幹部の亡命を?」
「……まあ、まともに考えていたら変な話だがな。でも彼は、その子供たちをまるで自分の子供のようによく面倒をみていたよ!! ……あんな事件が起こるまではね」
「あんな事件?」
「……そう、あんな事件だ!! あれは君の妹が行方不明になったのと丁度同じ頃。私は、マクレーンから信じがたい要望を聞かされたのだよ」
「……要望?」
「そう……彼は、封印したはずのあのファイルをよこせと、半ば脅迫めいたことを言ってきたのだ」
「なぜです? 彼は味方なのでは?」
「……いいや……私達の仲間だったラリーは既にある組織によってサイボーグに改造されていたのだ。しかも心のないサイボーグに……。さらに彼らは、CIAの組織力、研究施設、膨大な情報を手に入れんと躍起になっていたのだよ。マクレーンのクローンまで作って、ありとあらゆる悪事を実行しようと企んでいたのだ」
「サイボーグって? いったい…………」
 ジャンはこれまで映画でしか効いたことがない "サイボーグ" という名詞を聞くと、現実の話として消化するのにしばらくの時間がかかった。
「マクレーンは要求に応じようとしない私とアレクセイに、見せしめとして彼の娘の命を奪ってしまったのだ。彼の子供たちはラリーおじさんと呼んでとても慕っていたし信頼もしていた。まさか……あのラリーが? 事件を聞いた時には耳を疑ったよ。その後だ! アレクセイからラリーは偽者だと言うことを知らされたのは……」
「……それで今回、アリスンをスパイに送り込んだ?」
「奴らがあの兵器の製造に踏み切ったとの情報を得てな。科学的な知識のあるスパイが必要だったのだ!」
「……その、もう一人の息子さんは無事だったのですか?」
「あの後アレクセイは息子を呼び寄せた。だが……そのすぐ後だった!! アルヌールの娘を拉致をしたと……。私には家族はいないからね。親友の娘を……。だから、君のせいではないのだよ! ジャン。奴らは最初から私へのあてつけで」
 ジャンは、無意識のうちに体が怒りで震え出しているのを必死で抑えようと何度も小さく深呼吸をする。 「……なぜ? フランソワーズが……」
搾り出すように呟く。 「君が、先程ありとあらゆる手を使って彼女を探そうとしてたと言ったが、私は今の立場上君の何倍、いや、何十倍もの手を使って捜索を実行させた」
「何ですって? それじゃあ、なぜあの時……。私が必死で気が狂いそうなくらいもがき苦しんでいたのをあなたは知っていたはずだ! それなのになぜ、何も?」
「……ジャン……最初に言ったが、知らないほうが幸せなこともあるのだよ! 私はあれ以来、君への償いをいや、親友への償いをどうするべきなのかずっと悩んできた! だが、未だに答えが見つからないのだよ」
「話をはぐらかさないでください! じゃあ、その捜査の結果は? もうとっくにわかっているということですよね?」
「……ジャン……それは、今は言えんよ……私の口からはとても」
「……どう……言う…………ことだ?」
「……ある意味アレクセイよりも辛い結果になるかもしれん」
すると、怪訝そうな顔で、モルガンを睨みつけながら 「アレクセイよりも辛いって? なぜ? 彼の娘は殺されたって……それよりも」
 ジャンはその後の言葉があまりにも恐ろしく声に出すことを阻んだ。
「ジャン……いいかね、今となっては運命を変えることは不可能だ。マクレーンは今現在もあのドラゴンのイコンを完成させるつもりだろう。アリスンにはそれをある程度阻止してもらうつもりだったのだが、彼らは巨大過ぎた。これは私のミスだ。彼女には危険なことをさせてしまった」
「……その組織っていったい?」
 モルガンは首を振りながら
「君が知ったところでどうにもなる訳ではない! 自分ですべて解決しようなんてことは、不可能なのだよ。この一連の事件から手を引け! 今は耐えるんだ。耐えて、組織の中でトップになれ」
「長官……」
 モルガンの言わんとすることが理解できずに、顔を見上げる。
「君のご両親の事件を解明するのも、今はまだその時ではない! トップになれ! 君が私の年ぐらいになって、ある程度の地位があれば、その頃にはあの事件に関わっていた大物政治家も職を辞しているだろう。そうすれば君の行動を阻む物はいなくなる。それまで待つのだ」
「……しかし、私は真実を知る権利がある! 妹はまだ生きているし、あなたが言うような "殺される" より辛いことがあるのなら、私は妹をそこから救い出さなければ……。じゃなきゃ、父さんとの約束も……。たった一人の肉親なんですよ。小さい時から、一緒に辛いことも耐えてきた最愛の妹なんですよ!」
 モルガンはしばらく沈黙した後、何かを決心したような表情になりベッドサイドの電話の受話器を取り出すとどこかに電話を掛け出した。
「……国防相のモルガンだが頭取を……」
"いったい、長官は何を考えているんだ? 頭取って?"
「……ああ……突然すまんね、実は例のものを私の部下が取りに行くので渡してやって欲しい。委任状とIDを持たせるので……」
『代理人の名前は、どなたですか?』
「……彼の名前はジャン・アルヌール! そうあの金庫の名義人だ! いろいろと使用方法について教えてやって欲しい。それと……いや……いい。頼む!」
 電話を切り、一つ溜息をついた後に、ジャンの肩を掴むと一枚のメモを手渡した。
「シャルル銀行?」
 モルガンは頷きながら、
「そこの頭取は、君の父上が最も信頼している弁護士が機密事項等の書類やら、公に出来ない証拠品を預けていた、どこよりも安心が出来る極秘中の隠し場所を提供してくれている人物だよ。彼に会いなさい。その後どうするかは、じっくり考えて君の決断次第だ! だが、しつこいようだが、知らないことが良いことも世の中にはある」
「…………」
「妹さんのことはすべて私の責任だ! 恨むなら私を恨みなさい。ただ、真実を知った後、これだけは約束してほしい。決して、希望を捨てないことだ! 何があっても、だ。でなきゃ、君よりもずっと辛い思いをしている人間は他にもっと大勢いるのだから、君の最愛の妹を含めてな。その覚悟がないのであれば、真実を知ろうなどとは考えるな!」
 モルガンのあまりの迫力に一瞬身を引きながらも、パリ国立病院を後にしたジャンは、その足でシャルル銀行へと向かっていた。
 シャルル銀行の特別応接室(厳重に警備されている三重扉の付いた重々しい部屋である)で頭取を待っている間、ジャンは先程のモルガンの話を頭の中で何度も何度も反復し、いったい何がどうなってどこでどの事件が繋がっているかを考えていた。  フランソワーズの身に起こった "殺されるよりも辛いこと" を考えようとすればするほど、全身に冷や汗がにじみ出てくる。
 そこへ、先程モルガンが連絡をしていた相手、シャルル銀行の頭取がその手に大事そうに小さな金庫をもって現れる。ジャンはそこで白い封筒とプラチナで出来ている複雑な形をした一つの鍵を手渡されチューリッヒのある銀行を紹介される。
 ジャンはその場で白い封筒を開封し中の手紙を読み始めていた。それは、ジャンが病室へ行くずっと以前から用意されていたと思われるモルガンからジャンに充てられた一枚の手紙だった。
 読み終えたジャンは頭取に礼を告げると、そのままチューリッヒ行きの航空券を手に入れ一旦自宅へ立ち寄り身支度の用意を始めた。
 腕時計を確認した後、ジャンはアリスン宛の手紙を書きテーブルの上に置いた。

* * * * *

『サー・アルヌール! そろそろお約束のお時間が近づいてまいりました!』  天井のマイクから機械的に聴こえてくる声に我に帰ったジャンは、放り出されていた二冊の書類をもとの金庫に戻すと、プラチナの鍵を使い金庫に鍵を掛けた。小さく溜息をつき表に出ると、待機していた銀行の担当者に、
「金庫は今までどうり継続させてもらうよ」
 と力なく答えるジャンに対して
「ご利用ありがとうございます。それでは継続の手続きをあちらのお部屋で」
 ジャンは何もする気力も考える気力さえなく、ただ銀行員の後に続いた。手続きを終え銀行を後にしたジャンはただ行く宛もなくさ迷っていた。
 そこへ、後ろから肩を叩かれる。驚いて振り向くとアリスンが心配そうな顔で佇んでいた。
「ジャン……」
「アリスン! どうしてここに?」
「モルガン長官から聞いたの」
「…………」
「ジャン……食事は?」
 ジャンはフッと口元を少し緩めると、首を振りながら
「いいや……今日は朝から何も食べていないな……」
 アリスンはジャンの腕を掴むと
「美味しいレストランがあるの。以前任務でチューリッヒに来た時によく言ったレストランよ!」
 そう言いながら軽くウィンクをすると、重い足取りのジャンの背を押した。
 街中の一角にあるビルの二階にそのレストランはあった。新しくはないが、落ち着いた濃い配色の木目で出来ているアンティーク風の家具が、心をほっと落ち着かせる静かなレストランだった。
「気に入った?」
「……ああ、君らしい、落ち着いたレストランだね」
 ジャンは彼女の薦めるメニューを注文し、辛口の赤ワインを口に含んだ。
 食事を終えた後、テーブルに肩肘をつき、二階の窓から外を眺める。その町並みには、幸せそうなカップルが腕を組んで歩いていたり、家族連れやら若者で賑わっている。
 その中に両親と兄と妹らしい家族が楽しげに通り過ぎて行くのが見えると知らず知らず目で追っていたジャンは、妹のことを思わずにいられなかった。
「……ジャン?」
「……アリスン……自分が情けないよ……」
「どうして? ……銀行には一体なんの用で?」
「……聞いてないのか?」
 黙って頷くアリスン
「……守ってやれなかったんだ! ……たった一人の妹なのに……」
「ジャン。お願い! そんなに自分を責めないで!」
 ジャンは、先程の銀行の貸し金庫で目にした信じられないような事実が、夢なのではないかと、夢だったらどんなにいいのかと思わずには居られなかった。
「……長官は、殺されるより辛いことと言っていた……妹がどんな思いでこの数年間を過ごしてきたかと思うと居たたまれないんだよ……」
「……私は、何て言っていいのか……」
「……怖かったろう。不安でたまらなかっただろう。どんな所に閉じ込められて、どんな奴らに……。まだ少女だよ。たった十七歳で体中にメスを入れられて。……殺人兵器だって? 冗談じゃあない!!」
 言葉につまり両手を額につけるようにして頭を支えるジャンは、肩を震わせて必死で怒りを押さえ込もうとしている。ジャンは、その日はじめてアリスンの前で涙を流した。
 そんなジャンを見つめていたアリスンもまた、涙を抑えることなど出来ずに、共に悲しみと怒りを分かち合うようにして、涙を流した。
「……ジャン…………ごめんなさい! 私…………」
 やっとの思いで言葉を発したアリスンにジャンは
「……アリスン、いいんだ! …君が謝ることなど何もないよ。君は知っていたんだね?」
「……あの子から……聞いたわ! 一緒に帰ろうって言ったの! あなたは今でもジャンの妹なのよって!」
「フランソワーズが君に?」
「ジャン、信じられないかもしれないけれど、あの子は懸命に自分に与えられた運命を受け入れようとしていたわ。見ていていじらしいくらいに……。あの子は私たちよりもずっと強い。いえ、何かがそうさせているのかもしれない。ひょっとしたらガラス細工のように衝撃を与えれば壊れてしまうのかもしれないけれど」
「…………」
「私たち……あの子のために今何をするべきなのかしら?」
「……アリスン君の言いたいことはわかるよ。少し時間をくれないか? 自分の中でまだ混乱している内は、何も考えられないんだ」
「……そうね、今知ったばかりですものね……」
「……バレエを習い始めた時、負けず嫌いな彼女は、どんなに練習が苦しくとも弱音を吐いたことはなかった。でも、強そうに見えても、一人で泣いていたのを両親とそっと見守っていたものだよ。君の言うとおりひょっとしたら……辛いんじゃないかと悪いほうに考えてしまう。男性の中でただ一人、食事はどうしているのか? 洋服は好きなものを買える環境なのか? 夜はぐっすり眠ることが出来るのか? 部屋はちゃんと一人で……。男じゃないんだ! どんなに強がっても……。これまでだって寂しい思いをさせて来たけれど、大切に育ててきたんだ。父さんと約束したんだ! 彼女のことを真の愛情でもって引き受けてくれる人間が現れるまでは……それなのに……こんなことって……」
 アリスンは言葉に詰まりながら、一言一言かみ締めるように訴えるジャンがあまりにも哀れに思えて胸が張り裂けそうな気持ちになった。
「ジャン……お願いだから……あなたのせいじゃないのよ! 自分をそんなに責めるのはよして……」
 大きな深呼吸を一つした後に、自分に何かを言い聞かせるように何度も頷きながら
「すまない。君にまで心配をかけてしまって……。でも、誰にもいえないことだから、聞いてくれてありがとう! 大丈夫……もう、大丈夫だから……」
「ジャン……これからどうするの? 辞表を提出したって?」
「モナミ王国へ行こうと思っている……例の事件のことで会いたい人物もいるしね……」
「会いたい人物って?」
「……父さんの知り合いらしい……」
「ジャン、邪魔でなかったら私も一緒に行かせてくれない?」
「えっ? でも君は病院が……」
 すると、アリスンは小さく微笑みながら
「辞めてきちゃったの! ……だから、時間持て余してしまって……。駄目って言っても行くわよ!」
 ジャンは呆れたように微笑むと
「ご勝手に! ……でも、何があるかわからないけど……」
「ええ」
 微笑んだアリスンは、これから何が起ころうとも彼を支えよう支えなければ、と決心していたのであった。


No. 31 舞

 教会から聴こえてくる "アヴェ・マリア" の歌声……。一体誰が歌っているのだろう?
 ぼくは、よく一人で教会の前の階段に腰掛けてそこから聴こえてくる聖歌隊の歌声やオルガンの音色を聞いていた。
 好きだった訳ではない……他にする事がなかったから、他に一緒に居る人がいなかったから。
 今思えば、結婚式で歌うその曲を誰かが練習でもしていたのだろう、とても柔らでやさしい歌声にいつしか気持ちが良くなって、眠ってしまった。
 母さんに抱かれて、ここにやってきた時、この同じ場所で僕は泣いていたと言う。この階段は母さんの匂いが唯一する場所……。母さん! 母さん! っといくら呼んでも僕は抱きしめられる事はない。
 母さん! 僕の名前を呼んで!
 母さん! 僕の頭を撫でて!
 母さん! 僕の体を抱きしめて!
 母さん! 僕に本を読んで!
 母さん! 僕に歌を歌って!
 そして……母さん!僕を迎えに来て!
 何度も何度も、母さんの匂いがする階段に向かってお願いしてみた。
 誰も居なくなった教会の十字架の前で神様にお祈りをした。母さんに会わせてください!
 どうして僕は生まれてきたの?
 どうして僕はここにいるの?
 僕は生まれてきて良かったの?
 僕は愛されてるの?
 僕はどこに居ればいいの?
 答えて! 答えてよっ! 母さん……答えて。
 待って! ……教会で一人歌を歌っていた少女。……お願い! もっと、もっと歌って!
 少女は悲しそうに俯くと首を横に振った。
 どうして? 今、君が歌っていたんだろ?
 もっと聞きたい! 君の歌を……君の声を……。
 ジョーは少女の腕を掴もうと近くに駆け寄るが、少女の体はだんだんと透明になって、消えようとしていた。
 少女は俯いたまま悲しげな表情でジョーに近づくとそっと体を抱きしめる。
 ジョー……。
 ジョーお願い! 戻って!
 愛しているの……あなたのことを。
 それは、決して声ではなく、どこから聞こえてくるのかわからない……。
 でも、少女の心の声が聞こえたような気がしていた。
 ああ……ありがとう…………なぜだかわからないが、一言 "ありがとう" と呟いた。
 ふと気が付くと、教会には彼一人周りには誰も居なかった。あの少女の姿も消えていた。
 夢? なのか……。ジョーはまた一人ぼっち。慣れている一人なんて……。そう、ずっと一人だから。
 でも……僕は愛されているの? それは、母さんに? 母さんなの? ……それとも……。

* * * * *

 ジョーの最後の皮膚移植が終わって2日が過ぎようとしていた。移植した臓器をジョーの体は、ほぼ受け入れる体制を整えつつあり、心拍、呼吸共に安定をしてきたのを見計らって、ギルモア博士は、これまで集中カプセルに入れられていたジョーの体を一先ず普通のベッドに移すことにしていた。
 だが、依然、意識が戻る気配はなかったのである。
「これで、意識が戻れば一安心なんだが……」
 とギルモア。
 腕組みをしていたハインリヒは重い口を開くと、
「……意識が戻ったとしても、直ぐに戦闘に立てはしない。……博士、グレートも変装したまま宮殿にいることだし、まずイワンの言うキャサリンの体内にあるチップをどうするか考えなければいけないと思いますが」
「……ふむ、キャサリンは少しは落ち着いたのかのう」
「いま、オーギュスト博士に身柄を預かってもらってますが、ジョーとフランソワーズのことをとても気にしていて……」
 そんなピュンマの言葉にジェットがいらついたように
「ふざけんなよっ! 一体誰のせいでこんなことになってると思ってんだ?」
「よせっ……ジェット! 今は、早くチップを安全な方法で確保する事を考えなければ……。NBGが気づく前に」
 しばらく考えていたギルモア博士は、
「……とにかく、ことの重大性をキャサリン女王に伝えて、一刻も早く手術を受けさせるよう、説得させなければのう」
「説得か……」
「ふうっ……ジョーがあの状態のままだし、こうなったらオーギュスト博士に頼んナみては?」
「……そうだな、あの人なら、キャサリンも聞く耳を持つだろうしな…………」
 みなの意見が一致した所で、
「……フランソワーズ、ずっとジョーのところで?」
 ピュンマの問いに答えるかのように
「あの子もまだ本調子じゃないからのう。少し休んだらと言ったのだが、離れようとせんのじゃよ」
「無理もないな……なんせ自分を庇って、あんな怪我をさせてしまったと思い込んでいる、このままだと、彼女の声は戻るどころか……。ジョーがせめて、意識を取り戻したらまだ救われるんだが……」
「僕、ジョーの付き添い変わってきます! フランソワーズを少し休ませなければ……」
「……だがなあ、素直に、受け入れるか……」
 力なく呟いて肩を落とすギルモア博士に
「大丈夫ですよ。僕に任せてください!」
 と、自信ありげに答えたピュンマはそのままメディカルルームへ向かった。
 部屋に入るなり、眠っているジョーを見つめてぼんやりと座っているフランソワーズの姿に何故だか声をかけるのをためらってしまったピュンマだったが、大きく深呼吸をすると、やさしく語りかけた。
「調子はどうだい?」
 いきなり声を掛けられて、一瞬ビクッとしながら振り向いたフランソワーズは、脳波回路で答える。
『…………変わりはないわ』
 そう言いながら、俯くと再びジョーを見つめる。
「あのさあ……少し顔もやつれているし……その、もし、ジョーが気がついたとして、そんな君の顔を見たら、すっごく心配すると思うけど?」
『えっ?"』
 意外なピュンマの話に、きょとんとした顔をしたフランソワーズに向かってさらに続ける。
「少し、眠ってきなよ! それで、いつもの……その、綺麗なフランソワーズの顔をジョーに見せてやらないと。さあ!」
『ピュンマ……』
「気が付いたら、すぐに呼ぶから! 本当に……。博士も体のほうは、だいぶ落ち着いてきたって言ってたし、イワンも必死で呼びかけているらしいし、ジョーはきっと大丈夫だよ! だから少し休んだ方が、僕がみてるから……」
 すると、少しだけ微笑んだフランソワーズは
「ピュンマ……ありがとう。でもね」
 そう言い掛けた時、何時の間にか、メディカルルームへやって来ていたハインリヒが、
「フランソワーズ! ピュンマの言うことを聞けよ! ジョーの体は、ここからは逃げないんだから……」
 そんな2人のやさしい説得にようやく小さく頷くと、少しの間休む事を承諾したのだった。
 フランソワーズが部屋を出て行ってから数時間が過ぎようとしていたころ、ジョーの瞼がピクッと動くのを確認したピュンマは空かさず声を掛けた。
「ジョー?」
 すると、苦しそうにうめきながら首を少し動かすジョー。
「ジョー? 苦しい所があるのか?」
 ゆっくりと瞼を開けると、半開きになったその瞳には、心配そうにジョーを見つめるピュンマの姿が映る。
「ジョー!!! 良かった……本当に!」
 少し声を詰まらせながら語り掛けてくる、ピュンマに向かって
「…………ピュ…………ンマ……!」
「ジョー。……今、ギルモア博士を呼んでくるから」
「……ピュンマ…………フッ…………フランソワーズ……は?」
 そう言って、まだまともに動かせない右手を上げようとする。
 ピュンマは戸惑いながら、
「……だっ大丈夫! 彼女は無事だよ!! ジョーが守ったんだ」
 すると、ホッとした表情になって、再び瞳を閉じる。
「……ジョー…………」
 無理はないか……。そう呟くとギルモア博士の元へ向かった。ピュンマが出て行ったその後、ジョーは心の中でイワンを呼んでいた。
(イワン! ……聞こえるかい?)
(アア……キコエルヨッ!! ヤット、呼びかけにコタエテクレタンダネ!! モウ駄目カトオモッタ)
(心配掛けてごめんよ。迷惑かけついでに、君に一つ頼みがあるんだ! 聞いてくれるかい?)
(彼女ノコト?)
(会いたいんだ! 今すぐに)
(ソンナ体で、まだムリハダメだよ!)
(わかってる、でも……不安なんだ! ……消えてしまいそうで、このまま会えないような気がして、どうしてなんだろう)
(ソレハ、キミノミテイタ夢ノセイダヨ……)
(……夢?)
(ソウ、僕は、君のタマシイを呼び戻ソウト、必死にキミノ心の真髄にまでハイリコンダンダヨ。トッテモツカレタケド……。キミハ、ハハオヤニトテモ会いたがっていて、幻想ヲミテイルジキガアッタンダ)
(幻想?)
(ソウ……幻想……。でも、真実デモアルソノ思いが、夢にナッテ表レタンダよ。君の魂をココマデ連れ戻すのは正直言ってムリだとオモッテイタケド、彼女の心のヨビカケニ、反応したんだね……)
(……心の呼びかけって? じゃあ、ずっとここに?)
(ウン……付き添っていたよ。……でも、心の傷は、キミヨリムシロ彼女の方がフカイノカモシレナイ……)
(イワン! 頼むよ……彼女のところに!! ……少しだけ僕に力を貸してくれないかい?)
(ショウガナイナ。……でも、今彼女は、ココニハイナインダヨ……)
(ここにいないって?)
(今は、彼女の心を取り戻すタメニ、一旦心を空っぽにサセヨウト思って、アルトコロに導いテイルンダ)
(……イワン、わからないよ……どういうこと?)
(ワカッタヨ! ジャア、30分ダケダヨ! 30分ダケ、僕ノパワーヲ送ルカラ……)
(…………えっ?)
(イマカラ、彼女の元へテレポートするからね。そのかわり、30分後には、ココニモドスヨ! イイネッ!)
(ああ……頼むよ!)
 イワンの片方の瞳が七色に渦を巻きながら光を発すると、ジョーの体が宙に浮き上がり、消えてなくなった。

* * * * *

 メディカルルームをいったんは出たフランソワーズだったが、皆の言うようにとても眠ることなど出来そうにもなく、しばらく外の空気を吸おうと、ドルフィン号の外に出る。
 すると、空一面の星空が、彼女を向かい入れるかのように、一本の道筋のような光が彼女を導く。
 それを辿っていくと、一軒の大きめな屋敷にたどり着いた。
"これは? マーク殿下が住んでいた古宮?"
 小さめな宮殿だが、かつて、キャサリン女王の叔父であるマーク殿下が住まいとしていた場所である。今は誰も住む者はなく、主のいないその館は、ひっそりと呼吸をしているように見えた。何かに引寄せられるかのように一歩中へ入って行く。暗闇の中にあってなお、大きめな扉が存在しているのがわかると、無意識のうちに取っ手に手をかけ、さらに奥深くへと進んで行く。
"ああ……"  思わず心の中で叫んでいた。
 彼女が入室したその部屋は、かつて、貴族達の舞踏会が行なわれていたり、楽しいお茶会などで賑わっていた
 床は一面大理石が敷き詰められていて、すべての大きめな窓からは、海が見渡せるようになっていた。天井には豪華な絵画が描かれていて、その隙間からは表の月の明かりが差し込んでくる。
 フランソワーズはそのまま窓辺に近づくと、暗海を照らし出している沢山の星達を眺めていた。
"ジョー……
 その窓に両手を翳しなが涙が溢れ出てくるのを止めようとはしなかった。
 ふと、振り返り天井を見上げてみると、そこには今まで見たこともないような美しいイコンが描き出されている。
 その天井の聖母はまるでフランソワーズを見守るようにやさしい顔をしていた。
"ここは……地上なの? 何て幻想的な空間なのかしら。まるで……"
 そう、部屋の中央はまるで彼女に与えられた舞台のように月明かりのスポットライトを浴びて光り輝いている。
 いつしかフランソワーズは履いていた靴を脱ぎ裸足になっていた。大理石の床のひんやりとした感触が心地良く感じる。フランソワーズはゆっくりと呼吸を整えると、そのスポットライトの前でポーズをとっていた。
 バレエ「ジゼル」の物語第二幕。
 ああどうかお願い! 彼を見逃してください!! ……彼を助けて!!!
 そう言いながら彼を後ろに庇うポーズ。
 ミルタの命令に従うまま、前に出ると深く前におじぎをする。
 前で交差した両腕の左腕を前方に出し、そのまま前方で交差しトウで立つ。そして右足を下ろしそのままアラベスク。
 無駄のないその一つ一つの動きが、まるで彼女の願い、祈りが込められているようにみえ、さらに音楽さえも聞こえてきそうなそのしなやかな流れ……。
 その手の指先、足のつま先にまで神経が集中して、いつしか無心になって、踊り続けるフランソワーズ。だが その踊りはあまりにも切なく悲しい物語だった。
 そんな彼女を青白い月光の光が照らし出す。
 回転から、再び回転、そして上半身を前かがみにしているポーズから起き上がると同時に左足を90度まで上げアラベスク。足を下ろすと同時に前に数歩出て両手を前に合わせる。
 何かに取り付かれたようにさらに踊り続けるその姿は、まるで本物の妖精のように優雅で幻想的だった。
 イワンの力を借りて、ここまでやって来たジョーだったが、なぜかその妖精に魔法を掛けられたように身動きが取れなくなっていた。そして、このまま踊り続けているフランソワーズを見つめているうちにふと以前、彼女と観たパリ・オペラ座の舞台を思い出す。
 戦いの合間を縫ってギルモア博士の配慮で舞台を見ることになった僕達……。
 君はあの時、舞台を見ながら涙を流していた。後になって、物語を語ってくれた君……。
 でも、あの涙は”ジゼル”の舞台に感動したから? それとも、もう一度舞台で踊りたかったから?
 その涙の訳を僕は知っている。君はあの夜暗闇のホテルの窓辺に立って一人泣いていた。
 思わず抱きしめてしまった僕だったのに、君をここまで追い詰めてしまったのは、この僕自身だったんだね……。
 フランソワーズ! お願い!! このまま消えないで!!! このまま踊り続けていたら、君はあの物語のジゼルのように、夜明け前に僕の前から姿を消してしまう。そんなのは絶対にいやだっ!
「…………フランソワーズ…………」
 と、小さく呟いたと同時に、ジョーは背中に大きな痛みを感じ、その場に倒れこむ。
 だれっ? 誰かいるの?
 フランソワーズは人の気配に気づきふと我に帰る。私……いったいどうしたの? ここは……。
『フランソワーズ……』
 自分を呼ぶのは一体誰?
 あたりを見回すフランソワーズは、広い空間の中を歩き回る。すると、彼女の瞳に映ったものは……。
"……まさか? ……ジョー……な……の……?"
 信じられない! まさか……フランソワーズは深く息を吸い込むと、溢れ出る涙を堪えようと必死で心を落ち着かせる。
 だが、彼女の体は、無意識のうちにジョーに駆け寄っていた。
『……フランソワーズ!』
『ジョー……』  大理石の床に座り込みながらしばらく見詰め合う2人。言葉はなくとも心は一つになっていた。
『うっ!』  背中の痛みが再びジョーを襲う。
『いけない! ジョーどこか痛むのね?』
 彼女の腕を掴んで痛みを堪えるジョーは首を横に振りながら
「…………だい……じょう……ぶ! ……心配……ないから……」
『でも……誰か呼んでくるわ……手当てを!』
「いいんだ……。イワンが、力を貸してくれたから……本当に、大丈夫……」
 そう言って微笑むジョー
「少しの間……このまま一緒にいてくれる?」
 フランソワーズは溢れ出る涙を拭おうともせずに小さく頷くと、ジョーの体をそっと抱きしめる。
『……信じられない! ……あのまま……あなたと一緒なら……わたし、あなたと一緒に……うぅ……』
「フランソワーズ、泣かないで! ……もう……大丈夫だから」
 そういって、出せる力を全て使い、細く消えてしまいそうな彼女の体を思いっきり抱きしめた。
 青白い月明かりを浴びて、誰にも入り込むなど出来ない絆で結ばれているそんな2人を、天井のイコン(聖母)だけがやさしく見守っていた。


No. 32 願い

 オーギュスト・ボワ博士から重大な秘密を明かされた、キャサリン女王は一人、現在身を寄せているオーギュスト・ボワの別荘の一室に篭っていた。
 リビングで休んでいたオーギュストに、研究室から戻ったエドガーが声を掛ける。
「キャサリン女王は、落ち着きましたか?」
 するとオーギュストは溜息混じりに
「……いや、部屋に篭ったきりだよ。心配になってシュリに様子を見させようと思ったが、奴はまたどこかへ行ってしまった。結局女王には会わずじまいだよ」
 エドガーは薄笑いを浮かべると
「まったくちょっと良くなるとこれだ! 手に負えませんよ! ……だが、今回はあいつの気持ちわかるなあ」
「あの子のことか……困ったものだ、よりによって…………シュリは幼いころから、手に入らない物ばかり欲しがる」
 そう言って、また深い溜息をつくオーギュストに向かって
「……だが、今回はサリーの事もあるし、私も強くは言えませんよ。敵を取るまでは、自分のことは考えられないって言っていただけに、人を愛することが出来ただけでも正直良かったなって……」
「…………」
「それより、あのウィルス……。ギルモア博士の協力は現在の状況から見ても難しいかもしれませんね。けが人があの状態じゃ……」
「進展は?何か他にわかったことは?」
「どうやら隕石が関係あるのではないかと。地球上にはないDNAと言うことは、現状から言ってそれしか……」
「隕石か……。すると」
「……当時、ロシア近辺に落下したと見られる隕石の種類と研究資料を取り寄せてます。何か解明につながるといいのですが……」
「いや……解明よりも、消滅させなければ……」
「それには、やはり女王陛下の体内のチップを」
 キャサリンの取り乱しようを思い出した二人は一瞬沈黙するがオーギュストはポツリと一言呟く。
「信じよう……。女王が本物の女王にならんとすることを! 今はそれしか……」
 キャサリンは、部屋に備え付けられているドレッサーの前に座り自らのうなじに触れてみながら、ここ数日の間に起こった事件を振り返る。
 ジェロニモに救出され、そのままドルフィン号に保護されたキャサリンだったが、その数時間後に瀕死の状態のジョーが運び込まれたのを垣間見た時、あまりの衝撃に気を失ってしまった。
 気が付いた時には、既にここの場所に移されていた。さらに、ここにはまだ意識が戻っていない彼女の姿も……。
 そっと部屋を覗いた時に、一人の黒髪の青年がそんな彼女に付き添っていた。
 自分の存在など気づきもせずに……。オーギュスト博士の息子だと言うあの青年。彼もまた彼女のこと?
"私は一体何をしているの? あの女官は一体誰? 私はただ、自分の思いを伝えたかっただけなのに……。なのに……あんなひどいことが……。宮殿は私が居なくても、気づきもしない。ジョー!! お願い死なないで! 私は一体誰を信じればいいの? このうなじに、いったいどんな…………怖い! 手術なんていやよっ! 絶対にいやっ!!! 叔父様……どうして? 小さい頃は良く遊んでもらった。とてもやさしかったのに……。何が貴方を変えてしまったの? 私の体には悪の結晶が埋め込まれている。信じられない!"
 気が付けば、ドレッサーの上に、ポタッ、ポタッっと涙が零れ落ちていた。
 女王であるが上に起こりうる、多くの悲しみ、怒り、そして裏切り……。もう誰も信じることが出来ないと言う孤独感が、キャサリンを襲っていた。
 そんな時、彼女の部屋のドアをノックする音が聞こえる。顔を上げた彼女は、鏡を見ながら涙の後を拭い去ると、小さな声で「誰?」と答えた。
「……エドガーです。陛下、お加減はいかがですか?」
"ああ、あのドクターね。彼は何時も気にかけてくれるわ。彼は信頼できるのかしら?"
 キャサリンはそっとドアを開くと、心配そうな面持ちで佇んでいるエドガーを部屋に入れた。
 ソファーに座り窓の景色をぼんやりと見つめながら
「……彼女は、仲間の元へ戻ったって聞きましたけど回復は?……その、どうなんです?」
 すると、落ち着いた眼差しでキャサリンを見つめながら
「……意識は戻ったようですよ。それに彼もようやく最後の手術が終わったようです」
「そう……。でも、でもあんな状態じゃ回復が……。私のせいなの! 私が女官に…………」
 そう言って、溢れる涙を両手で抑えこむように俯くキャサリン。
「陛下? オーギュスト博士に事情はお聞きになられたとか?」
「私、嫌よっ! 手術なんて絶対に! ……本当かどうかもわからないのに! もう誰も信じられない……」
「……お気持ちは良くわかりますよ。しかし……貴方は、この国の女王なのですよ! 国民を守る立場にあられる。しかも今回の件は世界中いや、この地球を救うかもしれないのですよ!」
「私は、女王になんてなりたくなかった! もっと、もっと普通の女性に生まれて好きな人と一緒に邪魔されずに監視もされずに生きていたかったわ!!! 何で私が守らなきゃいけないの? しかも地球を救うって……。何で私がそんなことを……」
「陛下! 貴方は、彼のあの姿をご覧になられて、どう思われました?」
「えっ?」」 「貴方が何故国民、地球を救わなければならないって仰るのなら、彼らは何のために誰の為に命を掛けて戦わなければならないのですか? 彼らだって、普通に人間として暮らす権利ぐらいあっても良いのでは? なのに、あんなに傷ついても尚国を地球を救おうとしている……」
「…………」何も言葉にする事が出来ずに黙ってエドガーを見つめる。
「貴方が、手術を受けるも受けないもそれは貴方次第。だが、これだけは言っておきます! 奴らはどんな手を使ってでもあなたの体内にある物を探そうとしている。時間の問題です。奴らにわかれば貴方自身が危険にさらされる。だから、よくよく考えてください! 私はいつだって、陛下のお力になるつもりですよ!」
 そう言って、厳しい顔から一転先程のやさしい顔に戻ったエドガーは
「……長居してしまいました。女王陛下、多分の失礼、お許しを……」
 エドガーはそう言って立ち上がるとキャサリンの部屋を出たのであった。
 その翌日キャサリンは、オーギュスト・ボアに手術を受け入れる旨をギルモア博士に伝えるように言ってきた。その顔は、昨日の不安と絶望感溢れる顔から、何かを吹っ切れたようなすがすがしい顔に変わっていた。

* * * * *

 意識が戻ったとは言え、依然自由に体を動かすことが出来ずに安静状態にいるジョーをフランソワーズは傍らでずっと世話をしていた。そんな彼女の声もまだ戻ってきてはいなかった。
「……博士! ジョーの意識が戻ったのにどうしてフランソワーズの声はあのままなんです?」
 とピュンマ。
「ふむ……そうじゃな、検査の結果では声帯に傷がある訳ではないからのう。……何かまだ心に引っかかるものがあるのじゃろう。……ここはゆっくりと見守るしかない」
「そう急ぐ事はないって! ジョーもこのまま回復に向かえばいつかきっと元どおりになるさ」
 ジェットが明るく答えると
「だが、ジョーが体を動かすと、激しい痛みを感じるのはどうしてなんですか?」 「そうじゃなあ……。簡単に言ってしまえば、新しく移植した臓器の周りには、若干の神経が残っている。だが、その神経を取ってしまうと、脳との連動に支障が生じるんじゃ。だからあえて人工にはしてないんじゃよ! ここが、サイボーグとロボットの違う所で、弱点でもあり、強みでもあるんじゃよ……」
「強みって? 痛みを感じるのなら強いとは思えないのですが……」
「いいや。人間の脳は無限じゃ! まだまだ人工ではかなわんのじゃ! だから、連動している神経はなるべくなら残しておいた方が人間としても強みになるんじゃよ」
「よくわかんねえけど、直るんだろ?」
「……もちろん! わしの技術を信じてくれ! ジョーは元に戻る!」
 と自分に言い聞かせるように呟くギルモア博士。
「博士……」
 博士の辛い思いがわかるだけに、それ以上は問う事をやめた彼等だった。
 一方、薬で眠っているジョーの傍らで、フランソワーズは無心に折り紙を折っていた。目の前のテーブルには、完成された鶴がいくつか置いてある。一折一折、願いを込めるように指を動かすフランソワーズは、時折ジョーに目をやり気にかけながら、その動作を続けていた。
 そして、折り紙を初めて折った日を思い出していた。
「うわっ! かわいい!! これあなたが?」
 突然声を掛けられ、驚いたようにフランソワーズを見つめるその茶色い瞳。
 テーブルには、いらない紙で作ったと見られる、紙の鶴やら、お人形(後で聞いた所によると、やっこさんといわれる物らしい)が無造作に置かれていた。
「あっ……ああ…………」
 少し照れくさそうに答えたジョーは閥が悪そうに席を立とうとする。
「ねえ待って! この作り方私にも教えてくれる?」
 すると、ふっと笑みをこぼしながら
「いいよ……」
 とだけ答える。
 いつしか2人で折り紙を始めた。最初は失敗ばかりしていたフランソワーズだったが、やがてジョーよりも上手に折れるようにった。自分の折った折り紙を大事そうに並べて有頂天になっている彼女をやさしく見つめる茶色の瞳。
「ねえ、これ、何か本を見たの? それとも誰かに教えてもらったの?」
「えっ?」
 すると少し淋しそうに俯くと 「施設のボランティアの人に教えてもらった…………」と答える。 「そう……。でも素敵ねえ! 一枚の紙がこんなにかわいくなって……。そのボランティアさんに感謝しなくちゃね!」
「感謝って……。ふふっ、君は何にでも感謝するの?」
「ええそうよ! だって、自分が良かったって思えたら感謝しなくちゃね! お兄ちゃんによく言われたもの……」
「お兄さん?」
「うん。私ね、小さいころ、寄宿学校にいたときに、よく夜中に怖い夢を見て魘されていた時期があった。そんな時にシスターがいつも傍で眠ってくれたのよ。それなのに……感謝するどころか、ママやパパに会いたい! お兄ちゃんに会いたい! って我侭ばかり言ってシスターを困らせてしまったの」
 すると、意外そうにフランソワーズの顔を見つめると
「…………どうして、パパとママと一緒に暮らさなかったの?」
 すると、少し淋しそうに俯きながら
「帰ってこなかったから……。帰ってくるっていったのに……」
「……フランソワーズ」
「ああ……それでね……お兄ちゃんが手紙で自分の為に傍で眠ってくれたシスターに感謝しなさいって、そして、どんなに小さなことでも良かったって思えることがあったら感謝する心を持ちなさいって書いてあったの……。私ね、それまでシスターに心を開くことが出来なくって、本当はとっても感謝しているのに、でも言葉に出来なくて……」
「…………」
「ごめんなさい! 変な話聞かせちゃったわね。……ねえ、この折り紙貰っていい?」
「いいけど……どうするの?」
「ふふっ……内緒!」
 そう言って、折り紙を大事そうに抱えて自分の部屋に戻った。
 その後、戦闘でヒマラヤへ行った時、そっと防護服のポケットに忍ばせておいた折り紙を、被災地の小さな女の子にプレゼントをした。女の子はとっても嬉しそうにその折り紙を小さな手のひらに載せていた。なのに……あの子は結局NBGに……。やっぱり許すなど出来ない! どうして、こんなに惨いことが……。
 考えると、その蒼い瞳には涙が溢れてくる。その雫が零れないように小さく息を吸い込みながらそっと上を向いた。
「……フランソワーズ?」
 何時の間にか、眠りから覚めたジョーが心配そうに呟く。
「ジョー……目が覚めたのね? 気分はどう?」
 相変わらず脳波通信で語りかけるフランソワーズ。
「僕は、大丈夫だよ、それよりも……」
「ごめんなさい。何でもないのよ。……ほらっ! 見て……こんなに沢山折っちゃったわ!!!」
「本当だね。何時の間にか、僕よりも上手になってる!」
 2人見つめ合って笑う。
「何か、飲み物持ってくるわね……」
 すると、ジョーは毛布の中から左腕を出すと、フランソワーズの腕を掴む。
「ジョー…………」
「一人で抱えないで…………何か……」
 するとその手をそっと撫でるように包み込むと
「……ありがとう、でも、心配しないで…………何でもないのよ」
「…………でも」
「あの時ね、貴方が私を庇って一緒に倒れて……。そんな中で、このまま一緒にずっと居られるのならそれも幸せかなって、これで一緒にいられるって……。馬鹿でしょ。生きていなきゃ意味がないのに……」
「……そんなことないよ。……僕も同じことを考えていた。あの時は、正直イコンもチップも、もうどうでも良かったんだ。ただ、君が消えてしまうのが……怖かった」
「……ジョー」
 まだ、自由に体を動かすことの出来ないのに……。それなのに貴方は……。
 フランソワーズは溢れ出る思いを必死に堪えながら、自分の手の平の中にある彼の手を強く握り締めた。

* * * * *

 オーギュスト・ボワ邸にて。
 電話のコールが鳴り響く。受話器を取り何時ものように落ち着いたトーンで話をするオーギュスト・ボア。その電話の相手は、どこか懐かしい声、それでいて若々しく礼儀正しい青年の声だった。昔の友人の残した息子、フランソワーズの兄ジャンがオーギュスト・ボアの前に現れようとしていたのだった。
  パリ、シャルル・ドゴール空港のロビーには、モナミ王国行きの飛行機の搭乗手続きを済ませた、ジャンとアリスンの姿があった。
 これが、フランソワーズを更に苦しめる結果になろうとは、この時2人は知る由もなかった。


No. 33 決心

 履きなれた黒の皮のパンツにTシャツ、その上には防弾チョッキを装着し腰まである上着を羽織ったシュリは、新型の22口径の拳銃に弾を込めながら、フランソワーズがジェットに運ばれて来たときのことと、妹サリーが自分の腕の中で息絶えた時のことをダブらせて考えていた。そして、ふと手を止め、目の前の机の上に無造作に置かれていたパンフルートを見つめるとフランソワーズ充ての手紙をそっとパンフルートに重ねるようにして置いた。
 カタッと置いた瞬間に小さく鳴り響く音を聞きながら、彼女と初めて会った日を思い返していた。
 きっとあいつは覚えちゃいないな……。フランスの国立資料館で初めて会った瞬間から、俺の中にはあいつが居た。偶然に、ワシントンDC行きの飛行機で隣り合わせた時は正直言って驚いた。いつも怒ったり、泣いたり、笑ったり……。忙しい奴と思っていて、でも、何故かほっとけなかった。
 そして小さく口元を緩めると、
「……俺、約束守れそうにないぜ」
 そう一言つぶやくと、宿敵ラリー・マクレーンの所在を突き止める為にその部屋を後にした。
 奴はいる。宮殿もしくは、あのアジトに。
 俺は、奴を消すために生きている。奴を消すために……。そう自分に言い聞かせるように、ガレージに駐車してある車のアクセルを踏み込んだ。
 彼もジョーと同じように、もうイコンもチップもどうでも良かった。ただ、許す訳にはいかなかった。いや、許せなかった。
 自分を育てた、可愛がってくれた、ラリーはもういない。あいつはまったくの別人なんだ。だから、俺は……。
「サーシャ……あと少しだから! あと少しで、お前の無念を晴らしてやれる!!」
 暗闇の中を猛スピードで突っ走るシュリには、もはや自分の感情をコントロールする事は不可能だった。

* * * * *

 オーギュスト・ボアの代わりとして、キャサリン女王の意向を伝えにエドガーが、ドルフィン号へ向かっていた。
 エドガーの隣の助手席には、シュリの残していったパンフルートが置かれている。
 あの馬鹿やろう!!! 勝手なことばかりしやがって……。そんなことをしてサリーが喜ぶとでも、フランソワーズが喜ぶとでも思っているのか? お前が生きなきゃどうする!!!
 エドガーは自分ではどうすることも出来ずに、その苛立ちを思わず、握り締めたハンドルにぶつけていた。
「キャサリン女王の様子はどうじゃ?」
 少々疲れは見えるが、ジョーの回復の兆しが見えてきたことであの時より元気そうに見えるギルモア博士が声を掛ける。
「……はい、実は、今日は、そのキャサリン女王の意向をお伝えする為に伺いました」
「って事は、いよいよ覚悟をきめたって事か?」  とハインリヒ。
 すると、頷きながら 「……女王は、手術するのを決めたと……」
「そうか……よかったわな……。これで、ようやく事件の解決が近づいて来たというものじゃ! エドガー、例の研究の手伝いどころか、君にはいろいろと迷惑をかけてしまったな……。何でも病院も、休職されたそうじゃないか」
 エドガーは首を振りながら、
「いいえ、これは自分の為でもありますから。それより、彼女はどうしていますか?」
「……まだ声は出ないが、ジョーも回復に向かっていることだし、随分と落ち着いてきたよ」
「そうですか……」
 すると、手に持っていたパンフルートを差し出すと
「これは?」
「……実は、シュリの奴がまた勝手な事を……。もう誰にも止められないのです。ラリー・マクレーンをやるつもりでしょう。あいつ自身もそれなりの覚悟を決めているのだと思います。オーギュスト博士も半分諦めと言うか、きっと誰よりもあいつの気持ちがわかり過ぎるぐらい判ってしまって……」
「……それでいったい……」」
「それでその、パンフルートと手紙を彼女に渡してもらえますか?」
「何故だ? どうして止めない? いくらなんでも無茶すぎる!!!!!」
 エドガーは、強い口調で話すハインリヒの瞳をじっと見つめると、
「…………シュリの心の中にはずっと、ずっと自分の腕の中のサリーが焼きついて離れないんです。ずっと、感情を封印させてきた。しかしこの間、彼女が運ばれてきた時、もうどうにも我慢ならなかったのでしょう。今、それを彼女に渡すのは、彼女を混乱させてしまうかもしれない……。だから、今直ぐでなくても、事件が落ち着いてからでも構いません。それを、彼女に……」
「…………」
「ハインリヒ……受け取ってやりなさい。ひょっとしたら、今一番彼を理解できるのは君かもしれんよ?」
「……博士……」
「……それはどういう? ……いや、やめておきましょう。人間誰でも心の中には人には言いたくない思いがあるのでしょう。……あいつも、ひょっとしたらちゃんと帰ってくるつもりなのかも知れませんしね」
「……それでいいのか? ……いや、あのチップが手に入ると判ったからには、俺たちも、ジョーが回復する前に、アジトへ侵入するつもりだ。彼のことは……」
 すると、エドガーはハインリヒの手を力強く握り締めて
「……頼みます。あの馬鹿を……」
 ハインリヒは頷くと、改めてパンフルートとフランソワーズ宛の手紙を受け取った。
「フランソワーズ? どうかした?」
 不意にジョーに声を掛けられて彼の顔を見るなり、笑顔で答える。
「……何でもないの。……ねえ、少し涼しくなってきたみたいね。ここは、冬も比較的暖かいって聞いたけど、やっぱり、夏が終わると、ちょっと肌寒くなるわ……」
「そうだね……君は特に生身に近いから……」
「来年……来年の今頃は、どうしているのかしらね。……先のことんて想像できなくなる。あっ! ごめんなさい……」
 そう言って、俯くフランソワーズに
「……僕も同じだよ……小さい時からずっとだ……」
「……ジョー」
 コンコンとドアをノックする音が聞こえたと同時に、ハインリヒが部屋に入って来る。
「ジョー、調子はどうだ?」
「……どうしたんだよ? さっきも会ったじゃないか」
「ああ……そうだったけ? 最近物忘れがひどくなってさ……。ハハハ!」
「ハインリヒ?」
 何時もと様子がちがうハインリヒに気づくジョーだが、何も言えずにいた。すると、
「……フランソワーズ、悪いがちょっといいか?」
 まるで、彼がやってくることを察していたように黙って頷くフランソワーズ。ジョーに向かって
「直ぐに戻るわ…………」
 そう言ってハインリヒに付いて部屋を出て行く。
 そんな2人を背後から見つめていたジョーはなぜだか、無性に胸騒ぎがしていた。そして……。
「さっき、エドガーが来ていたでしょ?」
 ハインリヒの部屋のソファーに腰掛けながら先に切り出すフランソワーズ。黙って彼女の前にパンフルートとシュリからの手紙を差し出すと、
「……君にだそうだ。今渡すべきか迷ったんだが……」
「これは?…………まさかっ!!」
 手紙を読まずともすべてを悟ったフランソワーズだった。ハインリヒに見つめられながら、手紙の封を開けると、シンプルな便箋が一枚入っていた。フランソワーズはその便箋をそっと開き、黙って読み出す。

"親愛なるパリジェンヌ
元気になったか? あいつも無事でよかったな!
ところで、おまえ、ワシントンDCで、サリーに何を喰わした?
ちゃんと、俺のレシピどうりにご飯作ったか?
どうもあれから、腹を壊したらしいぜ? まったく……料理の勉強でもしたまえ!
俺の言いたいのはそれだけ……。じゃあな!

PS.ごめん約束はどうやら守れそうにない! その代わり、このパンフルートをお前にやる。吹き方は、勝手に研究しろっ! じゃあな。
By ユーリ・ロマノフスキー

"ユーリって……本名でこの手紙を?"  手紙を読み終えたフランソワーズは全身が震えてくるのがわかった。
「……ハインリヒ、これは? ……まさか、彼は?」
「たった一人で、ラリー・マクレーンを追い詰めるつもりらしい」
「そんな……無理に決まってるわ! 誰が考えても無理に……。どうしてそんな無茶を……」
「どちらにしろ、キャサリンが手術を受け入れたってことは、俺たちもそろそろじっとしてはいられなくなった。作戦が決まり次第、早々にアジトに潜入する! フランソワーズは、博士とイワン……そして、ジョーを頼む!」  しばらく考え込んでいたフランソワーズは首を横に振りながら
「私も行きます! ……私も!!!!!」
「しかし!」
「ハインリヒ! 行かせて!! が行けばきっと役に立つわ。アジトの図面があっても、どこに敵が潜伏してるかなんて掴めやしない。でも私が皆を誘導すれば危険が少ないわ!」
「フランソワーズ! 君の気持ちは良くわかるが……ジョーだって心配する!」
「ジョーは大丈夫! イワンや博士が付いていれば……。それにきとわかってくれるわ!」
「…………」
「ハインリヒ! 私だって003なのよ。……私だって……サイボーグなのよ!」
「なあ……怒らないで聞いてくれよ!」
「…………」
 蒼く澄んだ瞳の中に強い意思のような物が感じられる。その瞳にじっと見つめられて内心ドキッとしたが、ハインリヒは話を続ける。
「君の気持ちはわからないではない。しかし今回のアジト潜入は、つまり例の物を奴らが途中まで作りかけたあの兵器を爆破する目的もある。今の君ではとても、俺たちに付いて来れないってことだ!」
「どうして? 今の私ではって……それは声が出ないから? 脳波通信を使えばいい……私は大丈夫よ! どうしてそんな酷い事を言うの?」
「そうじゃない! そうじゃないんだ。……003! 君は自分では気づいていないかもしれないが、声だけじゃなく精神的に限界に来ている! 今の君は……これ以上過酷な力を使い続けたら、声だけじゃすまなくなるんだぞ!」
「…………」
 黙ったまま俯くフランソワーズに更に続ける。
「ジョーの傍にいてやれっ! シュリのことは俺たちに任せるんだ! きっと無事で戻ってくるさっ!」
「ハインリヒ……私、シュリの事を……」
「えっ? ……何言ってんだ? 変なことは言うな!」
「……違うの……彼の気持ちを受け入れることが出来なかった! いつも、助けてくれたのに……」
「…………」
 そして、ハインリヒから受け取ったパンフルートを自分の頬にあてると
「……ごめんなさい……でも、力になれるのなら、私で力になれるのなら……」
 ハインリヒはそんな彼女を見つめながら深い溜息をついてしまう。
「とにかく……ここに残るんだ!これは、命令だ!!ジョーがあの状態の間は、俺が指揮をとる。いいな!」 「…………」
 大粒の涙が、パンフルートの上に零れ落ちた。
「目が腫れている。……ジョーに心配かけるなよ!」
 黙って頷くと、徐に立ち上がって部屋を後にした。
 フランソワーズが出て行った後、一人残されたハインリヒは再び大きな溜息を付きながら天井を眺めていた。

* * * * *

 ドルフィン号の作戦ルームに、ギルモア博士と、宮殿に潜伏しているグレートそして未だ完全に元どおりになっていないジョーとフランソワーズを抜かしたサイボーグ戦士たちが集まる。
「と言う訳で、明日にでもキャサリン女王の手術を行いあの8番目のチップを安全な場所に確保する。そこで、今回手術の助手をドクターエドガーに頼むことにした」
「その後の警備体制だが、まだNBGはこの事に気づいていない。が、一応念のために、006に残ってもらう」
「アジトの爆破計画だが、その手術が終わった後と思っていたのだが、状況が変わった為に同時進行で002と008、005そして、俺の4人で行なう」
「同時進行って……それは、いくらなんでも危険すぎるのでは?」
 とピュンマ。
「いや……実は、既にシュリがアジトに潜入したと思われる。彼一人では危険すぎる。急いで我々も合流する必要があるんだ!」
「……チェッ! またあいつかよ!!!!!」
 とジェット。
「とにかく、どちらも早急に対処しなければならないのは事実だ!」
「それで? 何か作戦は?」
 とピュンマ。
 うんと頷きながら、アジトの経路図と内部の地図を広げると、そこへたどり着くまでの経路の打ち合わせと、爆弾を仕掛ける場所とセット時間、等々皆で意見を出し合い作戦を練った。
「皆くれぐれも気をつけるようにな」
「博士こそ、ジョーのことでお疲れの所、こんな重要なこと……」
「いや、わしはいいんじゃよ。それより、皆揃って早く研究所へ帰れるように、あと少しの辛抱じゃ!」
 皆揃って研究所へ帰る? そうだ。博士は、これからどんな危険が迫っているかよくわかっている。あえて、揃ってという言葉を掛けているのだ。この中の、いやここにいないジョー、フランソワーズ、グレートを含めて全員であそこへ、あの家へ帰る! 誰一人として掛けるこのがないように……。
 それぞれの思いを胸に、いよいよアジト消滅作戦が始まろうとしていた。

* * * * *

「ジョーいいか? 入るぞ」
 ハインリヒとジェットがメディカルルームへやって来た。
「……2人そろって……いよいよなのか?」
 黙って頷く彼らに向かって、未だに背中の痛みが取れずに居たジョーは無念そうに呟く。
「……こんな大事な時に、僕はいったい……。僕は!」
「おっと! ジョー俺たちをみくびちゃ困るぜっ!お前なんかが居なくたって、あんなアジト位朝飯前だぜ!」
「……ジェット……」
「ジェットの言うとおりだ! 俺たちを気にするよりは、早くその怪我を何とかしろ!」
「…………」
「それよりも明日からキャサリン女王がこちらの手術室で例のものを除去する手術を受けることになったよ!」
「それじゃあ、手術を受け入れたんだね。これでやっと、あのチップが手に入る。しかし……」
「ジョー、お前さんはあんまり心配するな! とにかく、その体だ、無理して動いたら直るものも直らない……」
「すまない……本当に……」
「まあ気にすんなって! せいぜい、フランソワーズとキャサリンの間でハーレム状態でも楽しんでだな……」
 とそんなジェットのしゃれにならない冗談に、さり気なくハインリヒが咳払いをする。
「もうよしてくれよ! ……僕達は別にそんなんじゃないんだから……」
「僕達って、どっち? キャサリンのこと?」
「ジェット! もう人が悪いな……」
 すると、少し真剣な面持ちでハインリヒが呟く。
「ジョー、フランソワーズのことを気を付けてやってくれ! ああ見えても相当きてるぞ! お前だけが彼女を救える!」
「……わかってるよ、ハインリヒ!」
「とにかくよ、そんなに時間はかからないと思うぜ! 爆破するだけだしな。……問題は、そのチップの元だよな……」
 黙って頷く、ジョーとハインリヒ。
「……皆、くれぐれも気を付けて、無事で帰ってくるのを待っているから!」
 そんな会話を交わした後、早々に部屋を出て行った二人だった。
 残されたジョーは、一人思い詰めたように考え事をしていた。そして、何も行動が出来ずに居る自分自身の歯痒さに思わず握り締めた拳を見つめていた。

* * * * *

 ドルフィン号から専用車両でアジトへ向かって出発した002、004、005、008は既に、作戦通りに侵入経路を辿る目前まで来ていた。モナミ王国からそう離れていない、孤島。そこへは海底トンネルを通じて侵入する計画だった。そして、それぞれ、爆弾を仕掛ける場所を分担しタイマーセット時刻を全員がその場所へたどり着いた時間から脱出時間を踏まえて、5分後にセットすることにしていた。
 そのアジトには、あのチップの一部を元に作成されていたまだ研究途中の新兵器が保存されていた。
 この兵器を完成させてはならない! その思いを胸にあえて危険を顧みずに戦い続ける彼らは、もはや引き返す事など出来ないでいた。
 全員揃ってギルモア研究所へ帰る。そんな些細な思いさえも彼らには実現できるかわからない。……いつものことだとはわかっていても、自然と無口にさせる。そしていつしか無心に自分に与えられた使命を全うしようとしているのであった。
 そして、いよいよ海底トンネルの入り口まだやって来たその時、
「おい! 入り口が3つもあるぞ!」
「くっそう。そんなこと書いてなかったぞ!」
 と008。
「おそらく、2つのトンネルは新しい物だな」
「どうするよ? 二手に分かれるか? それとも……」
「いっぺんに行くのは危険が大きい」
 005が呟く。 「……二手の分かれて、お互いに脳波回路で連絡し合おう」
 と、その時だった。脳波通信で聞こえてくる、経路の道しるべ。
"フッフランソワーズ? 003が!"
"真ん中のトンネルが本物よ! あとの二つは罠が仕掛けてあるわ!"
「いったいどうしてここへ? ジョーのもとにいろって言ったはずだ!」
"そんなことをいっている場合じゃないわ! 早くしないとNBGに悟られてしまう!"
「しかしだな…………」
"真ん中のトンネルを100m程行くとレザーの感知する場所があるわ! 右側の岩の色の変わっている場所に配線が隠されているから、その青色をカットして! そうすれば、前に進めるわ。私も少しづつみんなの後をついていくから、とにかく私の誘導に従って!"
 そんな003の脳波通信を聞きながら、驚きを隠せない彼らは顔を見合わせ、
「……とにかく、彼女の言うとおりにするしか……。実際に今の状態では、彼女に誘導してもらった方が……」
 そんな008の言葉に皆頷くしかなかった。
"フランソワーズ……君はどうして、そんなに自分を追い込もうとする? どうして……"
 ハインリヒは現状、彼女の手助けがどれだけ必要か判っていながらも、そんな彼女の行動に度惑いを隠せないでいた。


No. 34 アジト

 モナミ王国の一角にある小さなモーテル(ホテル)にて空港から直接オーギュスト・ボアに会いに行ったジャンを腕時計を何度も確認しながら、少し落ち着かない様子で部屋の中を往復してるアリスン。
"いったいどうしたって言うの? あれから、随分時間が経つって言うのに遅すぎる……"
 かつてのモルガンの友人そして、ジャンとフランソワーズの父までも良く知っているらしいその人物は、今回のイコンの事件の鍵を握っているらしい。ジャンが友人の息子、ただそれだけの理由でオーギュストは何か真実を語ってくれるのだろうか?
 妹の拉致事件についてモルガンから衝撃な告白を受けて依頼、ジャンは妹フランソワーズを今置かれている状況から救い出すこと、これについては、フランソワーズ自身がその状況下にいるのを望んでいるらしいということはアリスンの話でもよくわかってはいる。しかし、ジャンは耐えられなかった。銀行の地下室で見たあの信じたくない文字「殺人兵器」として改造された九人のサイボーグの一人が自分の妹だなんて……。
 そして、妹を自分の利益陰謀の為に拉致しサイボーグに改造したラリー・マクレーンの顔を一目見ようとジャンは思っていた。オーギュストなら彼の居場所を既に突き止めているのではないか?
 そんな思いを込めて、いても立っても居られず、ジャンは一人でオーギュストの元へ向かったのである。
 しかし、夜中の十二時を回った所で、痺れを切らしたアリスンは、夜分の無礼を承知でオーギュスト邸に電話を入れた。
 だが……ジャンはすでにオーギュスト邸を後にしており、そこにはいなかったのである。
「いないって、いったい何時頃そちらを出られたんですか?」
 受話器越しに落ち着いた声のオーギュストが答える。
「かれこれ、3時間はたっているかと……。まだホテルに帰っていないとなると……まさか?」
「まさかって? 何を、いったい何をお話になられたのですか?」
 少し口調が早くなるアリスン。
「ラリー・マクレーンの居所をとても知りたがっていました。だが、我々も正直なところ、正確には知らないので、憶測でしか答えられないと……」
「……まさか?」
「ラリー・マクレーンは私の息子も探しに出ています。何か情報が入ればすぐにでも連絡します。心配でしょうがどうぞ、落ち着いてもう少しお待ちください」
「……落ち着いてって? とにかく、私も心当たりを探してみます。夜分に大変失礼をいたしました」
 そう言って電話を切ったアリスンだったが、
"……心当たりなんてある訳ないじゃない! ジャンいったい何をしようと?"
 そしてしばらく考えた後、
「そうだわ、彼らのところに行こう! ワシントンから脱出した時に身を寄せたあの船(ドルフィン号)、まだあそこに停泊しているといいのだけれど……。でも、とにかく行ってみよう!」
 そう考えたアリスンはいてもたっても居られずに、ホテルを後にした。
 同じくオーギュスト自身も深い溜息をつきながら
"シュリを止めることさえ出来なかった自分は更に友人の……いったいどうしたら良いのだ? 誰か教えてくれ! いつになったら、平穏な日々が訪れるというのだ! 彼らが希望をもつ日がやって来るのか? どうして皆、行こうとする? いったいどうして……"
 だが、その答えは彼自身が一番良くわかっていたのである。

* * * * *

 ラリー・マクレーンの所在を突き止めようと、一人で館を飛び出したシュリは、モナミ宮殿にラリー・マクレーンがいないことを確認すると、もう一つの場所、NBGのアジトへ向かっていた。
 前回、思いも寄らない攻撃にあったこともあり、今回は海上から侵入すると決めていた。オーギュスト所有のモーターボートが停めてあるハーバーにたどり着くと、計画どうりに必要な道具を乗せると自らもそれに乗り込んだ。
 その場所からはモーターボートで行くと通常三十分程でたどり着くが、ある程度の距離まで近づき、シュリはモーターボートのエンジンを切った。そこから先はダイビングする予定だったので、すでに身を包んでいたウエットスーツに酸素ボンベを取り付け、そのまま暗黒の海の中へ身を投げた。
 一方、003の誘導の元、アジトの入り口近くまで到着した00ナンバー達は、それぞれの目標に向けて行動を開始した。
「それじゃあ、私はここの岩陰からアジトを監視しているわ! 何か異変を感じたら直ぐに知らせるから回路は開いていて!」
「一人で大丈夫か?」
 心配そうに聞く彼らに対して 「大丈夫! 少なくとも危険を感じ取るのは私のほうが早いのよ!! それより、皆の方が心配だわ……」
「何言ってんだ!! おれは、002だぜ!!!」
「おいおい002だけじゃないぜ!!」
「ふふ……そうね! でも、くれぐれも気を付けて! 油断は禁物よ」
「了解! それじゃ、行くぞー!」
 004の掛け声の下、00ナンバー達はそれぞれの指名を受けてアジトへ乗り込んだ。
 時限爆弾を仕掛ける場所はあの研究途中と見られる兵器が保管してある場所だが、すでに数箇所に分かれて保存してあることがわかっていた為、彼らは手分けをしてタイマーをセットすることしていた。
 今回のプロジェクトの総司令官ラリー・マクレーンの居場所も恐らくここにあるということを彼らは決して忘れてはいなかった。例の研究施設を爆破することによって、恐らく敵は自分たちの身とあの兵器を守るために相当な攻撃を仕掛けてくるだろう。その際に必ず彼も姿を現すはず。憎しみは何も得る事がない! その積み重ねが更に多くの悲劇を生んでいる。でも、だからこそあの新兵器を完成させてはならない! それを利用しようとしている彼をそのままにしておく訳にはいかない! そのためにフランソワーズは003として来たのである。
 シュリの為? サリーの為? それとも、ジョーの……自分の為? わからない……。だが、彼女は自分の役割をよくわかっていた。自分がいなければ! 自分がやらなければ……。
 00ナンバー達が、アジトへ侵入を開始して、しばらくたったとき、彼女は自分の背後に鋭い視線を感じる。
 緊張が走る。ゆっくりと後ろを振り返ると自分の隠れている岩陰から少し離れた小高い丘の上に、あのニーダが姿を現した。いとも軽やかに、岩から岩へ飛び跳ね小鹿のようにこちらへ向かってやってくる。
 フランソワーズは、レイガンを握り締めるとその岩陰に身を低くして隠れた。しかし、ニーダは既に彼女がそこに居ることを判っているかのように、まっしぐらに突き進んでくる。
"……ここで見つかる訳にはいかないわ! まだ彼らがタイマーをセットしていないのに……"
 しかし、ニーダはフランソワーズが身を隠している岩陰の手前で立ち止まると
「……そんなところに隠れていたって無駄よ! 出てらっしゃい!!」
 と叫ぶと、勝ち誇ったように高笑いをする。
"……どうしよう、ここで捕まる訳にはいかない! 彼女はサイボーグではなかったはず。ならば戦える? でも、おかしいわ。普通の人間の動きではない……。彼女はいったい……"
 フランソワーズはニーダの体を透視してみると驚くほど精巧なサイボーグとして改造されていたのである。
"まさか? あの時は普通の人間だったはず! 彼女はまさか自分から? なぜなの? なぜ自分から……"
「何をぐずぐずしているの? ここで私にあったのが貴方の最高の失態だったわね! 侵入者って言うからいったい誰かと思えば本当にあれから生き残ったなんてね!」
 フランソワーズは周りを見渡した。時間を稼がなければ……。彼女と戦える? でも……私がやらなくては!
 岩陰から姿を現すフランソワーズは彼らが侵入したアジトの入り口から逆の海面の方に向かってゆっくりとあとずさった。
「ふふ! そうよ、いい子ね……。でもそんな武器でこの私が倒せるとでも思っているの?」
「…………」
「何とか言いなさいよ! ……そうだったわね! あなた、声が出ないんだったわね!! それで、彼はちゃんと生きてるの? ……ふふっ、いいわ! それにしても、シブトイ子ね。……あれで、あのポンコツサイボーグと共に始末したとばかり思っていたのに、ふふふっ! でももうおしまいね。覚悟は良くて?」
 何かに取り付かれたように、喋り続けるニーダ。
"何とか入り口から遠ざけなければ……。そうだわ! あの岩の端までいったら下に降りよう。そこからは、わからないけど……とにかく走るのよ!"
 そう頭の中で模索しながら何とか岩の端まで来たフランソワーズは、ニーダの気をそらすために、レイガンを空に向かって打ち上げると、岩の下まで一気に降り、そして海方面に向かって走り出した。

 オーギュスト・ボアからラリー・マクレーンの居場所について、ある程度のことを聞き出したジャンではあったが、アジトの侵入までは出来なくとも、今後の作戦の為に一度本拠地である孤島を確認しておく必要があった。もしそこにラリー自身が居るのなら、どうやって彼に会うか考えていた。もちろん危険は承知の上でアリスンにはあえて黙ってこの入り口までやってきた。既に、数時間前に自分の妹がそこを通過したとは知らずに……。
 彼の、軍人としての勘が働く。トンネルに入る前に石ころを投げて、何かしらの仕掛けがないか確認をする。真ん中のトンネルで途中の岩壁にあったカットしてある配線を目にしたとき、既に誰かがここに潜入したことを確信すると、そのまま先に進んだ。
 そして、海底トンネルを抜け島にたどり着いたときその異様な雰囲気に呑まれそうになる。
"この、一種独特な感じは……電磁波なのか? それにしてもこんな所に本当にアジトが?"
 岩石が連なっている暗闇の孤島を探索し始めた時人の気配を感じ気づかれないようにその身を岩陰に隠した。少し先には数少なげに照明が点滅しているが、そこには暗闇の中に唯一、月光と海面の照り返しのみが照明の役割を果たしていた。
"こんな夜中に、自分以外いったい誰が?"
 銃声のような鈍い音と共に、少し小高い岩山から誰かが降りてくる。岩陰に隠れたその人物は、その手に拳銃のような物を握り締め、追ってくる人物を狙おうとしている。
"仲間割れか? それとも、私より前に侵入したと見られる人物か?"
 ジャンは身を隠しながらも注意深くその場所を観察すると、月光に照らされながらその人物が鮮明になってくる。
 拳銃を握り締め明らかに何者かを狙っているその人物は……。
"……まっまさか? まさかフランソワーズ? そんなはずは、いくらなんでも、あの子が拳銃を……。違う! あれは……! 違う! 違う!! あのやさしい妹が……”
 一瞬ジャンの脳裏にはあの「殺人兵器」の文字が浮かび上がる。
 しかしフランソワーズを狙っているニーダが目に入ると思わず自分の拳銃を取り出しニーダに向けて発砲した。
「フランソワーズ!! 伏せろー!! 伏せるんだー!!」
「……おにい……ちゃん?……まさか……」
 フランソワーズは首を横に振りながら
「……い……や……いやっ! 見ないでー!!! 見ないで……お願いだから……っっ……」
 これまで、決して声を出す事が出来なかった彼女の声が、皮肉な事に一番見られたくない兄にサイボーグとしての姿を、自分の正体を見られてしまった衝撃で、悲しい叫びとして蘇っていた。
 だが、そんな彼女をニーダは容赦なく追い詰める。再びレイガンを構える彼女に
「フランソワーズ!!! こっちに来るんだ!!」
 ジャンは必死に呼びかける。妹を取り返そうとするジャンの叫びに一瞬気を取られたフランソワーズはニーダを狙い損ねてしまう。
 ニーダの手には小型爆弾が握られ、なんとジャンのいる方向の岩に向かってそれを投げた。
「うっうわー!」
「お兄ちゃん!!! 兄さん!!」
 大きな爆音と共に燃え上がる巨大な岩はその姿を崩しながらフランソワーズの瞳の中からジャンの姿を奪う。ゴーゴー地鳴りのような音は、その爆発の大きさを伺えた。
 瞳を見開いてその光景を目の当たりにしたフランソワーズは手に持ったレイガンを落とし、両手を自分の頬に当てながら、叫び声を挙げる。
「いやー!!! ジャン!! お兄ちゃん!!! お兄ちゃん!!! お兄ちゃん!!!」
 何度も叫びながら、その燃え上がる炎の向かって走り出そうとする。
 そんなフランソワーズをニーダが狙わないはずがない。兄に気を取られている彼女に向かって再び握られた小型爆弾を投げようとした時、その手首に衝撃が走った。何者かがニーダの手元を拳銃で撃ったのである。
「な、なにもの?」
 ニーダは自分を打った人物を必死で確認しようとする。
「おのれー! こんな所で私が負けるはずがない! ふふふ……そう、最強のこの体がそんな小さな武器でな!!!」
 と、その瞬間自分の持っていた小型榴弾にもう一度攻撃がされると大きな衝撃があたりを包み込む。
「何!!! そっそんな馬鹿なー!!!!!」
 叫び声をあげるニーダだが、爆音でその声は消されていた。ニーダの居た場所も大きな音と共に崩れ始めた。
 そんなことも気にとめずにフランソワーズは必死に兄を探そうと、その方向に向かって走り出す。が、そんな彼女の手首を握り締める人物がいた。
「よせ! あんなところにいったら、また、岩が崩れるぞ!!」
「離して! 離して! お願い、行かせて!!! お兄ちゃんが……お兄ちゃんが……ううっ」
 それは、ラリー・マクレーンを追い詰めようとしていたシュリだった。
「今行っても無駄だ! 上を見ろ! 衝撃でさらに崩れかかっている!」
「お兄ちゃんが……。離して! 私がいかなくては……。行かせて!」
「落ち着け! 下敷きになってるとは限らないだろ? 今行ったらお前だって……」
「私は、どうなってもいいの……。お兄ちゃんが……うううっっ……いやーっ!!!」
「馬鹿やろうー!!!」
 バシッと思わずフランソワーズの頬を叩いたシュリは、更にその両腕を掴みながら
「お前が生きなきゃどうする? 兄貴だって……逃れているかもしれないんだ!!! お前がしっかりしなくてどうするんだ!!!!!」
 俯きながら嗚咽するフランソワーズに「生きろ!」と叫ぶ。まるで、自分にも叫んでいるように……。そしてシュリは、いつしか自分の腕に彼女を抱きしめながら新たな怒りが湧き起こってくるのを抑えられずにいた。


No. 35 其々の戦い

 NBGアジト内。
「マクレーン閣下!」
「何だ騒々しい!! いったい何事だ?」
「何者かが、この島へ侵入したようです!!!」
「なんだと?…………まさか、あの目障りなサイボーグどもか?」
「……それが、良くわからないのです!」
「判らないだと! 何をのんきなことを言っておる! ここのこれまでの研究成果を奴らに潰されてたまるか!」
「はっ! 申し訳ございません。……しかし、敵はまだ施設の外に居るようで、ニーダを偵察にやりました!」
「ニーダーか? ……ふむっ……まあ彼女のことだ、間違いはないだろうが、念のために応援を! この中には、ねずみ一匹た閧ニも入れてはならん! よいか!」
「はっ! 急ぎ、侵入者の始末を……」
「馬鹿な? しぶとい奴らだ! ……しかし、そう簡単にはさせないぞ! ここは、私の人生の全てなのだ! ここまで来るのにどれだけの時間と労力が掛かったと思う。そう易々と邪魔されては……」
 そう思いながら拳を握り締めるラリー・マクレーン。だが、そんな彼にサイボーグ戦士達は迫りつつあった。

* * * * *

 ドルフィン号にて。
 キャサリンの体内にあるチップを取り出す手術を行なっていたギルモア博士とエドガーは無事その手術を終えると、成功を祝いつつお互いの労をねぎらっていた。
 ピンセットで取り出したチップを強化ガラス仕様の小さめのケースに入れ、これまでの様々な出来事を其々思い返した。そして、お互いに目を合わせるとどちらともなく握手を交わした。
「君の的確な助手のお陰で、無事取り出すことが出来て、本当に良かったよ。……あとは、これの解明と、あの子達、いや、彼らが無事に戻ってきてくれさえすれば……」
「私の方こそ、博士の技術を実際に拝見させて頂いて本当に光栄です! 女王の体には傷一つ残っていない! こんなこと信じられませんよ。……本当に感動しました!!!」
「……いや、わしはただ、早くキャサリン女王をこの呪縛から解き放ってやりたかったのと、NBGの手にこれを渡すわけにはいかんとそれだけの思いでこの老いた手で、手術を行なったんじゃよ! わしはあれ以来決して、あの子達以外の人の体にメスは入れんと心に決めとったからのう」
「博士……」
 そんなギルモア博士の心の内を初めて垣間見たエドガーは、目の前の老人が、ロボット工学の権威として、いくらでも尊敬に値される人物でありながら、どんな理由であろうとも、NBGに加担してしまった悲劇を目の当たりにしたようで、とても、哀れに思えてならなかった。
 そうこうしている内に、麻酔で眠っていたキャサリンが目を覚ます。瞼をピックとさせながら、ゆっくりとその瞳を開いて行く。
「……うん」  エドガーとギルモアは目を合わせながらキャサリンの眠っているベッドに近づく。
「気分はいかがですか?」
「……エドガー……。もう終わったの?」
「ご安心ください! 無事に終了しました。陛下の体には傷一つありませんよ!」
「……そう、ありがとう……」
 と言いながら起き上がろうとするキャサリンに
「麻酔が覚めたばかりです。まだ眠っていた方が……」
 そう言って、再びキャサリンを寝かしつける。
「……あと一時間程ゆっくりしていなさい。直ぐに動けるようになるじゃろうて弱めの麻酔じゃから……」
「博士……私、少しは誰かの役に立てたのかしら?」
「十分じゃよ! 君は女王として立派に大役を果たしたんじゃ!!」
 博士のその言葉に癒されるようにその瞳から、すっと一筋涙が零れ落ちた。
 そこへ、ドルフィン号に残っていた006がやってきて
「女王さん気がついたアルか? ……力付ける為に特性のお粥作るアルよ! 博士とドクターも一緒にどうアルか?」
「それはいいですね! 何だか、お腹がすいたし! ねっ博士……」
「いや……わしは、後であの子達と頂くとするよ。……エドガー、キャサリン女王一人では淋しかろうて、付きやってあげなさい……」
 そう言いながら少し俯き加減にその部屋を出ようとしたその時、ドルフィン号の警報装置(00ナンバー達以外のものがドルフィン号に近づいた場合に作動する装置)が鳴り響く。怯える表情のキャサリンは思わずエドガーの白衣の裾を握り締める。
「わてが、様子見てくるアル! きっと、何でもないアルよ……」
「……気をつけるんじゃ……先ずは、コクピットのモニターを確認してから行った方がほかろう……」
 そうギルモア博士の助言に従って、006はコクピットに向かった。
 しばらくして、006が部屋に戻って来た時、その後ろからアリスンが姿を現した。
「君は確か……。いったいこんな時間にどういう事じゃ?」
「おどかしてしまって、申し訳ありません! でも、どうしてもじっとしていられなくて……」
「ふむっ! 何か深い訳がありそうじゃな……」
 そうギルモアが問いただした時
「アリスン? ……やっぱりアリスンなんだね!」
 と、思わずエドガーは口走る。そう問われて、思わず彼の方を向くと、驚いた表情で
「……あなたは、エドガー?」
 そう言うアリスンの両手を握り締めると
「いやあ……驚いたよ! こんな所で、君に会えるなんて!」
「いやはや……世間は狭いアルね? お2人は知り合いだったアルか?」
「……そうなの……パリの大学で一緒だったのよ。……とても優秀でいつも、成績はトップだったのよ……」
「君の方こそ、いつも順位を脅かされて、ハラハラだったよ。それに、僕なんてちっとも相手にされてなかった程、聡明で美しくって雲の上の存在さ……」
「そんな、それは買かぶりだわ! ……ごめんなさい! そんな事をいってる場合じゃなかったわ! 博士……」
「そうじゃな……懐かしい話もあるじゃろうが、エドガー悪いな……」
「いや……僕の方こそ、つい……すいません! でも、いったいどうして? 僕にも話を聞かせて頂けないでしょうか?」
 アリスンの顔を見やるギルモア博士。
「彼は我々の見方じゃよ……心配ない!」
 ギルモアの言葉に黙って頷くアリスン。
「ジャンが……すべてを知ってしまったのです」
「フランソワーズのお兄さんのことか?」
「モルガン長官に事件のあらましから、彼女の拉致疑惑の真相まで……そして……」
「まさか……サイボーグと言うことまで?」
 頷くアリスン。
「……そうか、何時かはそのような時が来るのではないかと思っとたんじゃよ。……そうか……知ってしまったのか……」
 何度も溜息を付くギルモア博士。
「でも博士……彼は、どうしても、そのラリー・マクレーンと言う人物に合ってそのやるせない思いをぶつけると……。いえ、きっと……許せなかったのでしょう、どうしても。……たった一人の妹が……」
 そこまで言って言葉を詰まらせるアリスン。そんな彼女の話をこれまで黙って聞いていたエドガーだったが、耐えられなくなって思わず彼にはめづらしく言葉を荒げる。
「くそーっ! またあいつか!! ……シュリとまったく一緒じゃないか! ……なんて奴らなんだ!」
「……それで、ジャンは彼に会いに行ったと言うのかね?」
「オーギュスト博士の話では、既に、別荘を出てから3時間以上たっているのです。きっとそのアジトに行ったとしか……」
「なんてことアル! 普通の人間がそんなとこ行ったら、無事に帰って来れるか……。それに、皆はアジトを爆破しにいったアルよ! それに巻き込まれでもしたら、フランソワーズ悩むアルよ!」
 そこへ、いきなり扉が開くと、防護服を着た009が入ってきた。その姿に一瞬みなの顔が凍りつく。
「ジョー!!! 何アルか? その姿は!!! まだ寝てなきゃダメアルよ!!!」
「そうじゃよ。まだ、完璧に治ったわけじゃないんじゃ! ここで無理をしたら、結合部分が破壊されてしまうぞ!」
「博士! お願いします!! 僕をアジトに行かせて下さい!!」
「駄目じゃ! 絶対にいかんっ!! そんな体で何を言うのか?」
「博士がそう言っても僕は行きますよ! ……フランソワーズが……あのままじゃきっと……」
「フランソワーズ? そう言えばさっきから姿見せないアル。一体どうしたアルか?」
「……まさかあの子も?」
 すると、黙って頷きながらギルモア博士の顔をじっと見つめるジョーの真剣な眼差しに深い溜息を付くギルモア。
「006! 小型戦闘機を出動させるから合図をしたらカタパルトを外してくれ!」
「ジョー!! 本気アルか?」
 006はギルモア博士とジョーを交互に見つめながら困った顔をした。
「006、009の指示に従ってやりなさい……」
 力なく呟くギルモア博士の老いた瞳には、涙のような物が光って見えた。

* * * * *

 一方、アジト侵入に成功した004達は、其々時限爆弾を仕掛けることに取り掛かっていた。が、そんな時アジトの外からとてつもない爆音が時間差を置いて2回も鳴り響く。
 脳波通信で仲間同士会話を交わす。
「……なんだ? 今の音は……それに物凄い規模の揺れだぞ?」
「どうも外らしいな……」
「ふむっ、003心配……さっきから、通信途絶えている」
「不味いな……ひょっとしたら、気づかれたか?」
「俺、こっちを取り付けたらフランソワーズのところへいってくるぜっ!」
「頼む002!008、悪いが002のタイマーを時間差で設定してくれ! 俺は、アイツの所へ行って、息の根を止めてやるぜ!」
「004、一人では危険!俺も行く……」
「皆、とりあえず取り付けだけはしっかりやってくれ! あとは、僕のリモコンでみんなの時間をセットすることが出来る。時間をセットしたら脳波通信で伝えるから、脱出を! 004はだいたいの経過を連絡して! 君の指示どうりに時間設定するから!」
「OK! それじゃ……検討を祈るよ!」
「じゃあな! しっかりやれよ!」
 そして、時限爆弾の取り付けを完了させた004と005は合流して、ラリー・マクレーンを探し始めた。途中何人ものサイボーグ達に襲われながらも其々の力を駆使して、何とか攻撃をかわす。
「ん? あの、前方に見える扉はなんだ? 今までの物より頑丈そうだな……」
 とお互いに顔をあわせる。
「よし、俺が援護するから、扉をぶち破ってくれ!!」
「ん!」  と頷くと005の持っている最大のパワーでその頑丈な扉を開こうとする。
「……ん! ……んんんー…………んんー……んんあああー!!!!!」
 ミシミシッ! ミシっ!! っと段々とその部屋の中が見えてくる。
そして、ゴーン!!! と部屋側に向かってその扉が倒れ落ちると、数人のサイボーグ達がレーザーガンを持って待ち構えていた。
「ははん! それが、ジョーを撃った新型のレーザーガンと言う訳か?」
『ここから先には、いかせないぞっ!』
 と一人のサイボーグが言う。
「そうれはどうかな? 何せあのあと防護服もさらに強化されたしなあ……。そんな武器で我々が倒せるとでも思っているのか? なあ005」
「ん!」
『ナニー!』
「そんなにむきになるところを見ると、どうやらその先にいらっしゃるのかな? ラリー・マクレーンは」
『う、撃て撃て!撃て!』
 一斉に攻撃を仕掛けてくる。
「おっと! 危ない……。それじゃあ、これでもお見舞いしますか!!」
 005が力任せに敵の持っている武器を捻っているかと思えば、004が足に備え付けている爆弾を彼らに向かって打ち込む。そうこうしている内に、サイボーグマンが一人もいなくなり、更に奥の扉が開いた。
『おのれー! 憎きサイボーグどもめっ! 私の研究をどこまで邪魔する気だ!』
「やっとお出ましになられましたね? あんたが、ラリー・マクレーンか?」
『……ふん!お前らにやられてたまる者か!!』
 いきなり地面が激しい爆音と共に揺れ出す。
「004! そいつはクローンだ!! その後ろを見ろ! ロケットが……」
 と005が叫ぶ。
「くっそー!!! 紛らわしいやつめ……」
 ラリー・マクレーンのクローンを仕留めるとロケット発射台に近づき、メインエンジンのあたりにもう一度、足の爆弾を数発打ち込む。
「これで弾切れか」
「004! ここはくずれるぞ! 早く退散しよう!」
「惜しいな……命中はしているんだが。……008聞こえるか? 5分後にセットして脱出だ!」
「了解!!!」
「よし行くぞー!」
 そう叫びながら、004、005はその場所を退散した。

* * * * *

「……フランソワーズ!」
 そう言いながら抱きしめるシュリは、それ以上フランソワーズに掛ける言葉も見つからず、その腕の力を強めることしか出来ずにいた。燃え上がる炎は更に強くなり、熱くなった岩石が崩れかけている。
"ここにこのままいたら危険だな……"
 すると、それまでシュリの腕の中で嗚咽していたフランソワーズが思わず顔をあげる。
「どうかした?」
 何も言わずに、黙って炎の方をじっと見つめるフランソワーズ。吊られるようにその方向に目を凝らす。シュリの腕を解き解いてその方向にゆっくりと歩き出すフランワーズは、その歩調を速めてゆく。
「フランソワーズ! よせっ! そっち……え?」
 シュリは一瞬その目を疑った。なんと、その炎の中から人影が近づいてくる。
「……あれは? ……うっっ……お兄ちゃん? ……ま…………さか?」
 その方ばかりに気を取られているために足元の石ころに躓きながら、立ち上がり、再び躓きながらその人影に近づいて行く。シュリはそんな光景を目の当りにしながら、自分の役目は終わったと思い黙ってその場を立去った。
"俺は……そう、奴に合うためにここに来た! その目標を果たすのみだ!"
 オレンジ色に燃え上がる炎の中からまるで陽炎のようにフランソワーズのいる場所に近づいてくるその人影は、ジャンを背負ったジョーだった。ジョーは炎から離れた所にジャンの体を寝かせると、その横に自分もうつ伏せた。
「ジョー!!! お兄ちゃん!!」
 叫びながら近づいてくるフランソワーズの声に何とか答えようとするジョーは体の痛みを必死で耐える。
"うっっつ!!! ハアハアッ……"
 それを彼女に気づかれまいと呼吸を整える。
「……お兄ちゃん……お兄ちゃん!!」
 やっとの思いで、彼等のもとにたどり着いたフランソワーズは、意識のないジャンの体を揺さぶりながら何度も何度も兄の名を叫ぶ。それを阻止するかのように彼女の腕を掴む。
「……だい……じょう……ぶ……お兄さんは……気を、失っている……だ……け……」
 苦しそうにそう語るジョーはそのやさしい茶色の瞳でフランソワーズを諭すように落ち着かせる。フランソワーズはそんなジョーの手を握り返す。
「あなたが……お兄ちゃんを助けてくれたのね! ……ありがとう……本当にありがとう……ありがとう……」
 そう言って、溢れ出る涙を拭おうともせずに握っていた彼の手を自分の頬に当てた。
「それより、早くここを脱出しなくては……お兄さんもこのままじゃいけないし……」
 そこへ、フランソワーズを探していたジェットが現れる。ジョーの姿を確認すると、驚いたように、
「おいおいおい!!! いったいどういうことだ?」
「ジェット……いい所に……実は……」
 ジェットに大体の説明をしたジョーは、ジャンをとりあえずドルフィン号に連れてゆくようにジェットに頼むとフランソワーズと共にジョーの乗ってき小型戦闘機で、後のメンバーを援護することを伝えた。
「あんまり無理しなさんな!! まったくお前らって本当に……まあいいか」
 ジェットはそう言いながらジャンを抱え飛び立った。
「ジョー……まだ痛むんじゃない? ……それに、加速装置を使ったのね? お兄ちゃんを助けてもらって、あんまり言えないんだけど、無理しないで! 私……」
 言葉に詰まるフランソワーズ。
「大丈夫! ……あのままドルフィン号にいたら気が狂いそうだ!! さあ、戦闘機が停めてある場所まで行くよっ!」
 頷きかけたフランソワーズだったが、あまりの衝撃で忘れかけていたことを思い出す。
"はっ! ……シュリは? どこ? ……"
 心の中で思いながらあたりを見回すが、シュリは既にその場所から姿を消していた。
「フランソワーズどうしたの?」
 ジョーの呼びかけに我に帰る。
"どうしよう……。シュリは、やっぱり彼の所へ? シュリ……あなたにはいつも不意に現れて消えてしまう。……でも……そんなあなたにいつもたすけられている…………どうか、どうか無事でお願い!"
 ゴーッゴーッ!!! といきなり地響きを立てながら、地面が揺れ出す。
「なっなんだ!!!」
「あれは? あっあれは、ロケットだわ!!!」
「何だって?」
 ロケットは島の中央部分の大きな岩を半分に割るように少しずつ姿を現すと、今にも発射するかのように発射台には既に点火がされていた。 揺れは更に激しくなり、ジョーとフランソワーズは抱き合いながらその揺れに耐えていた。 「ああ……いけないっ! あのロケットは……爆発するわ! メインエンジンが物凄いダメージを受けている!」
「爆発するって? そうしたらここは?」
「ジョー!!!」
「フッフランソワーズ!!! しっかり僕に掴まっているんだ!! いいね!!!」
「でも、どうするの?」
「……わからない! でも……時間が……」
 ロケットは大きな爆音と共に小さな島が粉々になる位の大きな爆発を数回繰り返した。ジョーをフランソワーズをそして他のメンバー達やシュリまでも巻き込んで……。


No. 36 ラリー・マクレーンの野望

 ロシア北東部豪雪地帯にて、雪山の奥深くに何十年もの間ひっそりとその姿を隠していた隕石は、内側から異様な光を放ち、小さな雪崩を起こしながら少しずつその姿を地上に現そうとしている。
 それはまるで意思を持った生き物のようにゆっくりと着実に何か得たいの知れないものから生まれ出るように、ゴーッ!ゴーッ!と凄まじい雪崩の音、季節外れの豪雪そして、繰り返される雪崩に周囲は戸惑いを隠せないで居た。
「……また雪崩か?」
「最近、多いわね……」
 と言いながら夫婦は何時ものように雪に覆われた窓の外の景色を見る。
「……子供たちは?」
「表で遊んでいるわ! でも、山には行かないように言ってあるから大丈夫!」
「……そうか」
 しばらくすると、外で遊んでいた子供たちが大声を張りあげながら、玄関の扉を開ける。
「ママ!!! パパー!! 大変大変だよー!!!!!」
 顔を見合わせた夫婦は雪崩がこちらの方に向かっているのかと驚いて立ち上がる
「いったいどうした?」
「とにかく外に来てよ!!! すっごいんだから!!!」
「早く早く!!!」
 小さな男の子の手に引っ張られてこの家の主人は、あわてて上着を着こんで外に出ると、まぶしい光が彼らを襲う。
「うわッ! 一体なんだ? あれは??」
「眩しすぎて目が開けていられないわ!」
 そう言いながら男の子を思わず抱きしめている婦人。
「ほらっ! ねえ……見てよ! 凄いよ……」
 今度は女の子の興奮気味の声に、もう一度ゆっくりと目を開けてみるとその空には、白い光を放ちながら浮んでいる巨大な隕石がゆっくりと南の空に向かって飛んで行くのが確認できた。
「あれは隕石か?……それとも?」

* * * * *

 ジャンを抱えながらドルフィン号に向かっていたジェットは、孤島から吹き付ける風にあおられながら何とか無事にジャンを送り届けることが出来た。
「ジャン!!!」
 作戦ルームに運ばれてきたジャンに駆け寄るアリスン。
「ジェット……一体どういうことじゃ?」
「ああ……とにかく気を失っているらしいが、まあ大丈夫だろ? ここにはドクターも沢山いるし……」
「そうじゃなく……敵に気づかれたのか?」
「まあな……俺も、もう一度行ってそのラリー何とかをとっちめてくるぜっ!」
「ジョーとフランソワーズには、会ったアルか?」
「ああ、ジョーがそのお兄さんを炎の中から救ったらしい……」
「ジョーが? ……大丈夫かのう? あの体で……」
 すると、アリスンがギルモアに向かって。
「少し怪我と火傷をしているようです。あの……応急処置をしたいのですが!」
「そうじゃったな……」
「それなら僕も手伝いましょう!」
 とエドガー。
「ジェット! 彼をメディカルルームに運んでくれんか」
「OK!」
 ジェットはジャンを運び、その後再び作戦ルームに戻ってくる。
「どうだ? 島の様子は」
「変わり無いアルね」  と006。
「それじゃあ、俺はそろそろ……」
 ジェットが言いかけたとき、イワンが突然けたたましい泣き声をあげる。
「ギャー!!! ギャー」 「おっおい!一体何だってんだよ!! まったくうるせーなー!!」
「……おおよしよし……いい子だから泣き止んでおくれ!!」
「何か、予感したアルか? 001」
「キョダイなインセキが近づいてイル! 彼等はモドルツモリだ!」
「はっ? 戻るっていったいどこへ?」
「……カレラのホシへカエル……だから、カレラの一部取りかえすツモリ」
「彼等の一部って何アルか?」
「まさか……あのイコンに隠されていたチップの…………」
「ボク達の言い方デイエバ、ウィルス。でもカレラにとっては、体の一部ナンダ」
「でも、何だって今頃になって? あのロシアの何とかって人が兵器に利用しようとしたのは、もう数十年も昔の話だろ? その隕石から採取したとしても……。なんで今頃になって……。わかんねなー!」
「イヤカレラニトッテハ、数10年ガ数日トイウコトラシイ。墜落の衝撃カラ立直ったら、モトモトジブンタチノホシへカエロウトシテイタンダ!」
「……そうか……それをロシアの科学者達によって利用されそうになった?」
「ウン……当時、冷戦ガツヅイテイタカレラは、宇宙開発にヨネンガナカッタ。アメリカに負けるワケニハドウシテモイカナカッタンダ! そこに、カレラの目の前に宇宙からヤッテキタのガ、あの隕石ダッタ。カレラニトッテハ、イイ研究ザイリョウダッタワケダ!」
「……まったく、とんでもない利用のされかたアルね!」
「そう……アノ隕石の一部をモチカエッタカレラは、宇宙開発ドコロカとんでもない事にリヨウスルコトヲオモイツイテシマッタ! それが、あの未開発の兵器ダ!」
「なるほど……BGが目を付けるはずじゃ!」
 そんな話を続けていた彼らだったが、いきなり凄まじい爆音と揺れがドルフィン号を襲う。数回に渡り大きな揺れを感じ取っていたが、皆その揺れに耐えるので精一杯だった。
「うわー! 何アル? 地震あるか?」
「博士! 大丈夫ですか?」
 近くの柱に掴まりながら、
「ああ……わしは大丈夫じゃ。キャサリン女王が一人で休んでおるが……心配じゃ」
「何アル? 皆モニター見るあるよ!」
 作戦ルームの巨大モニターに映し出されているアジトがある孤島。それは、見るも無残な崩壊を辿っている姿だった。
「ナニー!!!」
「なんと言うことじゃ! …………あの子達は? ああ……」
 モニターに釘付けになるギルモアの脳裏には、もはや絶望の言葉が浮ぶばかりだった。
 作戦ルームに駆け込んできた、アリスン。。 「一体何があったの?」
「いや……わらない! でも……くっそーなんてこった! 俺行って来る!」
 そう叫びながら、ドルフィン号を飛び出すジェット。
「イワンは?イワンはどこじゃ?」
 彼等がモニターに気を取られていた間に、イワンはその姿を消していた。
 激しい揺れの衝撃を受けて意識を取り戻したジャンは、エドガーの静止を振り切り、アリスンの後を追うようにして、作戦ルームへ向かった。直後、目にした巨大モニターの映像の衝撃に絶句してしまう。
 ジャンの存在に気づくアリスンは、掛ける言葉もなく、ただただ、その光景が夢であることを祈っていた。
「……フランソワズ!」
 声にもならない彼の呟き。
 巨大モニターのまえに膝まづくギルモア博士、そして、キャサリンとエドガーもその光景を目にした後、交わす言葉もなく今、起こった出来事を受け止めることさえ出来ずに佇んでいた。

* * * * *

 一方、フランソワーズの前から姿を消したシュリだったが、アジトへ侵入しようとしたその時に、凄まじいエンジン音と共に岩の間から、姿を現したロケットを見上げていた。
"いったい、どういうことだ? ……まさか,フランソワーズがこの島に居たということは、彼等が奴を追い詰めた? すると……このロケットで、逃げるつもりなのか……"
 しかし、そのロケットが一回目の爆発をする直前に、小さな脱出用カプセルが飛び出した。が、こちらも、予想以上のダメージを受けていたため、失速してしまう。
 シュリは、大きな揺れに耐えながらそのカプセルに近づいて行った。中から這い出てきた人物は、命からがら、今にも爆発しそうなロケットから逃れるように這って来る。その人物こそ、シュリがこれまで追い続けていた、ラリー・マクレーン本人であった。
「くっそー!!! ……あと、少し、あと少しだと言うのに、ここまでやっと……。あの裏切り者サイボーグ!!!」
 無念の表情をロケットに向けるラリー・マクレーンの背後から22口径の拳銃を突きつけるシュリ。
「……なっなに? 誰だ??」
 恐る恐る後ろを振り返るその瞳に映ったのは、かつて、自分自身が育てていた青年だった。
「さがしたよ……あれからずっと…………」
「……お前……ふんっ! ……お前に私は撃てまい!」
「さあ、どうかな?」
「お前は、何か勘違いをしていないか?」
「……勘違いだと?」
「ふふっ……妹の感傷に浸っているようでは、お前に私は倒せんよっ! お前は何にもわかっとらんようだな! ハハハッ……ワハハ!!!!!」
「……一体何がおかしい?」
「そんな武器で私を倒そうと? お前の妹はとっくに私の正体を見抜いたいたぞ?」
「お前の正体だと?」
「そう! 私の正体だ! かわいそうに……おとなしくしていれば生かしておいたのに、アレクセイに連絡を取ろうとするからこの手でお仕置きをしてあげたんだよ! ……ふんっ! まったく馬鹿な兄妹だ! そんな武器では私の鋼鉄の体はびくともしない!」
「…………なんだと? お前は!いったい……」
 怒りのあまり拳銃を握る手に力が篭る。
「……それともう一つ教えてやろうか? この島のアジトとモナミ宮殿は連動している。……フフッ、この島のアジトが崩壊した場合は、モナミ宮殿も爆破するようになっているのだよ! 証拠隠滅って訳だ! ハハハッ!! どうだ? お前に一体何ができる? お前の助けを呼んでいる妹を助けることも出来なかったお前が!」
「きっさまー!!! お前それでも人間なのか!!!」
 そう言いながらラリーマクレンを殴り倒すシュリだったがラリー・マクレンは倒れた隙に上着のポケットに入っている自分の拳銃を取り出すと、素早くそれをシュリに突きつける。お互いにお互いの腹に銃口を突きつける格好の二人。
「さあ! どちらが先に…………」
 とラリー・マクレーンが言いかけた時だった。
 凄まじい爆音と共に、大きな地震、それも、立て続けに2回3回と続く。彼等は、お互いに拳銃を突きつけたまま、その爆風に吹き飛ばされた。

* * * * *

 ほんの小さな孤島にとって、ロケットの爆発、そして実はNBG自ら仕掛けていた作戦失敗時の為のアジトの破壊プログラムの作動による衝撃は、その島自体を破壊してしまうほど、大きなダメージを与えるものであった。だが、その瞬間にその付近一帯を大きな光が包み込む。金色に光り輝く光の中に、孤島がすっぽり入り込こまれたかと思うと、まるで、そこだけ時が止まってしまったように、それまでの、爆音や燃え上がる炎の揺らめき、そして、ロケットや岩石の破片の動きが止まる。
 孤島からほんの少し離れたモナミ王国の海岸沿い──。バシャッ! バシャン!!
「……うぐっ! なっ何なんだー???……フッフランソワーズ!!!」
 フランソワーズと共に海に投げ出されたジョーは、気を失っている彼女をなんとか片腕に抱えながら必死で海岸へ泳ぎ着く。 「……フランソワーズ!!!しっかり……ウッククッ」ジョーは自分自身の痛みに耐えながらも彼女の頬を必死で叩く。すると、
「ん……ゲッホ! ゲッホ!!」
「……もう大丈夫だから……ゆっくり呼吸を整えるんだ!」
 空ろな眼差しでジョーの顔を見つめながら頷くフランソワーズ。
「……ウッ!!! クッ!! 一体ここは?」
 海岸にその身を投げ出されたハインリヒは、ふらつく頭を支えながらあたりを見渡す。
「……008!!! おいっ!しっかりしろ!!!」  近くに倒れていた008を抱き起こす。
「……ああ……ここは? さっきの爆発はいったい何が原因なんだ? ……僕らが仕掛けていた爆弾とは違って規模が大きすぎる!」
 一瞬気を失っていたピュンマが唸るように呟く。そして005が彼等の目の前に何かに投げ出されたように突然姿を現す。
「……んんん……?」
 彼らは今何が起こったか理解するのにしばらく時間が掛かった。
「あっあれは一体なんだ?」
「…………」
「…………そんな」  其々の瞳に映ったものは、内側から白い光を発しながら、上空に現れた物体。それに向かって、ゆっくりと吸い込まれて行く小さな霧状の物質。
「これは、隕石なの? ……ああ……あの吸い込まれている物質は、あれは……」
 とそこまで言いかけて言葉に詰まるフランソワーズ。彼女の頬にすうっと一筋涙が零れ落ちた。この物体は、生きているんだわ! 彼らは、悲しんでいる。自分たちが悲しいことに利用されようとしていたことに……。テレパシーのようなもの? 彼等の悲しみが伝わって。
「僕にも伝わってくる……彼等の悲しみが……」
「人間て奴は、愚かだな……何だって争いの道具にしちまう!」
 呆然と立ち竦むハインリチがポツリと呟く。
 そして、ジェロニモも……。 「彼等、自分たちのいるべき所へかえる! だからもう、イコンのチップ必要ない……なぜなら、あのウイルスさえこの地球上からなくなれば、あの兵器は完成しない!」
「ソノとうりだよ!00 5……もう、ドラゴンのイコンはソノ役目をオエタンダ!」
「じゃやあ……僕たちの戦いも?」
 突然現れたイワンを見つめる008。
「マダ、アンシンハ、デキナイヨ!モナミ宮殿にセンニュウシテイル、ラリー・マクレーンの手下タチガ、ボスを失ってボウソウシテシマウ、カノウセイダッテある!それにこのままアジトがホウカイスレバ、宮殿も!」
「確かにあの宮殿の地下は彼らの第2のアジトになっていたから、急がなくては!」  ジョーの言葉に皆一応に頷く。そこへ、ドルフィン号から飛び出してきたジェトが合流する。
「……おい! びっくりしたぜっ! 島には突風で近づけないし、訳のわからない隕石が眩しいし!」
「あの……ジェット、何て言っていいか、お兄ちゃんのこと……ありがとう!」
 小さく呟くフランソワーズ 「ああ、兄さんなら、アリスンが手当てしているから大丈夫だよ!心配ない」 「……アリスンが?」。 「詳しくは判らないが、アリスンが教えてくれたんだ。お兄さんが島に向かった事を……」  そんなジョーの言葉に、一瞬顔が曇ったように俯くフランソワーズ。
「……フランソワーズ?」
 ジョーに言葉を掛けられ顔をあげると、
「宮殿へ急ぎましょう! ここでぐずぐずして入られないわ!」
「その通り! って事で、俺は一足先に行ってるぜ!」   再び飛び立ったジェットを見上げ、後の仲間達も先を急いだ。フランソワーズの一瞬の表情を見逃さなかったジョーもそれが気になりつつも宮殿へと向かった。

* * * * *

 モナミ宮殿では、先程から連続して起こる強い揺れに混乱を極めていた。キャサリン女王に変装していた007も脳波通信で仲間達と連絡を取ろうとしていた。
「女王陛下! お怪我はございませんか?」
「我輩! ……あっいや私は大丈夫です! それより、被害状況を調べるように……その、大臣?に……」
「それはご心配なく! 陛下! 手はずは整っております!」
「あーここは大丈夫だから……その、怪我をした人達の救済を急いで!」
「陛下……ううっ、私は感動しております!」
「ミレット婦人? いったい何をですの? この事態に!」
「いいえいいえ! 私がお休みを頂いていた間にすっかり女王陛下らしくおなりになられて……。怪我人の心配をされるようになられるとは……。時たま変な言葉使いは気なりますけれど……。さすがは、元国王陛下のお子様であられらるわ……」
「まあ……ホホホッ!」
"どうでもいいが、早く消えてくんないかなこのおばはん! ジョー達と連絡取りたくても落ちつかねえぜ!"
「あっあの………ミレット婦人? なんだかお腹がすいたわ! 簡単なものを持ってきてくださらない?」
「姫様! ああ、女王陛下! 今お誉めしたばかりだと言うのに! 仕方ございませんわね。徐々に成長して頂かなくては。はい、只今何かお持ちいたしましょう。おとなしくお待ちくださいませ!」
「うふっ! ごめんなさいませ!」
 ミレット婦人にウィンクをするグレート。
 パタンとドアの閉める音がしたのを確認すると、思いっきり大きな溜息をついた。
「ふうー! っと……こうしてはいらんねえ!」
 素早くねずみに変身すると、キャサリン女王の部屋を後にした。
「おい! 007! 007! 聞こえるか」
「その声は、002ではないか!」
「今宮殿に侵入した! 案内を頼むぜ!」
「任せて頂戴な! それで、今どこに?」
「地下の駐車状入り口辺りだ!」
「今直ぐいきますよ」
 グレートは、数分でジェットと合流する事が出来た。
「よう! 007女王の格好じゃないんだ!」
「もうー勘弁してくださいよー! 少しの間ならまだ我慢できるが、今回は本当きつかった! 肩がパンパンよっ!」
「サイボーグが肩こりか?」
「言葉の何とかってやつ! で、002がここへ来たって事は、今の地震と関係が?」
「ああ、ここも爆破される危険があるんだ! 今009達も向かっている! 俺たちはとりあえず、ここの人達を避難させないと!」
「避難って言っても俺たちの言うことを簡単に聞くのかな?」
「ばか! その為の007さまじゃねえのかよっ!」
「……ふむむ! すると、こんな格好で皆に命令を下すって事?」
 今度は大臣に変身する。
「上等! じゃあ、避難誘導開始だ! 今他のメンバー達も来るだろうし、それまでは、よろしく頼むぜ!」
 彼らは行動を開始した。その直後009が到着し、二人に合流、他のメンバー達も遅れて到着した。
 001の指示通り、004、005、008、そして009は、地下に潜伏しているNBGの排除と、アジトと連動しているエネルギー装置の停止を開始する。そして、002、003、007は、宮殿の中の人達の避難を手伝った。
「そのイロノ違うハイカンヲタドルト、アジトとレンケイしているエネルギー装置にタドリツク! イソイデ、オソラク25分モスルト、アノアジトは、ホウカイスル!」
 そんな時。 「……お出迎えがお見えのようだぜ!」
 彼らの前方に立ち塞がったNBGの兵士達の姿を見てハインリヒが呟く。それぞれレーザーガンを構える。一足早く004の指から攻撃が始まった。激しい打ち合いの後、何とか前に進んだ彼らだったが、エネルギー装置のある部屋の入り口にて、またしても敵が待ち構える。敵と応戦しながらも、009はもう時間のない事を覚ると
「もう、時間がない! 008早くあの装置を停止して! やつらは僕たちに任せて! 001、008に停止の指示を!」
「わかった! それじゃあ、フォロー頼んだよ!」  008は、巨大に聳え立つシルバー色に染められたエネルギー装置に向かって行った。
「マズ、ソッチノコンピューターをタチアゲテ!」
「001、パスワードがわからないよ!」
「……ダイジョウブ! XXXXXをイレテミテ」
 たちまち回りのコンピューターも始動を開始する。
「ツギハ、ソノ島のエイゾウノアタリヲクリックしてみて!」
 001の言われるがままにコンピューターを操作する008。
「……こっこれは? あの島以外にこんなに爆弾が仕掛けられている!」
「ハヤクトメナケレバ! アジトがホウカイシタラ、ミナホウカイスル!」
「どうすれば停められる?
」 「ダイジョウブ! 次のガメンへ!」
 回りでは、009達が2人を後押しするように、兵士たちと応戦している。
「004! ここでの大きな爆発は危険すぎる!」  009の呼びかけに、
「わかってるよ! それより、お前さんも無理しなさんな! って言っても、こう相手が多くちゃな!」
 005も2人3人を相手に力を使う。
 敵のレーザーを加速装置で交わす009は、先に負った傷の痛みも忘れるほど、戦いに集中していた。そんな時、あの謎の隕石が地球を離れようとしている為か、これまで時を止めていた孤島が崩壊の一途を辿り始めた為か、大きな揺れが再び感じられたと同時に凄まじい爆音のような轟音が近づいてくる。それを、素早くキャッチした003が、脳波通信で皆に伝える。
"時間がないわ! あと30秒でこの王国にも……。ああ、どうしたらいいの!"  と言いながら、思わず頭を抱える。
「不味い! 008! どうやら、タイムリミットのようだ!」
 ハインリヒの叫び声が響く。
「あと20秒でこの宮殿も……」
「黙って! もう少し……。今、送信中なんだ! ……早く! ……5、4、3……」
 コンピュターが爆破装置のセットを解除していくと、点滅していた爆破予定のランプが順番に消えて行く。爆破予定の1秒前にすべてのランプが消え、一瞬あたりは静まり返った。
「……間に合ったのか?」  と思いがけず呟く008。
「どうやら、俺たちまだ生きているようだぜ!」
「……んん! これで、やっとこの国にも平穏が訪れる!」
「とにかく、後は混乱している人々を落ち着かせなくちゃ!」
「ダイジョウブ! ナントカ007がウマクオサメテイルヨ!」
 地上にいた002、003、007達も、その時が過ぎ、まるで何事も無かったような静けさにふと我に帰る。
「……間に合ったのか?」
 と002。
「……ジョー? 無事なの? 皆は……」
 気を取り直した003は脳波通信で皆の無事を確認する。
 一瞬呆然としていた007だったが、瞬時に女王に変身後、機転を利かせて混乱を極めている人々に向かって平静を保つように呼びかける。
 一方その頃、NBGのアジトが実在していた孤島はその後の数回の爆発と地震によって、その姿は無残な最後を遂げていた。


No. 37 最終章 前編

 数日後。モナミ王国は徐々に平静を取り戻し、思ったよりも被害は少なく人々は以前よりも一層団結力を増して復興に取組んでいた。
 そして、今回の事件、いや戦いが一旦は終了した形の彼らも、またいつ現れるかもしれない、NBGの残等に注意を払いつつ、つかの間の休息でその戦いで疲れきった心と体を癒そうとしていた。
 彼は、宿泊しているホテルのバルコニーの手摺に寄りかかりながら、一人物憂げに目の前の広大な海を見つめていた。自分は一体ここに何をしに来たのであろう? 妹を今いるであろう彼らの元から連れ戻すために意を決して来たのではなかったのか? しかし、最愛の妹の想像もしていなかった姿を垣間見てしまった衝撃に何の力にもなってやれなかった自分の不甲斐なさに心を痛めていた。
 まして、あの時彼女を助けるどころか、かえって彼女を苦しめていたことに気づくと何ともいえない脱力感さえ覚えていた。だが、このままにしておく訳にはいかない。妹をこんな危険なところに置いたままパリへは帰れない。まだ、間に合う! パリに帰って好きなバレエをやらせてやりたい。欲しい服も沢山買ってやりたい。今までやってあげられなかったことをすべてこの手でかなえてやりたい気持ちでいっぱいだった。そして、彼らだってきっとわかってくれる! 自分の気持ちを理解してくれるはず。そう……彼女の事を大切に思うのであれば……。だが、肝心の本人はどう思っているのだろうか。
 当初は、彼女を拉致し、サイボーグに改造した人物に対する怒りと憎しみが、今は考えれば考えるほど、深い悲しみに変わって行くのであった。
 そんな時、不意に後ろから彼に声を掛ける人物が現れる。
「……兄さん」
 少し遠慮がちに呟く彼の妹は、ひょっとしたら、もう彼には受け入れて貰えないのではないかと言う不安を抱えていた。怖かった。あの時最愛の兄に垣間見られてしまった自分の姿。一番見られたくなかった。たった一人の肉親である兄に……。皮肉なことにそれまで無くしていた自分の声が、そんなショックで戻ってきたとは。もう……あの時の、パリで幸せに暮らしていた頃の私じゃないのだと、何度も自答する。
 しかし、ゆっくりと呼びかけに振り返った彼は、今までと変わらないやさしい笑顔を彼女に向けていた。
「…………どうした? そんな顔をして!」
「兄さん……私……話さなきゃならないことが!」
「フランソワーズ、そんな所に立っていないでこっちへ来てごらん!」
 兄は自分のいるバルコニーに彼女を誘った。二人並んで蒼海を眺めている。しばらく沈黙が続いた後、
「フランソワーズ……私とそして、アリスンと一緒にパリへ帰ろう!」
 意外な兄の言葉に、一瞬驚きの表情を彼に向ける。いや、ひょっとしたら、そう言ってくれるのではないかと思っていた。でも、それに答えられない今の自分のには、それがかえって辛かった。黙ったまま首を横に振った。
「なぜ? なぜだ? お前が彼らと一緒にいた所で何かが変わると言うのか? フランソワーズ! 今ならまだ十分間に合う。バレエをやりたければやればいい! 大学へ行くのならそれでもいい! 兄さんはどんなことだって協力するつもりだよっ! だから……」
「兄さん、ありがとう。私、その気持ちだけで十分幸せだわ」
 ジャンはそんな妹の言葉に居たたまれない感情をどう吐き出して良いのかわからずにいた。
「兄さん、そんな悲しそうな顔をしないで……。私は大丈夫だから! 兄さんが思っているほど弱くはないのよ!」
「フランソワーズ……」
 一言呟いた後、ジャンは何故だかいつかもこんなことがあったような気がした。そう、母さんだ。あの時の母さんの顔……。なんて、似てきたのだろう。あの小さかった妹がこんなにも美しく、そして強く感じられるのは、一体何がそうさせたんだろうと考えて思わずふっと笑みをこぼしていた。すると、そんな表情の兄を見てフランソワーズが問い掛けてくる。
「兄さん? どうかしたの?」
「いや……母さんに似てきたなと思って……」
 思いがけない兄の答えにその蒼い瞳を丸くした。
「……ママに?」
 頷きながらジャンは再び蒼海に目をやる。
「……ここの海、似ていないか?」
「ええ、似ているわね!」
 幼い頃、幸せな家族で過ごした、ニースの別荘から見えた海もここの海と同じような蒼色だった。やさしい潮風が二人を包み込む。タイムスリップしたような心地良さ……。まるで、あの時母が奏でていたピアノが聞こえてくるような気がした。
「お兄ちゃんのヴアイオリンまた聞きたいな!」
「……ヴァイオリンかあ。そう言えばあれ以来触ってないな」
「もったいない! プロ顔負けだったのに!」
「……おいおいそれは言いすぎだ!」  顔を見合わせて微笑む兄妹。
「……ねえ、お兄ちゃん? やっぱり兄さんって呼ぶよりお兄ちゃんになってしまうわ!」
「どちらでも、お好きなほうで!」
「……私ね、今なら分かるような気がするの、あの時のママの気持ちが……。パパについて行ったママ」
「……そうか」
「私も、きっとそうするだろうなって! あの時は淋しくて泣いてばかりいたけれど……」
「……それが、お前の今の気持ちなのか? ……あの青年……」
 黙ったまま兄を見つめゆっくりと頷く妹。
 そんな妹のいじらしいまでも頑なな姿がいとしくて、思わずそっと抱きしめていた。
「……お兄ちゃん、私の……私のあの姿見たでしょ?」
「フランソワーズ! 私にとって、お前はたった一人の妹なんだよ! どんなことがあってもね……」
「……でも、でも私」
「お前のせいじゃないんだ! お前のせいじゃ……。あの時、助けてあげれなかった私の……」
「違うわ! 違う……」  そこまで言って言葉に詰まってるフランソワーズは兄の腕の中でそっと涙を流した。
「いいかい? フランソワーズ! 一つだけ約束してくれ」
「……なに?」
「私より先にいなくなるなよっ!」
「えっ?」
「……いつでも、戻ってくればいい! そう、辛くなったら帰るところがあることを忘れるんじゃないぞ!」
「お兄ちゃん! ありがとう!」
 たった一人の妹に与えられた運命を思いながら、ジャンは神にそして父と母に祈ることしか出来ないでいた。
"どうか、どうかこの娘をお守りください! そして、必ずこの娘に幸せが訪れますように!"

* * * * *

 ジョーの体は思いのほか順調な回復を遂げていた。最終チェックを終えたギルモア博士は、メディカルルームのベッドから起き上がろうとしているジョーに向かって、声を掛ける。
「ジョー、折り入って話があるんじゃが……」
 少々言い難そうな博士の様子を見て、
「博士? どうかしたんですか?」  と答えるジョー。
「ふむ、実はな、フランソワーズのことなんじゃが」
「…………」
「彼女は、今相当疲れとる。……精神的にこのままにしておくのはどうかと思うんじゃよ」
「……それは、僕も心配していたんですが……。でも、いったい何がおっしゃりたいんですか?」
「彼女のお兄さんが、フランソワーズを連れて帰りたいと言ってきたんだよ」
「お兄さんが?」
 ジョーは、遅かれ早かれ、このような日が来るのではないかと思っていた。そして、ジャンが彼女の秘密を知ってしまったからには、このまま放っておくはずがないとも思っていた。そんな不安が今現実となって目の前に迫っている。
 ジョーにとって、彼女の存在がどれほど大切か、そして今回の戦いを通じて、より一層自分の気持ちがはっきりと見えてきたような気がしていた。そんな矢先、ジャンが現れて……。
 大切なフランソワーズのことを思うと、これからも恐らく続くのであろう、危険で悲惨な戦いの中にいるよりは、お兄さんの元でバレエの夢を再び見せてやりたい気持ちとが複雑に絡み合っていた。
 実の兄に、サイボーグである姿を見られてしまった彼女の精神的苦痛は相当なものだった。
 しかも、今回シュリ・ブライアンが未だに行方不明になっていることに、フランソワーズが深く傷つき思い悩んでいるのも知っていた。ここ数日、彼の残したパンフルートを手に、海辺でそっと涙していたのを、ジョーはそっと遠くから見守るしかなかったのである。
 このままでは、いけない。このまま放っておいたら、彼女は壊れてしまう。危機感がジョーの中にも大きな不安として存在していたのである。  ジョーは、ギルモア博士と共にフランソワーズ以外の仲間達を一室に集め、今後のことや、フランソワーズのことを話し合おうとしていた。
「改まって一体何の話なんですか?」
 ピュンマがギルモア博士に向かって問い掛ける。
「実はな……たった今ジョーには話したところなんじゃが……そのフランソワーズをパリへ返そうかと思っとるんじゃよ!」
 ギルモア博士の言葉に皆一声に驚きを隠せなく、其々困惑した表情を浮かべていた。唯一ハインリヒを除いては……。
 ハインリヒはジョー同様に直接ジャンにも会っていたし、彼のことを思うと、このようなことになるのは時間の問題だと思っていた。
「パリへ帰すっていったいどうして? あんまりいきなりじゃねえかよ!」
 ジェットが苛付くように呟く。
「……兄貴……だろ?」
 ポツリと呟くハインリヒ。
「そうなのか? ジョー!」
 と再びジェット。
「わたし、わかるアルよ! かわいい妹だったら、連れて帰りたくもなる! これ、人間ってものアル!」
「……確かになあ。……それに、フランソワーズ、最近元気がないみたいだし……」
 とピュンマ
「それで、ジョーはそれでいいのか? 姫だって、王子に攫ってもらいたいかもしれないぜ。これぞ、ハムレットのオフェーリアの心情ってか?」
 とグレートが茶化すように言うと、
「フランソワーズの心一番大事! フランソワーズの気持ち大切にする! これが一番いい!」  とジェロニモがボソッと呟いた。
 そして、しばらく続く沈黙。
「……あいつ、どうしちまったんだろうな?」
 とジェット。
「……あいつって?」
 ピュンマがジェットの顔を見る。
「シュリだよ。……まだ、見つかっていないんだろ?」
「確かにな……。フランソワーズ、きっとそのことでも深く悲しんでるよ」
 とピュンマ。
「イワンが俺たちと一緒にテレポートしていればいいんだがな。あの時は彼のことはすっかり忘れていたし、眠ってしまったイワンに確認すらできないしな」
「ジョー、フランソワーズと何か話したのか?」
「え? ……いや、まだよくは……。でも今回のことで相当疲れているのは確かなんだ……」
「……とにかく、この件に関しては、本人が一番どうしたいのかが大事なんじゃないのか? それに、シュリ・ブラウンだって、駄目だって決まった訳じゃないし、イワンが目覚めれば結果が分かる。あんまり我々で決め付けない方が、フランソワーズだってもう子供じゃないんだし……」
「ジョーはどう思っているんだ?」
「……ん……わからないんだ、僕にはどうしていいのか……。このまま一緒にいてくれたら、本当はとってもうれしいよ。でもお兄さんの気持ちも良くわかるし、彼女の本当の幸せを思うとパリに帰ったほうがいいのかもしれない」
 そこまでジョーが言いかけた時だった。突然、部屋のドアが開いて、兄に会いに行っているはずの当の本人が戻ってきた。そして、皆が集まっているのを見ると少し驚いたような顔をしながら中に入る。
「なあに? 私を抜きで打ち合わせなの?」
 微笑みながら皆の顔を見る。
「いや、その…………」
 皆困ったように顔を見合わせる。そんな彼らを見て苦笑するフランソワーズ。
「お兄ちゃんとアリスン、明日の飛行機でパリへ帰るの! だから、明日は、見送りに行ってくるわ!」
「……見送りって……一緒に帰るんじゃ?」
 と思わずピュンマが口走ってしまったのを聞いて。
「あら、誰が一緒に帰る何て言ったかしら?」
 と微笑みながら答えるとさらに続ける。
「ふふっ、みんなの話し声きこえちゃったわ、心配掛けてごめんなさいね。……博士、兄が何か頼み事をしたそうですが、どうぞそのお話は忘れてください! それと、兄が勝手なことばかり言ってしまってすいませんって謝ってました!」
「すいませんって? それは、わしが言う台詞じゃよ。君の、いや君たちの大切な時を奪ってしまったのは何を隠そうこのわしなんじゃから」
「……博士」
 首を横に振ってみせるフランソワーズはギルモア博士の気持ちが痛いほど分かるような気がしていた。
「……それで、君は本当にそれでいいのか?」
 力なく呟くギルモア博士に向かってにっこりと微笑んで頷くフランソワーズに仲間達は、思わず安堵の表情を浮かべた。そして、さり気なく目を合わせたジョーの茶色い瞳がとてもやさしく彼女を包み込み見守っているようにさえ思えた。そしてフランソワーズは、小さく深呼吸をした後に、今度はシュリへの思いを話を続ける。
「……それと、シュリのことなんだけど……」
 と今度は少し淋しそうな声で続けると
「……あいつ、まだ見つからないんだろ? だけど、自業自得だぜっ! 勝手な行動ばかりしてさ……」
 とジェット。
「フランソワーズの心配はわかるけれど、気休めは言えないな……」
 とピュンマ。
 そんな彼らの言葉に思わず苦笑しながら、
「私ね……シュリは生きていると思うのよ!」
 と少々自身有りげに答える。
「それはどうしてだ? 何か根拠があるのか?」
 ハインリヒが質問する。そんなハインリヒの言葉に反応するようにジョーはさり気なくフランソワーズの方を見やる。すると、フランソワーズは小さく頷きながら。
「ええ、だって彼には、彼が居ないと生きていけない大切な恋人がいるんですもの。きっと、彼女の所へ戻ると思うわ! ……そう、きっと……」
 まるで自分をも納得させるように呟いた。すると、いち早く反応したジェットが
「恋人だって? フランソワーズはあったことがあるのか?」
「ふふっ……ええもちろん! だって、ワシントンで一緒に暮らしていたのよ! もうとっても可愛い子なの!」
「俺知らないぜ! ワシントンへ行った時だってさ。それに、かわいいって、あいつのイメージじゃないんだよな。どっちかって言うと、こうグラマーで、出るところが出ていて、ちょっと綺麗なお姉さんって言うかさ。意外だったなロリコンなんて……」
「もうっ! ジェットったら、それってあなたの好みじゃないの? それに、誰がロリコンなんて言ったの?」
「そっそんなに、向きになるなよー! ほんの冗談さ! ……それにしてもだな……なあジョー! 良かったよな」
 急に話を振られて慌てるジョーは一瞬顔が熱くなる。
「よっ良かったって……それは、どういう意味なのかな……」
 そんなジョーの態度にジェットは思わず自分の肘でジョーのことを突付いていた。そんな様子の彼らを垣間見てハインリヒがポツリと呟いた。
「……恋人か……そうだな、君の言うとおり恋人の所へ戻ったのかもしれないな!」
 ハインリヒが淋しげに答えたのを見て、フランソワーズははっとしてしまった。そうだった……彼は大切な恋人を……。
「ハインリヒ……ごめんなさい! 私……そんなつもりじゃ……」
「おいおい! 何を気にすることがある? いいじゃないか!」
 やさしく微笑むハインリヒ。
「じゃあさあ……とにかく、シュリ・ブライアンは無事ってことで、また会える日を待つことにしよう! なっ!」
 とグレートが言った。
「……そうね……またいつかきっと会えるわ……きっと」
 努めて明るく答えるフランソワーズだったが、でも本当はあの状況で無事なんてありえない、そんなことは百も承知だ。ただ、もしイワンがあの時彼をテレポートしていたのなら、可能性はある……。しかし、イワンが目覚めた時……。フランソワーズは怖かった。
 いい方に考えれば考えるほど不安もまたついて回るのだ。あの時、彼がいなかったら、私はきっと……。
 表向き必死で明るく振舞っているフランソワーズの心の内側をその時ジョーは垣間見たような気がした。
 翌日、ジョーとフランソワーズはジャンとアリスンを空港まで送った。カウンターに荷物を預けた後、しばしの時間別れを惜しんでいた。
「アリスン……どうか、兄を宜しくお願いします!」
「ええ……こんな私で宜しければ任せてもらうわ!」
 明るく答えるアリスンはフランソワーズの手をとった。
「あなたも、くれぐれも体に気を付けて……。あまり、無理しないようにね!」
「ありがとう……」
 そして、兄の方を向き、
「お兄ちゃんとは、昨日いっぱい話したから……なんだかね……」
 とそこまで言うと声を詰まらせてしまう。そんな妹をそっとやさしく包み込むようにして抱きしめる。
「お前が、自分で残るって言ったんだぞ……」
「わかってる……」
 ジャンはフランソワーズのやわらかな髪をそっと撫でる。
「いつでも、戻っていいんだからな……」
 フランソワーズはそっと兄の胸から離れると、笑顔を必死で作って、小さく頷いた。
 ジャンはそんな妹の傍らに立っているジョーに向かって右手を差し出した。
「どうか、フランソワーズを宜しくお願いします! ……その、貴方に妹の事を委ねます、私の代わりにこの子を守ってやってください」
 といって、彼の瞳をじっと見つめるジャンはその手の力を強めた。
 そして、そんなジャンの蒼い瞳の視線を逸らさずにしっかりと受け止めたジョーもまた。
「フランソワーズは僕が必ず守りますから……。約束します!」
 と答えたジョー。彼らのその光景はまるで、ジャンの手からジョーの手にその意志が伝えられている、何かの儀式のようにさえ見えた。
「さてとっ! パリへ帰ったら、仕事を探さなくっちゃね! ジャン!」
 アリスンが呟く。
「そうだよな。2人とも失業なんて、かっこ悪いしな……。でも少し休みを取ってゆっくりしたいとも思うんだがな!」
「それもいいわね!」
 とアリスンが言った時だった。彼女の携帯にメールが入る。それを確認した後、ジャンに向かって
「残念だわ。休めそうもないみたい!」
「はっ? どういうこと?」
「モルガン長官から……貴方と私の辞職願いが紛失したので、新任務を命じる! 急いで国防省へ! ですって……どうする?」
「アリスン……君……もしかしたら……」
「……私はなーんにも知らないわよ!」
 とウィンクするアリスン。
 そんな2人のやり取りを黙って見つめていたフランソワーズは、この人だったら、お兄ちゃんを幸せにしてくれる!と実感していたのであった。
「ああ、そろそろ搭乗しないと……」
 とフランソワーズがポツリと言う。
「じゃあ……行くとするか。フランソワーズ元気で!」
 ジャンはフランソワーズの頬に軽くキスをすると、アリスンと共にエスカレーターを登って行った。2人の乗った飛行機が離陸するのを見送った後、ジョーがぽそりと呟いた。
「フランソワーズ、ちょっと寄り道していかない?」
「えっ?」
 ジョーの思いがけない言葉に彼の方を振り向いた彼女は、彼に向かって満面の笑みを浮かべ
「ええ、いいわよ!」  と返事をした。
 ジョーは、久しぶりにフランソワーズを助手席に座らせて車を走らせた。以前はそんなことはあたりまえであって日常だった。こんな些細なことにこんなにも心を躍らせるとは、自分でも驚いていた。そして、フランソワーズも助手席に座って、運転するジョーの横顔を垣間見ながら、
"こうして、二人で居られるの凄く久しぶりのような気がする。今は、今だけは他の色々な事を忘れられるような気がする。……そう、今思い悩むのはやめよう、彼といる間は、今だけは……。きっとまた思い出さなくてはいけない不安が自分を襲うであろう。ほんのひと時であろうともこうして一緒にいられるのなら、それでいい"
「何を考えてるの?」
 突然ジョーが問い掛けると小さく微笑んで首を横に振った。
「何もって言ったら嘘になるのかな。そう、アリスンって凄いなって思って!」
「凄いって?」
「彼女、それとなくモルガン長官にお兄ちゃんのことを頼んでいたんだと思うわ。あそこまでお兄ちゃんをサポートしてくれる人なんて今までいなかったもの……。聡明で美しくって、それでいてさり気なくやさしくって、彼女が一緒に居てくれると思うと、私もうお兄ちゃんの心配しなくても良さそうだわ!
」 「お兄さんが君の心配をしてるんじゃないの?」
"えっ?"
 とジョーの方を振り向いた時
「さあ! 付いたよ。車を降りよう!」
「ここは?」
 車を降りたジョーとフランソワーズは目の前に繰り広げられたモナミ王国のパノラマに暫し時を忘れて美しい自然の空気にその身を預けていた。二人並んで高台に備え付けられている木製の手摺に掴まりながらしばらく沈黙が続いた後、ジョーがそっと話を始めた。
「気に入った?」
「……ええ、とっても素敵だわ! ……あの時、間に合っていなかったらこんな美しい街や自然がなくなっていたかと思うと、私達これで良かったのよね、とても辛かったけれど……」
 そう言いながらジョーの方を見る。
「そうだね。……僕たちのやってきたことは、決して無駄じゃないんだってそう思える!」
「ええ…………」
 そして、ジョーは思い切って彼女の心内を聞いてみることにした。今の彼女にとって、心に溜め込んだものを吐き出させるのが何よりも大切だと、実は心療内科医でもあるアリスンがジョーにアドバイスしていたのであった。
「フランソワーズ? 昨日言ってた彼のことだけど……」
「えっ?」
 フランソワーズはジョーの顔を見る。
「本当は、心配なんだよね……」
 フランソワーズは黙ったまま視線を海の方へむけるとジョーに分からないように一つ溜息を付く。
「あの時ね、お兄ちゃんが爆発に巻き込まれた時、私その後を追って行こうとしたの。……でも、私の腕を掴んでそれを止めてくれた。動揺している私の頬を叩いて、お前が生きなきゃどうするんだって! それなのに私……」
「君のせいじゃないよ! あの時は僕らだって突然何が起こったのかわからなかったじゃないか……」
「……でもね……でも、私何度も助けられて……それなのに……」
「…………」
 ジョーは複雑な思いだった。フランソワーズが明らかに彼を思って悩んでいる。
 嫉妬なのか。しかし、彼がいなければ確かに彼女はどうなっていたのか分からない! 彼に感謝しなければ……彼女を救ってくれたシュリ……どうか生きていてくれ! そして、今度もし会えたならいろいろ話をしてみたいとも思っていた。僕の知らないフランソワーズ、彼の知っているフランソワーズのことを聞いてみたいなどと、実際に会ったら、お互いきっと避けているかもしれないのに。
 長かった、この事件が始まってどれくらいの時が経ったのだろうか? フランソワーズは、それまでの悲しい思いや苦しい戦い、そして、許せないと思ったNBGの陰謀、シュリやサリーのこと、そして、兄に自分の姿を見られた衝撃がまるで走馬灯のように頭の中で蘇る。すると、これまで抑えてきた感情がどうしようもなく湧き起こってきて、溢れ出る涙を零れない様に、必死で蒼い瞳を大きく見開こうとするが、その涙の量に根負けしてとうとう、ポタッ!そしてまた一つポタッ! 次から次へと涙が零れ落ちる。その涙を必死で拭いながら
「……ごめんなさい……私、どうしちゃったのかしら?」  震える声で呟き、ジョーに背を向ける。
 そんな彼女の震える肩を見ていたジョーは不意に後ろからそんなフランソワーズの華奢な体を思いっきり抱きしめた。後ろから抱きしめられたフランソワーズは、少し驚いたように呟いた。
「……ジョー?」
 ジョーはフランソワーズの亜麻色の髪の感触を自分の頬に感じながら
「いいんだ……もっと、自分の感情をさらけだして!」
「……ジョー」
 と蚊の泣くような小さな声。
「泣きたい時は思いっきり泣いた方がいい。自分の中で溜め込んじゃ駄目だよ!」
 そう言われて、涙は止まるどころかさらにその頬を濡らす。思わず自分の両手で顔を覆うと
「…………だって……」  と言いながら首を横に振る。ジョーはそんなフランソワーズを今度は自分の方へ向かせると
「……フランソワーズ顔を見せて! 僕の顔を見てくれないか?」
 しかし、フランソワーズは顔を覆ったまま俯いていた。
「フランソワーズ!」
 ジョーはそんな彼女を今度は正面から抱きしめると
「君に……君にちゃんと話をしなければいけないと思っていた! ……これまで、不安にさせてしまって、本当にごめんよ……」
 何も答えられないフランソワーズは何とか気持ちを落ち着かせようと何度か小さく深呼吸をした。
「……ジョーが謝るなんて……。私、自分に自信がないの……。だから、だからキャサリンがとっても羨ましかった! 彼女はとっても美しく輝いているし、それに……彼女はとっても素直だもの……。私にはとても適わないわ」
「自信がないのは、僕の方だよ、フランソワーズ! 僕は人に愛されたことが無い。だから人に愛されることや人を愛することがどういうことなのか良くわからなかったんだ。……君に会うまでは……」
「……ジョー?」
 そんなジョーの言葉に思わず顔を上げるフランソワーズ。そんな彼女の頬の涙をジョーは自分の指でそっと拭ってあげると
「やっと、顔を見せてくれたね!」
 小さく微笑むジョーはさらに話を続ける。
「君を大切に思っている! 誰よりもずっと……。これは仲間としてではなくて、その……君をずっと……」
「…………」
 フランソワーズは自分の心臓が大きく波を打っているのに気づく。 "ドクッドクッドクッ……"
 鼓動はさらに激しくなる。
"私……どうしてしまったの? この胸の高鳴りは一体何? ……ああ、このままだと、ジョーに気づかれてしまう!"
「フランソワーズ……」
 そう言って、彼女の顔を覗き込み、その蒼い瞳をじっと見つめているジョーは意を決したように一言呟いた。
「君だけを愛している! 今までも、そしてこれからもずっと!」
"ジョー!!!"
 心の中で彼の名を呼んでみるが、驚きで声にならない。固まったまましばらくその彼の茶色の瞳をじっと見つめていると、彼はそっと自分の顔を近づけてきて彼女の薄紅色の唇にそっとキスをした。
"魔法を掛けられ眠っている姫を王子はそっと口づけをして、その永い眠りの魔法から彼女を救い出しました!"
 そんなおとぎ話のようなジョーのやさしい口づけは、フランソワーズの頑なな心を少しずつ溶かしていった。これまで、ジョーの前では必死で自分の感情を表にあらわさないようにしてきた彼女も、この時ばかりは素直に彼の胸の中でこれまでの疲れきった心の涙を流す事が出来たようだった。


No. 37 最終章 後編

 その日、モナミ王国の首脳たちは、キャサリン女王を交えて会議を開いていた。
「記念式典を中止にすると?」
「さよう……被害は少なかったものの、この期に及んでお祭り騒ぎはいかがなものかと住民の感情を考えると今回は中止をした方が……」
 初老の大臣のそんな話に若手の議員が反発をする。
「待ってください! このモナミ王国は、観光が唯一の収入源なのです! それが、今回の地震の影響で観光客が減ったりでもしたらそれこそ大打撃です! ここは、記念式典を予定通り行なって、この国の安全を全世界にアピールする事が大事なのではないかと考えますが……」
「……彼の言う通りじゃ! 大臣、ここは縮小してでも実施をした方が良いのではないか? それに、国民だって収入が減るのは困るだろうし……」
「……ふむ、それはそうじゃが……。キャサリン女王はどうお考えか?」
 急に話を振られて戸惑うキャサリンはこれまで女王と言っても形だけの飾りに過ぎなかった。意見を聞かれたことなどほとんどなかったのである。
「よくはわからないけれど……彼の言うとおり縮小して、開催したらどうかしら? その代り、無駄なことはなるべく辞めて、住民も一緒に参加が出来るように広場を開放して皆で行なうの!」
「それはいい考えだ! そうすれば国民の反発は免れるし、全世界へアピールも出来る! さすがは、陛下だんだんと女王らしくおなりになれれたようで、安心を致しました」
「……いっいえ、私は別に……ただ、今回の事件……じゃなくって、災害は国民と力を合わせなくてはいけないということがようやくわかったような気がしたの」
"そう……エドガーの言うとおり、あの人達がなぜあそこまで戦わなければいけないのか? それを考えれば、この私はなんて身勝手で今まで周りのことをいかに考えていなかったか、あの人達を見ていて、教えてもらったような気がする。……でも、でもジョーのことは、こんなにも狂おしいくらい恋しい……。ひょっとしたら、もう嫌われてしまったのかしら? もう一度会いたい! 会って、お礼も言いたいし、もう一度自分の気持ちを伝えたい! 例え、受け入れてもらえなくても"
「陛下? どうかいたしましたか?」
「いいえ……別に、どうぞ話を続けてください!」
「招待客ですが……予定を変更して、各要人は最小限に控えて本当に交流のある近隣諸国のみの招待にしてはどうかと……。その、言いにくいのですが、警備に相当費用がかっかってしまいますし……」
「しかし要人が来ないと、各国のマスメディアが映像を配信してくれるかどうか……」
「ふむっ……ここは、先行投資と言うことで、予定通り招待をして、この国が安全で、国民も力をあわせている姿をマスメディアに訴えてはどうかと……」
「招待は予定通りにして、3日間予定していたものを2日間にして、堅苦しいオプションを減らしオープンなパーティー形式にしてはどうかな?」
「それもいいかもしれんな……。一日目に式典は終わらせて、それ以降はオープンにする! 皆さんの意見はどうかね? 何か他にいい方法がある方は?」
「いや! その意見に賛成ですよ……」
「それでは決定と言うことで、準備委員会に伝えます! いいですな!」
 一同頷くと会議は終了した。そして、パーティーの招待状が彼らのもとにも届けられたのであった。

* * * * *

 ジャンとアリスンを空港まで見送ったジョーとフランソワーズは、その後、宿泊をしているホテルに帰る頃には既に日が暮れかけていた。
「すっかり遅くなっちゃったね!」
 運転をしながら、フランソワーズに話し掛けるジョーは、何となく照れくさそうだった。
「……ええ……きっと皆、待ちくたびれてるわね……」
 答えるフランソワーズもまた、ジョーの顔がまともに見れないでいた。
「ジョー」
「フランソワーズ」
 二人同時に話し掛けると、二人とも驚いたように顔を見合わせ思わず声を上げて笑ってしまった。
「なんか……変だよね!」
「ふふふっ……とっても変だわ!」
「えっと……何? 君から先に話して!」
「ああ……それじゃあ、お言葉に甘えてお先に話させていただきます!」
 と言うフランソワーズに
「どうぞ!」
 とにっこり微笑みながら答えるジョー。
「今日は、お兄ちゃんとアリスンの見送りに付き合ってくれて本当にありがとう。……それと、さっきは驚いてしまって何も答えられなかったけれど、その……とても嬉しかったわ!」
「……よかった! 正直言って少し不安だったんだ。……急にあんなことを言ってしまって」
 黙ったまま首を横に振るフランソワーズ。
「私、悪い癖なの……。小さい頃から我慢をするのなれてたはずなのに、結局みんなに心配かけてしまって」
「……フランソワーズ、これからは、どんなことでも僕に話して欲しいな……シュリみたいに……」
 そう言いながらフランソワーズの顔をチラッと見ると
「えっ?」
 と意外そうな顔をするフランソワーズ 「君が彼にいろんなことを話しているのを知った時、正直いって少し……」
 とそこまで言って言葉を止めた。
「ジョー……」
「ごめん、君を責めるつもりなんてないんだ。ただ……」
「いいのよ。私も彼に少し甘えすぎていたと思うもの」
「ごめん。一番悪いのは僕の方なのに、僕がもっとしっかりとしていれば」
「ジョー……私、さっきも言ったけど、どうしても自分に自信がもてないの……。だって、もう普通の女の子じゃないし、ジョーは人に愛されたことがないって言ったけど、私は……」
 と口篭ってしまう。
「フランソワーズ?」
「私は、もう人を愛してはいけないんじゃないかと………私なんかに愛されても誰も幸せになれないような気がして」
 ジョーは思わず車を路肩に停車し、フランソワーズの方に向き直る。
「そんなことは無いよ! 絶対に、そんなことは無い!! 君がそんなことを言ったら、僕なんてもっと……」
「……ジョー……ごめんなさい……私どうかしてるの、本当に自分が嫌になる」
 車のライトに照らされたフランソワーズの蒼い瞳からは透明の雫が一筋流れるように彼女の頬に零れ落ちた。ジョーは、フランソワーズの心の痛手が簡単には直らないと時確信する。そして、あの物語の「ジゼル」を思い出し、このまま彼女が自分の前からいなくなってしまう不安に再び襲われていた。しばらくして車はホテルのガレージに到着した。
「みんなの所へ行くけど、大丈夫?」
 ジョーに聞かれ、フランソワーズは必死で笑顔を作りながら黙って頷いた。
「よう! 遅かったじゃねえかよ! 一体こんな時間まで何やってんだ?」
 部屋へ入るなりジェットが噛み付いた。
「ごめんごめん! なんだか、道が混んじゃって……。って、少し寄り道もしたけど……」
 一瞬言い訳をした後、ジェットの鋭い視線を垣間見たジョーは思わず寄り道の話もしてしまう。
「やっぱりなー! だから、待ってねーで、先に食べに行こうぜって言ったんだよ!」
 さらに悪態をつくジェット。
「いいじゃないのー! やっと二人っきりになれたんだからさ、積もる話もあるってものよー! なあ王子!」
「……王子?」
 グレートの「王子」発言に思わず反応してしまうフランソワーズはジョーの顔を見て、くすっと笑った。
「……なっ何だよ! みんなして……遅れたのは悪かったけど……その」
"まったく、世話がやけるやつ等だ!そろそろ助け舟を出してやるとするか!"
「まあ、いいじゃないか! こうやって皆揃って、楽しく飯を食べに行けるってのもめったにないし、さっ行こう! 俺もはらぺこだ!」
 言いながらハインリヒは立ち上がって部屋を出て行く。
「ん! ……我慢も修行の内だが、さすがに待ちくたびれた! 行こう!」
 ハインリヒに続いてジェロニモも部屋を出て行った。
 結局、最後に残されたジョーとフランソワーズも続いて部屋を出て行った。
 レストランで予約をしておいた個室にギルモア博士を始めとするメンバー全員が勢ぞろいすると、ギルモア博士が徐に語りだした。
「今回の事件は、いろいろと大変なことが重なってしまったが、またこうして、全員揃ってみなの顔が見れて本当に良かった! 毎回これっきりと思っておるのに、本当に君達には……なんと言っていいのか」
「博士! 堅苦しいことはいいっこなしですよ!」  ピュンマが呟く。
「そうそう! それより、早く食べるアルよろし! 冷めるとせっかくの料理おいしくなくなる事アルよ!」
「そうじゃな……それじゃあ、いただくとするか」
 そうギルモア博士が言った途端、ジェットとグレートが物凄い勢いで、前菜を食べだした。それを見ていたフランソワーズはジョーと顔を見合わせて小さく微笑んだ。
「ところで、記念式典の招待状が全員の分来ていたんだけど、どうする?」
 ピュンマが切り出す。
「女王直々だからなー。いかないとマズいんじゃないの?」
 とジェット。 「めんどくさいな! って言うか、我輩はもう沢山でござるよ!」
「ハハッ! 今度も女王の格好して行くか?」
「もう勘弁してよー! 本当にきつかったのよ。ミレット婦人? これがまた、うるさくってさー!」
「博士はどうするんです?」
「すまんが……わしの変わりに皆で参加してもらえんかのう? ……わしは、オーギュスト博士とのんびりと酒でも飲んでおるよ」
「オーギュスト博士か……。なんか、あの人も考えてみれば孤独だよな! 娘は」
「おいっ! よせジェット!」
「あぁぁすまない……」
「博士、なにかオーギュスト博士と約束をされているのですか?」
「うっ? まっまあな。正直あのようなパーティは疲れるんじゃよ」
「確かにな!」
「ジョーはもちろん行くよな! 何て言っても、女王のお目当てはジョーだもんな!」
「そっそんな……お目当てだなんて…………」
「ジョーは行かないと不味いよ! だって、エスコートも依頼されてるんだよ!」
 ピュンマの発言に
「なっなにー! エスコートだと? 本当なのかジョー!」
 急に話を振られたジョーは困ったように呟く。
「そんなこと初耳だよ! それに、一方的な……」
 ジョーが言いかけたとき。
「……ジョー、行ってあげて! じゃないと、彼女の立場悪くなっちゃうわ……」
 意外なフランソワーズの発言に皆驚いたように彼女の顔を見る。
「いいのかよっ! また我慢するのよくないぜっ!」
 とジェット。
「そう、一方的すぎるアルよ!」
「あの……私のことを気にかけて言ってくれているのなら、それは気にしなくてもいいのよ。私、申し訳ないんだけど欠席するつもりなの、招待はお兄ちゃんとアリスンのところにも来ていたんで知っていたんだけど、そんなパーティに着て行くドレスも用意していないし……」
「それなんだがな、フランソワーズ! お兄さんから預かったものがあるんだ!」
 急にハインリヒがボーイに目配せをすると、ボーイはしばらくして大きな平たい箱を持ってくると、入り口の横に備え付けれている小さな丸いテーブルの上に、その箱を載せた。小さな封筒を彼女に手渡す。その中には兄ジャンからのメッセージカードが入っていた。そのカードを黙って読んでいたフランソワーズは思わず涙ぐむ。
「これはいつ?」
「さっき、旅立つ前にアリスンが来て、とにかく時間がないので自分の代わりに、ここの店に行って頼んだものをフランソワーズに渡して欲しいって!」
「なんなんだよ、その箱の中身はよ!」
 と言うジェットの言葉を受け、ハインリヒはフランソワーズに開けてみるように目で合図をした。ゆっくりと立ち上がったフランソワーズは丸テーブルの前まで行くと、その大きな箱のふたを開けてみる。
「……すてきっ!」
 そう言いながら手にとったものは、シルク素材で出来ている品の良いスリップ形のドレスだった。色合いもフランソワーズに良く似合いそうな薄い光沢のあるピンクで、彼女の体のラインが美しく見えるようなデザインだった。
「なんかさーフランソワーズにピッタリじゃん! あのお姉さんやっぱりパリジェンヌだけあって、センスいいねー!」
 と真っ先にジェットが言う。
「ジェットったら、ジョーの台詞を取っちゃ駄目よ!」
 とグレート。そんなジョーは慌てるように
「えっ? ……そっその……パーティーで、着てみたらいいよ、折角のお兄さんとアリスンの好意なんだし……」
「……そうね、私のエスコートはこんなに沢山いるんですものねっ!」
 そう言って微笑むフランソワーズ。
「そうだよ! 一日くらいジョーの奴なんて女王に貸してやれってーの!」
「それもいいかもな!」
 と落ち着いた口調のハインリヒ。
「皆待ってよ! 僕は女王をエスコートするつもりなんて……」
「そうはいかないアルよ!」
「断る前に、ぜーったいにミレット婦人が来るって!」
 とグレート。  ジョーは、今日の折角の愛の告白の幕切れがこんな形で終わってしまうことを暫しの間恨めしく思っていた。

* * * * *

 記念式典当日、その日は絶好の秋晴れで、雲ひとつない青空に祝いのクラクションの音が響き渡る。会場となった広場には一般の市民や各国のマスコミなどが犇いていた。
 そして、厳粛な式が執り行われた後、モナミ国営管弦楽団の奏でるエルガーの行進曲「威風堂々」第一番ニ長調の演奏に合わせて広場にある離宮のテラスに女王が姿を現す。一時は王室撤廃論まで議論された王国ではあったが、この日ばかりは盛大な国民の歓声のもと、キャサリン女王も笑顔でそれに答えるように手を振った。
 その日の夕刻、問題のパーティが開催される。少し広めの控え室に集まった彼らは紅一点であるフランソワーズの登場を待ち構えていた。
「おっせーなー! フランソワーズは一体何やってるんだ?」
「まあまあ、時間はまだ早いんだし、姫は支度に余念が無いのよ!」
「そうアルよ! 元来、女性の支度はどこの世界でも待たされるアルよ!」
「ジョーこんな所に居ていいのか?」
 とハインリヒの質問に
「いいのか? って……僕は女王のエスコートなんて……」
 とそこまで言いかけた時だった。
「お待たせ! ……みんな、随分早いのね!」
 フランソワーズの声がすると、皆その声の方向に釘付けになってしまう。
 アリスンが見立てた、シルクのほとんど白に近い薄い光沢のあるピンクのドレスを身に付け、何時もはカチューシャで止めているその亜麻色の髪を、この日ばかりはアップさせていた。そのうなじがまた美しく、さらに、肩を出した形のドレスは、バレエで鍛えた美しい体のラインをより一層映えさせている。一瞬、その美しさに声を失った彼らだったが、開口一番、グレートが茶化すように呟いた。
「流石は、我等が姫君! 何とお美しいことか!」
 そう言って、その手の甲にキスをする。
「おいっ! グレート、抜け駆けは許さんぞっ!」
 今度はジェットが突然彼女と腕を組む。
「まあ、あれだなっ! ジョーは女王陛下のエスコートだしな。しょうがない! このジェット様がエスコートしてやるぜっ!」
 パチッ!と写真のフラッシュがいきなり炊かれたかと思うと、ピュンマがちゃっかりと彼女の横でポーズを決める。
「ハインリヒ! 悪いけど、シャッター押してくれる!」
「おいっ! ピュンマ! お前いつの間にそんなもん!」
「いいじゃないか! たまには皆で記念写真でも撮ろうかと思ったんだよ! 正装している姿なんてあんまりないしさ!」
「で、なんでツーショットなんだ?」
 冷たくハインリヒが言う。
「いやっ! それはそのー」
 と周りを見ると何時の間にやら皆がフレームに入るようにポーズを決めていた。
"まったく、なん何だよ!"
 少しおもしろくなさそうなジョーはそっと、フランソワーズの方に目をやる。彼女と目が合ってしまい少々照れくさそうに脳波通信で語りかけた。
"とても、よく似合っているよ! ……その、きれいだよ!" "ありがとう! ジョー"
 思わず頬が赤くなったフランソワーズとジョーの姿をカメラごしに眺めていたハインリヒは
"あいつら、脳波通信使いやがって! ……ふっ、まあいいっか!"
 と心の中で呟いた。
 そんな中、いきなりグレートが叫ぶ。
「ほれほれ! ジョー、お迎えのミレット夫人のお出ましだぞ!!!」
「ジョー島村様! 女王陛下がお呼びでございますよ! まったく、お時間を守って頂かないと!」
「待ってください! 僕は……」
 必死で反論しようとしているジョーの声などまるで聞き入れようとせずに、ミレット婦人はジョーの腕を無理やり引っ張って行ってしまった。
「なっ! 強引なんだよ、あのおばはん!」
「強引なのは、キャサリンの方だよ!」
 とピュンマ。
「皆、折角招待されたんですもの、楽しみましょ! ねっ!」
 明るく振舞うフランソワーズに答えるように
「じゃあ、行くとするか! あれっ?」
 ジェットがフランソワーズの腕を取ろうと振り返った時、既にジェロニモがフランソワーズをエスコートして会場へ向かっていた。
「何だよー! あれはっ!!」
「美女と野獣だねっ!」
 とグレート。
「クククッ!!」
「笑うなー! ハインリヒ!」
「いや、すまんすまん!」
 おもしろくなさそうな顔をしているジェットを、子供をなだめる様に背中を押して歩くハインリヒであった。
 会場に到着するとすぐに乾杯の掛け声と共にパーティが始まった。
 ジョーにエスコートされて、入場するキャサリン女王は満足気な笑顔を振りまいていた。また、ジェロニモにエスコートされたフランソワーズは、その意外な組み合わせと彼女の輝くような美しさに、会場の人々の注目を独り占めしていた。
「そんなにおかしいかな? 俺!」
「そんなことないわ、私は、ジェロニモの大きくって包み込んでくれるようなやさしさ、凄く好きよ!」
「お礼を言うべきなのかな? あんまり独り占めすると、皆に悪いから、合流するかな!」
「ふふっ! そうね……何を言われるか分からないものね!」

* * * * *

「ジョー、無理を言ってしまって、ごめんなさい」
「いや……」
「もう一度、貴方とゆっくりお話がしたかったの。……こうでもしなければ、貴方は来て下さらないと思ったの」
 キャサリンは、他の人々に笑顔を向けつつも、小声でジョーと話を始めた。
「キャサリン……いや、女王陛下、僕は……」
「……お願い、陛下って呼ぶのはやめて頂戴!」
 ジョーはキャサリンに気づかれないように小さく溜息を付くと
「君に、どうしてもわかってもらいたいことがあるんだ!」
「ねえ、私のこと嫌い?」
「嫌いだなんて……ただ、すまない!僕には、ずっと前から大切に思っている人が……」
 そこまで言ったジョーはキャサリンの思い詰めたような表情を垣間見てそれ以上話すのを辞めた。
「……わかっていたわ。だから、あの時少し意地悪をしようとしたの。……なのに、ニーダがあんなこと。私、貴方と彼女に謝らなければいけないとずっと思っていて……。でも、でもどうしても諦められなかった!」
「キャサリン……君のせいじゃない!あれは、NBGの陰謀だった。君はそれに利用されていたんだ」
「やさしいのね。……ねえジョー、一曲踊ってくださらない?」
「僕と?」
「お願い! そうしたら私……私、もう貴方を困らせないわ!」
 しばらくして、ジョーは頷いてキャサリンの手をとると、ホール中央へ向かった。多くのゲスト達は、そんな2人を注目していた。
「おいっ! あれを見ろよ!」
「ジョーの奴うまいことやりやがる……」
「大方、キャサリンにせがまれたんだろ」
 ハインリヒがポツリと言う。
「でもよ、フランソワーズだって元気そうにしているけど……」
 そんなジェットに向かって、無言のまま「黙れ!」と言わんばかりに目配せをするハインリヒの視線の先には、そんな二人をそっと見つめるフランソワーズの姿があった。
「大丈夫かな?」
「……さあ」
 フランソワーズはジョーとキャサリンの姿を知らず知らずのうちに目で追っていた。しかし、不思議と以前のような悲しい思いは沸き起こっては来なかったのである。ジョーにはっきりと彼の意思を告げられたせいなのか? それとも、キャサリンに対しての思いが変わったのか? しかし、そんな時だった。不意に彼女の耳に飛び込んできた音色……。
「これは……まさか? ……パンフルート!」
 フランソワーズは何時しか、その音色のする方向へまるで何かに取り付かれたように歩き出した。そして、たどり着いた場所。それはいつだった生還したジョーと再会した場所だった。
 フランソワーズは、一人、暗闇の中を月明かりに導かれるようにしてその部屋の中に入っていく。広間には、天井に描かれたイコンの聖母が優しげな表情を向けている。そして、窓辺に近づきバルコニーへ出てみると水面に映るつきの明かりがキラキラと輝いて見えた。やさしい海風がふわっとフランソワーズを包み込む。
"……やっぱり、気のせいだったのかしら?"
(ボクガ、キミヲ、ココニヨンダンダヨ!)
 イワン……目が覚めたのね? 私……。
(ワタッテイルヨ! ボクニ、キキタイコトガアルンダヨネ? デモ、キミハ、今トテモ、コワインダ……)
 あなたにはみんなお見通しね。……そう……怖いわ……とても怖い!
(フランソワーズ! ナンニモ、心配スルコトハ、ナイヨ!)
 イワン……それは、彼が無事だということ?
(ウン! デモ、イマハクワシクハ、イエナインダ。デモ、ボクヲシンジテ! ……イツカアエルヒガクル!)
 ……どうして? 無事なら何故、姿を現さないの?
(フランソワーズ、キミハ、カレヲウケイレラレナイ! ナゼナラ、キミノココロハ、ジョーヲオモッテイルカラ……)
 でも私、自分だけが幸せになんてなれないわ! シュリが無事でいてくれないと……。
(ジョーガ、ヨウヤク、アソコマデイエタンダヨ! カレノココロノ、カットウヲワカッテアゲナイト、ジョーニトッテ、ヒトヲ愛するコトハ、どんな戦いヨリモ、勇気ガイルコトダッタンダヨ!)
 ……でも、私にそんな資格があるの? ……私はもう普通のおんなの子じゃないのよ! ジョーだったら、いくらでも素敵な……。 「資格なんて関係ないよ、フランソワーズ」
 突然聞こえた、聞き覚えのある声はとてもやさしく、ここの海風のようにフランソワーズの心の中に染み込んで来るようだった。そして、驚いて振り返ったフランソワーズは思わず彼の名前を呟いていた。
「ジョー!」
 ジョーはフランソワーズの方に近づいてくると、少し厳しい表情を彼女に向けていた。
「黙って、いなくなるのは、反則だよっ!」
「…………」
「また、どこかへ行ってしまうんじゃないかって心配をしてしまったよ……」
「ジョー……でも、キャサリン女王は?」
「彼女は、もう今までのようなことはしないと思うよ。……僕の気持ちを理解してくれたはずだから……」
「理解って?」
「僕が君を愛しているってこと……」
「……ジョー私……どうしたら、どうしたらいいのかわからない……」
 そう言いながら、両手で顔を被ってしまった彼女をジョーはそっと抱きしめた。
「いいんだ! 君は何も心配しなくても……。君のことは僕がちゃんと受け止めるから! 君は、今までどおりそのまま傍にいるだけでいいんだ。……君は、少し疲れている。だから、もっと楽になってもいいんだよ!」
(その通りだ! フランソワーズ!! モットココロヲヒライテ、コノママダト、キミノココロハ、コワレテシマウ……。シュリノコトハ、サッキモイッタケド、シンパイイラナイカラ……。ボクヲシンジルンダ!)
「……わかったわ、イワン。あなたを信じていいのね?」
(ソウダよ! ……ジョー! 後は頼んだよ。まだボクハ、ネムッテイル時間ナンダ! フア……)
 そう言うと、イワンは再び眠りの時間に戻っていった。
「フランソワーズ……その……まだ、君の気持ちを聞いていなかったけど……」
「……えっ? そっそうだったかしら……」すると、ポッ!と頬が熱くなるフランソワーズ。
「……僕のこと……」
「……ジョー、私……」
 そんな時、先程より少し強くなった海風が、宮殿の弦楽四重奏の音色を運んできた。
「……あっ……宮殿から聞こえてくるのね?」
「うん、そのようだね。……これは、ワルツ?」
「ええ、きっとパーティーも盛り上がっているころね。……この曲は花のワルツだわ……」
「ねえ、踊ろうか?」
 意外なジョーの申し出に驚きを隠せないでいるフランソワーズに。 「僕が相手じゃ不満?」
「そっそんなことはないけれど、でも、ジョー……ワルツを?」
「もちろんへたくそだけどね! 君を抱きしめていたいから……その……踊りにはならないかもしれないけど、二人きりの舞踏会ってことで、ギャラリーも……そう、天井の聖母様と月だけだし……」
 そう言った後、自分の発言に思わず照れくさくなると、視線を海の方に向ける。
「二人だけの舞踏会……素敵ね!」
 そう言って、彼の手をとるフランソワーズは何かを吹っ切れたように、満面の笑みを浮かべた。ジョーはそんな彼女の腰に手をまわすと広間の中へとエスコートする。照明は、月光だけ……。そして、聖母が微笑む中、2人だけの舞踏会が始まった。
「そのドレスとてもよく似合っているよ。でも、他の誰かに見られるのはちょっと……」
「……ジョーったら……でも、ありがとう」
 ジョーの腕に抱かれてフランソワーズは恥ずかしそうに呟いた。
「ジョーさっきの……話の続きだけど……」
「……うん……待って! 何だか怖いな……」
「ふふっ! ……あなたが怖いだなんて!」
「……だって、正直言って自信がないから……」
 そう言われたフランソワーズは少し淋しそうに微笑みながら
「それは、私の台詞だわ……」
「そうだったね。……じゃあ、これからは、この言葉を禁句にしよう!」
 そう言って、見つめ合う2人。
「……私も貴方のことをずっと愛していたわ! もちろん今も……これから先もずっとよ……」
「フランソワーズ!!!ありがとう!!」
 ジョーはフランソワーズの華奢な体を思い切り抱きしめた。そして、ステップを止めた二人は、しばらく立ち止まったまま見つめ合うと、どちらともなく顔を近づけそっと唇を重ねた。
「このまま時が止まってしまえばいいのに…………」
 思わずフランソワーズが呟くと
「どんなことがあっても、もう絶対に離さないから! 絶対に!!!」
 ジョーは再び彼女の体を引寄せるとその薄紅色の唇に自分の唇を重ねた。
 長かった心の葛藤を忘れたように愛し合う2人を天井の聖母が優しく見守っていた。


La Luna (月) 蒼く澄んだ光の中に何が映っている?
水面を見つめて泣いてる彼女を黙って見守る
貴方の優しい光
La Luna
暗闇の中 踊っている彼女を転ばぬように
そっと、やさしい光を放ってくれる貴方は
彼女の悲しみを知っている
La Luna
彼女の涙を照らしている蒼い光は
いつもやさしく光り輝いている
やがて、夜が明けて彼女の頬に笑みが戻っても
貴方はいつでも彼女を見守っている
La Luna 蒼く澄んだ光の中に何が映っている?
彼女の心が壊れる事のないよう
そのやさしい光をそっと浴びせている
そして、貴方が連れてきた温もりは
いつしか、愛に変わった
La Luna 
貴方の蒼く澄んだ光の中に映るのは
永遠の恋人……
光の中に映るのは永遠の恋人


エピローグ

 オーギュスト・ボアの別荘の地下研究室。ステンレス製の壁に覆われたその部屋は、薬品の匂いが漂いどこか冷たささえ感じる。
 コツッコツッコツッっと足音がドアの前で止まり、自動ドアが開くと白衣を着た人物が入ってくる。
「……博士! 来てくださると信じていました!」
 エドガーのその瞳に映る初老の男性は、訝しげな顔を浮かべてもう一人の人物に呟く。
「もう一度聞きますが……本当にいいんですな?」
 すると、その人物は腰掛けていた椅子から立ち上がり彼の手をとる。
「もう、貴方しか……息子を助けることは出来ないんです! どうぞ後のことは気にせずに!」
 彼は、溜息を付きながら頷く。
「わかりました。……もう二度とこの技術は使うまいと思っていたのですが、彼の命を助ける為には……。エドガー力を貸してくれるね?」
「もちろんです! 博士……」
 そう言った彼らの視線の先には、辛うじて息をしている生命維持カプセルに入れられた人体が横たわっていた。
「……それでは、邪魔者は退散するとします。あとは、貴方を信じて待っていますよ!」
 黙ったまま頷く初老の男性に背を向けると、彼は自動ドアに向かって歩き出した。
 シャーッ!っとドアの閉まる音。部屋を出た男性はしばらくそのドアを見つめた後、その場を立去ろうとした。すると、そんな彼を黙って見つめていた一匹の猫が彼の腕の中に飛び込んできた。
「サリーか? お前も心配してくれるのか?」
 そう言った彼は、この時初めて目頭を熱くするのだった。
「駄目だよ! お兄ちゃんはまだこっちへ来るのは早いんだって!」
「……命令するな!」 「もー!!! 相変わらす無愛想で、面白くなさそうな顔をして……だから振られちゃうのよ!」
「黙れ!!! 妹の癖に生意気言って……。だいたい、俺より若いくせに先にいく奴がいるかよ!」
 すると彼女は少し淋しげな表情を浮かべて呟く。
「……ねえ、パパともっと仲良くしてね。私の分も優しくしてあげて」
「馬鹿たれ! お前こそ、今度生まれてくる時は……幸せに」
 そう言い掛けた時だった。久しぶりに再会したはずである妹の姿は既に見えなくなっていた。
「サーシャ?」
 夢なのか? 現実なのか? 久しぶりに交わした妹との会話……。それが、どちらなのか、まだわからない……。
 白衣を着た彼は、それが正しいのか正しくないのかわからないでいた。……そう、今は誰にもわからない……。
 生命維持カプセルの中に横たわっている青年の瞼が再び開く時まで……。